諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「Cオボル」なる概念が垣間見せてくる「世界の可能性」?

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ちなみにCOBOLコボル)とは、1959年に事務処理用に開発されたプログラミング言語。その名前は「Common Business Oriented Language」(共通事務処理用言語)に由来するとか。

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コンピューター発展史において「伝統的事務処理のコンピュータ化の進行」は極めて重要な一項目。その意味合いにおいてCOBOLは、今日なお決して忘れ去られてはならない歴史的意義を備え続けているのです。

COBOL - Wikipedia

1950年代、事務処理言語は開発メーカーごとに異なっていた。その統一の必要性を認識していたアメリカ国防総省によって、事務処理用の共通言語の開発が提案され、CODASYL(Conference on Data Systems Languages、データシステムズ言語協議会)が設立された。そうした背景の下、1959年にCODASYLによって開発された共通事務処理用言語がCOBOLである。

その後、1960年1月にCODASYL執行委員会によって最初の仕様書が承認され、合衆国政府印刷局に送られた。この最初の仕様書は1960年4月に発行され、通称COBOL-60と呼ばれている。

COBOLの開発により、アメリカ政府の事務処理システムは全てCOBOLのみで納品されることとなった。これに伴い、COBOLは事務処理用言語として世界中に普及することになる。

  • その言語規格は、ローカル変数が作りにくく論理制御機能面が弱かった古典的言語からの脱皮を図っている。後にオブジェクト指向概念が採用され、入れ子プログラムが可能となった上にCOBOLからCOBOLクラスライブラリのみならずJavaのクラスライブラリも呼べるようにするなど、相互運用性や共同開発容易性、安全性が改善されてきた。

  • こうしてCOBOL自体はモダン化が図られてきたが、COBOL技術者がコボラーと呼ばれるとき、モダンでないプログラミング言語を扱っていることを揶揄するニュアンスを伴っていることがある。

  • COBOLの冗長さ」は、時折ハッカージョークのネタにされる。例えばCOBOLオブジェクト指向拡張案「ADD 1 TO COBOL GIVING COBOL」(C++のもじり)などである。

  • 構造化プログラミングを提唱した計算機科学者エドガー・ダイクストラは、各種言語の欠点を挙げた中でCOBOLについて「COBOLを使っていると人は無能になってしまう。COBOLの教育は犯罪とみなすべきである。」と述べた。これが書かれたのは、企業ではCOBOLで新人教育がされ、構造化プログラミングも知らずにGO TO文だらけの巨大なスパゲティプログラムを普通に書いていてレビューと障害修正が大変だった1975年となる。

  • 2009年11月、マイクロフォーカスのスチュアート・マギルは「稼動中のCOBOLプログラムは全世界で2,400億行で、年間30億行が追加されている。全世界のCOBOLプログラマは200万人。フォーチュン500の90%の企業はCOBOLプログラムを使用中。」との趣旨の発言をした。

2013年現在なおCOBOLプログラマーは意外に多い。実際はCOBOLと他のプログラミング言語の両方を使えるプログラマーの比率が多い。ただ、メインフレーム事業が全盛期を過ぎるとともに、ユーザ企業のアプリケーション資産を理解しているCOBOLプログラマー、さらにはCOBOLの分かるプログラマーCOBOL流の設計の分かるSEさえ、転職や引退で減少しつつある。COBOL資産を多く抱えている企業の周辺では人材がまだ確保されて育成を図っている一方、その外側では要員不足がじわりと将来に不安の影を投げかけている。

こうした状況の中、一部でメインフレームからオープン系のCOBOLへのマイグレーションが行われているとともに、従来のデータを従来のように処理できるJavaプログラムへの簡単・確実なコンバージョン、マイグレーションも望まれている。

それなら「オボル」なる言葉は一体何で有り得そうなのか。例えばそれは「古代ギリシャ時代に小アジア中心発行されてた貨幣の単位の一つ(それも割と小型の少額決済用)」を表す言葉だったりする訳ですね。

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古代ギリシアでは各ポリス、地域ごとでコインが発行されました。アテネがあるアッティカ地方のものやコリントのものが有名ですが、他にもアイギナ、エウボイア、タラス、イリリア、アルカディアシチリア、南部イタリア、クレタエーゲ海周辺など様々なポリス、地域のコインがあります。

価値基準もそれぞれ違い、同じドラクマでも価値、重さが異なります。また同じ場所でも時代によってコインの図柄は変わっていきます。例えばアテネを中心とするアッティカ地方の主要なコインの換算率は以下。

それ以外にも「ステーター(8.6g)=ジドラクマ(2ドラクマ)」といった換算単位が確認されている。
*ポリスが分立割拠して単一の国家として統合される事のなかった古代ギリシャ世界においては度量衡の単位の統一など望むべくもなく、従ってこうした混乱が放置される事に。

アルカディア(Arcadia)貨幣

B.C.490年頃からB.C.417年頃に鋳造された最初期のトリオボル銀貨にはゼウスが刻印されていた。また新首都メガロポリスにおいてB.C.390年から360年に渡って鋳造されたスターテル銀貨も同様。
*スターテル…他の貨幣名同様に重量単位で、例えば「銀1スターテルが兵士3日分の給与に該当した」なる記述が存在する。流通の主役だったというより当時の最大額面にして権力者の蓄財に用いられるのが主目的だったとも。

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B.C.417年からB.C.362年にかけては並行してヘルメスを刻印したトリオボル/オボル銀貨も鋳造されている。
*トリオボル/オボル銀貨は比較的小型で、主に現地経済に密着した少額決済で用いられたと考えられている。

B.C.362年以降は豊穣神デメテールやヘラクレスがスターテル銀貨の絵柄としても刻印される様になっていく。
ペルシャ帝国が台頭してアナトリア半島黒海沿岸部の植民都市がその権威に服するにつれ、古代ギリシャ人は自らの文化的起源を、そこではなく「アルカディアペロポネソス半島内陸部に古代から存続してきた牧歌的後進地域」に求める様になっていく。おそらくそうした時代的変化の産物。

こうした貨幣換算単位は黒海沿岸より内陸部へも伝播して古代インドに建国されたスキタイ王国も使っていました。 絵柄としては「小アジアの英雄」ヘラクレスや「蛇女」ゴルゴンなどが好まれた模様。
*「蛇女」ゴルゴン…地中海に面したアフリカ大陸北部に伝わる蛇身の女神メデューサと関連が深い。古代ギリシャ神話においてこうした蛇神が(コリント商圏の貨幣に刻印されたペガサスに跨る)ペルセウスに討たれたり(アテナイ商圏の貨幣に刻印された)女神アテナイの盾にその首が取り付けられたりするのは決っして偶然でなく商圏として取り込んだ事を誇示する象徴的意味合いが存在したとも。またスキタイ王国が「蛇女」ゴルゴンを貨幣の絵柄に選んだのは、インド神話に登場する蛇神ナーガ(Naga)との相性を視野に入れての事だったとも。
ナーガ - Wikipedia

*そういえば「スキタイ民族は英雄ヘラクレスと半人半蛇の地母神エキドナが交わった結果生まれた」なんて伝承もある模様。何故か日本人はこの女神を「金髪か銀髪の白人女性」と決めつけ、そのイメージを拡散してきたが、原義的には「黒髪で肌の浅黒いアジア系女性」なるイメージが強い。ただこれ地中海文化圏では「アジア人=自文化圏の外側から流入してくるエスニックな異邦人」だからかもしれず、それを「南蛮人=日本人にとってのエスニックな異邦人」に置き換える心理機制自体は十分想定内とも。

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*ちなみに日本の土俗社会においても蛇神信仰は根強い。それは農業文化と不可分な「雨乞いの対象」だったからであり、かつ猫が伝来するまでは「害虫たるネズミを狩る貴重な庶民的益虫」だったからである。かくして各地の土俗蛇神と仏教における「竜王(Naga Raja=ナーガラージャ)の概念が同一視された事自体が仏教伝来過程で重要な役割を果たしたし、かつまた法華経における提婆達多品「竜女成仏」は女子供賎民の熱狂的帰依を引き出してきた。法華経は同時に権力者達の間に「護国仏教の核となる経文」と認識されたので、日本文化発展過程で特別な意味を備えるに至る。この様に宗教概念は概ね必ずと言ってよいほど「そのエスニック性ゆえに強力そうなイメージ」と「土着文化との相性」の両天秤を基本軸として展開するものなのである。

なのでもし実際に「Cオボル」なる言語が実在するなら「VBAVisual Basic for Applications、1993年〜)やJavaScript(1995年〜)みたいに庶民が日常生活の中で気軽に使える様にスケールダウン化されかつ安全化されたC言語のサブセット」といった定義が与えられる可能性が高そうに思えます。「宗教的政治的全人格的権威主義から離れた商業特化タイプ」「選民的というより庶民的な日常的スクリプト」といったニュアンスが想定されるとも。要するにそれは最初期のMacintoshに標準バンドルされてたHyper Card(1987年〜2000年?)のスクリプト言語「Hyper Tark」みたいなもの?
HyperCard - Wikipedia
HyperCard - AppleComputer により開発された、ハイパーテキストの概念を実現したオーサリングソフト

*「選民的というより庶民的な日常的スクリプト」…むしろ「コンピューター言語」というより浄土宗や浄土真宗の名号たる「南無阿弥陀仏」、法華宗の御題目「南無妙法蓮華経」みたいなものとも。スターウォーズの世界観における「May the Force be with you」なる文言もこのニュアンスが強いので最近「フォース宗」なる言葉が生まれた。

そもそもコンピューター言語には文化史上、密教仏教的言語神秘主義)やカバラー(ユダヤ教的言語神秘主義)やスーフィズムイスラム的言語神秘主義)やスコラ学(キリスト教的言語神秘主義)における概念蓄積の延長線上に現れたという側面もあったりする訳です。

もちろん実際に継承されたのは殆ど「世界を的確に動かす為のプロトコル精緻化に黙々と取り組むその偏執狂的姿勢と思考様式」の部分だけ。そしてこうしたアプローチにとっては、コンピューターなる「実際に直接駆動可能な世界シミュレーター」の獲得と、それによる「特定のシステム体系に宗教的政治的全人格性を付与せずにはいられない衝動」から解放は史上最大の画期となったのです。
*ある意味こうした偏執狂的姿勢と思考様式の純化こそが「ノイズ増大をエントロピー増大と考える」情報工学エントロピー理論そのものの起源とも。

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ならば「コンピューターの利用内容なんて利用目的ごとに全く異なっていたって実用上は全然構わない」なる概念が最終的勝利を収めたかというと、むしろ解放されてないのは人間の心の方で「JAVAこそ最強」「Pythonこそ最強」「Rubyこそ最強」みたいな宗派論争が絶えません。とはいえそれがこれから先「部派仏教VS大乗仏教」とか「カソリックVSプロテスタント」とか「資本主義VS科学マルクス主義」みたいな本格的イデオロギー闘争に発展する可能性もまた皆無。そもそも論争の軸は「効率化=情報工学エントロピー理論に基づくノイズ除去」なる共通認識があるからです。その実態はむしろ「最強の仏典は何か」なるイデオロギー闘争に決定的回答が存在せず、従って党派形成もそれほど進まなかった「南都六宗時代の日本仏教の状況」へと回帰した感すらあったりするという次第。

Java/PHP/Perl/Ruby/Python 主要Web系言語徹底比較

霊的アイデンティティとJAVA言語

*こうした論争の過程でメインストリームから脱落した「(計算に特化する形で)コンピューターにおいて広く使われた世界最初の高級言語Fortranや「(事務処理に特化する形で)コンピューターの企業利用幅を大幅に広げたCOBOLや「1990年代以降のHTML普及と共に歩んできたPHP(Hypertext Preprocessor を再帰的に略したもの)にも熱狂的信者は残ってないでもない。しかしまぁ「数学の勝利」やコーディング効率や教育コストなども視野に入れた「主張の実用性」には乏しい訳で、実際の宗教における教学の発展史にもこうした側面は数多く散見されます。例えば今日では朱子学創始者として知られる朱熹(1130年〜1200年)にしたって仏教的神秘学の分野で相応の成功を収めつつ、時代のトレンドに逆らえずあえて儒家ジョブチェンジしたりしてる訳である。

プログラミング言語年表 - Wikipedia

1801年にジャカード織機が発明された。パンチカードを利用するもので、布に織り込む模様に対応した縦糸(経)の上げ下げの対応がそのまま厚紙の穴になったもので、コンピュータプログラムと見るのは無理があるが「プログラマブルな装置」の一種である。オルゴールや自動オルガンなど他にもいろいろある。後に、列車の中で車掌が切符に穴を開け乗客についての情報を穴の位置で記録するのを見たハーマン・ホレリスは、このパンチカードを情報の記録に使うことを発想し、1890年の国勢調査にパンチカードを利用する機械(タビュレーティングマシン)を提供した。

以上のような具体的な数値の計算ばかりではなく、数学の中でもより抽象的な分野で、記号の操作というもっと広い範囲で「計算」というものを形式的に表現する手法が1900年前後から研究されていた。これは数学基礎論や数理論理学と関係する。

アロンゾ・チャーチはラムダ計算を提案した。チューリングマシンは有限オートマトンと無限の長さがあるテープ(理論で扱う上では)を使う。これらのような、計算を形式化したものを計算モデルと言う。理論的にはラムダ計算もチューリングマシンも他の多くの計算モデルも、何が「計算可能」であるかという点では同等の能力を持つことが証明されていて、これらの計算モデルで計算可能であるということを、「計算可能」ということの定義としよう、という定立がチャーチ=チューリングのテーゼである。

チューリングマシンには実際のコンピュータ、特に古典的ないわゆるノイマン型に似たところがあり、一方のラムダ計算は現代的な高水準プログラミング言語Haskellにおいてその基礎のひとつになっている。ある意味でコンピュータ科学の端と端が、数学の基礎を通してつながっているという興味深い関連とも言える。
*誰もが最終的に意識せざるを得なくなった究極の結論の一つ。それは「最後に勝利したコンピューター言語は数学」という事実…

*「朱熹儒家へのジョブチェンジ」…この結果、それまで「(元来は中国古典に立脚する家臣団内における各個人の身の振り方のノウハウ集に過ぎなかった)士道」同様、ある種の知識体系に過ぎなかった儒教が「大義名分(特定のシステム体系に宗教的政治的全人格性を付与せずにはいられない衝動)に忠実で、他の思考様式全てに対して排他的イデオロギー闘争を吹っ掛け続ける」宗教的実態を急速に備える展開を迎える。そしてスーフィスト(イスラム神秘主義者)としてもウラマーイスラム法学者)としても最高峰を極めたガザーリーによるスンニ派古典思想の完成が皮肉にもイスラム教学の停滞の端緒となった様に、朱子学の登場は次第に中華王朝の近代化の阻害要因として重くのしかかってくるのである。

そして遂に「(フェニックス・ガタリの「マシニック空間」をそのままインプリメントしたかの如き)プラッットフォームを完全にカプセル化する並列処理言語」が登場。こうした論争は歴史の現時点において一旦「ある種の最終回答」に到達した様にも見える次第。少なくとも「人間の知性のエミュレーターを目指さなくなった人工知能に未来はない」といった具合の主に20世紀末に流行した主張はすっかり影をひそめる展開を迎えます。
*良い意味でも悪い意味でも「これだけ何でも一応はちゃんと説明可能なのだから、コンピューター工学を世界認識手段の基盤に据えていいんじゃない?」なる諦観が広がっていく感じ。それは理論上数学を「世界認識手段の基盤に選んだ」のと同じ事なのだが、化学実証主義の世界は証明されてない事実には沈黙を貫くので、ここに大幅な認識上の空白が生じる可能性が浮上してくる。

*何より重要なのはこの記法が「(究極的意味合いにおいて完全な形では認識対象となり得ない)他者に対する認識プロセス」そのものを内包している辺り。

村上定幸「教会とコンピュータ」

最後の空白を埋めるのが「Cオボル=(浄土宗や浄土真宗の名号たる「南無阿弥陀仏」や法華宗の御題目「南無妙法蓮華経」やスターウォーズ世界における「May the Force be with you」なる文言に該当する、人間を宗教的政治的全人格的権威主義から解放する)庶民的な日常的スクリプト」だとしたら、それは既にコンピューター言語というより「(上掲の様な形で)コンピューター理論がその合理性を追求して完成に至る過程で切り捨てた何か」という事になるのでしょう。


例えば世界中のスターウォーズ・ファンが大好きで、SNS上で誰かが始めるとたちまち追随者が山ほど現れる「I Am One With the Force and the Force Is With Me」連唱。上掲の様な世界観が自らを「数学の端女」として完成させる過程で「外側」へと逃してしまった何かあたりが「それ」なのかもしれません。

いずれにせよ鍵は認識対象というより「他者」に対する認識プロセスそのものの中に内包されている様だ?