諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

アートと漫画の違いとは① 田亀源五郎「弟の夫」完結。

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田亀源五郎「弟の夫(2014年〜2017年)」完結。

インタビューで出てくる「ディズニーランドでの同性婚」は「片方がタキシードを着る事」なる圧力を跳ね除けて実現したもので、国際的にも物凄く話題となりました。むしろ日本で全然報道されなかった事の方が驚きだったとも。

田亀源五郎は日本ではただ単に「ゲイ・アート作家」と言われる事が多いですが、海外においては「SM」「熊系」といった付加属性をつけて語られる事が多いです。

田亀源五郎は、並んでいるファン一人ずつに、同じ絵を描いていく。小さなクマの絵だ。かわいいクマなのだが、ここには裏のメッセージが込められている。この漫画家は「熊系」(体毛の濃い男性を好むゲイコミュニティ)のカルチャーを作り出した一人なのだ。アングレーム国際漫画祭ではお目にかかれない、この作家のもう一つのキャリア──すなわち「SMゲイポルノの作家」としての田亀源五郎への目配せである。

そして「熊系」といえば、忘れられないのが「X-MEN: フューチャー&パスト(X-Men: Days of Future Past、2014年)」公開時における「ウルヴァリンのお尻がこんなにつるつるな筈がない」事件。

国際SNS上の関心空間における「女子」アカウント集団は原則として「(マイリトルポニー(My Little Pony、1984年〜)」とかを挑発的な形で弄る「ホモケモ」アカウントと対立気味の関係にあるのですが…おまいら何見て「ウルヴァリン(Wolverine)の尻はこうあらねばならぬ」というイメージを固めましたか?

*「話題にならなかった」といえば、紅白歌合戦で「前前前世」を歌ったRADWIMPSのメンズスカートも全然話題にならなかった。

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*そもそも、ここでいう「女子」なる表現が案外深い。

 ここでどうしても思い出さざるを得ないのが「米国における同性婚合法化(2014年)」当日における国際SNS上の関心空間での会話。

国際SNS上の関心空間では「あんたらも遂に貞操の概念に法的に縛られる事になったな(舌打ち)」「そんなの最初からだし(舌打ち)」「だがバイ・セクシャルなら…」「差別の再生産やめて!!」「これまではストレート・カップルの家庭で育つ同性愛者の子供が問題とされてきたが、これからは同性愛カップルの家庭で育つストレートの子供にも配慮しなきゃいけない」といったやりとりが交わされた。

本物のパラダイム・シフトが起こる瞬間には、案外そこに感動が付帯しないものなのかも。

 最近「アートと漫画の違いは何か?」みたいな話題が人気ですが、そもそも「既存価値観の同様を狙わずして何がアートか」という側面もある様です。

 さて、私達はどこに向けて漂流しているのでしょうか?