諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【理性の勝利】対立陣営への手段を選ばぬ選挙妨害は人類に生得的に与えられた表現の自由の一環?

この考え方が正しいとしたら…

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考えてみれば「体制側の暴力は絶対悪、反体制側の正義は絶対正義」なる非対称的思考様式の大源流は、フランスの共和制への移行がブルジョワ寡占体制樹立に他ならなかった事に苛立ったジョルジュ・ソレル「暴力論(Réflexions sur la violence、1908年)」で、この著作に立脚する形で「レーニンの愛弟子ムッソリーニファシズム理論をまとめ、そこから「ええとこどり」する形でヒトラーのナチズムが成立するのですから、表層だけソレルを真似たらファシスト化やナチス化を免れ得ないのは当然の帰結だったりするのです。

 *ここでは「ナチズムがドイツにモラルハザードを起こした」 のではなく「(第一次世界大戦(1914年〜1918年)を契機に崩壊した)ドイツ帝国における(それまでのビスマルク宰相の植民地獲得を求めない政策を翻し)植民地獲得に積極的に打って出たドイツ皇帝とその取り巻き達の政策の是非を巡る政争が既にモラルハザードを起こしており、左翼陣営も内ゲバに明け暮れて処方箋を示さなかったのでナチスが漁夫の利を得た」という歴史的理解が重要。

  • ここで肝心なのは、マルクス(Karl Heinrich Marx、1818年〜1883年)が「経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」において展開した人間解放論、すなわち「我々が自由意志や個性と信じているものは、社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない(そして、その状況から脱却するには認識範囲内にある全ての価値観を否定し、手段を選ばぬ党争状態に突入せねばならぬ)」なる思考様式が共産主義国成立を可能とした科学的マルクス主義には継承されなかった事実を素直に認める事。
    *何も珍しい事ではない。例えば中華王朝も政権交代期には反体制側が孟子易姓革命論や「美刺説」を煽るが、政権奪取に成功して以降は厳しい弾圧に転じている。初代「欧州で最も危険な男」たるオーギュスト・ブランキも、諦観を込めて「革命家は勝利の栄光と無縁である。概ね政権交代の成功は新たな反体制派の弾圧の開始しか意味しない」と述べている。もちろんファシズムもナチズムもこの部分においては忠実に前轍を踏襲している。まさに「進めどナチス、引いてもナチス」のチエックメイト状態とも。

    *「美刺説」…春秋や詩経には編纂者である聖人孔子の思想が隠されており、その全ての記述には必ず発祥のもととなった史実があり、それらに対する毀誉褒貶が込められているという思想。この発想により中国古典はある種の預言書として利用される様になり、現政権批判の道具として用いられる様になった。ある意味、漢王朝を倒した「蒼天已死 黃天當立 歲在甲子 天下大吉(後漢書)」の世界。

  • その一方で科学的マルクス主義が自壊して権威主義の依り所としての役目を終えると、改めて「倫理判断が不完全な人類は、完璧な人工知能を発明するかガイア(地球の存続を支えてきたホメオスタシス機能)を再発見し、後は一切の判断をそれに委ねるべき」などといった主張が流行。要するに彼らは終始権威主義者(及びそれに対する盲目的追随者)の立場から離れる事はなかった。まさに彼らこそが元来は「マルクスの人間解放論」によって救済されるべき人々だったのかもしれない。

そして問題はいよいよ「対立陣営への選挙妨害は人類に生得的に与えられた表現の自由の一環」なる認識に立ち入っていく事になります。

*もちろん純粋に「正義の履行」を喜んでいるだけの情弱老人達は大歓迎。結局、戦後日本の「全体主義に傾倒した事への反省」なんて、本当にナチス台頭期のドイツ同様に形ばかりだったのかもしれない。

*この展開には従来の「左翼側の理性的な論客」も戸惑いを隠せない様である。

 *「最初から手遅れだった」説まで登場。

 *背景にあるのは「価値観相対主義は絶対悪」なる思想とも。

価値相対主義は絶対悪」…その発想はナチス台頭期ドイツにおいて社会民主党SPD)の権威主義体制化を諸手を上げて歓迎したカール・シュミッツが「政治的なものの概念(Der Begriff des Politischen、1932年)」の中で称揚した「敵友理論」であり、また「政治的には具体的な外交や経済上の施作に汲々とする愚者より(愚民の日常的営みを心から侮蔑し、外国人生力を的確に味方につけつつ)果てしなく内ゲバを仕掛け続け国民に対して大義名分を示し続ける賢人こそが最終勝者となる」なる理念に立脚する「福本イズムとその後継イデオロギー」でもある様です。
福本理論の眼目と歴史的意
福本イズムの復権

われわれ日本のインテリゲンチャは、独創性をほとんど持ち合わせないにもかかわらず、絶えず自己の独創性を意識しかつ主張するのである。したがって、このオリジナリティ主義は、明らかに自己認識不能の自己欺瞞症の露呈でしかないのである。自己の超越を含まぬ日本からの超越理論が生まれるのは、けだし当然なのである。

*背景にあるのはおそらく、絶対主義時代におけるフランスの新コルベール主義(Néocolbertisme)やドイツの官房学( Kameralwissenschaft)、アジアだと儒教における牧民主義にまで遡るエリート=ブルジョワ階層の選民思想。ドイツでは既に第一次大戦勃発以前からマックス・ウェーバーがその台頭について警鐘を鳴らしていましたし、むしろナチス勝利には「彼らを抑え込める唯一の勢力」として国民から選ばれた側面すらあったとも。

*「敵友理論」…カール・シュミッツは「政治の本質は国民に対して誰が敵か周知させ、一致団結させる事」とし、ここでいう「敵」の概念を規定している。「敵」とはすなわち実存的な他者・異質者であり、決して競争や討論の相手とはなり得ないから偏見の極みを持って全面的に抹殺を図らねばならない相手である。それは自己の存続を否定する脅威であり、逆に自己の存続をどこまでも肯定し同質化しつつ一緒に敵と戦ってくれる相手だけが「友」となり得る。そして政治とは、この友敵の峻別をどれだけ国民の先頭に立って主導し、どこまで彼らの自己の存続のあり方についての敵対性や同質性と同一視させ強化させ得るかであり、政治家がこの聖なる責務を放棄するなら国は滅ぶ。

福本は山川イズムを経済運動と政治運動との相違を明確にしない〈折衷主義〉であり,〈組合主義〉であると批判し,運動を政治闘争に発展させるためには,理論闘争によって,労働者の外部からマルクス主義意識を注入することの必要を説いた。

こうして全体像を俯瞰してみると「対立陣営への手段を選ばぬ選挙妨害は人類に生得的に与えられた表現の自由の一環と信じている人々」と、社会民主党SPD)が左翼陣営の内ゲバ解決の為に招聘し、好き放題殺し回らせたフライコール(Freikorps、ドイツ義勇軍)を起源とし、ドイツ国防軍の何倍もの人数と(資本家階層を味方につけた事による)装備の充実を武器にナチスによる政権奪取を後援した後に「長いナイフの夜事件(Nacht der langen Messer 1934年)」事件で解散を余儀なくされたドイツ突撃隊(SA)の共通性が浮かび上がってくるのです。

SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)もその主体は「60歳以上の老人達」で、日本共産党の機関紙「赤旗」にもそれとなく「過激行動を繰り返すうちに殉死者を出して反体制運動を加速させるのが主目的」である事を仄めかす記述があったといいます(韓国の反体制運動が次々と「デモ弾圧」による犠牲者を出して盛り上がっていた事に対する苛立ちの表明とも)。彼らにはどうやら、文化革命当時の紅衛兵の様に自分達が所詮は権力闘争における捨て駒に過ぎないという認識が全く存在してない模様。

 

 自伝・下放の日々

ああ、まさに日本は「(大間違いだった)近世以前の世界」に着実に回帰しつつある? とどのつまり「いざ鎌倉!!」の精神こそ先天的ナチス民族たる日本の大源流だったという見解が最終的勝利を収めつつある?

もちろん、こうした左翼論客やマスコミは「小池新党こそ安倍独裁を倒す」と60歳以上の情弱老人層に刷り込んできた責任を 一切とろうとしません。我々は果たしてどんな未来に向けて漂流しているんでしょうか?