諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

続・ナショナリズムの歴史外伝⑤ 日本は明治時代以前に回帰すべき?

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ブログのタイトルにも含まれているのでTwitterでは「諸概念」なるキーワードを頻繁に検索しているのですが、それでこんなTweetを目にする事になりました。

明治政府があんなにサクサクと「版籍奉還(1869年)」「廃藩置県1871年)」「藩債処分(1876年)」「秩禄処分(1876年)」といった一連の 江戸幕藩体制解体政策を遂行出来たのも、日本人全体が「それまでの身分制社会ではこれからの国際社会は生き延びられない」と本気で戦慄していたから。どうせ回帰するなら、当時の「戦慄」なのでは?

日本史どころか世界史に目を向けても「それ以前の回帰可能なユートピア」なんて存在しません。何か最近日本より資本主義国らしくなってきた隣国中国だって、例え共産主義政権が終焉したって中華王朝になんて回帰しないでしょう。そういう話です。まずはその現実認識から始めないといけないのです。

  • 「それ以前の回帰可能なユートピア…ほじくっても「(伝統に基づく正統性や国王や教会の権威によって)領主が領土や領民を全人格的に代表した農本主義権威主義体制」や「源平合戦南北朝時代応仁の乱を主導した氏族戦争(Clan War)の勧善懲悪観」くらいしか発掘出来ない。
    *例えば「反アベ派」はこの立場から「安倍政権が倒される理由なんて全日本人がアベとそれを熱狂的に支持しているネトウヨ陣営を心の底から嫌悪してるという事実だけで十分」と主張している。全日本人? 要するに「人が安倍が好きか嫌いかなら、前者のみが基本的人権を認められるべき」なる党争最優先主義。これぞまさしく(互いに相手の殲滅のみを絶対正義として掲げる)氏族戦争(Clan War)の世界観に他ならならず、彼らはまさに自ら「それ以前のユートピアへの回帰」を実践しているといえなくもない気がする。

  • 「(互いに相手の殲滅のみを絶対正義として掲げる)氏族戦争(Clan War)の勧善懲悪観」…日本はこれが律令制導入以前の氏姓制度の時代にまで遡る。というよりむしろ「当時の政局があまりにも陰惨で非生産的過ぎた為(隣の大国を成立させた先進的システムたる)律令制導入を決断せざるを得なかった」というのが正解だったりする。
    *この意味合いにおいて「外国精神に汚染された日本人が元来回帰すべき原点はこれ」なる主張には相応の正統性が存在するのかもしれない。要するに「いざ鎌倉!!」なる合言葉こそが「今こそ脱却すべき外国精神の汚染の大源流」。とどのつまり(ロシアにおけるソビエト連邦成立にインスパイアされて)神聖ローマ帝国時代の領邦分権体制への回帰を主張したスパルタカス団や、(ソレル「暴力論(Réflexions sur la violence、1908年初版)」にインスパイアされる形で)中世ギルドを理想しした革命的オップロイテといった無政府主義に立脚する立場。おそらく「アベ」を倒しても次の標的を見つけるだけで、その選民意識から実際の政策政治になど一切関与しない。昨年の米国大統領選挙だと「ヒラリーもトランプも倒せ!!」と連呼していたアナキスト勢力の立場に近い。

    *最近日本では「聖徳太子は実在しなかった」論が流行しているが、「良い評判しか残さなかった政治家は、人目を気にし過ぎて全力を出し切らなかった臆病者」なる冷徹な米国政治学に立脚するライシャワー博士は自著「Japan The Story of a Nation, C.E. Tuttle(1978年、邦題「ライシャワーの日本史」)の中で「党争に勝ち続ける為、実際には蘇我氏より仏教に深く帰依していた物部氏を仏敵として滅ぼしたばかりか、天皇すら平然と抹殺しつつ、護国仏教や(天皇を頂点に頂く)律令制といった新時代の価値観への移行を準備した」蘇我馬子こそが当時ばかりか日本史上最も偉大な政治家だったが(まさに彼がその導入への道筋を整えた)新時代の価値観やその後の政局において「単なる極悪人」という認識になってしまった為、その実績のプラス面だけを称揚する為に(当時実在した厩戸王子の存在をベースに)聖徳太子なる完璧超人の存在が創造されたとしている。その一方で「藤原氏の談合政治」を日本政治の諸悪の根源とみなすのが彼の歴史観の特徴。良くも悪くもアメリカ的価値観に従うとそういう解釈に至らざるを得ないらしい。

    *その一方で「十七条憲法(604年)」は却ってその原型が当時まで遡る事が証明されつつあるが、それはむしろそこに謳われた「和(やわらぎ)を以て貴しと為す」「詔を承りては必ず謹(つつし)め」といった理想論が全く実践されておらず、現実は「人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う」なる陰惨な状況にあった事を意味すると考えられている。そうまさに左派陣営の一環を形成しつつドイツ帝国の戦争遂行に協力し、政敵抹殺の為にフライコール(Freikorps、ドイツ義勇軍)を招聘して平然とスパルタカス団や革命的オップロイテといった無政府主義派閥への大虐殺を敢行し、大統領内閣制への移行によってナチス独裁を準備した社会民主党SPD)だったからこそ「ヴァイマル憲法」なる美しい理想を掲げたのと状況は酷似しているという次第。

    *「怪談(Kwaidan、1904年)」に「耳なし芳一」を収録した小泉八雲も、あくまで当時の氏族戦争が本当にどこまでも陰惨で理不尽な内容だったからこそ安徳天皇や平家一門の悲劇が庶民の心に残ったとする立場に立つ。英国人も「(百年戦争の時代まで英仏の政局を振り回してきた大貴族連合が内ゲバによって自滅し、絶対王政への道が開かれた)薔薇戦争(1455年〜1485年)」を経験してきた立場なので、これが十分に理解できたという。その英国において最近「チューダー朝(Tudor dynasty、1485年 〜1603年)の絶対的正しさ」が疑われる様になる一方で、一時期は「ヒトラーの手本」と指摘されていたリチャード3世(Richard III、在位1483年〜1485年)の再評価が進んでいるのは実に興味深い。

 

さて、私達は一体どんな未来に向けて漂流しているのでしょうか?