ある意味、古代ギリシャ神話の世界には、日本神話における「古事記(712年編纂)」や「日本書紀(720年)」の様な決定的文献に欠けています。
*この条件は北欧神話やアイルランド神話における「ある時期まとめて筆記された口承伝承群」も満たしてはいないし、日本の神界における秩序も「新撰姓氏録(815年)」までに様々な変遷を経ていたりする。
逆を言えば、むしろ堂々と各時代ごとに全く異なる形で「民族統合の柱と為す為の強引な編纂」が行われてきたが故に「全時代を貫く神話的本質」と「各時期において支配的だった政治的状況」の分離が比較的容易なのが研究者にとっては魅力の宝庫というべきなのかもしれません。それでは「全時代を貫くギリシャ神話の本質」とは?
- 古代ギリシャ時代に必須教養とされた紀元前8世紀成立のホメロス「イーリアス(Iliad)」や「オデュッセイア(Odyssea)」の世界。アナトリア半島勢を応援するアポロンやアルテミスやアプロディテやアレスとアカシア諸族(古代ギリシャ冒険商人集団)を応援するヘラ、ヘパイストス、アテナ、ポセイドンなどが激突する世界観。
ホーマー Homer 土井晩翠訳 イーリアス ILIAS
- 初めてメソポタミア神殿宗教やフェニキア神話の影響が色濃い王権の交替神話が盛り込まれ「ゼウス王統と(ボイオティア地方の地母神)ヘカテーの正当性」が強く主張された紀元前7世紀成立のヘシオドス「神統記(Theogony)」「労働と日々(Works and Days)」の世界。
ヘシオドス 神統記
- スパルタやコリントを擁するドーリア商圏とアテナイ商圏の「仁義なき戦い」を背景として(当時アテナイ商圏で崇拝されていた)アテナやアルテミスに対して(当時ドーリア商圏で崇拝されていた)ヘラやアプロディテと陰険な陰謀合戦を繰り返すギリシャ悲劇(紀元前7世紀〜紀元前6世紀)の世界。それは「半神英雄」たる(ドーリア文化のシンボルとしての)ヘラクレス系コンテンツや「(ベレロポーンやペルセウスといった)ペガサスに跨る英雄」と(アテナイ文化のシンボルとしての)テセウス系コンテンツが商業的勝利を競った時代でもあった。
*銀貨の紋章としてアテナイは梟を、コリントはペガサスを好んで用いた。当時の東地中海を舞台とした経済戦争の象徴とも。 - ペロポネソス戦争(Peloponnesian War、紀元前431年〜紀元前404年)において次第にアテナイの敗色が濃くなり、遂には敗戦に至る過程にまで遡るヘロドトス「歴史(historiai、紀元前5世紀後半成立)」やギリシャ哲学の世界。ペルシャ帝国の影響力増大に伴うアナトリア半島失陥、アテナイ文化の求心性喪失、イタリア半島などへの植民地展開を背景として「(アテナイ海上帝国を裏方として支えて来た陶器工房の職人や船員達の)ディオニュソス(Dionysos)信仰」、「オルペウス秘教」、「アプロディーテー・ウーラニアー(Aphrodite Urania)=アプロディーテー・パンデーモス(Aphrodite Pandemos)二重信仰」、「アルカディア(Arcadia, Arkadia)楽園信仰」といった様々な形態の在野信仰にスポットライトが当たる様になった時代。
*そもそも「ギリシャ文明の起源を「牧人の楽園」アルカディア(ペロポネソス半島中央部山岳地帯)に求める姿勢」の発祥そのものがアケメネス朝ペルシャの影響力増大によるギリシャ人の「アナトリア半島失陥」と密接に関わってくる。
- ローマ人によって元来の土俗神と重ねられていった時代。現代人が「古代ギリシャ神話の基本構造」と信じている構図はむしろこの時代の産物とも。
- 米国ペンシルバニア州出身のフェミストであるバーバラ・ウォーカーが記した「失われた女神たちの復権 (The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets、1983年)」において示された「反ギリシャ神話体系」。古代ギリシャ文明の発展過程を「(「バール(男主人)/バーラト(女主人)信仰」や「女神三態信仰」に立脚する)母権制が家父長制に簒奪されていく過程」として描いた。
*現代ではその内容の多くが学術的に否定されている。しかし確かにアナトリア半島のアルテミス信仰(Artemis)やキュベレー信仰(Cybele)がボイオティアやアテナイに伝来したディオニュソス(Dionysos)信仰に与えた影響など、今日なお検討に値するトピックも少なくない。
ギリシア神話・伝説ノート(失われた女神達の復権)
一方、スノビズムから古代ギリシャ・ローマ文明に自らのナショナリズムの源流を見出そうとした近代ドイツ歴史学者達は、アレクサンダー大王の東征(紀元前334年〜紀元前324年)に端を発し、古代ローマがプトレマイオス朝エジプト(紀元前306年〜紀元前30年)を滅ぼすまで続いたヘレニズム時代(Hellenistic period)に注目しました。
*そもそもヘレニズム時代(Hellenistic period)なる歴史区分そのものが、当時のプロイセン出身の歴史学者ドロイゼン(Johann Gustav Bernhard Droysen、1808年〜1884年)の発案。しかも彼はそうした研究をヘーゲル哲学同様「プロイセン国王によるドイツ語圏統一を正当化する理論」と想定していたとされる。
ヨハン・グスタフ・ドロイゼン - Wikipedia
実際には「人間しか感動の根源として認めない」人間中心主義(Humanism)が勝利し、スコラ派やエピクロス主義といった「克己心の哲学」が流行した時代。ある意味ギリシャ文明が最もその神話姓から遠ざかった時代。時計の針を逆転させたのはローマ帝政最初期の王統開闢者となったユリウス氏族(gens Julia)だったとも。
- 何しろ彼らは「陥落したトロイアから脱出した王子にして女神ウェヌスの息子たるアエネイアスの息子ユルスの末裔」と称し、その伝承を自らの支配の正当化に用いた。かくして「イリアッド」「オデュッセイア」を模した壮大なるラテン語叙事詩「アエネーイス(Aeneis、詩人ウェルギリウスによる執筆紀元前29年〜紀元前19年、著者の死により未完)」が執筆される運びとなったが、そこで最も重要な主題に選ばれたのは「ポエニ戦争(Bella Punica、紀元前264年〜紀元前146年)で滅ぼしたフェニキア人に対する(アナトリア半島にその民族的起源を有する)ローマ人の精神的優位の確立」だったのである。
アエネーイス - Wikipedia - 以降、帝政ローマの王権はヘレニズム文化(すなわちギリシャ文明とオリエント文明の融合)への傾倒を余儀なくされる展開に。その過程で(シリアの)太陽神崇拝だけでなく(エジプトの)イシス信仰や(アナトリア半島の)キュベレー信仰も伝わり、キリスト教文化における「聖家族イメージ」や「マリア信仰」の基盤が準備されていく。
こうして全体像を俯瞰する限り、後世の欧米エンターメント業界における「残虐な幼女」なるキャラクター設定の大源流は間違いなく「狩猟と貞潔を司る女神」にして「地母神三態(乙女・婦人・老婆)の乙女層」に該当するアルテミス辺りではないかという推論が成立します。
そういえば最近米国において「女性の生涯史」としてのスター・ウォーズの再評価が進んでいますが、その世界観においても「(後に賢明な外交官や司令官に進化する)Battle Princess」が重要な役割を担わされていたりするのです。
*どうやら背景にあるのは坂口安吾いうところの「肉体主義=肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」式の行動主義とも。
*まぁ大元はここまで遡る?
ところでアルテミスは気付くと「(三態全てが備わった)アナトリア半島の地母神」から「(一態のみが抽出された)アルカディアの狩猟神」に変貌していました。この辺りにギリシャ神話を読み解く上での重要な鍵がありそうです。一方、そうした天性のゲリラ的存在は「王権を頂点として領土全域に秩序をもたらす中央集権体制」にとって都合の悪い存在であり続けており「一態のみを抽出する」その態度そのものに、これを無力化せんとする悪意を感じないでもありません。とはいえ、それなら「反体制は絶対正義」と断言してしまうのも困りもの。
*そうギリシャには「筋金入りの無政府主義者の輩出地」という側面もあるのである。
ギリシャ暴動と見比べると、キエフ暴動ではアナキストの団体が全くいないのに驚かされる。ギリシャ暴動はネオナチやら無政府主義者やらマルキシストやら、たくさんの政治団体が参戦してた pic.twitter.com/uGqtQXUZhL
— 潜水服はツイの夢を見る (@Teslamk2t) 2014年1月23日
案外この辺りのジレンマこそが宮崎駿「風の谷のナウシカ(1982年〜1994年、劇場映画化1984年)」を支えた主題だったとも。
そういえば「ナウシカ(Nausicaä)」という名前自体が「オデュッセイア」に登場するキャラクターの一人からの継承なんですね。
*「オデュッセイア」におけるナウシカは「男にとって都合が良過ぎる女」。むしろ「アエネーイス」におけるカルタゴの女王ディードー(Dīdō、流れ者のアエネーアースとの情熱的な恋に落ち、彼がカルタゴを去ると別れを嘆いてその身を薪の火に投じて壮絶な自死を遂げるが、その際に後のポエニ戦争でローマがカルタゴ軍により苦しめられることを示唆する恨み言を遺す)」こそがその上位バージョンと目されている。
ナウシカアー - Wikipedia
さてこの展開を「原型も留めてない」と嘆くべきなのか、それとも「むしろギリシャ神話の本質に近づいた」と賞賛すべきなのか…