諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

20世紀は遠くなりにけり③ 「20世紀までの伝統」の終焉過程についての一考察

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 20世紀前半の文献にしばしば散見される「マルクスフロイト主義」なる表現。全ての発端はこれだったとも。

  • 1859年にはカール・マルクスが「経済学批判要綱(Grundrisse der Kritik der politischen Ökonomie、執筆1857年〜1858年、出版1859年)」を出版。そこで「我々が自由意思や個性と信じ込んでいるものは、実際には社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない(本物の自由意思や個性が獲得したければ認識範囲内の全てに抗え)」なる基本テーゼが示された。
    *「経済学批判要綱」出版を後押ししたラッサールはさらに「既得権の体系全2巻(Das System der erworbenen Rechte、1861年)」の中で「初め人間はこの世の全部が自分の物だと思い込んでいたが、次第に漸進的にその限界を受容してきた。例えば神仏崇拝とは神仏の私有財産状態からの解放に他ならず、農奴制が隷農制、隷農制が農業労働者へと変遷していく過程は農民の私有財産状態からの解放に他ならず、ギルドの廃止や自由競争の導入も、独占権が私有財産の一種と見做されなくなった結果に他ならない。そして現在の世界は資本家と労働者の富の収益の再分配はどうあるべきかという問題に直面する事になっている」とし、こうした漸進主義が社会民主主義の出発点となる。大英帝国の様な「夜警国家( Nachtwachterstaat。国家は外敵の侵入を防ぎ,国内の治安を確保し,個人の私有財産を守るという必要最小限の任務だけを行い,それ以外の公共サービスは全て自由放任状態に置くべしとする自由主義思想)」、貧富格差やトラストの放置を「社会ダーウィズム(Social Darwinism)」によって正当化した南北戦争(American Civil War、1861年〜1865年)終戦から世紀末にかけての米国などが対極として意識された。

  • 19世紀前半のオーストリアにおいて「今後は自然科学的な知のみを体系化すべきであり、それによって哲学は不要になる」としたモレスコット、フォークトやルートヴィヒ・ビューヒナーらの「俗流唯物論(vulgar materialism)」。19世紀後半には、これに対抗する形でヘルマン・フォン・ヘルムホルツが当時の感覚生理学の研究成果を援用し「知覚の内容はその主観的諸条件に依存する」とし現象(独Ding 、英Thing)と物自体(独Ding an sich、英Thing-in-itself)を峻別するカントの超越論的哲学を再評価した(新カント主義)。こうして自然科学のようないわゆる「経験科学」が「物自体」を直接認識可能とする独断論が批判対象とされる様になった上に19世紀末には精神分析学者フロイト夢分析を通じて「無意識や超自我の発見」に成功。ようやく「人間の心」を実証科学の対象とする場合の基本姿勢が固まったのだった。

    *サド侯爵は自らの加虐的性癖を正当化する為に18世紀フランス啓蒙主義の中核をなした「機械論的唯物論(Mechanical Materialism)」や、当時のフランス有識者の間で賛否両論だったマルサス人口論(An Essay on the Principle of Population、初版1798年)」を援用。「人間が刺激に反応する機械に過ぎない以上、入出力の極限を見定めようとするのは科学実証主義態度」「(フランス王統ブルボン家オーストリア皇統ハプスブルグ家の外交革命(独Umkehrung der Allianzen, 仏Révolution diplomatique, 英Diplomatic Revolution、1756年)が産んだ平和は、人口急増とその反動としてのフランス革命ナポレオン戦争を誘発した。こうした悲劇を避ける為に領主が領民を適切な頻度で間引くのはノブレスオブリージュ」とした。この思考様式は巡り巡って吸血鬼や狼男といった怪物の行動原理に採択されていく展開を迎える。

    フロイト神経症理論、すなわち「自らの内なる邪な衝動を無意識下に閉じ込めつつ、完全にそれに従って行動する神経症的人格は、皮肉にもそうした自己欺瞞の試みが成功に近くと内的破綻の恐怖からそれを回避しようとする」なる思考様式もまた多くの「悪役」に投影される展開を迎えたのである。その典型例がドイツ表現主義映画やアメリカン・ニューシネマにしばしば見受けられた「息子に自己矛盾を暴露されただけで自滅していく強権的父親」像となる。

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ここで興味深いのが、こうしたドロドロとした思考様式がカソリック文化圏、絶対王政時代フランス、ハプスブルグ帝国といった旧文化圏から発祥しているという点。
*日本でいうと江戸幕藩体制の風紀取り締まりが「触手責め」「男の娘」「(物陰から絶えず強姦の機会を狙っている)エロ妖怪」といった諸概念を生み出していった時期に該当。要するに「罰があるから逃げる楽しみが生じてしまう」のである。

1990年代から2000年代にかけては「(大仕掛けほど喜ばれた)20世紀的Love Story」から「(その忌避から始まる)21世紀的Love Story」の端境期だったのかもしれません。

後者について国際SNS上の関心空間上では「まったく日本のアニメ漫画GAMEさえありゃ、もうマリファナ煙草も麻薬もいらねぇや」とまでいわれています。

この過程で何かの「純度」が恐ろしいまでに引き上がった感あり?

その「大人な雰囲気」の正体、実は「公民権運動に黒人が勝利したのを契機とする黒人搾取映画(Blaxploitation)やカンフー映画といった非白人の活躍する映画の大ブーム」、特に監督を辞めプロデューサーに徹底したロジャー・コーマンが手掛けた「残酷女刑務所(1971年)」「ビッグ・バード・ケイジ(1972年)」「女刑務所/白昼の暴動(1974年)」の三部作を嚆矢に東映ピンクバイオレンス映画元祖「女囚さそりシリーズ(1972年〜1973年)」などのバリエーションを国際的に生み出した「女囚映画(WOMEN IN PRISON MOVIE)」辺りが元祖。ちなみに後者には学生運動に破れ鬱屈した若者達の間でカルト的人気を博した「日活ニューアクション(1968年〜1971年)」の衣鉢を継いだという側面もあったのです。

しかしながら1980年代に入ると商業主義的背景もあって表面上は「青春グラフティ系ミュージカル」に刷新されてしまう展開を迎えます。
*「青春グラフティ系ミュージカル」…大映ドラマを通じて日本のお茶の間にも浸透。

同時進行で「家父長的権威主義の衰退」なる膿の排出が遂行され「大人の世界」は「歴史の掃き溜め」送りに。キーワードは「大人への叛逆から厨二病」「(エロティズムの権威主義からの脱却を鍵とする)エロゲーの世代交代」辺り。

*「権威主義的エロティズム」の自認とそれからの脱却過程…まさしくつかこうへい脚本「蒲田行進曲(初演1980年、深作欣二監督による映画化1982年)」における銀ちゃんとヤスの関係。これに対して日本女子は「伊賀の影丸けっこう仮面の拷問シーンにハラハラして密かに付箋を挟む」横山光輝/永井豪段階を経て「男に強制されないと性に向き合えない」レディースコミック段階を通過して「自らの内面に潜む暴力性と生涯向かい合って暮らす覚悟を決めた」魔法少女段階へと進化して世界中の女子にある種の規範を示し、その結果「白馬の王子様」の需要が急減する展開を迎えたのであった。

*そして21世紀に入ると国際SNS上の関心空間にアニメキャラの全裸幼女の抱き枕写真をアップして「我が夫となる者はさらにおぞましきものをみるであろう」と豪語する匿名女子アカウントまで現れる。日本発の「早乙女乱馬」や「高坂桐乃」や「柏崎星奈」といったキャラクターは、世界中の女子に受容されていく過程でこんな不可逆的変化まで国際的に引き起こしてしまったのだった。

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新井詳「中性風呂へようこそ(2007年)」より

どうして父親は娘から嫌われるのか?

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①昭和型マチズモ
*1978年当時の子供達の憧れはTVや漫画の不良で、みんな真似してた。子供にとって大人とは「何をしても痛がらない存在」で、虐め方も「言葉・力・人数の統合芸術的虐め」。「今の方が精神を傷付ける言葉を使うので昔より過酷」というが、当時は至る所で喧嘩が行われて鋳たので目立たなかっただけ。「子供は喧嘩するもの」と思われていた。

  • 男も女も「(不潔さ、ペチャパイといった)性別的弱点」をモロ出しにするのが「人間味溢れる演出」として流行。

  • 中性的な人やオカマを酷く嫌う。オカマは大抵不細工に描かれ、迫られて「ギャー」というギャグが頻発。

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  • 美形でお洒落な男は大抵気障で鼻持ちならない役。

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②バブル世代特有の(トレンディドラマ的)「男の幸せ」「女の幸せ」のくっきりしたキャラ分け。
*「そんなに男が女より強くて偉くて選ぶ権利がある世界の女ってすっごくつまらない」「なら男になった方がマシ」とか言い出す

  • 恋愛決め付け論「女の人生は男で決まる。御前も何時かいい男をみつけて可愛がってもらうんだぞ」
  • 美男に否定的「ヒョロクテ弱そうな男だ。女みたい」
  • 処女崇拝「(飯島愛を指して)こんな風になったらオシマイだぞ! 傷モノになるなよ!」
  • 母づてに聞かされる「新婚早々、浮気されて苦労したのよ。お父さんもなかなかやるでしょ?」
  • ホモやオカマを極端に嫌う(これ男? 気持ち悪っ!!)
  • 役割決定論「ボタンつける練習するか? 将来彼氏につける練習に…」

要するにどちらも1960年代までは確実に全国規模で根を張っていた(家父長権威主義を含む)戦前既存秩序の残滓。1990年代以降には通用しない。

こうした展開の背景には国際的に60年代前後に一斉蜂起した「大人社会に反抗する若者達」 が親世代となり、独特の保守化を遂げた事があった様なのです。

私は1982年生まれで、子どもの頃、周囲には「不良」と呼ばれる人たちがたくさんいました。『スラムダンク』や『幽遊白書』など当時の人気マンガも、多くの主人公が「不良で乱暴者」というキャラ設定でした。その不良がモテなくなったというのはどういうことなのでしょうか。
*そして「不良少年」がいたから「不良少女」もいたのである。

戦後、最もワルかったのは「新人類世代」

そもそも、不良はどれくらいいるのでしょうか。警察庁の「少年の補導および保護の概況」という資料をみると、警察に検挙・補導された非行少年が該当年齢1000人あたりで毎年何人いたのかがわかります。なお14~19歳の「刑法犯少年」は検挙、10~13歳の「触法少年」は補導です。

資料によると、刑法犯少年が戦後最も多かったのは1983年頃でした。ちなみに、校内暴力事件の発生件数もこの年にピークを迎えています。この頃10代だった世代は、ちょうど今の40代後半から50代前半です。時代によって少年非行の取り締まりの強化度は変化するでしょうし、戦後間もない頃はそれを取り締まる余裕が警察にもなかったとも考えられますが、それらを度外視すれば、今、40代後半~50代前半のいわゆる「新人類世代」は「戦後最もワルい10代を過ごした世代」と言えそうです。

これはその時代の感覚ともあっているはずです。実は、刑法犯少年の数がピークを迎えた1983年は尾崎豊が『15の夜』でデビューした年でもあります。言い方を変えれば、彼は戦後最も10代がワルかったこの年に、盗んだバイクで走り出した、ということなのです。

その後の推移に目を向けてみると、「子ども調査」が開始された1997年あたりからもう一度、非行少年が増加した山が見られます。この頃にはテレビドラマの影響でバタフライナイフが中高生に大流行し、社会問題として大きく取り上げられました。(ただし、実際にこの頃増加した少年犯罪は傷害ではなく万引きなどです)。

そしてその後、非行少年は一貫して減少し、現在は毎年、戦後最低を更新し続けている状況です。不良という言葉の範疇には、罪を犯していない少年も含まれるはずですが、その中核となる非行少年がここまで減少しているとなると、不良と呼ばれる子どもの数全体も以前と比べてかなり減っているはずだと推測できます。

敵だった大人がソフト化した結果、子どもは逆らい続ける必要がなくなった

一体、不良はどこに行ってしまったのでしょう? そもそも、なぜ80年代前半や00年前後の子どもたちはこんなにもワルかったのでしょうか。それを読み解く視点の一つとして、子どもと大人の関係性の変化があげられます。

以前の大人は、子どもにとって自分たちが反抗すべき相手、敵でした。例えば尾崎豊の大ヒット曲、『卒業』では、自分たちを支配しようとする大人への不信感や、彼らに対する反抗心が明確に歌われています。自分たちを力づくで押さえつけようとする親や先生に対して、年頃を迎えた子どもが抵抗するという図式が、以前は典型的だったわけです。

では、今の子どもたちにとって、大人はどのような存在なのでしょうか。博報堂生活総研が実施した「子ども調査」のデータで、20年間の変化を見てみましょう。

まず、この20年の間に、大人は以前に比べて非常にソフト化していったことが分かります。不良が多かった20年前、1997年の調査時点ではまだ子どもの2割、1クラス35人の中で6~7人は先生になぐられたことがあったのですが、今ではほぼゼロです。両親にぶたれたことがある子も、20年前は母親からは8割、父親からは7割いましたが、今回の調査で初めて半数を下回っています。

その一方で、「自分の話を、お父さんやお母さんはよく聞いてくれる」という子は一貫して増加し、8割を超えました。いつも子どもを力で押さえつけ、それゆえに反発されていた大人は、少子化が進行する中で子どもを手厚くケアするようになりました。多くの大人が、よほどのことがない限り子どもに手をあげず、その代わりにしっかり対話するようになっているのです。

子どもが親から手厚くケアされていることを象徴する光景は、家庭訪問調査でも見ることができました。実は子どもたちが家庭内で多くの時間を過ごす場所は、この20年で子供部屋からリビングに変化してきているのですが、調査で訪れたほとんどの家庭のリビングには、子どもたちの小さい頃の写真や絵、工作、賞状が並び、親にきちんと見守られていることが具現化された場所となっていました。


もちろん、子どもが非行に走る要因は一つではありませんが、不良が世の中から姿を消した背景には、敵だった大人がソフト化した結果、子どもは逆らい続ける必要がなくなった、ということが大きく影響していそうです。実際に、大人のソフト化と連動して、子どももソフトになってきています。

エンターテイメント業界にとってはネタ不足に悩む厳しい時代の到来とも。まさしく「罰がないから逃げる楽しみも生じない」状態…