諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

多様性から多態性へ② そもそも「正しい性知識」とは何か?

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そもそも「正しい性知識」って一体何なのでしょう?

 やはりこれも「それを宗教的・政治的・経済的に利用しようとする立場から(よしんば多様性は肯定したとしても)多態性は全面否定する」総力戦体制時代(1910年代〜1970年代)や産業至上主義時代(1960年代〜2010年代?)の残滓と見て取れます。要するにあらゆる概念を「人間を束ね、大きな運動の原動力に育てる元ネタ」として利用しようとするマーケッティング至上主義から、その邪魔しかしない「多態性」をついつい邪険に扱ってしまうという展開。
*まぁ「民族独立運動やマイノリティ支援は大好物だが、独立反対派や政治に興味がない(そこそこ現実の社会と適応出来てる)マイノリティに対しては生存権すら認めない」みたいなスタンス。

ここで思い出したのが「性に奔放な都会の若者達が田舎町や人里離れた僻地で因果応報で報いを受ける」スプラッタ・ホラー的基本構造の金字塔「 13日の金曜日(FRIDAY THE 13TH)シリーズ(1980年〜2001年、10作)」。
映画館に観客を呼び戻す為に「TVドラマが迂闊に手を出せない」エログロ路線を追求した結果ですが(その系譜はメジャー配給映画にドライブインシアターなどへの配給で対抗した独立系映画レーベルにまで遡る一方、今日の「従来のタブーを超えた」ネットドラマに継承される)ここで興味深いのが「殺戮対象に選ばれた」若者達が真っ先に熱狂的に喜んでしまった辺り。

 

LGBTQAの「A」は無性愛(Asexuality)なのですが、正直「多態性の存続を最優先課題と考える」第三世代フェミニストやLGBTQA層は「異性の撲滅を誓う同性愛者やフェミニスト」同様に「地上からあらゆる性表現を駆逐せよと主張する無性愛者」を持て余し、敬遠気味。

無性愛 - Wikipedia

こうして母集団から駆逐された(政治的利用価値があるという事で)どんどん味方に引き入れてしまうのがリベラル層の国際的悪癖だったりします。そして最後には一緒くたに「悪霊」扱いされる展開に。

 実際、両コミュニティの備えてる空気は完全に正反対。

以下の様なタイプも「来る者は拒まず(ただし去る者は宗教的・政治的・経済的理由から許さない)」立場からたしなめず。そりゃ自然と「蠱毒生成装置」に変貌してしまう訳です。

一方「多態性重視派」のコミュニティはまさしくカオス。なにせ「全員が納得のいくコンセンサス」の形成になんて誰も関心を持ってないのだから仕方がありません。 

*国際SNS上の関心空間に滞留する匿名女子アカウントの合言葉は「まず磨くべきはスルー技術」。新人がしばしば「どうして私の欲しいコンテンツをどんどん流してくれるアカウントに限って、私が見たくないコンテンツもどんどん流して来るの?」と嘆き「それは誰も貴方自身ではないから」と説教される場面がしばしば見受けられる。インフルエンサーマーケティングなんて絶対に成立しない世界。だからしばしばマネタイズ面で行き詰まってしまうという話もある様ですが。

まぁこうしたPixivの在り方が海外のDevianArtやPinterestにも感染して国際SNS上の関心空間における基本的空気が形成された側面もあるのは否めません。
*でも「真の数の暴力が使える見込みが立つと動く」辺り、単なる人格者や人道主義者でもない。どのアカウントにも投稿回覧数を伸ばしたい欲はあるので「マジョリティが本当に不快に思うコンテンツ」は自然淘汰されていっていしまうのである。そこで意外な切り口が残ったりするのが醍醐味とも

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ちなみに、国際SNS上においてデイヴィッド・ホックニー好きつながりでとあるGAYアカウントと相互フォロー関係になった事があるのですが、その時に実感したのが「私はデビッド・ホックニークロッキーに残したぽっちゃり系中年男性は審美可能だが、実物は全然駄目」という事でした。リブログの傾向でその事はちゃんと相手に伝わっていたと思いますが、双方ともノーコメント。まぁこういうのが国際SNS流共存術という次第なのです。
*ちなみにそのGAYアカウントは、2011年前後にJUNE系っぽい耽美派腐女子(Slash)アカウントの「汚いホモ狩り」に引っ掛かってアカウント削除。加害者側の耽美派腐女子アカウントも他の腐女子(Slash)アカウントに狩られて全滅。当時の国際SNSはそんな風に荒んだ修羅場でもあったのである。

 以前にも指摘した通り「各アカウントを学習素子(Node)とする機械学習効果」を認める向きもある様な空間なので 「興味本位の性情報」がバラ撒かれてもそれだけに終わらない感があります。もちろん、こうした動きが「正しい性知識」への到達を意味するかというとそんな筈もなく、集団行動を好む女子アカウントが次々と生み出す「共感の共有」も別の方向に向かう事が多い様なんです。

その一方で男子アカウントは国際SNS上の関心空間を上手く使って多態性を獲得する事に失敗し続けている? サブ垢に至っては「おっぱいにはじまりおっぱいにおわるリンク網」とか形成するばかりだし。しかも「各アカウントを学習素子(Node)とする機械学習効果」もなんとなく鈍くスピード感に欠ける…

現代の野生ゾウと同様に、氷河時代のマンモスの若い雄も単独で行動する傾向があり、雄は雌に比べて川に落ちたり、氷を踏み抜いて落下したり、沼地や陥没穴にはまったりなどの危険な状況に陥るケースが多かった可能性が高いと、研究チームは主張している。このような場所で絶命した個体の骨は数千年もの間保存されるのだという。

一方で、群れで行動していた雌の場合、群れを率いる年長の雌のリーダーが地形を熟知しており、仲間の雌たちを危険から遠ざけていた。

もしかしたら生物学的制約なの? 流石はダーウィン進化論における「性淘汰」仮説での「選ぶ側の性」だけある?