諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【今年のノーベル文学賞決定】【カズオ・イシグロ氏】過去投稿で一言だけ言及してました。

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 今年のノーベル文学賞決定!!

 そういえば 過去投稿で一言だけ言及してました。

学園小説の舞台としてのホグワーツ魔法学校

パブリック・スクール Public school とは、古い歴史をもつグラマー・スクール(大学進学のためラテン語「文法」を教えた学校)のうち、上流階級の子弟を受け入れるようになった“名門”校をいう。生徒は 8~9 歳から 17~18 歳まで。私立学校なのにパブリック・スクールと呼ぶのは、一説には(上流階級で主流だった、家庭教師を使ったプライベートな教育に対して)多数の子供に開かれた学校で教育したからとされる。

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  • 18世紀末~19 世紀初頭には、パブリック・スクールの規律が乱れ、「下級生へのいじめ」「暴力」「教師への反抗」「器物破損」「飲酒」……などが問題視されていた。こうした状況を改革しようとしたのが、ラグビー校の校長トマス・アーノルド(1795年〜1845年)。1828年に着任したラグビー校において「クリスチャン・ジェントルマン」を育成する、という目的を掲げ「全生徒を寮=ハウスで生活させる(ハウス・システム)」「最上級生を監督生(prefect)に任命し生徒による自治を徹底する」といった試みに着手。さらに19 世紀後半以降、スポーツ[団体スポーツ]を学校教育に取り入れる様になり、幾つもの学校が伝統や格式を主張する「名門のイメージ確立に成功。

  • こうしたパブリック・スクールのイメージを流布したのが、トマス・ヒューズ(1822〜1896年)の「トム・ブラウンの学校生活(1857年)」で、自身が在学したラグビー校の経験をもとに理想化されたパブリック・スクール生活を描いてみせた。

  • しかし現実のパブリック・スクールは、20 世紀後半に入ると新たな批判さらされる様になり、“インデペンデント・スクール”と自称し、階級・性別・国籍にかかわりなく生徒を受け入れる事をことなどを強調するようになる(例えば、ラグビー校も現在は男女共学)。その一方では1960年代には「反抗する若者」の拠点ともなった。

  • しかし1980年代以降、イギリスは「古き良きイギリス(19 世紀から20 世紀初頭にかけての大英帝国全盛期)」を積極的に再現した「ヘリテージ・フィルム」を多く制作する様になる。「イギリスの伝統」の商品化が始まったのだった。当時はパブリック・スクールの黄金時代でもあり、BBCも1982年にラドヤード・キプリングの「ストーキーと仲間たち(1899年)」、1984年にジェイムズ・ヒルトン原作「チップス先生、さようなら(1934年)」と、パブリック・スクール小説の古典を立て続けにドラマ化している。

こうしてみると「ハリー・ポッター・シリーズ」は、1980 年代以降の「古き良きイギリス」へのノスタルジーと、1990 年代らしい多文化主義(女性や非白人の活躍)を兼ね備えた作品ともいえそうなのである。そしてこうした世界観のもう一つの特徴、それは「携帯電話やインターネットと無縁である事」。カズオ・イシグロ「わたしを離さないで(2005)」の様な類似作品でもそれは踏襲されている。

こういった経緯から、何となくJ・M・クッツェー「夷狄を待ちながら(Waiting for the Barbarians、1980年)」と一緒くたにある種の英国保守主義と結びつけて敬遠してきた感が… これを契機に本気で読んでみようかな?