諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】「君子豹変」が悪い意味でしか広まらなかった日本の反知性主義。

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周易」第49卦 の 解説に「大人虎変 、 君子豹変、小人革面(先駆者がイノベーションを起こしても、真のベテランは確実にこれについていく。三流の人間は分かった振りをするのみ)」とあります。何故かこのうち「君子豹変」の4文字だけが一人歩きし「インテリは状況に合わせて態度をコロコロ変えるから信用ならない」なる反知性主義的意味合いを帯びてしまった辺りに日本的伝統の限界が存在するとも?

 プログラミングの世界ではこういう話も。

COBOL(1959年〜)の様に「メインフレームオフコンで稼働する)事務処理用プログラムは文書として頭から最後まで素直にすっきり読み通せる事が重要」と考えられていた時代。要するにパソコン登場以前まで遡る。「構造化によるプログラム効率化の追求」自体はこの時代にまで遡る。

*1980年代はパソコンも主にMS-DOS(1981年〜)で動いており「コンソールにテキストで命令文を打ち込むかバッチ処理により稼働する」CUI(Character User Interface)が中心だった。「頭から最後まで素直にすっきり読み通せる事が重要」という考え方はこの領域でも最重要課題だったのである。
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Microsoft Windows 3.0(1990年〜)発表以降、次第にGUI(Graphical User Interface)の普及が始まり、それがオブジェクト志向言語で書かれていた事からプログラマーがそれを少なくとも参照ライブラリのAPIApplication Programming Interface)として学ばざるを得なくなっていく時代。「クラスと名前空間の区別ができない似非オブジェクト志向プログラマ」が量産される事になった契機。
NeXTSTEP 0S(1986年〜)のGUIライブラリ記述に採用されたObjective-C(1983年〜)や、Microsoft Officeアプリ上で稼働するVB Scriptや、CD-ROMアプリ向けオーサリングソフトや、HTMLハンドリング用スクリプトとして一世を風靡したPerl(1987年〜)などが入り乱れた過度期。「ハイパーメディアクリエイター」なる肩書きが通用した時代でもあった。

*そもそもWWW(World Wide Web)への実装によってインターネット普及に貢献し、同時に一気に広まった「Hyper TEXT=任意のNodeの任意のリンク網」概念そのものが「頭から最後まで素直にすっきり読み通せる事が最重要課題」なるプログラミング命題に大いなるブレイクスルーをもたらしたとも。

③2000年代後半以降のインターネット処理能力増大や(そこを流れる大規模データに滋養される形で急発展を遂げた)第三世代人工知能の台頭に後押しされる形で「オブジェクト指向並列処理言語」の重要度が高まる。コールバック制御による非同期処理の常態化が「革面の連続によってそれまでの変遷を乗り越えてきた似非オブジェクト志向プログラマー」にとって最大の難関として立ちはだかる。
オブジェクト指向プログラミングとは要するに終始「コンピューターのメモリ上を満たすの集合体で、各インスタンス・オブジェクトはクラス設計の段階で既にその外部や相互の関係が適切にカプセル化されている」といった内容であり続けてきたのだが、コールバック制御を多重に含む様になって「プログラムの文章としての可読性」は完全に失われ、むしろ古代より「働きかけるもの(術式=コンピューター言語)」と「働きかけられるもの(神=CPU)」と「(「働きかけられるもの」を介して)働きかけに応じるもの(世界そのもの=接続デバイス)」の三者関係を追求してきた「(密教やアラビア哲学やスコラ学といった)言語神秘主義神学」こそが足掛かりとして有用な時代へと突入したのである。

大体こんな風に理解しておけばOK?