2000年にピッツバーグのジョージ・A・ロメロ監督の自宅を訪ねた時のインタビュー。この写真も僕が撮りました。https://t.co/nkya4CQ6eH
— 町山智浩 (@TomoMachi) 2017年7月17日
「ロメロ監督、誠に恐れ入りますが、棺桶にお戻り下さい」#GeorgeRomero #ジョージ・ロメロ監督 pic.twitter.com/t64oRKHf0l
— 出ない順TOEIC英単語 (@NISE_TOEIC) 2017年7月17日
ロメロ監督だけは訃報の直後に「監督がゾンビとしてよみがえり、なお映画を撮り続けようとするコメディチックな短編」を作られても不謹慎ではない気がする
— 水無月あくあ@C92金曜G-30b (@aquaneko) 2017年7月16日
ロメロ監督追悼でロメロ・オブ・ザ・デッドとか制作されないかしら。ご冥福をお祈りします。
— melfy (@melfy240) 2017年7月17日
ちなみに以下、グロ注意。
本当にロメロ監督はすごい人物だった。文化史に与えた影響と言ったらブラム・ストーカーやメアリー・シェリーにも引けを取らないでしょう。今ビデオ屋さんに毎月のように訳の分からない変なタイトルのゾンビ映画が入荷されるのも現代アメコミを代表するようなコミックが生まれたのも全部彼がいてこそだ pic.twitter.com/EXzfgGwJIT
— ああああ〜私たちのアポロ計画〜 (@BoyWithTheThorn) 2017年7月17日
そもそも今から思えば、この人の作風の最大の特徴は「ホラー映画に政治批判を持ち込み、かつ完全に題材として消化し尽くす」なる奇跡を幾度となく繰り返してきた事かもしれません。
ロメロさんのゾンビによる政治批判映画はもう見れないのか…残念だ
— 池田顕太郎 (@kenkenikeda) 2017年7月17日
ゾンビ映画の父ジョージ・A・ロメロ監督が死去 77歳 肺がんのため https://t.co/QxDeZUYzDo #niconews
「ゾンビは、ブルーカラーのモンスターだ」と言っていた、ジョージ・A・ロメロ監督。ゾンビを通して必ず社会を描き、常に普遍的な表現を目指していたことが、何より素晴らしいと思う。
— 小野寺系 k.onodera (@kmovie) 2017年7月16日
ジョージ・A・ロメロ監督は作品を重ねる中でゾンビに知性を持たせ道具を使わせた。しかし決して走らせなかった。ノロノロと呆け顔で歩くゾンビに対し「倒せそう」「逃げられそう」と高を括った奴は皆喰われた。まだ自分らは大丈夫と現実を見ない人類に鉄槌を与え続けてきたのだ。
— 村田晴郎 (@MTharuo) 2017年7月16日
ロメロ映画の中でゾンビはただの「死」ではなく、時に「消費社会に埋もれる民衆」であったり「搾取される労働者」であったり「蹂躙される異人種」であったりします。物言わぬ空虚な存在ゆえにあらゆるテーマを内包して雄弁に語りかけてくる存在。これを発明したロメロ監督の偉大さは推して知るべし
— 環望 (@tamakinozomu) 2017年7月16日
①「Night of the Living Dead(1968年)」 においては、新左翼運動やヒッピー運動の終焉に戸惑う市民運動家達をゾンビとして揶揄する一方、最後まで生き延びるのが黒人でしかも白人に射殺されるという結末によって黒人公民権運動との分裂を描いたとされる。
*誰かがちゃんと解説してくれるのを待ってるのだけれど、どうもこの「最後まで生き延びる黒人」って「ガッデム!!(God damn!)」の代わりに「ムアディブ(Mohadiv?)!!」と叫んでいた様な。Black Panther やNation of Islamの暗喩?
*ちなみに「ムァディブ=砂漠の救世主」という表現はフランク・ハンバート「デューン(Dune)シリーズ(1965年~1985年迄)」にも登場する。元来は第二次世界大戦中、アフリカ戦線で活躍した英軍RATパトロールの合言葉(ドイツ兵には発音が難しかったのが採用理由)とも。
ゆめで逢いましょう - デューン砂の惑星 84年
②「Dawn of the Dead(1978年)」では、スーパー・マーケットに籠城して恵まれた生活を送る「富裕層」と「(それを妬み中に押し入ろうとする)貧民達」を対比させて貧富格差の広まるアメリカを揶揄した。
③「Land of the Dead(2005年)」の主題はズバリ移民問題。「ゾンビ=不法移民」に対峙させられるのも「市民権が欲しくて武器を手に取った使い捨ての余所者傭兵集団」という絶望的状況を描き出した。
何が凄いかって以下の3点が揃ってる辺り。
- 元来、下手に政治的風刺を盛り込むと(政治的状況が変遷して当時の状況が忘れられる事によって)その作品の寿命を縮めてしまう。ところがロメロ監督の場合、その観点を徹底的に普遍的な認識構造に咀嚼してから盛り込むので「作品が古くなる」という事がない。
- しかも、そうして盛り込まれた「普遍的構造」が「ソンビと対峙する恐怖」とちゃんと密接に関わってくるので鑑賞者はそれを皮膚で体感する事になる。
- 一方、こうした「普遍的構造」の導入によって同時に「ゾンビVS人間」という図式だけでなく「人間VS人間」という対立図式も盛り込まれ、ドラマ展開に厚みと緊張感が増す。
本当に惜しい人を無くしました。冥福をお祈りさせて頂きます。
出来れば蘇ってまた新作を撮って欲しい…