田亀源五郎「弟の夫(2014年〜2017年)」完結。
『弟の夫』最終巻。詳細は書くか話すかすることがあると思うのでその機会に譲りますが、ひとまず、この「LGBTブーム」の日本の現在に、日本のゲイ・カルチャーの水準を守り続け、あるいは自らのアートにおいて攻め続けてきた作家が一般に開かれた漫画作品を発表したことの喜びを噛みしめたい。 pic.twitter.com/QSaSyrJkQW
— 木津毅 Tsuyoshi Kizu (@tsuyoshi_kizu) 2017年7月12日
漫画「弟の夫」を読みました。
— K (@k37403702) 2017年7月14日
初めは非LGBTに向けた内容との印象を受けました。一概に言えずとも、当事者には恐らく感覚的に既知の部分が多いからです。
しかしそれは違っていた。自分はこんな作品を待っていた。これを読めて幸せだった。皆にも是非読んで欲しい。きっとそれで良いんですよね。
「弟の夫」4巻読み終わった。結婚式のシーンで号泣。好きな人と結婚して祝福されるって当たり前のようで難しいんだなって気づいた。うまく言えないんだけど、わかってるふりしてわかってなかったり、差別してるつもりはないのに差別みたいになっちゃってぎくしゃくするとか、そうかも…って思った
— まち (@xmachix) 2017年7月14日
インタビューで出てくる「ディズニーランドでの同性婚」は「片方がタキシードを着る事」なる圧力を跳ね除けて実現したもので、国際的にも物凄く話題となりました。むしろ日本で全然報道されなかった事の方が驚きだったとも。
田亀源五郎は日本ではただ単に「ゲイ・アート作家」と言われる事が多いですが、海外においては「SM」「熊系」といった付加属性をつけて語られる事が多いです。
田亀源五郎は、並んでいるファン一人ずつに、同じ絵を描いていく。小さなクマの絵だ。かわいいクマなのだが、ここには裏のメッセージが込められている。この漫画家は「熊系」(体毛の濃い男性を好むゲイコミュニティ)のカルチャーを作り出した一人なのだ。アングレーム国際漫画祭ではお目にかかれない、この作家のもう一つのキャリア──すなわち「SMゲイポルノの作家」としての田亀源五郎への目配せである。
そして「熊系」といえば、忘れられないのが「X-MEN: フューチャー&パスト(X-Men: Days of Future Past、2014年)」公開時における「ウルヴァリンのお尻がこんなにつるつるな筈がない」事件。
国際SNS上の関心空間における「女子」アカウント集団は原則として「(マイリトルポニー(My Little Pony、1984年〜)」とかを挑発的な形で弄る「ホモケモ」アカウントと対立気味の関係にあるのですが…おまいら何見て「ウルヴァリン(Wolverine)の尻はこうあらねばならぬ」というイメージを固めましたか?
*「話題にならなかった」といえば、紅白歌合戦で「前前前世」を歌ったRADWIMPSのメンズスカートも全然話題にならなかった。
*そもそも、ここでいう「女子」なる表現が案外深い。
【話題のツイート】前に祖母のいる老人ホームを尋ねたら、80代のご婦人5人でお茶してたから「あら女子会ですね」と声をかけたら… https://t.co/Q20Ws0cimZ
— ツイナビ (@twinavi) 2017年7月14日
ここでどうしても思い出さざるを得ないのが「米国における同性婚合法化(2014年)」当日における国際SNS上の関心空間での会話。
国際SNS上の関心空間では「あんたらも遂に貞操の概念に法的に縛られる事になったな(舌打ち)」「そんなの最初からだし(舌打ち)」「だがバイ・セクシャルなら…」「差別の再生産やめて!!」「これまではストレート・カップルの家庭で育つ同性愛者の子供が問題とされてきたが、これからは同性愛カップルの家庭で育つストレートの子供にも配慮しなきゃいけない」といったやりとりが交わされた。
本物のパラダイム・シフトが起こる瞬間には、案外そこに感動が付帯しないものなのかも。
最近「アートと漫画の違いは何か?」みたいな話題が人気ですが、そもそも「既存価値観の同様を狙わずして何がアートか」という側面もある様です。
アートはマーケティングできるのか | 電通報 https://t.co/xBPzTJpI0N 北斎漫画は記事書いてる人はアートってとらえているだろうから、それを考えると凄い市場が既に日本には存在していると言える。 #漫画 #アート
— ながふち=T=ダイソン (@nagagon1221) 2017年7月3日
10数年で市場から消え忘れ去られる作品が大半という状態で、漫画はアートと言えるのか?、アート流通で動くお金のどれだけがアーティスト支援につながるのか?ってそこが問題じゃね?
— ゆんぼ (@yumbo777) 2017年7月4日
マーケティングはいいけど、古物取引としてのアート売買はアーティストの支援に貢献しないだろ。
電通が望んでいるのは、大企業の広告費を呼び込める施策であって、そのために必要なのは「小金持ち以上をピンポイントでターゲットにできるネタ」であり、そういう「アート」なのだと思われる。日本における漫画は「アート」ではあるが、電通が望んでいる「アート」ではない
— ultraviolet (@raurublock) 2017年7月4日
さて、私達はどこに向けて漂流しているのでしょうか?