映画「ワンダーウーマン(Wonder Woman、2017年)」は、物語の開始時点を(国家間の競争が全てとなった)総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)の起点でもある第一次世界大戦(1914年〜1918年)の頃に持って来ました。それ以前の時代と何が違ったのでしょう? 火薬が大量生産される様になり、戦争時における消費量も飛躍的に伸びたのです。
*「世界商品」としての火薬の台頭…そもそも百年戦争(1337年〜1453年)を介して英国とフランスを誕生させ、同様に「常備軍を領民からの徴税で養う近世国家」となったトルコのオスマン帝国とインドのムガル帝国に勝利をもたらした原動力でもあった。
1820年頃 チリのアタカマ砂漠において広大なチリ硝石の鉱床が発見され、安価なチリ硝石の大量供給によって火薬生産のボトルネックが解消され、火薬の生産が増加した。チリ硝石はまた肥料としても重要だった。
*これによって糞尿などを材料とする硝石丘を使った土硝法による伝統的硝石生産は全く姿を消す。その一方でチリ硝石の確保の戦略的重要性が急激に増した。1838年 フランスの生化学者アンセルム・ペイアン (Anselme Payen)によって植物繊維セルロース (cellulose) が発見された。地球上で最もありふれた炭水化物(多糖類)で、工業生産に当たってはコットンリンター、パルプ、玉蜀黍の茎など何でも原料になり得る。
*1991年、小林四郎らによってセルラーゼを利用した酵素触媒重合により初めて人工合成に成功した。
1832年 フランスのアンリ・ブラコノーが澱粉や綿などを濃硝酸に入れて暖めて溶解させ、水洗いすると強燃性の白い粉末が出来ることを発見し、これをキシロイジンと命名した。
1838年 フランスのテオフィル=ジュール・ペルーズが木綿、亜麻、紙などを濃硝酸で処理して可燃物質を作り、これをパイロキシリンと呼んだ。
1845年 スイスでクリスチアン・シェーンバインが硝酸と硫酸の混酸で木綿を処理して高硝化度のニトロセルロースを作り、火薬としての応用方を発見した。
1846年 イタリアの化学者、アスカニオ・ソブレロ が初めてニトログリセリンの合成に成功。出来上がった新物質を調べようと自分の舌全体でなめてみたところ、こめかみがずきずきしたという記録があるが、これは彼自身の毛細血管が拡張されたためである。爆発力がすさまじく、一滴を加熱しただけでガラスのビーカーが割れて吹き飛ぶほどの威力があり、ソブレロは危険すぎて爆薬としては不向きであると判断した。
1866年 アルフレッド・ノーベルがニトログリセリンを珪藻土にしみこませることで高性能爆薬であるダイナマイト(1866年)を発明し大量生産を行う。
*ダイナマイトは爆破力・安定性ともに非常に優れた火薬であり、このため工事現場や鉱石採掘に火薬が一般的に使用されるようになり、コリントス運河やシンプロン・トンネルといった難工事が可能となった。これによって「火薬王」となったノーベルは、その利益を元にし後にノーベル賞を創設。
1877年 L. Jousselin が初めてニトログアニジンの合成に成功。ただし火薬として使用されるようになったのは第二次世界大戦の頃から。
1880年 最初の実用火薬としてポール・ヴィエイユ(Paul Vieille)が開発。ニトロセルロースをエーテルとアルコールの混合液でゼラチン化したもので1886年までに(当時の陸軍大臣ブーランジェ将軍の頭文字から)B火薬と命名されて実用化される。
*19世紀後半から20世紀初頭にかけて真鍮製の薬莢が出現し,これによって105mm級以下の小口径の火砲は,可塑性の緊塞具を閉鎖機に装着しなくてもガス漏れを防ぐことができるようになり,また装薬を詰めた薬莢を弾丸の尾部に接続して一体の完全弾薬とすることによって弾丸装塡および発射速度を増大させた。もう一つの飛躍的進歩がこれで黒煙が出ない利点があり,無煙火薬と呼ばれることになった。
1887年 アルフレッド・ノーベルが無煙火薬のバリスタイトを発明。
*その後コルダイトと特許紛争となる。
1889年 より安定したコルダイトがフレデリック・エイベルとジェイムズ・デュワーによって発明される。
*それまでは木材を乾留した木タールを蒸留して少量を得ていただけの高価な試薬アセトン (acetone)を製造の為の溶媒として大量に必要とする。需要激増に応える為に第一次世界大戦中、ハイム・ワイツマンが砂糖などから得られたデンプンにバクテリアの1種クロストリジウム・アセトブチリクムを作用させるバクテリア発酵法を発明。これをイギリス軍に提供したのが契機となってバルフォア宣言(1817年)が出され、後のイスラエル建国が約束され、ワイツマンはイスラエルの初代大統領となった。第一次世界大戦(1914年〜1918年) ニトログリセリンの原料となるグリセリンは油脂の加水分解によって得られるが、爆薬として大量の需要が生じたため、発酵による大量生産法を各国が探索。中央同盟国側ではドイツのカール・ノイベルグらによって糖を酵母によってエタノール発酵させる際に亜硫酸ナトリウムを加えるとグリセリンが生じることが、連合国側ではアメリカで培養液をアルカリ性にすると同様にグリセリンが生じることが見出され大量生産されるようになった。
これもまた「量の鬱積」が「認識上の時空間の歪み=事象の地平線としての絶対他者」を召喚してしまった重要例の一つ。
そして、こんな銃が登場してくるのですね。
映画にも出たイギリスのエンフィールドライフルは、ボルト操作が早くできる銃なので連射がやりやすく、十連発マガジンもあってこの時代の銃では最大火力とか。早撃ちの様子はマッドミニッツって呼ばれていて動画にも。
— 時雨沢@キノアニメ毎週楽しみすぎる (@sigsawa) 2017年11月4日
意外とちゃんと映像化されてない気がする…「我々の知ってる第一次世界大戦」の常識に逆らうリアリティ不足が原因? ところが実際にはこうした連続速射の登場こそが当時の実際の歴史を動かしていたという次第。
そう、当時の各国家は火薬消費量の爆発的増大に戦慄しつつ恐る恐る戦争を遂行していたのです。最初にこの問題が表面化してきたのは米国の内戦であった「南北戦争(American Civil War、1861年〜1865年)」の頃とも。
南北戦争で出た莫大な戦死者たちは、われわれが勝利を得るために必要な対価だった。この流血により、われらのアメリカはより強固なものとなり、永遠に神聖化されるだろう。(ホレース・ブッシュネル) #nanboku
— 南北戦争名言bot (@nanboku_bot) 2017年10月25日
しかし、戦争技術も発達していない南北戦争で、南北合わせて50万人も死者を出したのは何故と言うかどうやったんだろう。
— 弥五左衛門 (@tera1062480) 2017年10月24日
第1次大戦の機関銃や毒ガスみたいに、攻撃・防御のドクトリンが出来る前に新兵器が登場しちゃってって事なのかねえ。部分部分しか齧ってないからよく分からないけど。
— 弥五左衛門 (@tera1062480) 2017年10月24日
*戦況的に圧倒的不利な南軍側から「(近代兵器を同じ文明人に向けない)紳士協定」を破り始めた結果、連射銃やガトリング砲が無制限に投入される展開に。
南北戦争 アメリカが経験した中では最悪の死者数を出した総力戦。戦争開始時点で北も南も準備ができてないってどういうことなの。まあ工業力と人口に加え意思決定の速さで北部が勝った。やっぱり数の暴力って素晴らしい。
— 偏見で語る戦史bot (@a6m5k_ko) 2017年11月9日
南北戦争時の北部人口2200万に対して南部人口900万(しかも半分以上奴隷)
— なんJアメリカ史部 (@NanJ_UShistory) 2017年10月25日
普通に考えて勝てるわけがないんだよなぁ
*もちろん当然北軍側もブレーキなんて踏まなかった。
ヘンリー M1860 まだ単発式の銃で当然の時代に颯爽と現れた脅威のレバーアクション16連発銃。南北戦争で高級品だけど自費で買った北軍兵士が射程以外は圧倒的な火力のキチガイ性能でどういうチート使ってんだよと南軍兵士をガチビビリさせた pic.twitter.com/XE8m2XIyzE
— 偏見で語る兵器bot (@heikihenken) 2017年11月10日
もし木を切るのに6時間あたえられたとしたら、私は最初の4時間を斧を研ぐことに使いたい。(エイブラハム・リンカーン) #nanboku
— 南北戦争名言bot (@nanboku_bot) 2017年11月6日
M1858
— 銃 紹介BOT (@Gunsbot) 2017年10月27日
1860年からレミントン社で製造され、南北戦争で活躍したシングルアクション・リボルバー。耐久性に優れ素早いリロードが可能だったことから、当時の軍で余裕のある者は、支給されていたコルトアーミーよりも好んで本銃を手にした pic.twitter.com/wvkTJ6I8vq
世界で初めて本格的な金属薬莢を採用したS&W モデル1を米軍向けに口径アップした銃で、南北戦争では兵士の携行銃として活躍しました。構造もシンプルで弾装がしやすく、連射も効くので使いやすいんじゃないかと思います。
— 滋埜:乾坤一擲 (@geno_jino) 2016年2月7日
「1861年南北戦争の最中、セールスマンのJ・D・ミルズがリンカーン大統領の前でユニオン・リピーティング・ガンと呼ぶ銃の実演を行った。この銃は単一の銃身で自動連射が可能な手回し式機関銃で1分間に最高で120発の連射が可能であった。」...手回しか
— アンブッシュ薬草 (@ambush_yakusou) 2013年11月18日
前装式小銃が主流だった南北戦争当時、ガトリング砲の持つ200発/分の連射速度は驚異的であり、1866年に軍によって採用される以前から、セールスエンジニアが戦場にガトリング砲を持ち込み、実際に敵兵(南軍)を撃って見せる実戦参加デモンストレーションが行われた。
— みーちぱ伊之助 (@4yearsagoman) 2016年6月1日
ひどすぎて吹く
アメリカ南北戦争の頃の武器はとてもおもしろくて、こんな武器もある。ゴーガス機関銃といって、スムーズボアバレル&パーカッション式というとんでも機関銃。銃用雷管の部分を「回す」ことで連射するというとんでも形式の機関銃である pic.twitter.com/vQtfEzGK8n
— Laughingstock (@Teslamk2t) 2015年4月25日
*海戦でも一大画期が。
アメリカ歴史博物館で見たこれ、たしか南北戦争時代の軍艦だけど、これに対して現代の対艦ミサイルはどれくらい対処できるのだろうか? pic.twitter.com/MO8UZx9eTf
— しみぽん㌠@シカゴ (@PON_Ph) 2017年10月24日
南北戦争で初めて装甲艦同士の戦いが行われたんだけど、当時の火砲では装甲にほとんどダメージを与えられず引き分けみたいな結果で終わってる
— ◢ たんそ◤ (@_CO2___) 2017年10月24日
*そして様々な変化が始まる。
超1)フェアネスを重視する騎士道や武士道は、いろいろなものの歯止めとして有効に機能していた。この歯止めを失った大きな転換点はアメリカ南北戦争での機関銃の対人使用にある。武芸の達人も素人同然の兵士が遠方から連射する機関銃の銃弾にはかなわないだろう。
— 須藤岳史 (@Artssoy) 2013年6月19日
南北戦争以降だかで度々兵器の調達で連射速度を上げるのは弾の無駄だからなんて話しが出てきて、毎度馬鹿だなぁって思うけど。自分の財布でハイサイクル&多弾マグで面制圧射撃とかやった後の消費量見ると青くなる。そら、後ろで命かかってないのは弾代気にするわと馬鹿に出来なくなった。 https://t.co/zrHogsD7qL
— みずさわ (@robamimi9hermit) 2016年11月10日
西部を象徴するものといえば「ガンマン」ですが、単純な話、銃を扱う者は誰でもガンマンです。フロンティアの住人で銃を扱う職業は概ね3種類に分けられます。1つ目は用心棒・2つ目はカウボーイ・3つ目は西部を放浪する何でも屋。ちなみに、ガンマンは南北戦争後に増えたと云われています。
— 狂気の暗殺者bot (@Assassin_D_bot) 2017年10月25日
[自由裁量]前線指揮官が、部下に状況に応じて、自由に行動することを許すことがあるわ。それはWW1での浸透戦術で、下士官が現場の判断で動いて、成功した例よ。でも明確な命令無しに動けない将軍もいて、南北戦争で、リー将軍はゲティスバーグで配下の将軍に自由裁量を与えて失敗しているわ。
— ねこうさぎと学ぶ戦史bot (@military_rabbit) 2017年10月25日
「ウィンチェスター銃73」千に一つの名銃の流転を軸に南北戦争直後のアメリカの点描と執念の復讐劇が紡がれるマン&スチュアート西部劇第1作。劇中ニ度あるウィンチェスター連射は見もの。特にクライマックスの岩山での決闘は素晴らしい。高低差を強調した構図もいい。随所にある漢の会話もいいぞ。 pic.twitter.com/YMHxxDxqJO
— 小玉大輔 (@eigaoh2) 2017年3月1日
南北戦争リエナクトメントで、戦場での外科手術~~(血とか手足はフェイクだよ)4年くらい前の写真
— きんぎょ🐠🐠🐠 (@kingyo_nemui) 2017年10月28日
戦場から1マイルくらいしか離れていないところにあったらしい…ミニエーこわい pic.twitter.com/O28UiQRdFv
人間は本質的に人を殺すことはできないという説の証明として南北戦争があげられるね。
— 殺人学(キロロジー)くん (@kirorozi1) 2017年11月6日
南北戦争の最大の激戦地、ゲッティスバーグの戦いで敵に向かってマスケット銃を発砲した兵は全体の25%と言われているよ。いくら相手が敵で自分が兵隊でも、人を殺すのは嫌だったんだろうね
*「想像上の宇宙開発競争の起点」もまたここ。
最初の航空写真は、南北戦争中に気球から撮影したもの
— ryourinin (@igosangogo) 2017年10月24日
[月世界旅行]ジュール・ヴェルヌの小説。南北戦争終結後のアメリカ合衆国で、火器の専門家集団「大砲クラブ」が巨大な大砲を製造し、人間の入った砲弾を月に撃ち込もうとする…
— moonAge (@moonAge_bot) 2017年10月24日
日本も「戊辰戦争(1868年〜1869年)」において連発銃が火縄銃を圧倒する場面を経験し「日清戦争(1894年〜1895年)」や「日露戦争(1904年〜1905年)」 で火薬消費量の爆発的増大に恐怖しました。
スペンサー銃 日本だと大河ドラマで有名なレバーアクション小銃。開発者がリンカーン大統領に軍への採用オナシャス!と直談判して量産してもらった。20万も納入させてもらうクッソ優秀な営業。従来の銃の10倍の連射速度で南軍をボコボコにした。 pic.twitter.com/vL4mleH6Eu
— 偏見で語る兵器bot (@heikihenken) 2017年11月1日
http://t.co/Aoua5vZ7 - ちなみに、八重(綾瀬はるか)が所持しているのはスペンサー・カービン。南北戦争を戦った名銃で、おそらく世界初の軍用連発ライフル。銃床内に7ラウンズのチューブマガジンを内蔵しレバーアクションで連射できる。
— HK15 (@hardboiledski45) 2012年12月30日
スペンサー・カービンは南北戦争当時、北軍の斥候部隊で使用された。複雑なメカニズムを持つためにタフネスに欠ける弱点はあったものの、軽快で取りまわしやすく、素早い連射が可能なのでCQBに最適だった。今の感覚でいえばアサルトライフルのようなものだ。#八重の桜
— HK15 (@hardboiledski45) 2013年4月28日
ライフルだ。新式銃かぁ・・薩摩はつえぇ・・山本覚馬・・スペンサー銃の登場やんかいさ。南北戦争が産んだ新しい兵器。南北戦争終結後余った銃の買い手は日本の大名(各藩)やった。最新式で高価やったけど連射可能な優秀な銃。会津で八重はコイツを手に薩長軍と闘うことになる #八重の桜
— goodlaughin(山口雅史) (@goodlaughin) 2013年3月24日
新潟港:旧幕府軍の武器弾薬が陸揚げされていた。オランダ製のライフル銃780丁を売ったときの証文。 南北戦争終結のあとだったで、あり余った世界中の武器が大量に日本に流れ込んだとか…。手回しで連射が可能な「ガトリング砲」も!
— 文道館(ネコだいすき) 語文セミロング (@bundoukan) 2011年7月3日
オタッキーな補足1・戊辰戦争は米南北戦争、プロイセン・オストリア戦争を経て、銃が先コメから、もとごめに変わったときです。つまり、火薬と玉を立ったまま詰め込むから連射になったとき。戦争は変化
— 石井孝明 (@ishiitakaaki) 2014年1月8日
RT長州の神社?靖国--軍の形を考える http://t.co/SkCQ0QT8dc
初代エンフィールドはクリミア戦争、アメリカ南北戦争、戊辰戦争、太平天国の乱、インド大反乱と世界の巨大な紛争にはだいたい登場する。この時が大英帝国の最盛期だからね。仕方ないね。
— 蒲生将五郎 (@ShogoroGamou) 2017年10月25日
*「連発銃が火縄銃を圧倒」…これは19世紀後半に急激に進行した「アフリカ分割」の過程でも見られた景色。それまで致命的疫病の蔓延と奴隷貿易の収益を注ぎ込んだ先込め銃の保有量によって欧米列強の進出を防いて来た黒人帝国群は、欧米の奴隷貿易廃止による経済的打撃によって小国への分裂を余儀なくされ、細菌学の発達によって疫病を克服した列強に分割統治される羽目に陥ったのだった。
かくして900万人以上が死亡し、欧州がそれ以前の経済規模まで復帰するまで半世紀近くを要した第一次世界大戦に向かう流れは(その領域外において)着々と準備されてきたのです。まぁ「我々がリアリティを感じ得る認識空間」の外側からその修正を迫るのが「事象の地平線としての絶対他者」の特性で、これもそれに分類される出来事?