「誰もがネットで繋がる時代」は20世紀末に想像され恐怖された様に「誰もが融合して大同化するディストピア」こそもたらさなかったものの、それまでなかった新たなタイプのコミュニケーション空間を提供する事になったのでした。
「学校裏サイト」が大問題だと声高に唱えて脅しつけて青少年が見るサイトをフィルタしろってのを進めた時代がありましたねぇ。学校裏サイトって、ただの掲示板やSNSだったよね。また「自殺者のための裏SNSが!」というズレた話が始まるんだろうかな。ちょっとヌケた県レベルが主導するくらいの感じで。
— 未識魚 / 中川譲・C93日-東ヤ37a (@mishiki) 2017年11月10日
座間の事件を受けて、ネットは怖い、知らないひとと会ったりするんでしょ? と語るタクシーの運転手さんが、昔の文通は良かったですよ、私も高校のころやってて、相手が10人にもなってね、○○(東海地方の地名)まで会いに行ったり……と言っててどう答えたもんかというところで目的地に。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2017年11月10日
もし、相手が言いたくないことをしつこく聞くような人がいたら、それは満たされていない人間だと思って間違いない。相手が自分より劣っていること、低いことを見つめることで、自分の中の不安をまぎらわそうとしているのである。
— 加藤諦三bot @心理学 (@katotaizobot) 2017年11月10日
美容室に置いてある雑誌に地獄のような企画が載っていた pic.twitter.com/hp2eVMsO2k
— スラガ (@ledger711) 2017年11月8日
こんな1234の配置見たことない…こわいこわい… https://t.co/4JHl7KL4vV
— 創元推理文庫旧装丁bot (@OldSogenBot) 2017年11月9日
まぁ「接続相手が信用ならない可能性」に関する歴史は遥か昔にまで遡る訳ですが、インターネットの全国レベルでの普及以降はそれが遂に個人単位になったという事かもしれません。
さて私達はどちらに向けて漂流しているんでしょうか?