前々から言ってるけど、これ、男の方がオツサンだったら、もっと泣ける話になってた。
— 伊藤ヒロ@「女騎士さんジャスコ行こうよ」 (@itou_hiro) 2018年1月3日
冴えないオッサンと田舎の女子高生の話だったら、10倍泣ける話になってて、そして売り上げは100分の1になってた。
ブサイクなオッサンが女子高生と入れ替わって、もうオッパイとか揉みまくりなワケ。
— 伊藤ヒロ@「女騎士さんジャスコ行こうよ」 (@itou_hiro) 2018年1月3日
ところが、もとに戻ってみると、汚かったアパートが掃除してあって、ラップのかかった料理に『お野菜も食べましょう』みたいなメモが添えてあって、「ああ、俺はなんてひどいやつなんだ」と泣きながら食べるワケよ。
その一方、田舎のJKの方は、入れ替わったオッサンのおかげで助けられてて、だからこそ感謝で料理とか作ってるってわけ。
— 伊藤ヒロ@「女騎士さんジャスコ行こうよ」 (@itou_hiro) 2018年1月3日
つまり、オッサンもJKも、自分の知らなかった自分自身の価値を知る、という話になるの。
こういうのどうだろ?
いや、売り上げ、100分の1じゃ済まないか・・・。
— 伊藤ヒロ@「女騎士さんジャスコ行こうよ」 (@itou_hiro) 2018年1月3日
1000分の1くらいかな?
何たる発想の貧困…何たる自己卑下…どうしてここで「さらにレギュレーションを上げ、あえて冴えない田舎臭いオッサンに惹かれる洒落た都会女のラブストーリーを描いたら世界中が祝福するカップルが生まれ、売り上げがそれ以上になってしまった恐るべき実例」が思い当たらないの?
Queenie and Jacob by PatPaige - Random Allusions
Percival Graves Trash - Queenie/Jacob || you’re so beautiful [x] Burning...
それでは世界中の女子をこんなとんでもない物語に巻き込むのに必要だった要件とは一体何だったのでしょう?
- 一切の選択は完全にヒロイン側の個人的自由に委ねられねばならない。まさしく原作久住昌之・作画谷口ジローの漫画「孤独のグルメ(1994年〜)」の名台詞「モノを食べる時は誰にも邪魔されず自由でなんというか救われてなきゃあダメみたいなんです。 独りで…静かで…豊かで…」の通りに。
孤独のグルメ - Wikipedia
- 次いでヒロインがその人物を選ぶ納得のいく理由が掲示されなければならない。このケースにおいては「ヒロインは(自分の意思に関わらず)相手の心が読めてしまうアビリティの持ち主」「これまでアメリカ人の心根の浅薄さを見せつけられてきた彼女にとって「アメリカにおいてパン屋として成功する事しか考えててない」移民の純朴かつ真摯な心境は実に新鮮だった」という流れだけで既に数え役満状態を達成。
*その一方で彼女は主人公ニュート・スキャマンダー(エディ・レッドメイン)の内面に不穏な影を感じ、彼にはあえて近付かない。こういうエピソードの積み重ねこそが次回作の展開を重厚なものにしていくのである。
結論。「世間の非情さに打ちのめされ、希望をなくして自暴自棄状態に陥ったオッサンやオバサンに向こうから希望が押し掛けてくる展開なんて、やはり有り得ない」でOK?