諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「20世紀までの杞憂」と「21世紀の現実」について

f:id:ochimusha01:20170823052218j:plain

未来とは完全に予想外の方向に転がっていくというより「人間の想像が生み出す選択肢のうち、過去には想定外だったオプションが次第にリアリティを獲得していく展開も有り得る」というべきなのかもしれません。

【8月21日 AFP】 米電気自動車(EV)大手テスラ(Tesla)のイーロン・マスク(Elon Musk)最高経営責任者(CEO)をはじめ、人工知能(AI)の開発を手掛ける企業のトップら100人以上が、国連(UN)に対して「殺人ロボット兵器」の規制を求める公開書簡を提出した。

公開書簡はマスク氏のほか、米グーグル(Google)傘下の英AI企業ディープマインド(DeepMind)のムスタファ・スレイマン(Mustafa Suleyman)共同創業者などテクノロジー業界の大物116人が署名。「自律型殺傷兵器は戦争に第3の革命をもたらす恐れがある」と警鐘を鳴らしている。

「一度開発されれば、かつてないほど大規模で、人類の想像を絶する速さでの武力紛争を可能にする」と同書簡は指摘。テロリストらが罪のない人々に対して悪用する恐れがあるとした上で、「行動を起こすまでの時間はあまりない。このパンドラの箱が一度開かれれば、閉じるのは難しい」と述べている。

国連によると、こうしたロボット兵器に関する専門家会議が21日に開催される予定だったが、11月に延期された。2015年にも、研究者や著名人ら数千人が自律型兵器の禁止を求めている。

13日夜に沖縄本島東部沖で新型輸送機オスプレイが不時着した事故で、菅義偉官房長官は14日午前の記者会見で、日本でのオスプレイの運用について「米側から当面停止するとの連絡があった」と明らかにした。外務省などによると、米軍側は空中給油訓練中にホースが切れて機体が不安定になり、不時着したと説明したという。不時着した機体は大破していた。

国内でオスプレイの重大事故が起きたのは初めて。

米海軍のリチャードソン作戦部長は21日、マラッカ海峡東方でのイージス駆逐艦「ジョン・S・マケイン」とタンカーの衝突事故を受け、安全性を確認するため全世界で米艦隊の運用停止を指示したと発表した。米メディアによると、運用停止期間は1日。米海軍は行方不明になった乗組員10人の捜索・救助活動を続けた。

米海軍第7艦隊によると、駆逐艦は激しく損傷、居室部分や機械室、通信室などが浸水した。6月には静岡県沖で同型艦フィッツジェラルドがコンテナ船との衝突事故を起こしたばかりで、航行時の監視態勢に問題がなかったかを含め原因究明の調査を本格化させる。マティス米国防長官は21日、海軍が全ての関連事故について「広範な調査」を行う方針だと明らかにした。

ジョン・S・マケインは南シナ海を航行する前の7月下旬から8月上旬にかけて、朝鮮半島周辺の黄海東シナ海で警戒監視活動に当たった。

f:id:ochimusha01:20170823053835j:plain

そもそもおそらく最初の画期となったのは「産業革命導入による大量生産・大量消費が消費の主体を王侯貴族や聖職者といったインテリ層からブルジョワ階層や庶民階層に強制シフトさせた」歴史的流れ。19世紀後半の欧州において、当時の欧州人の想像力をはるかに超えた急激な速度で進行。
*浪費を惜しまぬ「メルヘン王」バイエルン国王ルートヴィヒ2世のパトロネージュを受けてそのノスタルジーに満ちた夢の実現を目指したワーグナーブルジョワ階層の婦女子が「世界初のファンクラブ」を結成しキャラクター・グッスが飛ぶ様に売れた「技巧派のイケメン」フランツ・リスト。両者が同じ時代に存在し、互いに協力関係にあった時代でもあったりする。

 

*免疫学や統計学精神分析学の発展によって「人間の生活が不可視の要因に様々な形で左右される事への実存不安」が末端まで広まった時代でもある。

 ①「国家間の競争が全てだった」総力戦体制時代(1910年代後半〜1960年代)とは「自らの内から込み上げてくる衝動に誠実に生き様とするロマン主義的英雄」が「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマに直面してフィクションの世界において悪役を割り振られていく時代でもあった。

*「進歩主義を拒絶し古くから続く因習に拘束され続ける伝統的共同体の解体(自滅)」なる裏テーマを備えていた横溝正史金田一耕助シリーズ(1946年〜1980年)」もまた、この時代の産物。

②その総力戦体制時代から企業やマスコミが「国民総動員」の概念のみ継承した産業至上主義(1960年代〜1990年代)は、フィクションの世界において(全体主義に対する恐怖の延長線上において)軍産複合体(Military-industrial complex, MIC)や(自律性を獲得し、人間に変わって意思決定を行う様になった)世界を統合するマザー・コンピューターが悪役を担わされていく時代でもあった。

デモン・シード - Wikipedia

ターミネーター (映画) - Wikipedia

③その次に訪れた「多様化の時代(1990年代〜)」はコンピューター技術とインターネットの普及による「数多くの伝統的杞憂の終焉」と不可分には語れない。
*それは「ノイズの拡大=エントロピー増大」と規定した情報工学エントロピー論の勝利によって国際的通信網が確保されていく一方、逆説的にそこを流れる情報の内容について「ノイズ(差異=エネルギー交換の行われる可能性)の減少=エントロピー増大」と考える「距離のパトス(Pathos der Distanz)」を広める展開を産んだ。

*こうした激動の時代が産んだ徒花が「TV系サイバーパンク」なる不思議なジャンル。

消費の主体が王侯貴族や聖職者といったインテリからブルジョワ階層や庶民階層に推移した時代」から「(リソースとしての「差異=エネルギー交換が行われる可能性」そのものの重要性が浮上してきた)距離のパトス再評価の時代へ。一周して元の立ち位置に戻ってきただけとも見て取れますが、しかし本当の意味における意識改革はまだまだ始まったばかり。「人工知能が人間の能力を超える」シンギュラリティ(Technological Singularity=技術的特異点)の脅威が叫ばれる一方で、この様に「軍や企業が新技術に対して思うより慎重かつ的確に振舞おうとする」現実の一般化は一体どの様な新たな時代の想像力の礎となっていくのでしょうか?