諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】【初音ミクの現在】ハチMV「砂の惑星」を巡る「2010年代後半的情景」

違う、これじゃない…

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アルチュール・ランボー - Wikipedia

1873年にヴェルレーヌ破局し「地獄の季節」を記して以降は兵士、翻訳家、商人など様々な職業を転々とし、ヨーロッパから紅海方面を放浪、南アラビアのアデンでフランス商人に雇われ、アビシニア(現在のエチオピア)のハラールに駐在する。

1886年ハラールで武器商人として独立し比較的成功。1891年、骨肉腫の悪化によりフランスに帰国し、右足を切断したが、癌は全身に転移していた。同年マルセイユで死去。臨終は妹のイザベルが看取った。

もちろん、これも違う…

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はるの魂 丸目はるのSF論評

*なぜすぐ脱ぐ…それはそれとしてフランク・ハーバートなくして「Game of Thrones」なし。


現在ネット上で様々な解釈が語られているのは、以下です。

俺は、ハチとの決別の歌だとは思わない。

「思いついたから、俺はこっちに行ってみるわ。心残り残さないように。
 まあまた、林檎植えにくるかもしれんけど」

色々なものに捉われて足が動かなくなっちゃってたけど、それって自分で立ち入り禁止エリアを増やしてたようなもんだったんだな。思いついたら動画でも投稿して(林檎植えて)、それだけだよなぁ。俺が他所にいる間にも、他の「思いついた人」が林檎植えにくるんだろうし。ほら、今だって、誰かの思いつきで残された林檎の木が見える。

そもそも、ハチと米津玄師の違いってどこだ? この曲も、そのまま上げればハチの曲だし、歌って上げれば米津玄師の曲だろ? 境界線なんてないよなあ。やっぱ、自分で障害増やしてたんだ。俺だって、他人だって、見えない速度で変化してる。厳密に言えば、次の瞬間には別人なんだよ。砂漠だってそう。だから、「完全に元に戻るまで」は「バイバイ」なんだよな、実際。変化による決別なんて、毎秒やってる。

そう考えたら、変化って怯えるほどのもんじゃないな。別に変化したらここに戻れないわけじゃないし、思いついたら林檎植えにきて、植えたら、「また元の道に戻るわ! あとは誰かが勝手にどうぞ! 気が向いた時はまたよろしく!」くらいに気楽でもいいんじゃないかな。

そう思ったら気が楽になってきた! また前に進みますかね。

あ、みんなも変化に怯えんなよー。あいつ大したことないぜ。

最近の曲とか、いろいろ考えて、そんな感じの曲かと思った。

個人的に、ハチ・米津玄師って「前向きな諦念」を描く人ってイメージが強くて。どうしようもない現実のモヤモヤに、どうにか折り合いつけて歩いていく、みたいな。

自分自身を励ます詞を書いて、それで他人も励ませてしまう天才、みたいな。

散文長文失礼。異論は認める。

 検索したらこんな路線が(詩人ランボー路線やフランク・ハーバード路線以上に)検索されてる様です。ある意味「日本人が砂漠に対して向けてきた眼差し」の延長線上に登場した作品という側面が強いという認識?

月の沙漠 - Wikipedia

私個人的には、ふと1980年代に深夜ラジオで聞いた「砂漠のサーカス団」の物語を思い出しました。
*検索して初めて別役実の童話「迷子のサーカス」が元話だったと知る。そういわれてみれば確かに「別役実ワールド」そのもの?

迷子のサーカス(別役実) | 後味の悪い話まとめサイト@2chオカルト板

ある国のサーカス団が、ある大きな街のカーニバルで公演するために馬車で旅をしている。 方向などの一切分からない巨大な砂漠を通るのだが、その砂漠に差し掛かったサーカス団は ある方角に輝く、1つの大きな青い星を目印として進んでいた。

夜にならないと進めないため、専ら昼は休んで夜になると、ただひたすら星の方角へ歩く。 ある夜、向こうの方から同じようなサーカス団が馬車を連ねて歩いてきた。 話をすると、どうやら目的地は全く一緒の街であり、カーニバルでの公演以来が来たから、そこへ向かっているという。 ところが、そのサーカス団は、自分達の目印にしている方角とは反対方向の 赤い大きな星を目印にして旅をしていると言うではないか。

自分達の方が正しい、いや自分達が正しい、2つの団は言い争う。 2つの団の占星術師?が数時間にも渡って話し合うが、どうも埒が開かない。 2つの団が話し合った結果「両方が間違った方角へ進み、両方とも街へたどり着けなかったらカーニバルは盛り上がらない。 せめてどちらかの団だけでも行けたら、それで良いじゃないか。それにどうせ、一つの街に2つのサーカス団が辿り着いたって仕方ない」と、互いの星を目印にして旅を続けることを決意する。

青い星の方角目指して進むこと数日、一向に街に着く気配はない。行けども行けども砂漠ばかり。 そう、このサーカス団は完全に迷い込んでしまったのだ。 団員も動物達も生気を完全に失い、声も出せないほど疲れ果ててしまい移動する気力はない。 馬も動けなくなり、歩くことを辞めてしまう。 足を止めたサーカス団を、容赦なく砂漠の砂と風が埋めていく。 サーカス団員達は埋められながら、街に着いたであろうもう1つのサーカス団に思いを馳せる。

私の好きな本 別役実「淋しいお魚」

*米国には「ジャングルの法則(ジャングルにおいては足を踏み入れた人間の人数が無事帰還がかなった人数を上回る事はない)」なる言い回しがあって、しばしば「青春とはそういうもの」とイメージされてきたらしい。スタンリー・キューブリック監督映画「フルメタル・ジャケット(Full Metal Jacket、1987年)」の原作たるグスタフ・ハスフォードの小説「ショート・タイマーズ(The Short-Timers、1979年)」で初めて知った。


*その過酷なまでの宿命観と「(ハリーポッターの)トム・リドルは私」「(まどかマギカの)美樹さやかは(劇場販新編の)暁美ほむらは私」「(シン・ゴジラの)鎌田君は私」「(ファンタステック・ビーストの)オブスキュラスは私」なる痛切な叫びと完全に表裏一体の関係にある。

それでは国際SNS上の関心空間における「砂の惑星」に対する評価はいかなるものだったのでしょう?

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  • まず初音ミク関連投稿の回覧数が2桁平均なんて、国際SNS上の関心空間の全盛期だった2010年代前半にはまず有り得なかった。当時は(Justin Bieberの狂信者集団Belieberに対するアニメ・ファンの抵抗の象徴に選ばれた事もあり)最低5桁スタートが普通だったのである。それがVocaloidを巡る国際的現実の一つ。


    *だがGirlsの側も神谷浩史を転がしていた?


    *気付くとこのスタイルで当時から生き延びてるのは「東京喰種」くらい?

  • で、残った層はこの曲を「惜別と再開の曲」と認識し「分かれ道で道を分かったり再開する側」に自己投影した様なのである。むしろ日本以上に深刻で切ない受け止め方とも。
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    *海外の若者は「残酷な現実」と向き合う事を好む一方で「全面敗北」や「無条件降伏」もまた認めない。実際ラナ・デル・レイ(Lana Del Rey)を熱狂的に崇めながら大躍進の契機となった陰鬱な敗北宣言たる「Video Game」はあえて聞かず「Queen of the Gas Station」や「Lorrita」を回覧してきた彼女達。あくまで単純明快な「ポジティブ志向」とは別物の何か…これもある意味「前向きな諦念」の一種なの?

    *彼女達は当時、浅野いにおおやすみプンプン2007年〜2013年)」や「うみべの女の子(A Girl by Seaside、2009年〜2013年)」やあだちとかノラガミ」にも高評価を与えている。そこに全体像を読み解くヒントが?

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    *あえてこうしたロールバックした情景の最中に置いてみて初めて「ハチは最初からひと味違っていたのかもしれない」みたいな戯論が述べられる。特定の時代に適応し過ぎた存在は、その時代が終わると一緒に消えていくのが普通。そして天明狂歌の狂騒は四方赤良のみが、フランス・ロマン主義運動の盛衰は(事実上の火付け役だった)ヴィクトル・ユーゴーとゴーチェだけが生き延びた様に、後世には「激動を生き延びた妖怪」だけが必然的に生き延びる物語が語り伝えられる展開に。

    天明狂歌覚え書

ところで私の世代にとっては「天空の城」といったら、何よりもまず宮崎駿監督映画「天空の城ラピュタ(1986年)」だったもんです。

そして当時行き着いた果てが「絶対現実には辿り着けない場所に、客観性を放棄し陶酔によって辿り着こうとする宮崎駿監督MV「On Your Mark(1995年)」の世界だったりした訳で。それにしても、どうして当時は大友克洋といい宮崎駿といい「現実社会のアウトサイダーたる老人と少年少女」に夢を繋ごうとしたんでしょう? 背景にあったのは(自分自身を含む)実際に現実のクソ社会を支えてる大人達への失望感?

*その一方で2010年代後半は国際的には「ジブリ化したStar Warsが最終的勝利を飾りつつある時代」ともいわれている。むしろ「日本人は黒澤明を、宮崎駿を、庵野秀明を本当に理解していたのか」問われているのである。

 

イェー。今日の日はSun goes Down つまり元通りまでバイバイバイ。君が今も生きているなら応えてくれ僕に」「思いついたら歩いていけ。心残り残さない様に」「もう少しだけ友達でいようぜ今回は」「戸惑い憂い怒り狂い辿り着いた祈り。君の心死なずにいるなら応答せよ至急に」「砂漠に林檎の木を植えよう。でんぐり返し、そんじゃバイバイ。後は誰かが勝手にどうぞ」「風が吹き曝し、なお進む砂の惑星」「仲直りまでバイバイバイ」といったパワーワードの乱打は、こうしたゲーム脳/ループ脳的状況の表現としてこそ輝く?

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考えてみれば2007年生まれの初音ミクアメリカ独立戦争(1775年〜1783年)からニューヨーク自由の女神像建立(1886年)に至る「自由の女神を巡るイメージ変遷の百年史」をわずか10年でフォローアップしてしまったのかもしれません。

自由の女神を作ろうとの構想が生まれたのは1865年のこと。発案者はフランスの法学者で歴史家の、エドゥアール・ド・ラブライエです。この頃から女神像作製のための募金活動がフランス全土で行われました。

1874年にラブライエから依頼を受けて設計を行ったのはフランスの彫刻家フレデリク・オギュースト・バルトルディでした。この自由の女神像の顔は、彼の母親をモデルにしたといわれています。

設計にはエッフェル塔で知られる、ギュスターヴ・エッフェルも加わっています。1878年のパリ万博では、完成した頭部を展示し、自由の女神の頭部に昇るための行列ができ、約40万ドル相当の寄付を集めました。この女神の頭部にある王冠には7つの突起があります。これは7つの大陸、7つの海に自由を広げるという意味があり、自由を象徴しているといわれています。

1884年にフランスパリで仮組みがされました。その翌年にやっと214個のパーツに分解して、フランス海軍の輸送船イゼール号でアメリカに運び込まれました。台座部分の建設資金は、アメリカ国民の寄付によって賄われています。この台座部分の設計はリチャード・ハントです。

ニューヨークでの製作の中心になったのは、ギュスターヴ・エッフェルです。やっと完成した自由の女神は、1886年10月28日に除幕式が行われました。雨の日にも関わらず100万人以上もの人が集まりました。顔にかけられたフランスの国旗を除幕したのは、自由の女神の製作者、バルトルディでした。その後、現在の場所に置かれることとなり、リバティ島の庭園の設計はランドスケープアーキテクトのロバート・ザイオンが担当しています。

1924年アメリカ合衆国国定記念物に登録され、1984年には世界遺産に登録されました。
*何気に第二帝政(1852年〜1870年)と第三共和制(1870年〜1940年)をまたぐプロジェクトだった辺りが興味深い。フランス革命の際にフランスを擬人化した女神マリアンヌ(Marianne)に(当時サン・キュロットの象徴とされた)フリジア帽が被せられた。それが自由の象徴となったのは古代ローマ時代に解放奴隷が好んで移り住んだアナトリア半島の民族衣装だったから。かくして自由のイメージは「王様の耳はロバの耳」「マイダス王の黄金の腕」「ゴルディアスの結び目」といった(ギリシャ人の目からみた)奇人変人列伝と不可分な形で結びつく事に。さて、最終的にフランスからアメリカに「輸出」されたのは一体何だったのか? 実は「当初はマニフェスト・デスティニー(Manifest Destiny)の女神に新手に与えられた偽装に過ぎなかった」とする説も。

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*「有象無象の墓の前で敬礼、そうメルトショックで生まれた生命、この井戸が枯れる前に早くここを出て行こうぜ」とはそういう事じゃないかとふと思った次第。そして不思議と私の脳内ではこの発想が最近の別の話題と結びつく展開に。

要するにこれは「21世紀的多様性とは何か」を巡る物語?

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  • そもそも「誕生日(各ムーブメントの始まり)」はあっても没年はない。誰が既に死んでいて、誰がまだ生き延びているかそれを確かめる手段もない。

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  • 希望も絶望もなく、自ら選んだ道標(それは初音ミクだったり、初音ミクではなかったりする) に従ったそれぞれの放浪あるのみ。

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  • ランデブーや記念日にまつわる束の間の喜びはあっても「定住による安定(および資源枯渇による心中)」だけはない。その一方で(自分で自分を縛る)ルールだけが増えていく事ならある。

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いずれにせよ初音ミク自身は決して誰も助けない…

そもそも「誰かが助けてくれる(自分を苦境から救い出してくれる)」なる共同幻想からの卒業こそがこの心象風景を産んだのだから「救いがないのが救い(自分にとって何が幸福かはそれぞれが決めろ)」なる結論に至るのは当然の帰結とも。