諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「シェイプ・オブ・ウォーター」見てきました①【崖の上のポニョ】【生命の泉】げに恐ろしきは変態性欲?

まぁ感想第一弾はネタバレ抜きで穏便に過去投稿のおさらいを交えつつ。

https://68.media.tumblr.com/031cea5329d8643aae73f59f5f28e126/tumblr_ok9gu0N9Qo1s1v3r1o1_r1_540.gifhttps://68.media.tumblr.com/10c4d4a32233602705ce800ebfbb83c1/tumblr_ok9gu0N9Qo1s1v3r1o2_r1_540.gif

そう、この物語について語るには、まず「そもそもカイジュウとは何だったのか?」すなわち「カイジュウのカタチの歴史」を遡らねばないのです。

ゴジラ第一作(1954年)」も「大アマゾンの半魚人(Creature from the Black Lagoon、1954年)」も、おそらく当時「有機物中に含まれる炭素14(14C、放射性同位体)の存在比率を基準とする放射性炭素年代測定(radiocarbon dating)の世界において、1952年から水爆実験が始まった1950年代はBP(Before PresentもしくはBefore Physics)基準の原点と規定され、これに関連するニュースが巷を賑わせた」のをインスピレーション元として誕生したと推察される。
*それまで「古代生物の化石は、それぞれどの地層から出土するか」「そもそも年代と地層はどう対応するか」なんて科学的話題がメディアを賑わす事はなかった。

またさらに当時の水中撮影技術の進歩の影響も受けている。
*そもそも第二次世界大戦後にはスキューバダイビング器材の普及発達と、優れた性能の水中カメラの開発にがあったのである。そしてさらに「アマゾンの半魚人」シリーズは「3D映画」を標榜していた。

写真家のパイオニアルイ・マリーオーガスト・ボータンが1899年に撮影したこの写真は、まぎれもない世界初の水中写真だと言われている。

f:id:ochimusha01:20180302083740j:plain

この写真に関する詳細を正確に突きとめるのはかなり難しい。確かなことは、写っているのはルーマニア海洋学者で生物学者のエミール・ラコヴィツアで、前述のルイ・ボータンによって、1899年に南フランスのバニュルス=シュル=メールで撮影されたということだ。今から118年前のことである。撮影されたのは水深50メートルの地点だったという。ルイ・ボータンは1893年に初めて水中カメラを発明した。この年に彼が何枚か水中写真を撮っていることは間違いないので、これも1893年に撮影されたという説もあるが、この水中写真は彼が水中用ストロボ装置を開発した後のものと思われるため、やはり1899年の撮影だろう。

一方、世界初の水中カラー写真は1926年、ナショナルジオグラフィックのカメラマン、チャールズ・マーティンと魚類学者のW・H・ロングリー博士が、アメリカ、フロリダ州ドライ・トルトゥーガス諸島の沖で撮影したホグフィッシュという大型の熱帯魚を撮影したものだ。

f:id:ochimusha01:20180302083906j:plain

*写真の商業利用が始まるのが19世紀後半、「007 サンダーボール作戦(Thunderball、原作1961年、映画化1965年)」の様な水中アクションを売り物とするカラー・スペクタクル映画が登場するのが1960年代。そこに至るにはこうした前史が存在したのである。ちなみにポルノ業界に国際的に「水中セックス」なるジャンルも生まれている。

*007シリーズ原作者のイアン・フレミングはそもそもカリブ海沿岸での生活に強烈な愛着があったので、そこでのスキューバ・ダイビングの流行を見逃す筈もなかったとも。

そしてもちろん、どちらの作品も「文明の影響が及んでいない地域で、生きた化石が神として崇められている」秘境探検物のイメージを残酷な精神が支配した1930年代向けにリニューアルした「キングコング(King Kong、1933年)」の影響を受けている。

RKO特撮映画「キングコング(King Kong、1933年)」 - Wikipedia

キングコングは映画監督のメリアン・C・クーパーが考案した。クーパーは6歳の時にゴリラに魅了され、1899年に叔父からポール・デュ・シャイユの『赤道アフリカの探検と冒険』という本をプレゼントされた。この本にはシャイユがアフリカで出会った先住民や動物のことが記されていた。クーパーはシャイユが描いた「特別サイズ」で、先住民から「無敵」「アフリカの森の王」と呼ばれたゴリラに魅了された。シャイユと先住民がゴリラに遭遇した際、彼はゴリラを「地獄の夢の怪物」「半人半獣」と記した。こうした描写は、クーパーに冒険への強い憧れを抱かせた。

成人したクーパーは映画業界に進出し、『The Four Feathers』の撮影の際にヒヒの家族と遭遇した。この出会いは、クーパーに霊長類を登場させた映画の構想を練るきっかけを与えた。1年後、クーパーは「恐ろしいゴリラの映画」を撮影するためにRKOに移った。「ゴリラが高層ビルの頂上で飛行機と戦う」というアイディアは、ニューヨークライフビルの上空を飛行する飛行機を見て思いついた。クーパーはこれについて、「私は思考の意識的な努力なしに、頭の中にビルの頂上にいる巨大なゴリラを思い描いていました」と語っている。また、クーパーはコモドドラゴンにも影響を受けており、恐竜型のドラゴンとゴリラを戦わせたいと考えていた。この間、彼は「近代文明に敵対する巨大な半人型ゴリラ」の構想を固めていた。

映画の構想が固まった後、クーパーはゴリラを「悪夢の怪物」として創造することを望み、彼のメモには「ゴリラの手足は蒸気ショベルのように固く、その周囲は蒸気ボイラーのようです。これは百人力の怪物ですが、もっと恐ろしいのは顔です。血みどろの目、ギザギザの歯が厚い毛の下に隠された半人半獣の頭部」と記されている。ウィリス・オブライエンは、クーパーの構想に基き、ジャングルのヒロインとハンターを脅かす巨大なゴリラの油絵を描いた。しかし、オブライエンとマルセル・デルガドがアニメーションを製作しようとした際、クーパーはゴリラの顔を半人ではなく完全なゴリラにするように指示し、オブライエンは観客の感情を引き付けるために人間的な顔にするべきと反発し、デガルドに「顔をほぼ人間にする」と指示した。さらに、オブライエンは人間的な機能も加えるように指示したが、最終的にはトーンダウンし、デザインを妥協した。最終的に完成したデザインはゴリラのような姿だったが、ゴリラの解剖学的な特徴の幾つかは、デガルドによって除去されていた。オブライエンは1915年に製作した『The Dinosaur and the Missing Link: A Prehistoric Tragedy』に登場した恐竜の特徴や動きをゴリラの動きに応用し、彼はこの恐竜を「キングコングの先祖」と述べている。また、クーパーはゴリラがニューヨークのシーンで直立し、より威圧的に見えるようにすることに同意した。

クーパーは「コモド島」「コディアック島」「コダック」など、「K」から始まる強い響きの言葉を好んだ。彼は巨大ゴリラの映画を構想していた際、コンゴから本物のゴリラを取り寄せ、コモドドラゴンと戦わせたいと考えていた。コモドドラゴンに興味を抱いたのは、友人のダグラス・バーデンがコモド島を旅行してコモドドラゴンと出会った経験を聞いたためである。

クーパーがRKOで映画の構想を練っていた頃は、このゴリラは「ビースト」と呼ばれていた。プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックは、映画のタイトルとして「Jungle Beast」を提案したものの、クーパーはキャラクターの名前を決定した後に、その名前をタイトルに付けようとしていた。クーパーは、ドラキュラやフランケンシュタインの怪物のような「神秘的でロマンチック、そして野蛮な名前」を考えていた。RKOはタイトルの候補として「Kong: King of Beasts」「Kong: The Jungle King」「Kong: The Jungle Beast」をクーパーに提案した。しかし、ルース・ローズが脚本を書き上げた頃、クーパーはタイトルをシンプルに「コング」にしようと考えていた。これに対して、セルズニックは以前に製作した『Grass』『Chang』のようなドキュメント映画と混同されると危惧し、タイトルに「キング」を加えて「キングコング」と命名した。

*実はフランス人映画監督ジャック・ターナー/ジャック・トゥールヌール(Jacques Tourneur, 1904年〜1977年)が手掛けたRKO40年代サスペンスを代表する「キャット・ピープル(Cat People、1942年)」「キャット・ピープルの呪い(The curse of the cat people、1944年)」も設定としては同種の構造を有するが、こちらはユニバーサル・モンスター系の怪物譚と異なり「超自然現象が本当に起きていると確信が持てない」心理サスペンス性を中核に据えた展開。アメコミ・ヒーロー「ブラック・パンサー(Black Panther、1966年〜)」の大源流とも考えられるが、いずれにせよそこに登場する「特定の猛獣を崇拝し、シャーマニックな手段でその威力を継承しようとする秘密結社」の崇拝対象は、発祥地域によって豹(中国から東南アジア、インドから中央アジアアラビア半島、アフリカまで、幅広く分布)、ジャガー(メキシコから南アメリカ中部辺り)、ピューマ/クーガー(北は北米大陸のロッキー山系最北端から南は南米大陸南端のパタゴニア平原にかけて)と変化する。

そして1950年代以降は「(核実験の影響で)巨大化したり覚醒したりした怪獣」がブームとなったり、英国ハマー・プロがユニバーサル・モンスターズをカラー・リメイクしたりしながら1970年代まで推移。

毎年ハロインの季節が巡ってくる都度、相応の形でリヴァイヴァルを繰り返してきたユニバーサル・モンスターズ。ところで、その出自を確かめてみると…
http://screenrant.com/wp-content/uploads/universal-monster-movies-reboot.jpg

  • 「オペラの怪人(The Phantom of the Opera:1925年)」に登場する「怪人」は「オペラの世界での成功を夢見る女優」に身勝手でストーカーまがいの狂気じみた独特の形で片思いをする。ある意味「歪な恋愛ロマンス物」の嚆矢とも。
    http://cinema.cornell.edu/Spring2013/images/phantomoftheopera.jpg
  • そして「魔人ドラキュラ(Dracula:1931年)」「女ドラキュラ(Dracula's Daughter、1936年)」「夜の悪魔(Son of Dracula:1943年)」に登場するドラキュラ伯爵は(バイロンをモデルとする)ロマン主義的英雄の成れの果てが悪役視されるに至った嚆矢。
    *そもそもが「領主が領民や領土を全人格的に代表する農本主義的権威体制」や「人間の命の平等を認めない」貴族主義の象徴。この意味合いでは領主が全領民をゾンビ化して使役していた「恐怖城ホワイト・ゾンビ(White Zombie1932年)」やハマー・プロ制作の「吸血ゾンビ(The Plague of the Zombies、1966年)」も同ジャンルに分類される。
    http://www.fact.co.uk/media/27266822/28.jpg
  • フランケンシュタイン(Frankenstein、1931年)」「フランケンシュタインの花嫁(Bride of Frankenstei、1935年)」に登場するフランケンシュタイン博士とその被造物たる「怪物」は、それ自体が19世紀ロマン主義文学代表作の著名な落とし子の一つ。科学主義の時代に悪役視されるに至るマッドサイエンティストの嚆矢。
    http://image.toutlecine.com/photos/f/r/a/frankenstein-1931-09-g.jpg
  • 「ミイラ再生(The Mummy、1932年)」「ミイラの復活(Mummy's Hand、1940年)」「執念のミイラ (The Mummy's Ghost(、1944年)」は、1921年に世界的な話題を呼んだツタンカーメン王墓の発掘を題材とした原作小説を持たないオリジナル・シリーズ。「悪役」は前者では「禁断の恋に落ちて永遠に死ねない呪いを掛けられてミイラ化された古代エジプト時代の高僧」、後者では「ミイラを操るカルナック高僧」となっており、どちらも「悲恋の相手の生まれ変わりとの無理心中(輪廻転生の周期を完全同期させる死と再生の儀式)」の実現に執着するという点で一応「歪な恋愛ロマンス物」の枠内に収まっている。
    *ちなみに「執念のミイラ」は「悪役側」勝利に終わる珍しい恐怖物。
    https://horrorpediadotcom.files.wordpress.com/2013/02/mummy_1929_07.jpg
  • 「透明人間(The Invisible Man、1933年)」は、完全に他人から不可視となる薬品の研究に入れあげたマッドサイエンティストが、その副作用で次第に発狂していく物語。科学主義時代なりに再編されたロマン主義英雄のバリエーションとも見て取れる。
    *映画版にはさらにマッドサイエンティストのフィアンセが登場。恋愛ロマンス的要素が追加されている。
    http://livedoor.blogimg.jp/hooper666/imgs/4/6/46f1b0e2.jpg
  • 「倫敦の人狼(Werewolf of London、1935年)」「狼男(The Wolf Man、1941年)」…ヘンリー・ハル主演。当時ベストセラーとなったガイ・エンドア「パリの狼男(The Werewolf of Paris、1934年)」を下敷きとするが、この作品「虐殺が日常化していたパリ・コミューン期のパリを舞台に、人殺しを重ねる狼男が逆に「人間の方がよっぽど罪深くないか?」と聞き返してくる」という当時の映画倫理基準では到底映像化不可能な内容だったので「自分が無意識下で殺人犯へと変貌してしまう恐怖」に内容をシフト。これはこれでロマン主義文学の名残を残す。当然恋愛ロマンス要素も加味。
    *ある意味RKO40年代サスペンスを代表するフランス人映画監督ジャック・ターナー/ジャック・トゥールヌール(Jacques Tourneur, 1904年〜1977年)が手掛けた「キャット・ピープル(Cat People、1942年)」「キャット・ピープルの呪い(The curse of the cat people、1944年)」の大源流とも。
    https://encrypted-tbn1.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSqX8WRQOtNaBXAMAF8IBkWawJtWZL57w7_zDWmSVQyifAdmeTc

そう、最初から人間ではなかった「大アマゾンの半魚人(Creature from the Black Lagoon、1954年)」「半魚人の逆襲(Revenge of the Creature、1955年)」「The Creature Walks Among Us(1956年)」には、他の怪物の様な「歪な恋愛ロマンス性」とか「自らの行動が次第に制御不可能となっていく心理サスペンス性」など盛り込み様がなかったのである。その代わり(「キングコング」のラストを「美女が殺した」の一言で締めさせた様な)当時横溢していた傲慢な人間中心主義(Humanism)に従って「怪物が美女に魅了され自分のものにしようとするのは当然」「(最終的には失敗せざるを得ないが)怪物も人間を至高の存在と認め、それを模倣したり、人間そのものになろうとしたりするのは当然」といったコンセンサスの強要が鼻を突く流れに。

こうした観点から「カイジュウに込められた思いの原典」を読み解いた作品としてニュージーランド出身のピーター・ジャクソン監督の手になる「キング・コング(King Kong、2005年)」が挙げられる。

 そしてこれ…

まぎれて「美女と野獣」が執拗に叩かれてますが、ここで人魚が人喰いの怪物で人間らしい知性もほとんど見せないまま恋愛ロマンスが成立する「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉(Pirates of the Caribbean: On Stranger Tides、2011年)」を思い出す人はいないの? まぁ尾鰭は乾くと人間の足に化けちゃいますが…

そして「崖の上のポニョ(2008年)」。ポニョの母親から「娘が一生魚の姿のままだったとしても添い遂げますか?」と問われ、一瞬のためらいもなく綺麗な目で「はい」と答えた宗介の変態エリート性について…

そして監督当人談…

 まさしく「げに恐ろしきは変態性欲(by 藤原カムイ」の世界…