諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「全日本人」「全中国人」「全韓国人」について語りたがる輩に気をつけろ?

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正直(諸派に分断された)日本人全てと仲良くする方法が存在しない様に(同様に諸派に分断された)韓国人や中国人全てと仲良くする方法もまた存在しないのです。

 例えば私の場合は国際SNS上の関心空間上において「朴槿恵政権時代の風俗粛正運動によって国際SNSから追放された韓国系アカウント集団」と近しい立場にあるのですが、それゆえに、自然と彼らと敵対する「(民族統合を志す)民族左派と宗教右派の連合体」との対立関係に巻き込まれてしまう展開となりました。
そもそも国際SNS上の関心空間の母体の一つとなったTumblr上のコミュニティには「和製コンテンツの翻訳を手掛けるプロもしくはその卵の溜まり場」が存在し、それに韓国系アカウントが相応の割合で含まれていた。例えば「春は桜」と振れば世界中の日本ファンが飛びついてくるが「春は菜の花の季節でもある」という振りまでついてこれる外国人は韓国人に絞られ「春は苺の季節でもある」なんて振りではむしろ日本人の方が脱落してしまう(「苺を最も沢山食べるのはクリスマス・シーズン」となり、春になると苺を喜んで食べる伝統が失われてしまった)。そして祖国の漫画文化が保守派の弾圧によって壊滅してしまった関係から、日本漫画の翻訳業務には海外脱出した韓国人編集者が数多く絡んできた。

*それにつけても、韓国における「民族左派と宗教右派の連合体」の振る舞いは壮絶極まりない。そもそも「右翼=反共、左翼=従北」という区分があるだけで右も左もリベラリズムとは無縁なガチガチの守旧派北朝鮮では「ミニスカートを履いた」という理由だけで女性が銃殺され、韓国では「セーラー服コスプレのAV」の所持者がペドフィリアとして書類送検され、社会的地位を抹殺される。KPOPの世界を世界に知らしめたPSYやHyunAも本国では「人類を精神汚染する汚物」と排斥運動を起こされて無数の訴訟を抱えて潰されたし、韓国系アメリカ人プロデューサーが「女性の本音」を歌詞に盛り込んで「NORZA(2011年)」を国際的にヒットさせた2ne1は本国芸能界から「心を病んでしまった。韓国精神の再注入が必要」と認定されトロット(韓国版演歌)を歌わされる羽目に。しかもこうした話を「反日韓国人」は「韓民族日本民族より無条件に圧倒的に倫理的に優れている証拠」として実に嬉しそうにホルホル顔で語る。「馬鹿につける薬はない」とはまさにこの事。

*その一方でこうした行為が「愛国英雄」として大絶賛される。まさに大日本帝国における産業報国運動の展開そのもの?

*こうした歴史を考えると「国際SNS上の関心空間に逃げ込んだディアスポラ韓国人系アカウント」の大半が下手な日本人より遥かに強く「因循姑息な祖国の伝統的志向様式」に対して限りなく殺意に近い強い憎悪を抱いているのも当然といえよう。それは「(あくまで祖国の伝統の継承を強要し続ける)第一世代移民と(すっかりそれから脱却した)第二世代以降の韓国系アメリカ人の精神的対立構造の縮図」でもあり、この問題は多くのアジア系アメリカ人も抱えているので共感を呼びやすい。

そもそも「民族左派」ってまだ「科学的マルクス主義」を護持してるのだろうか? アジアの宗教右派は概ね(三・一万歳運動や五・四運動を扇動した)ウィルソン主義と密接な関わりをもってきたが、今でも当時のグローバル性やリベラル性を護持しているのだろうか? 欧米においてラディカル・フェミニズム宗教右派と手を組んだ図式同様、そこには「実は極右も極左も「他人の自由が大嫌い」という点では同類で、そこに共闘の余地が存在する」という普遍的事実が見て取れる。

*戦前日本においても「(後に世界に認められる事になる)小津安二郎の小市民映画」を軍国主義者と社会主義者共闘して弾劾する図式が存在した。「他人の自由」が大嫌いで、お互いを襲撃し合いながら「こうして実働している自分達だけが正義を体現している」と自惚れていく辺り、両者は思うより持ちつ持たれつの関係にあるといえよう。

*いわゆる「従軍慰安婦問題」もまた、こうした基本構造を逆手にとる形で展開してきた。韓国軍古参兵が「実際そこには優秀な韓民族男性に対する劣悪なベトナム民族女性の憧憬心を背景とする自由恋愛があっただけだった」と強弁するベトナム戦争当時の韓国軍強姦問題と併せ「(少しでも自分の非を認めたら滅ぼされる)大陸的思考様式」が相まって倫理的には実に滅茶苦茶な状態に陥っている。

今から思えば朝日新聞慰安婦関連報道を取り消した2014年まで「実際に死亡が確認されている50万人の慰安婦など氷山の一角に過ぎない。その総数はどう少なく見積もっても2000万人は下らない筈でユダヤ人に対するホロコーストの規模を遥かに超える。その平均寿命は2週間未満で、日本兵の暴行に耐えかねて死亡すると全て証拠隠滅の為に解体され、食べられた。日本人の民族的自尊心の拠り所となっている零戦戦艦大和は文字通り慰安婦から搾り取った脂肪を燃料に動いていた」とか「人類平等の理念は、日本人及び日本人を同じ人間と認めたレイシストの全員が全財産を差し出し、最後の一人まで輪姦され尽くし、収容所で苦しみながら死に絶えるまで決っして回復される事はない」とか「俺、韓国でタクシーの運転手やってるけど、最大の楽しみは泥酔した日本人女性観光客の身ぐるみ剥いで強姦して殺して埋める事なんだ。まだ五人くらいしか手掛けてないけどな」「メキシコ人だけど、僕の住んでる街に足を踏み入れた日本人は一人も生きて返さない」「表面上は巧みに隠蔽されてるけどカナダもそう。日本人を同じ人間扱いするのなんてナチス支持者だけだ。アメリカはとんだ人権後進国だね」みたいな想像を絶する反日プロパガンダを繰り返してきた連中の目的は一般人の感化なんかじゃなかった。誘蛾灯の様にそうした情報に引き寄せられて魅了される狂人に世界中で多発的に日本人に対するテロ行為を遂行させる事だっとも推測される。
プロパガンダとしては大失敗で、KKKなどを支持する白人優越主義アカウントから「どういう形にせよアジア人同士が殺し合ってその数を減らす事は国際平和に貢献する」といった微妙なコメントが寄せられたに止まった。そもそも慰安婦虐殺の規模はユダヤ人に対するホロコーストのそれを遥かに超える人道的犯罪」「日本兵は証拠隠滅の為に慰安婦の死体を解体して食べ尽くした」「零戦戦艦大和は文字通り慰安婦から搾り取った脂肪を燃料に動いていた」は北朝鮮が仕掛ける反日プロパガンダの常套句。お里が知れ過ぎて在米韓国人や韓国系アメリカ人から忌避されたのが痛かった。

*そういえば五味川純平「戦争と人間(1965年〜1982年)」にも「日本人女性だけを専門に狙う「正義の」朝鮮人連続強盗強姦殺人魔」なる存在が登場してくる。襲われた日本人女性はそろって相手を責めるどころか大日本帝国が犯してきた罪の重さを実感して相手に同情し、諦観の中で死んでいく。そうしたSex Fantasyすら日本は自ら供給してきたという次第。

実際「アメリカは白人が皆殺しにされるまで正常な国には戻らない(そしてその日はほどなくやってくる)」と盛んに言い広めてきた「BLM(Black Matter Live)運動」急進派は、平和的デモを警官隊と衝突させて暴動や近隣商店街の略奪に発展させたり「Facebook拷問Live事件」を引き起こす事に成功し、それでも「彼らは彼らなりの正義を貫いているだけだ」と擁護し続けるリベラル層の株を大幅に引き下げた。

ところで最近はすっかり沈静化してしまったが、米国ネット上において「オルタナ右翼Alt-Right)」運動を扇動してきた匿名アカウントも含め、こうした仕掛けを試みる当事者は「ゲッベルス・タイプの本人は何も信じてないニヒリスト」である事が多く、そうした動きが実際に社会問題として浮上してくる頃には概ねフェイドアウトして姿を消している。上掲の「慰安婦プロパガンダ」も、朝日新聞慰安婦関連報道を取り消すとたちまち関連投稿を全て削除して逃げ去った。そのヒステリックな投稿内容にも関わらず、あくまで当人は狂信者ではなく熱狂とも無縁な辺りが、かえって恐ろしく感じたものである。

そういう立場から私は個人的に、あえて「全日本人」「全中国人」「全韓国人」について語ろうとする言説の全てについて原則として眉唾で向かい合う様になりました。概ねそうした表現は「ナショナリズム民族主義)」の次元で語られる事が多い訳ですが、この文脈においては例えば、私がとある台湾人から聞かされた「実は日本には一刻も早く滅んで欲しいと考える事もある。そうしたら台湾が日本文化の最大の継承国として威張れるから」なんて「本音」はどう捉えられるのでしょう?
*こうした「不遜な」態度は大日本帝国時代にまで遡る。例えば現地に赴任した日本人教師は台湾人学生から「もし我々の忠義が内地人のそれを上回る事があれば、我々が日本人代表となる事も有り得る、それが大日本帝国と考えてよろしいでしょうか?」と質問されて苦笑したという。確かにその可能性を頭から否定してしまっては多民族帝国は成立し得ない(ローマ帝国イスラム帝国もハプスブルグ君主国もこの問題には大いに振り回されている)。その意味において大日本帝国は「力の均衡」によってしか平和が勝ち取れない大陸型思考様式に染まらざるを得ない状況に置かれていたとも。

むしろ「中国や韓国の反日」にはナショナリズムそのものというより、これと同種の「後継者願望」を色濃く感じたりしませんか? 「アメリカ帝国の覇権」についても「亭主元気で留守がいい」みたいなニュアンスで語られる事がありますし、割とそうした個別問題を地道に積み上げていけば、次第に相対的に「(その実態は案外単なる大陸的勢力均衡論に過ぎないかもしれない)ナショナリズムそのもの」を持ち出す必然性なんて、どんどん薄れていく様な…

そもそも清教徒革命(狭義1641年〜1649年、広義1638年〜1660年)」や「名誉革命(1688年〜1689年)やアメリカ独立戦争(1775年〜1783年)やフランス革命(1787年〜1799年)やナポレオン戦争(1803年〜1815年)やフランス7月革命/ベルギー革命(1830年)を説明するのにナショナリズムを持ち出す必要はない。国民国家の形成過程もアメリカやフランスにおける「市民革命そのもの」の功績というより、むしろ「フランスの国民皆兵制」への対抗手段として各国に広まった感がある。フランス当国がこのトレンドに追いつくのは第二帝政(1852年〜1870年)以降、アメリカは南北戦争(1861年〜1865年)以降とも。

*一方、二月/三月革命(1848年〜1849年)以降の民族運動の高まりは高まりで明らかに「時代遅れになりつつある」宗主国からの離脱要求の高まりという側面があった。そして二つの対戦による欧州諸国の衰退はそれに続く植民地独立運動を誘発し、かくして「勢力均衡論」が世界中に伝播していく事になる。

そう、私はそもそも世界を「親日反日」「親米・反米」といった具合に分ける二分論そのものを信用していないのです。果たしてその思考様式にどれだけ実体が伴ってるか自体を疑ってたりするのです。それこそまさに「極左と極右が共闘によって実現を目指してる理想世界」そのものでもある訳ですし。