諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【土用丑の日】「ウは鰻のウ」?

最近ネットでは鰻をめぐる投稿が殺伐としています。

f:id:ochimusha01:20170723031718j:plain

考えてみたら、そもそも「土用丑の日には(日本人全体が一斉に)鰻!!」なる食慣習もまた「国家間の競争が全て」だった総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)から民間企業が「国民総動員」の概念を継承した産業至上主義(1960年代〜1990年代)の遺物なのかもれません。

日本のウナギの漁獲量は、シラスウナギ、河川や湖沼での親ウナギのいずれもこの数十年ほどの間に急減した。1961年には年間3400トン近くもあった親ウナギの漁獲量は現在では200トン近くにまで減少している。2011年の日本国内のウナギ消費量は成魚換算で約56000トンなので、「天然ウナギ」と呼ばれるこれらのウナギは全消費量の0・5%にも満たない。われわれが食べているウナギのほぼすべては、国内外の養殖池育ちの「養殖ウナギ」である。

ところが、ウナギの場合、人工養殖技術が実用化にほど遠いため、養殖ウナギといっても、天然のシラスウナギを捕獲して池の中で餌を与えて育てたものである。つまり、われわれはウナギ消費のすべてを天然の資源に依存しているということになる。そして、シラスウナギの漁獲量も親ウナギ同様、1963年の230トン余りから現在では10トンを切るまでに急減している。今季は10トンにも満たない3年連続の極度の不漁に見舞われた。ウナギ資源の危機が顕在化し、このままではウナギは絶滅に向かうとの懸念が現実のものとなってきたのである。

日本国内のウナギ生産量は1980年代後半までほぼ、年間4万トン程度で推移し、これに台湾からの輸入が2万5千トンから多い時では4万トン程度加わるという形が続いてきた。これに変化が現れるのは1987年ごろからだ。そのきっかけの一つは中国で日本向けのウナギの養殖業が盛んになり、安い労働力を利用した加工品の輸入が急激に増えたことだった。88年のウナギの加工品の輸入量は87年のほぼ2倍の3万トンとなり、その後も増加の一途をたどる。2000年には中国、台湾から過去最高の13万トン超のウナギが輸入され、国内の流通量は過去最高の16万トン近くに達する。15年ほどの間に、2倍近くに増えたことになる。

日本のウナギ消費は爆発的に増え、価格は暴落した。比較的高価なかば焼きをウナギ専門店で食べるというそれまでのウナギ消費のパターンも大きく変わり、ウナギ食の主流は、コンビニなどでの弁当、あるいはスーパーでパック詰めにされた加工済みのかば焼きになった。今ではウナギ専門店での消費は全体の約3割程度でしかないとされている。取引価格は、専門店のかば焼きよりもはるかに安く、ウナギの「薄利多売」傾向がすっかり定着した。中国からの加工済みかば焼きパックの大量流入に対応するために、国内の業者も加工済みの生産と販売にシフトせざるを得なくなったためでもある。

だが、短期間の「多売」がもたらしたものは、ただでも深刻化していたウナギ資源のさらなる悪化であった。ニホンウナギの漁獲量はさらに減少し、中国経由で日本に大量に輸入されたヨーロッパウナギは、絶滅の恐れがある野生生物種の国際取引を規制するワシントン条約の規制対象種となった。

 ウナギ - Wikipedia

アジアの他、ヨーロッパでもイギリス、オランダやイタリアなどにウナギ食文化があり、内陸部でも淡水ウナギを使った料理が存在する。

f:id:ochimusha01:20170723033507j:plain

  • 古代ローマ人の好物でもあった。古代ローマではうなぎを背開きにし、魚醤とはちみつを混ぜたタレを塗りながらパピルスや羽うちわで扇ぎつつ炭で焼き、胡椒を掛けて食べていた。医師ヒポクラテスは「ウナギの食べ過ぎなどによる肥満は人間の体の最大の敵」と著述している。古代ローマでも高価な料理であったらしい。

  • 中世ヨーロッパでも高級な食材であった。ローマ教皇のマルティヌス4世は、白ワイン(ヴェルナッチャ)に溺れさせたボルセーナ湖産ウナギの焙り焼きを過食して命を落としたとの伝説があり、これに基づいてダンテ・アリギエリは『神曲』において、煉獄で大食の罪を償うマルティヌス4世の姿を描写している。

  • 一方、ユダヤイスラームでは「鱗の無い魚は食べてはいけない」という戒律から、近年まで鱗が目立たない鰻を食べることはタブーとされていた(現在でも一般的にはタブーとされる事がほとんど)。

英国では「ウナギのゼリー寄せ(Jellied eels)またはウナギの煮こごり」が有名である。18世紀に生まれた伝統的なイギリス料理、特にロンドンのイーストエンドの名物として知られる。ぶつ切りにしたウナギを煮込んでから冷やしてゼリー状に固めたもので、温かくしても冷たいままでも食べられる。

f:id:ochimusha01:20170723033008j:plain

  • 16世紀から19世紀のロンドンにおいて、ウナギは安くて栄養がある庶民にも手軽な食材であった。かつてのテムズ川にはヨーロッパウナギが多く生息し、ロンドン市内を流れるあたりでもウナギをとる漁網が仕掛けられ、貧困層にとっては主食になっていたのである。テムズ川でウナギがとれた時代の名残として、テムズ川にはイールパイ・アイランドという小島が存在する。

  • 18世紀のロンドンに、「イール・パイ・アンド・マッシュ・ハウス」(en, Eel Pie & Mash Houses、ウナギパイとマッシュポテトの店)と呼ばれる形式のウナギ料理店が出現した。現存する最古のこの種のウナギ料理店「M・マンゼ」(M. Manze)は、1891年創業である。第二次世界大戦期の食糧難の際にも、ウナギは配給制適用外の貴重な食品として人気があった。

  • ウナギのゼリー寄せも、こうした庶民の味覚の一つとして生まれた料理である。ウナギのゼリー寄せは、20世紀に入ってからも、ロンドンの市場や競馬場、パブの前に出された数多くの屋台で売られていた。

  • 20世紀後半に入ると、イギリスではウナギの人気は非常に低下した。安くて栄養のある食材への需要が減ったうえ、他の食品が選択肢として増えたことや味の嗜好の変化により、ウナギの占める地位はあまり重要ではなくなったのである。ウナギ料理の本場のイーストエンドでも、従来の住民の多くが郊外に移住するとともに外国人が流入、ウナギを扱う店は減っている。例えば第二次世界大戦が終わったころ、ロンドンには100軒以上のパイ・アンド・マッシュ店があってウナギのゼリー寄せを提供していたが、1995年には87軒となり、以後も減少が続いている。テムズ川の水質悪化により、ウナギの漁獲が減った影響もある。1960年代以降には水質が改善し、ウナギの放流が行えるまでに回復[7]、環境局(en:Environment Agency)もテムズ川での漁業を支援しており、タワーブリッジよりも上流でならば漁網の使用を許可しているものの、ウナギの人気は回復していない。

世界のウナギの70%以上を消費している日本。その大源流は徳川家康の時代に江戸を開発した際、干拓によって多くの泥炭湿地が出来、そこに鰻が住み着くようになったため鰻は労働者の食べ物となった事だった。当時は蒲焼の文字通り、蒲の穂のようにぶつ切りにしたウナギを串に刺して焼いただけという食べ方で、値段もそばと変わらなかった。

f:id:ochimusha01:20170723033139j:plain

  • 江戸で濃口醤油が開発されると、ウナギをタレで味付けして食べるようになった。現在のように開いてタレにつけて焼くようになったのは、上方、江戸とも享保の頃(1716-1736年)と思われる。

  • 蕎麦ほど徹底した美学はないものの、「鰻屋でせかすのは野暮」(注文があってから一つひとつ裂いて焼くために時間が掛かる)、「蒲焼が出てくるまでは新香で酒を飲む」(白焼きなどを取って間を繋ぐのは邪道。したがって鰻屋は新香に気を遣うものとされた)など、江戸っ子にとっては一家言ある食べ物でもある。出前も行われており、その後は冷めにくいようにと丼に蓋をするようになり、またその後に鰻屋「重箱」から重箱を使用する事も始まった。

  • 食用として多く殺されていることや蛇に似た外見から、その祟りを題材とした怪談もある。岡本綺堂「鰻に呪われた男」、田中貢太郎「鰻の怪」など。またある古池(または川)のほとりで、村人たちが池に毒を流して魚を獲る相談をしていたところ、見慣れぬ黒衣の老僧が現れ、毒流しは池の魚族を根こそぎにする漁法であるから行ってはならぬと村人たちを諭した。村人たちは恐縮して僧に団子を振舞ったが、その翌日やはり毒流しをすることに一決した。獲れた池の魚の中に池の主らしき大鰻がおり、腹を割くと、昨日老僧に食べさせた団子が入っていたという。
    岡本綺堂 鰻に呪われた男
    怪談・鰻の怪

幼魚や卵が見つからず繁殖の過程が謎であったことから、日本では古来山芋が変じて鰻になるのだという俗説があった。そのため、つまらぬ者が立派になることを指す「山芋鰻になる」という表現があった。

「日本人とは何か」についての哲学的問い掛け 

丑の日とウナギの関係ですが、丑の日の「う」からこの日に「うのつくもの」を食べると病気にならないと言う迷信もあり、「ウナギ」もこれに合致した食べものであった!?

統制派と「距離のパトス(Pathos der Distanz)」

養殖派と「人類は常に手遅れになってから思い出す」 なる悲観的意見

「科学的」思考様式

こうした多様な意見が並列的に存在し共有されたり拒絶されたりしながらある種の「勢力均衡状態」が生み出されていくのが「多様化の時代(1990年代〜)」の特徴とも。

一見「正解に対する胡乱な遠回り」とも映りますが、ある意味坂口安吾が提唱したフランス的行動主義、すなわち「肉体主義=肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」なる思考様式のリヴァイヴアルとも。
*問題はその対概念となる「若者に憎しみを向けながらその若さに依存する老人達の、他者全てを捨て駒にして自らの生涯の最後までの安寧を図ろうという強い意思(しかも当事者意識では自らの側が世界に平和と平等をもたらす進歩側で、残りは全て一刻も早く討伐すべき蛮族側)」の方とも。

たかが鰻、されど鰻…