諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「非現実的な実存不安」の発生源について

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*「日本を戦争による全滅に導くヒトラー安倍とナチス自民党とその手先たる自衛艦と警官を一刻も早く全員逮捕して絶滅収容所送りにしろ!!」一体誰がそれを遂行するというの? 「第二次世界大戦後のフランス有識者によるナチス残党狩りの扇動プロパガンダがドゴール政権を準備した」逸話を思い出しました。あと「死神総理」とかナチス共産主義者共闘したヴァイマル政権打倒キャンペーンのスローガン「人殺しノスケを許すな!!」と大差ない。

非現実的な実存不安」には現実との接点が少ない貴族的生活から発症するという側面もある様です。

*こうした展開は「勝つ事そのものを目的化してきた」朝日新聞の歴史とも深く連動している。

そういえば高校生の頃、第二次世界大戦のシュミレーション・ウォーゲーム(ボードゲーム)に最初に触れた時に受けた衝撃が「連合軍側は歩兵や大砲を運ぶのにトラック・ユニットとか無制限に使えるのに、ドイツ軍側はそれが信じられないほど限られてる上に馬車ユニットまで…こんなの理不尽だよ!!」でした。

しかしながらマーチン・ファン クレフェルト(Martin van Creveld)「補給戦―何が勝敗を決定するのか(Supplying War: Logistics from Wallenstein to Patton、1977年、邦訳1981年)」を読んで納得。「資源大国に貧乏国が喧嘩を売る」って現実にはそういう事だったんだ…
ヒトラーが率いた「NSDAP(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei=国家社会主義ドイツ労働者党)」を熱狂的に支えたのは「(今まさに滅ぼされつつあるマイノリティたる)ドイツ民族の生存権の確立」なる理念。すなわち「弱者からの反撃の当然視」という構図は(トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」戦略だけでなく)全て否応無しにナチスとの共通項を抱える事になる。

  • 何故、ヴァイマル共和制は政権を取り得たか? フライコール(Freikorps,ドイツ義勇軍)を招集してドイツ革命(1918年)を叩き潰したから。
    *この動きを主導したのが「人殺しノスケ」ことドイツ社会民主党(Sozialdemokratische Partei Deutschlands、SPD)所属の国防相グスタフ・ノスケで、ドイツ革命(1918年)においてその主体だったスパルタクス団( Spartakusbund)と革命的オプロイテ(Revolutionäre Obleute)の徹底殲滅を遂行した事がヴァイマル共和制樹立と(左派内の内ゲバ激化による)その崩壊に密接に結びついてくる。

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  • 何故、ナチス・ドイツは政権を奪取し得たか? 正規軍の数倍の規模を誇る突撃隊(Sturmabteilung, SA)を擁していたから。

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  • 共産主義国における「民主集中主義=一党独裁」はどうやって達成されるのか? 共産党だけが「正義の軍事力」を独占する事によって。

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とどのつまり「日本を戦争による全滅に導くヒトラー安倍とナチス自民党とその手先たる自衛艦と警官を一刻も早く全員逮捕して絶滅収容所送りにしろ!!」と叫ぶ人々は自らが軍隊を組織して日本最大の軍事力となって自衛隊も警察も殲滅して政権を奪取し、この「軍事クーデター」によって生じた諸外国との軋轢も全て軍事的手段によって解決していくしかないという…
無政府主義者が理想視する「軍隊も警察も存在しない平和な世界」は概ね「積極的同調者以外は容赦なく排斥する中世的共同体」へのノスタルジーによって成立している。だがそれは冲方丁が「微睡みのセフィロト(2006年)」の中で語った「それは誰もが笑いながら歌って踊りながら暮らしてる世界。何故なら「楽しんでない」と思われた途端に「異端者」の烙印を押され「魔女狩り」で検挙されて火炙りにされてしまうから」なる「中世的現実」と呼応する。

これぞ「筋金入りの本物の平和主義(我々が殺せと命じた標的は親兄弟や配偶者でも自ら喜んで歓喜に包まれながら殺せない様な似非平和主義者は、まず我々に殺される)」と叫ぶ急進派の目指す「世界平和」そのもの?

 

いずれにせよこの次元においては「(想像の中だけに存在する)市民革命の理念」やら「人道的見地からの配慮」の出番なんてない事だけは確かな様です。