諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【見えざる手への不信感】「社会自由主義の対語は古典的自由主義ではなく社会進化論や科学主義?」

そういえば世間には「欧州における左翼と右翼は政治的区分(共和派 VS 王党派)起源だが、米国における左翼と右翼は経済的区分(「見えざる手(invisible hand)」を信じ「小さな政府」を理想視する古典派 VS「見えざる手(invisible hand)」を信じず「大きな政府」を理想視するケインズ派)起源」なんて通念も存在する様です。

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市場経済の自動調節機構をいう語。経済活動を個々人の私利をめざす行為に任せておけば「神の見えざる手」により社会全体の利益が達成される、というアダム=スミスの経済社会思想を示す語。

緩慢なインフレを継続させることにより、経済の安定成長を図ることができるとするマクロ経済学の理論を喧伝(けんでん)、もしくは政策に取り入れようとする人々のこと。

リフレーションとは再膨張の意で、経済学的には景気循環においてデフレーションから脱却してマネーサプライ(通貨供給量)が再膨張し、加速度的なインフレーションになる前の段階にある比較的安定した景気拡大期を指す。リフレ派の主張は、政府・中央銀行が数パーセント程度の緩慢な物価上昇率インフレターゲットとして意図的に定めるとともに、長期国債を発行して一定期間これを中央銀行が無制限に買い上げることで、通貨供給量を増加させて不況から抜け出すことが可能だとするもの。

リフレーション政策は、古くはマクロ経済学のうち新古典派に属する人々によって提唱された。金融政策・財政政策によって、デフレから脱却しながらもインフレの発生を最小限にするというものだが、世界恐慌の現実の前には有効性を提示できず、後に近代経済学を体系的に確立したケインズらによる経済学派が当時の主流となった。主に公共投資の拡大で有効需要をつくりだし、投資を波及的に増大させるというケインズ学派の主張を基礎とする政策は、資本主義経済の延命と再生に奏功したが、膨大な財政赤字や、慢性的なインフレ、失業などの深刻な禍根を残した。以降、不況下のインフレというスタグフレーションの進行などによって、各国の経済政策は変更を迫られた。

2008年のサブプライム問題などに端を発する世界不況の広がりなどから、日本も内外需要が低下、消費の縮小や輸出の減少などが生じた。この結果、景気低迷が長引き継続的な物価の下落でデフレに陥った。12年に成立した第2次安倍内閣が、これに対する有効打として掲げた経済政策が「財政出動」「金融緩和」「成長戦略」による「アベノミクス」であり、その理論的支柱がリフレ派の理論であるという。リフレ派の論客として知られる岩田規久男学習院大教授が日銀副総裁となるなど、日銀法改正をにらんだ人事が注目されている。

不況脱却は衆論の一致するところで、「アベノミクス」には、小泉内閣による構造改革で削減された公共工事に関連する者などからの大きな期待が寄せられている。しかし、リフレ派の論拠である「デフレが不況の原因である」との主張に異を唱え、デフレは不況の結果であるから金融政策は有効性を持たないとする意見もある。また、インフレの先行は、経済的弱者を直撃して貧困を招き格差を拡大するとの懸念があり、たいした乗数効果のない公共工事財政赤字を招くだけで、過去に破綻した陳腐な経済政策の焼き直しだと、厳しく批判するアナリストもいる。
(金谷俊秀  ライター / 2013年)

しかし実際に実在したのは実は「世界恐慌(1929年)からの回復期、多様性と多態性を尊重する自由主義スケープゴートに仕立て上げる事で全権を握った社会自由主義=自ら「私が自由である」と宣言した反自由主義的で絶対王政的な強権体制」だけで、この方法論が第一次世界大戦(1914年〜1918年)による徹底破壊の痛手から世界が回復した1970年代までかろうじて社会通念として存続した」という歴史だけなのかも。

リベラルを語る上で重要なことは、科学的社会主義の登場によって古典的自由主義が大きく変容したことであると思う。社会主義の登場によって自由主義の政治的解放の限界が指摘され、私有財産には人間の人間からの疎外があることが明らかにされた。市場経済は万能ではなく搾取の構造があることが暴かれることになった。人間本来の自由とは共産主義革命によって達成されるという考えも生まれた。

しかし、20世紀後半には共産圏の衰退が起こり、社会主義思想の持つ矛盾もまた明らかにされ批判的に乗り越えていくことが必要となった。社会主義は必ずしも人間の自由や解放をもたらさず、東側陣営の経済も停滞して崩壊した。だが、東側陣営が崩壊したからといって、社会主義が提起した問題が解決されたわけではなかった。貧困や搾取の問題は解決せず、現代日本もブラック企業問題に悩まされている。地球規模では環境問題や人口問題、貧しい国を周辺とする世界システムの構造格差などが、資本主義の発想では解決が困難な課題として表面化している。

ここで必要とされる思想は単なる古典的自由主義への回帰であってはならず、社会主義思想が批判した古典的自由主義の問題点を乗り越え、さらに社会主義思想の問題点を乗り越えるものでなければならない。リベラルとはこのような問題意識に立ち、古典的自由主義社会主義の挑戦→社会主義の退潮の中で陶冶されていった自由主義思想であると言える。ここには修正資本主義や中道左派を中心に第三の道が模索されてきた影響も無視できない。リベラルはこのようなアウフヘーベンから生まれた思想である。

この考え方に従うなら社会自由主義の大源流は2つある事になります。一つはロシア革命(1917年)によって成立し「計画経済を成功させたソ連の実践した「科学的マルクス主義」。そしてもう一つは「ソ連の経済的成功」にあやかろうと1930年代アメリカでフランクリン・ルーズベルト大統領が実践したニューディール政策(New Deal)が立脚した「ケインズ経済学」。

外交では、善隣外交政策(ぜんりんがいこうせいさく)というのをとりました。貿易の拡大を期待してソ連の承認。ソ連は1922年に成立していたんですがアメリカは認めてなかったんですね。しかし、「貿易が拡大する可能性があるなら」と1933年にソ連を承認したんです。また、それまで保護国としていたキューバの独立を認めたり、ハイチやニカラグアからの海兵隊も引き上げさせます。つまり、それまでの威圧的ともいえる外交からやや友好的な外交へと方向転換していったのですね。

さて経済的なピンチを乗り切るために出されたニューディール政策。しかし、皮肉なことに大恐慌の最終的な解決となるのは政策ではなく戦争であったといわれています。そうアメリカの第二次世界大戦参戦ですね。これにより軍需産業が拡大。多くの労働力が必要とされ、生産活動は刺激を受けることになるのです。

結局全ては「(多様性と多態性をがもたらす)見えざる手(invisible hand)に対する不信感」にあったと考えると全体像がすっきりしてくる様です。そして科学的マルクス主義ケインズ経済学も衰えが見えてきた1970年代以降、社会自由主義は今度は(その絶対主義的権威主義を維持する為に)「あらゆる差別の撤廃」を大義名分に掲げる様になるのです。

“差別問題”というのはキリがありません。差別に反対し、実際に反差別運動に熱心に関わり、自らの無自覚な差別性をも克服する努力をどこまで続けても終わりがないんです。

華青闘告発を普通の意味で受け入れて反省してしまうと、「反日武装戦線」に志願するか、中途半端なところで妥協してPC左翼になるしかないんです。

こうして全体像を俯瞰してみると、全ての発端は「社会自由主義の対語は古典的自由主義」なる誤解に振り回されてきた事にあった気がしてきます。なにしろ社会自由主義者は別に古典的自由主義者を直接叩いてきた訳ではないのです。ただ自らの権威性を維持し続ける為、対立勢力の全てを一緒くたに「社会進化論者(Social Darwinist)」や「科学主義者(Scientismist)」として叩いてきただけで。よりによって「政治とは敵を見出して対立軸を構成し、味方陣営に統合を強要する技術である」としたカール・シュミットの「敵友理論」に基づいて。しかもこの概念を敵として叩きながら自らの本質として取り込んでいった側面すら見受けられるから始末に負えません。

社会進化論(Social Darwinism) - Wikipedia

元来は自由主義的立場から出発したが、適者生存・優勝劣敗という発想から強者の論理となり、帝国主義国による侵略や植民地化を正当化する論理になったとされる。その一方で、共産主義もまた社会進化論パラダイムに則っていた。現にカール・マルクスダーウィンに進化論が唯物史観の着想に寄与したとして資本論の第一巻を献本している。マルクスは、あくまで社会進化論が資本主義の存続を唱う点と一線を画し、資本主義自体が淘汰されると説いた。
*この過程で科学的マルクス主義は米国のテイラー主義を導入しつつ「我々が自由意思や個性と信じ込んでいるものは、実際には社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない(本物の自由意思や個性が獲得したければ認識範囲内の全てに抗え)」としたマルクスグノーシス主義的(反宇宙的二元論)で無政府主義的な人間解放論から「解放」されていく。

エルンスト・ヘッケルは国家間の競争により、社会が発達していくという内容の社会進化論を唱えた。 ゴルトンは、人為選択(人為淘汰)によって民族の退化を防ぐために劣った遺伝子を持つものを減らし、優れた遺伝子を持つものを増やそうという優生学を提唱した。これは、人種差別・障害者差別の正当化に使われた。日本においては明治時代に加藤弘之穂積陳重らによって社会進化論が紹介され、優勝劣敗を説く論理として社会思想に大きな影響を与えた。またその自由主義的な性格から「進歩的思想」として受け止められ、自由民権運動にも影響を与えた。
*かくして訪日したイザベラ=バード女史(Isabella Lucy Bird, 1831年〜1904年)が「日本奥地紀行(Unbeaten Tracks in Japan、1878年1880年)」や「朝鮮紀行(Korea and Her Neighbours、1894年〜1897年)」の中でアイヌ人や朝鮮人の滅亡可能性を示唆する展開を迎える。アメリカにおけるインディアン虐殺もこの立場から擁護された。

また本来社会進化論的観点から言及されたものではなかったが、ニーチェ思想が与えた影響も無視できない。ルサンチマン、超人、力への意志といった概念であるが、遺稿『権力への意志』は妹エリーザベトの反ユダヤ主義による恣意的な編纂の面が大きい。これらは後世のナチズムによって原義とは違った解釈がなされ、優生学的政策の他、ドイツの「生存圏」を拡げ維持する理論として展開された。
*実はナチズムがドイツ国民から熱狂的支持を受けたのは普仏戦争(1870年〜1871年)敗戦によって傷付けられた民族的自尊心の保障としてフランス民族主義者がヴェルサイユ条約(1919年)における過酷な戦争賠償金やルール占領(1923年)を熱狂的に支持した反動という側面もあった。かかる「滅ぼされかけた者には、相手を滅ぼし返す特権が与えられる」なるイデオロギーに基づく氏族戦争(Clan War)的報復合戦こそカール・シュミットの「例外状態」「敵友」理論やナチス支持の起源であり、かつ1970年代以降の社会自由主義の大源流で、まさしく「リベラルのナチス化」の本質という展開。

ところでハンガリー出身の経済人類学者カールポランニーは、第一次世界大戦に敗れ解体に追い込まれたハプスブルク帝国の王党派が速やかに(帝政復活を志向する)王党派の立場を脱却して(かつてハプスブルク帝国の一部だったイタリア王国ファシズムやワイマール共和制下のドイツで生じたナチズムに陶酔する)新手の国粋主義者へと変貌していく様を目の当たりにしたせいかこんな言葉を残しています。「進歩主義者とは有意な回析結果より有意な処方箋を導出して実践しようとするとする現実主義者の集まりの筈なのに、いやむしろだからこそしばしば過去の計算結果の数理的美しさに陶酔するあまり気がつくと時代の変遷から目を背ける様になっていて、ただの守旧派に堕している。一方、自らが生き延びる事自体を最優先課題と考え、状況観察を一瞬たりとも怠らない保守派は、確かに彼らの観察から得られる数理的回析結果こそ常に支離滅裂なのだが、それにも関わらず現実に寄り添って進む行動主義者であり続ける限りこうしたジレンマから自由であり続けるのが恐ろしい」。まさしくヘルムート・プレスナーが「ドイツロマン主義とナチズム、遅れてきた国民(1935年)」の中で述べた「ドイツの既存の社会学者や政治学者が俗流民族生物学(Ethnobiology)に敗北していくプロセス」そのもの。

方法論争 (社会科学) - Wikipedia

かくして総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)に突入した世界においてはそもそも「右翼=王党派」「左翼=共和派」なる区分そのものが意味をなさなくなり「(現実の政治問題や経済問題を解決する意欲を喪失した)進歩派=自由主義者の無力」と「とにかく行動し続ける事で大衆の支持をつなぎとめ様と試み続ける保守派の躍進」の対比が表面化し、かつ後者が前者を圧倒していく展開を迎えたのです。そして…

*「神は問題の解決手段の全てを人間の認識可能な範囲に置いてくださる」なる敬虔な信念から出発した米国プラグマティズムPragmatism)は、「神はこの世界を創造しただけで以降の発展は人類の理性が支えてきた」と考えるフランス理神論(Deism)や、「我々が自由意思や個性と信じ込んでいるものは、実際には社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない(本物の自由意思や個性が獲得したければ認識範囲内の全てに抗え)」と考える(フォイエルバッハ神学の発展形としての)グノーシス主義(反宇宙的二元論)的で無政府主義的なマルクスの人間解放論とまとめて「解放の神学」と呼ばれる事がある。こうした思考様式は皮肉にも、その出発地点であった筈の敬虔さや大衆救済願望から離れると、容易に社会進化論(Social Darwinism)や科学主義(Scientism)に堕してしまうのである。

そもそもホームズ判事とは何者か?

*要するに最近の日本のリベラル層は「社会進化論VS社会自由主義」みたいな伝統的対立図式に思い当たらず両者をごっちゃにした結果「治安維持法(1925年)は運用する側にっとっての善、運用される側にとっての悪」 みたいな相対主義ニヒリズムに陥ってしまったのかもしれない。それはまさに「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマそのもの、1930年代日本において軍国主義者と社会主義者が共闘を誓った「容易く絶対主義に陥る自由主義思想の暗黒面」への転落に他ならない。

そもそも「今や左派こそ権力者」という考え方も。

*ここで改めて繰り返す。ナチズムの重要な大源流の一つが「(普仏戦争(1870年〜1871年)敗戦によってその民族的自尊心を損なわれ、高額な賠償金支払いによって経済的実害も被った)フランス民族主義者のルサンチマンに満ちた差別(ヴェルサイユ条約(1919年)における多額の戦時賠償金請求やルール占領(1923年)といった実際行動を伴った)との戦い」であった事を。そしてもう一つの大源流が(科学的マルクス主義が放棄したマルクスの人間解放論への回帰を志向し)「現代における階級闘争は支配階級の上からの権力(フォルス)と、被支配階級の下からの暴力(ビヨランス)との闘争であり、後者こそが世界を救う創造的な力である」としたソレル「暴力論(Réflexions sur la violence、1908年)」の乱暴な読み替え、すなわち(カール・シュミットの「敵友」理論に基づく)「組織化された暴力(ビヨランス)の権力(フォルス)に対する無限闘争こそ絶対正義」なる理念だった事を。

さらには「見張りを誰が見張るのか?」なるジレンマも浮上。

要するに盲目的に「ええとこどり」を続けたら最後はみんなナチス化してしまうという事なのかもしれません。それでは以降の時代に「(「とりあえず最も有望そうなな数理に全てを委ねてみる」進歩主義の本命としての)科学実証主義的人文科学の復権」は成立したのでしょうか? むしろ重要なのはそういう話…
人工知能研究は第二世代まで人間中心主義の拘束下にあったが、第三世代以降は純粋数理の追求にその軸足を移す。これが必ずや人間疎外を引き起こすと警告するのが「2045年のシンギュラリティ(技術的特異点)問題」の基本的態度。ある意味「進歩主義社会自由主義の対立構図」の復権…この構造においては「とりあえず最も有望そうなな伝統に全てを委ねてみる」保守主義は裁定者の恣意的判断によって敵にも味方にも分類され得る事になる。

さて私達はどちらに向けて漂流しているんでしょうか?