2016年は不思議なまでに「自分で決めない人生」を送る女性主人公にスポットが当たった年となりました。
ちょっとばかり「人間の幸福は絶対意思と完全合一を果たし、自らの果たすべき役割を得る事でしか得られない」としたヘーゲル哲学や江戸幕藩体制を安定に導いた「絶対忠義=滅私奉公」といった前近代的価値観を想起させられますね。現代人は「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマに追い掛け回され続ける事に疲れ果ててしまったのかもしれません。
しかし現実にはこういう側面も。
「お母さんが離婚しろ、離婚しろって言うから……。離婚しなけりゃいまごろこんな目にあわなくてすんだのに」
— ジロウ (@jiro6663) 2017年8月10日
病床の老母に囁き続ける60がらみの女性。
自分で決めない人生って、最後はこういう妖怪としての末路が待ってるんだよな、、、
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分岐点は、どうやら「自分で決めてない事についてどれだけ自覚的か?」「判断責任まで相手に押し付けてしまっているか?」あたりの様です?
がんばっても幸せになれない人の共通点は、みんな「自分はこんなに頑張ってるのに」って思ってる。がんばっているかどうかを決めるのは自分じゃない。自分を見ている他人だ。そして「がんばってるなー」って思われる人の共通点は、みんな「自分はまだまだがんばりが足りないな」って思ってる。
— ひらめきメモ (@shh7) 2014年9月28日
これは案外重要な相違点…自分が頑張ってる人にとっては案外、自分が客観的に見て幸福か不幸かなど意識外なのかもしれません。そして、さらにその枠外に「リップヴァンウィンクルの花嫁」の皆川七海や「この世界の片隅に」のすずさんの様な「ぼうっとしてるが故に人生最大の危機を(御伽噺の主人公の様に)不思議な形で乗り越える人達」が存在しているという図式。日本民話の世界でいうと「意地悪爺さん」と「正直爺さん」の間を隔てる何か。