諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ワンダーウーマン】【Badass】日本メディアの理解を超えた国際的ヒットの理由

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どうしてこうなった?

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要するにこれって「国際的に通用してきた和製コンテンツ」と「国際社会から置き去りにされて周回遅れと成り果てた日本のメディア」のギャップが最も典型的な形で炸裂した悲劇的パターンとも。

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①まずはこれを理解しないと始まらない。どれほど世界がこの「アメコミ元来の女Badass」の登場に渇望してきたか。そしてこの映画版ですらまだまだ本領は半分も発揮されてないと考えられているか。

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*例えば諸星大二郎作品のヒロインの大源流? 要するに「女Badass」の世界。

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*例えば「ロリババァ(Eternal Loli)」の大源流?

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*例えばアラン・ムーア原作「ウォッチメンWatchmen、1986年〜1987年、映画化2009年)」に登場する同性愛者の覆面ヒロイン「シルエット/ウルスラ・ザント(The Silhouette, Ursula Zandt)」のモデル。

②そして日本がその代替供給源として栄えてきたという恐るべき現実を直視しないといけない。

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③ちなみにWonder Womanファンは居住まいを正しこう断言する。「こんな映画化なんてまだまだほんの最初の一歩。「魔法少女リリカルなのは・シリーズ(2004年〜)」が達成した事に比べたらまだまだ周回遅れ」。まぁ割とLGBTQA界隈限定なのは認めざるを得ませんが…

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*さらなる世界最先端が二次創作「なのはとフェイトの子育て日記」の世界。そこにおいては(現実の同性愛カップルの不安を取り込んで)二人が娘に何とか「異性愛も異常じゃないんだよ」と教えようと試み続け、そしてただひたすら失敗し続ける。「だって、せめてママ達のどっちかに勝てる男の人っているの? しかも本気モードだったらほぼ確実にママ達二人を同時に相手にするんだよ?」「そういう話じゃない」「そもそもママ達より稼ぐ男の人っているの?」「そういう話じゃない」。ここまで生々しい高高度戦になると武内直子美少女戦士セーラームーン(1994年〜1997年)」の二次創作「うさぎのちびうさ子育て日記(パパは置き去り)」同様に日本人からすら脱落者が出るレベル…
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*「うさぎのちびうさ子育て日記(パパは置き去り)」…何がダークって、うさぎママが事あるごとに「そんなに悪い子にしてると過去のママに連絡して産児制限(Birth Control)しちゃいますからね」と宣言し、ちびうさが「ママ、それ人権蹂躙…」と涙目になる辺り。当時流行したこの辺りの駆け引きをテッド・チャン「あなたの人生の物語(Story of Your Life、1999年)」がしっかりと語り継ぐ。いずれにせよ当時のフレームにおいてすら既に「パパは置き去り」の流れは存在していたのであった。

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*さらにはこのMemeの起源、高橋留美子うる星やつら(1978年〜1987年)」における諸星あたるの母の口癖「産むんじゃなかった」にまで遡るという。当時から欧米女子は日本の「産児制限ギャグ」に対して「女性として当然の権利の主張」と「自分も間引かれる恐怖」の表裏一体を成す形で受容していたという事?

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*むしろ日本人の漫画ファンの方が「自分の成長アルバムに「我が人生最初の失敗(Our First Mistake)」なる題名がつけられてしまう恐怖」を語り継ぐのを怠ってきた感がある。これはむしろ1970年代センス残滓で、そのMemeの大源流は永井豪「ススムちゃん大ショック!!(1971年)」が存在するとも。「1970年代前半の日本における児童虐待による死亡率が先進国中第3位」という報道にインスパイアされて執筆された作品。

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*そして河原礫「ソードワート・オンライン・シリーズ(2001年〜)」の国際的大流行もっまたこの流れの延長線上にあった事を決して忘れてはならないのである。

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④ここまで全体像を俯瞰して初めて「ローガン(Logan、2017年)」について本国のアメコミ・ファンが歓喜して「やっとアメコミの世界も追いついてきた」とか「これがアメコミ流の追いつき方だ」といったコメントを並べた理由が見えてきたりする。


*「スパイダーマン:ホームカミング(Spider-Man: Homecoming、2017年)」と併せ「パパの反撃開始の狼煙」とかいわれてる。かのロバート・ダウニー・Jrが、映画「子鹿物語(The Yearling、1946年)」で主人公の父親を演じたグレゴリー・ペックを超えた駄目パパ振りを熱演。あくまで「父権の復権」じゃないのが興味深くい辺り。

*ちなみに「パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊(Pirates of the Caribbean: Dead men tell no tales、2017年)」は逆に問答無用の「ママ圧勝映画」。「その瞬間、私の脳内を過去の思い出の奔流が覆い尽くして劇場で泣き崩れました(経験者ならわかるよね)」「駄目だ。あのママには束になって襲い掛かっても絶対に叶わない」。何その「スター・ウォーズ/フォースの覚醒(Star Wars: The Force Awakens、2015年)」に登場したルーク・スカイウォーカーマーク・ハミル)みたいな「ただ登場しただけでそれまでの展開すべてを上書きしてしまう圧倒的な存在感」。同時復帰を果たしたオーランド・ブルームの「鳶に油揚げ攫われた」感が半端なし。ここでもやはり「パパは置き去り」…

何しろ身近に「せっかく世界に手が届きかけたKPOPの世界を自ら徹底して破壊し尽くした韓国芸能界」なんて「イタリアン・ホラーの国際的流行を自ら潰したイタリア保守団体」と並ぶ国際文化展開史上最低最悪の先例が転がってますから、前轍を踏まない様に気をつけたいものです。
*この辺り「KPOPの存在を世界に最初に認めさせたのが、Psyでも2ne1でもなく韓国中の保守派団体をすべからく激怒させ排斥活動に走らせたTrouble Makerだった」経緯を理解してないと見えてこない。

ここで興味深いのが「案外最近の主戦場はラテン語圏(カソリック文化を共有するスペイン語圏・ブラジル語圏)」という辺り。ハリウッド映画界にとっては「(米国西海岸における)すぐ隣の巨大市場」ながら、進出を狙っては失敗し続けている「不毛の荒野」なのに、何故か普通にAnisonとかVocaloidとかKPOPは受け入れらてきた不思議。

 そういえば今更ながら気付きました。米国連最高裁判所の「同性婚合憲」判決(2015年6月26日)当日、国際SNS上の関心空間で交わされた「おめでとう、これで君達もパートナーへの貞節を法的に強要される立場に陥ったな」なる皮肉って以下のカソリック教会の見解をも踏まえたものだった様なのです。

同性愛とカトリック - Wikipedia

同性愛者には貞節が求められる。内面の自由をもたらす自制という徳により、時には私欲のない友情により、あるいは祈りと秘跡の恩寵により、彼らは次第に、そして確実にキリスト教的な十全さに近づくことができるのであり、またそうすべきなのである。
*対象が同性か異性かなんて、この「キリスト教的愛」の偉大さの前には些事に過ぎない?

 「同性愛合法化」って進歩主義的側面だけでなく「配偶者への貞節と家族構築の義務の強要(異性愛者か同性愛者かバイセクシャルかを問わない「乱交派」に対する厳粛な境界線の再設定)」という保守主義的側面も備えているという流れなんですね。

  • 体制側は、既存価値観を揺るがす新たな価値観が台頭すると、まずそれを「最後には必ず自滅していく絶対悪」認定して勧善懲悪のバランスを保とうとする。
    *1950年代においてワンダーウーマンはまさしく「汚らわしい同性愛とSM文化の掃き溜め」という認識。だからこその「紐使い」であり、あのボンテージ・ファッションだったという次第。

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    *ただ彼女の「ボンテージ・ファッション」には「男性の異常な欲求に答える為にコルセットでウエストを締め上げられてきた女性達の怨嗟の声」と表裏一体の側面もあった事は忘れてはならない。

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    *その一方で「ヒロインがすぐ攫われて拘束されたり拷問されたり殺された理想になる」伝統は20世紀前半のパルプ・マガジン黄金期にまで遡る。

  • だが、こうした「特定の対象の絶対悪視」が未来永劫続いたためしなどない。1970年代に入ると黒人公民権運動の勝利が黒人搾取映画(Blaxploitation Movie)」やカンフー映画を流行させ、これに便乗する形でロジャー・コーマンが「女囚映画三部作(1971年〜1974年、メインヒロインは黒人にして女性)」をプロデュース。インディーズ系作品を中心に「不当な抑圧に対してマイノリティや女性が蜂起する物語」が公然と流通する様になった。
    *ここで興味深いのが「B級映画の帝王」ロジャー・コーマンが歴史のこの段階で監督業を引退している事。なまじ時代の変遷に敏感だったが故に彼は「アメリカン・ニューシネマ(New Hollywood)」黄金期まで良い意味でも悪い意味でも「最先端」であり続けてきた自分の監督としてのセンスが時代遅れになりつつある事を感じ始めていたのかもしれない。
    WOMEN IN PRISON MOVIE

    *一方当時の日本における女性漫画家は横山光輝伊賀の影丸(1961年〜1966年)」や「けっこう仮面」の拷問シーンに夢中になりながらこうした時代の波にうまく乗っていく。ここで肝心なのが「ヒーロー/ヒロインは必ず途中で捕まって拘束され、拷問されたり殺されそうになるものの、最後は必ず逆転して敵に対する復讐を果たす。それがあらかじめ分かっているからこそ、途中のピンチが楽しめる」なる当時の彼女達の認識。

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    *そういえば当時はワンダーウーマンも実写TVドラマ化しているのである(1977年〜1978年、1980年〜1981年)。だが当時実際にカルト人気を獲得したのはむしろウルヴァリンだった。当時の若者達が欲していたのは「ウーマンリブ運動を表面だけなぞった健全な娯楽作品」などではなかったという事かもしれない。

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    *「ウーマンリブ運動を表面だけなぞった健全な娯楽作品」…そういえば「600万ドルの男(The Six Million Dollar Man、1973年〜1978年)」のスピンオフ作品として「地上最強の美女バイオニック・ジェミー(The Bionic Woman、1976年〜1978年)」が製作された時代だった。「地上最強の美女たち! チャーリーズ・エンジェル(Charlie's Angels、1976年〜1981年)」も同番組の放送枠での製作。

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    *かといってアラン・ムーア原作「ウォッチメンWatchmen、1986年〜1987年、映画化2009年)」に登場する同性愛者の覆面ヒロイン「シルエット/ウルスラ・ザント(The Silhouette, Ursula Zandt)」が女子の間でカルト的人気を獲得」する展開とはならなかった。様々な意味でまだ時期が早過ぎたのである。物語上の時代設定も、同性愛がまだ地上に存在する絶対悪の一つと嫌悪されていた時代に該当。

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    フーデッド・ジャスティス(The Hooded Justice)

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    1930年代、コミックブック『スーパーマン』の第一号発売とほぼ同時期に登場した世界最初のヒーロー。「ミニッツメン」の一員。黒いフルフェイスフードを被り首にロープを巻いて赤いケープを纏っていた。カップルを襲った暴漢を撃退する事でデビューし、更にスーパーマーケットを襲った強盗団をたった一人で鎮圧した事で「フードを被った正義」として一躍有名人なり、ヒーローブームを生み出す事になる。1950年代の共産主義者狩りの際、政府からの身分開示要請を拒否して失踪した。その正体は、フーデッド・ジャスティスの失踪と同時期に殺害されたサーカスの怪力男ロルフ・ミュラー。ただし、偽名であり本名は不明。彼は移民系ドイツ人であり、反共産主義者第二次世界大戦以前にはナチスを賞賛する発言もしていたという。コメディアンのレイプ未遂を阻止した事から、恨みを抱いていた彼に射殺された。ゲイで極度のサディストでもあり、キャプテン・メトロポリスとは恋人同士だったが、彼の暴力的傾向から倦怠期に陥り破局した。

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    キャプテン・メトロポリス/ネルソン・ガードナー(Captain Metropolis, Nelson Gardner)

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    「ミニッツメン」の一員で発起人。頭髪と口元の露出するマスクを着用し赤い航空服のようなコスチュームと青いマントを纏っていた。アメリカ軍海兵隊に所属していた経験から、より戦術的、戦略的な方法で犯罪と戦うべきだと考えてヒーローの組織化を模索していた。「ミニッツメン」以降も1966年には新世代のヒーローを集め「クライムバスターズ」というチームを結成する。カナダ空軍の訓練を受けつつ長年に渡ってヒーロー活動を継続するも、1974年に交通事故で死亡した。

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    シルエット/ウルスラ・ザント(The Silhouette, Ursula Zandt)

    「ミニッツメン」の一員。胸元のあいた、黒いスーツのようなコスチュームを着用。腰には赤い帯を巻いていた。オーストリアの上流階級の出身で、ナチスの迫害から逃れてアメリカに移住した。その出自から、フーデッド・ジャスティスとは仲が悪かった。チャイルドポルノの製作者を摘発するなどの活躍をしていたが、1946年にレズビアンであった事が発覚して「ミニッツメン」のイメージを守る為にチームから追放されて引退する。しかし、6週間後にかつての宿敵リクイデイターに自宅を襲撃され、恋人もろとも殺害された。

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    *まぁアメリカにおける状況がこうだったからこそ武内直子美少女戦士セーラームーン(1992年〜1997年)」は世界に衝撃をもって迎えられた次第。しかしハリウッド映画界は以降もずっと「ワンダーウーマン」リヴァイヴァルを拒み続け女性アメコミファンをがっかりさせてきた。

  •  だが「マイノリティや女性の側からの復讐の完全達成に執着し続ける立場」は格差是正や現実的問題の多様化が進行するにつれ「ルサンチマンの風化」を引き起こす。かくして女性を主人公とする物語の主題は次第に「母娘間の葛藤の解決」とか「自分が内に込める破壊衝動との折り合いのつけ方」といった内省的な方向へと向かい、その過程で「正義の基準の再設定」が行われ保守派と進歩派の葛藤が一時的ながら解消する展開を迎えるのである。

    かくしてこの世界は「(熱力学的エントロピー論に従うなら)エネルギー偏在が表面化して運動が活発化し、その結果エネルギー偏在が解消すると運動自体が停滞し、やがて消滅する」「情報工学エントロピー論に従うなら)特定の指向性を有する情報(何か有意味な情報を伝達しようとする試み)発信が反動を生み、やがて最終的に(特定の指向性を持たない)ノイズの海に飲み込まれてしまって情報としての価値そのものを失う」といったサイクルを繰り返してきた。
    *例えば「南アフリカ共和国における民族紛争」は第二次世界大戦終焉まで「オランダ系先住移民(アフリカーンス)と英国系移民の衝突」なる伝統的体裁を維持してきたが、次第に漁夫の利を得る形で現地有色諸族が台頭。この動きに対抗すべくアフリカーンスと英国系移民が手を組んで悪名高い「アパルトヘイト政策」を開始したが、それは単純に「白人の形成した単一の支配階層が黒人の形成する単一の下層階層を隷属下に置く」といった単純な内容ではなかったし(どちらかというと「多民族国家」ハプスブルグ君主国における多数派工作の産物「オーストリアハンガリー二重帝国(1867年〜1918年)」と似た各勢力間における複雑怪奇な妥協の流動的産物と表現した方が正解)従ってアパルトヘイト解消後も未解決のまま残った(そして今日なお南アフリカ国民を苦しめ続けている)問題の方が大半だったりする。それでも「既得権益維持の為に主要白人集団が手を組み、この動きが反動として主要有色諸族間に団結の機運を生み出してしまった」「その枠組みが諸外国には恣意的に「白人による黒人差別」として伝えられ、その撤廃を求める国際的政治運動を誘発してしまう」「アパルトヘイト解消によって、こうした国際的政治運動の存続が不可能になると、南アフリカ抱える諸問題は再び地道で個別的な問題解決の動きによって解決を図るしかなくなった(そしてそれは思う様に捗ってない様に見える)」といった歴史的展開があった事実は認めざるを得ない。
    アパルトヘイト - Wikipedia
    オーストリア=ハンガリー帝国 - Wikipedia

    *「ルサンチマンの風化」…そう、まさに「国王と教会の権威に対する永遠の抵抗」を誓った19世紀政治的浪漫主義が資本主義的発展によって肝心の「国王と教会の権威の絶対性」が薄れるにつれ自らも地上からの消滅を余儀なくされていった様に。

    *「外罰的態度から内省的態度への推移」…そうまさに(既存権威への宣戦布告に支えられた)政治的浪漫主義の壊滅が(自らの内的矛盾と向き合う秘教的側面の強い)象徴主義への傾斜を生み出した様に。

    *このタイミングで欧米に上陸した事も、武内直子美少女戦士セーラームーン(1992年〜1997年)」が世界文化史上重要な役割を果たす契機となった。言うなれば世界中の女性がこれを契機に新たなる「カーソル(その行動によって前に進む主体としての自意識)」を獲得。第二世代までのフェミニズムと第三世代以降のフェミニズムの間に決定的な亀裂が生じる展開を迎える事に。

まぁ誰もが「自分にとって何が幸福かは自分で決める」という意識を強く備える様になったら、その感情を強引に束ねて政治利用するのは不可能となるし、そもそも大規模な政治運動展開に不可欠な「(支持者動員の誘導先としての)断層」の発見と継続が著しく困難となってしまうのである。熱力学的エントロピー論的にいえば「エネルギー偏在の解消が進んで運動そのものが消失した状態」、情報工学エントロピー理論的に言えば「ノイズ増大が生んだ通信不可能状態」の拡散に他ならない。

 こうして過去投稿の内容と重ね合わせてみると「総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)においては政府や政党が、(テレビの普及を契機に始まった)産業至上主義時代(1960年代〜1990年代)には企業やマスコミや市民団体などの民間組織が世論を動かしてきた」印象が強いのですが、ならば「(インターネット技術の普及を契機に始まった)多様化の時代(1990年代〜)」の世論は「ネットで直接結ばれた個人」が動かしてきたのでしょうか? もしかしたら「産業至上主義時代」は「多様化の時代」と重なる形でまだまだ継続してるのかもしれません。あるいは2012年頃より国際的に加速度的に始まった「スマートフォンのFirst Screen化 / 人生のFPS」などによって既に一区切りついているのかもしれません。

まぁ2010年代に関するちゃんとした形での分析なんて、実際にはおそらく2020年代に入ってからでないと不可能なんでしょうけど…