諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ジャック・ラカン】【ハイデガー】【言語ゲームの地平線としての絶対他者】「理論上、既にヒトラー安倍とナチス自民党は終焉済み」?

これまで難解だから忌避してきたジャック・ラカン精神分析論…

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疾風怒濤精神分析入門:ジャック・ラカン的生き方のススメのレビュー

「すべての人は神経症者、精神病者、倒錯者(+自閉症者)にいずれかに分類され、「健常者」というものは存在しません」...ここは、スペクトラムの考え方そのものです。カウンセラーとしてお話しを伺っているクライアントさんのことを思い出しても、もちろん私自身をふり返ってみても、しっくりきます。

「記号はそれ自体で指示対象と一致するので、単体でも機能します。これに対し、シニフィアンはそれ自体としては意味を持っておらず、意味作用(シニフィカシオン)が生じるためには他のシニフィアンと連接される必要があります」...ここでは、「私は他人が嫌がることをします」という文章(シニフィアン)が、誰の口から発せられるか(他のシニフィアン)によって意味が異なってくる、と説明してくれます。...これは、企業さんでやっているコミュニケーション研修でお話ししていることにつながっていきます。このシニフィアンの話しから、鏡像関係、<他者>としての母親、<他者>のシニフィアンの集積としての無意識から...「(精神)分析の場においては、言語を意味によって使用することを中断し、言語のシニフィアン的性質が現れることが目指されます」とつなげる流れは、すんなりと入ってきます。

母の[法]とそれへの従属から抜け出すための父の[法]、「母親の重要な役目は、なんらかの父の存在を認めて、「世の中には<法>があって、お前もその中で生きなければならないんだよ」と子どもに理解させる役割がある」としながら、エディプス・コンプレックスの3段階への説明、『去勢』から『ファルス』へ、ここからファルスの存在(ある)から所有(もつ)へ、そして「ファルスを<持とう>とすると、欲望が母親そのものから解放され、より広い対象に向っていく」という発達の説明への展開も見事です。

 ジャック・ラカン(Jacques-Marie-Émile Lacan、1901年〜1981年) - Wikipedia

ジャック=マリー=エミール・ラカン(Jacques-Marie-Émile Lacan、1901年〜1981年)は、フランスの哲学者、精神科医精神分析家。フランスの構造主義ポスト構造主義思想に影響力を持った精神分析家として知られ、フロイト精神分析学を構造主義的に発展させたパリ・フロイト派のリーダー役を荷った。また、フロイト大義派(École de la Cause freudienne)を立ち上げた。

フロイト派や自我心理学に反対した。アンナ・フロイトの理論については、フロイトの業績を正しく継承していないとして批判し「アナフロイディズム」と呼び、「フロイトに還れ」(仏:Le retour à Freud)と主張した。
*アンナ・フロイトの主張する「正統派」人格心理学(personality psychology)は、メラニー・クラインら対象関係論(Object relations theory)の叛逆も招いてきた。

  • 初め高等師範学校で哲学を学ぶが、転学しパリ大学に移り、そこで医学を学ぶ。卒業後は、精神科医として働いていたが、徐々にフロイト精神分析学に傾倒していった。さらに、アレクサンドル・コジェーヴヘーゲル講義などに参加(ジョルジュ・バタイユも参加しており、当時友人であった。ちなみに、バタイユは、当時女優をしていたシルヴィア・バタイユと結婚生活を送っていたが、1933年には別居していた。シルヴィアは、ジャック・ラカンと愛人関係となり、1938年に2人の間には女児が生まれた。1953年にラカンはシルヴィアと正式に結婚した)、パリ精神分析協会に所属し、同協会の会長に選ばれるが、会長就任後、同協会に内紛が生じ分裂した。1964年に自ら「パリ・フロイト派」を立ち上げた。だが、同派も結局1980年に解散することになった。1981年8月に大腸癌の手術を受けたが、縫合部が破れて腹膜炎と敗血症を併発した。同年9月9日にモルヒネを投与されて亡くなった。ラカンの最後の言葉は、「私は強情だが・・・消えるよ。」だった。
    *確かに「文学者」バタイユとセットで語られる事が多い。

  • 20年以上にわたりセミネール(セミナー)を開き、「対象a」「大文字の他者」「鏡像段階」「現実界」「象徴界」「想像界」「シェーマL」などの独自の概念群を利用しつつ、自己の理論を発展させた。セミネールの開催場所は、当初はサンタンヌ病院であったが、後にルイ・アルチュセールの計らいによって、パリ・ユルム街の高等師範学校となった。参加者には、ラカン派の臨床家だけでなく、ジャン・イポリット(哲学者、ヘーゲルの専門家)、フランソワ・ヴァール(スイユ社編集者)などもいた。基本的には「語る」人であり、あまり「書く」人ではなかった(つまり、セミネールで語ることを中心とし、初期の博士論文を除いてまとまった著作を書くことをしなかった)。それは、声や身振りを欠いた表現では、自分の考えが正確に伝わらないと思っていたからである。ラカンは、セミネールをテープレコーダーで録音することをも拒否していたが、録音する聴衆があまりにも多いので、受け入れざるを得なかった。

    不安のセミネールについて

  • 生前の著書として『エクリ』(Écrits、「書かれたもの」の意)があるが、この『エクリ』も時期を異にして発表された論文の集積であり、その多くは口頭発表の原稿である。なお、『エクリ』は邦訳が刊行されているが、原書より難解であるとの指摘がある[3]。また、ラカンの弟子たちは、セミネールを出版するべく努力したが、なかなか師匠であるラカンを満足させる水準を満たすことができなかった。しかし、最終的には、ジャック=アラン・ミレール(ラカンの娘婿で弟子)が編集した『精神分析の四つの基本概念』が、ラカンの許可を得て出版された。

  • 『エクリ』はその難解さにも拘らず、フランスで20万部以上のベストセラーとなった。ラカンの死後、ラカンの草稿・原稿類の管理は、ジャック=アラン・ミレールが行っている。2001年になって、『エクリ』に収録されなかった論文を集めた『他のエクリ』(Autres Écrits)が出版された。近年になり、未公刊だったセミネールの内容が、順次公刊されつつあり、日本での邦訳も進みつつある。

アルチュセールはある時期まではラカンの業績を非常に高く評価していた。のちにラカンの娘婿となるジャック=アラン・ミレール(ラカンをして「唯一私のテクストの読み方を知っている人物」と言わしめた)はもとアルチュセールの学生であったが、ラカンの講義を受けてはどうかとアルチュセールに助言されたことがきっかけで、ラカンに接近することに。

これまで自分の構築してきた世界観との接点を見出せないでいました。まぁ言説の端々が興味深く、気にはなってたのも事実なんですが、いかんせん難解過ぎたのです…

全体像を俯瞰するに、おそらく一番肝心なのは「それまでフランス思想界を席巻してきた〈実存主義〉や〈マルクス主義〉を乗り越えようとする多様な試みの共通の符牒となった」という部分。その為にどういう部分がどう役立てられたのか? こういう観点からなら、例えばカール・ポランニーの経済人類学のそれと並列的に扱う事が可能かもしれません。

ちなみにこれまでの私のジャック・ラカン理解を基礎付けてきたのは、例えば以下の様な文章だったりします。

911夜『テレヴィジオン』ジャック・ラカン|松岡正剛の千夜千冊

ラカンは世界のあれこれの情報の中から“最も大事な類比関係”を摂取しつづけた編集的独学者だった。

【人間は、ランガージュの構造が身体を切り分けることによって思考しているのです】

いうまでもないけれど、ラカンを有名にさせたのは、「無意識はひとつのランガージュとして構造化されている」というテーゼだった。

ランガージュとはもともとは言語活動一般をさす。が、ラカンがいうランガージュはもう少し厳密で、独創的だった。すなわち、ここでいうランガージュは、誰かが何かを言語を用いて「話す」ことではなくて、任意の寄る辺なき誰か(主体)のことが、他者たちによって「話される」という言語活動なのである。そして、それが当人の無意識をあらわす根源的なランガージュそのものにあたっているということなのである。

つまりは、ラカンのいう無意識は「他者の語らい」としての無意識なのだ。自分の中にだけにある無意識ではなく、他者たちとともにある無意識なのだ。これはいささか意外なことだろう。けれどもラカンは、そう考えた。

では、無意識が「他者の語らい」のなかにあるとすると、どういうことになるのか。ここからは、ちょっとややこしい。

そもそも自己としての誰かは、いつも自分で自分のことを語っているつもりになっている。しかしながら、自分のことを語ろうとすればするほど、そのランガージュはいつまにか他者を語っている。なぜなら自己というものは、もともと他者との比較においてしか芽生えない。

一方、他者は他者で勝手なことを語っている。けれどもその「他者の語らい」は、ラカンによれば、自分のことを語っているらしいという他動的なランガージュの印象になる。これをいいかえれば、そこには「語られている他者としての自己」にこそ無意識があるということになる。さあ、そうするとどうなるか。

自己と他者の“切り分け”の具合にのみランガージュとしての無意識があるということになる。これが「人間は、ランガージュの構造が身体を切り分けることによって思考しているのです」という意味になる。

【思考というものは魂に対して不調和なのです】

誰だって自分を知りたい。しかし、いまのべたように、自己への接近が他者とのあいだの無意識によって介在されているとなると、単なる思考が自己に近づくなどということは、とうていムリだということになる。むしろ「他者の欲望」に接近することこそが自己に接近する近道なのである。

しかし、いったい「他者の欲望」って何なのか。性欲や憎悪なのか。親近感や所有欲なのか。まあ、いろいろあるでしょう。いろいろあるけれど、なかで大事なことは、それらもたいていは言語意識によって表明されるということだ。何かが欲しければ、何かを言うか、その欲望にもとづいた行動をおこさなければならない。友人に「ごはんを食べにいこう」と言わなければならず、ティファニーで「20万円ほどのネックレスが欲しい」とカラカラの喉で表明しなければならない。表明や行動をしなくとも、これらはアタマの中での言語意識になっている。

これは、ネックレスをもっていない自己がネックレスをもっている他者に近づいたということだ。すなわち、ラカンにおいては「自己に近づくには他者になる」ということなのである。そうだとすると、この「自己接近」と「他者欲望」とのあいだには何らかの意味のつながりがありそうだ。

実はラカンにはかなり初期から「シニフィアン連鎖」という見方があった。ラカンは患者の言葉にひそむ意味の連関をずっと探査しつづけていた。またそれを、「グラフ」(欲望のグラフ)にあらわそうとしていた。これは心や魂というものが、どんな見取図からもはみ出していることをラカンが見抜いたためだった。

ラカンがこうした「グラフ」を思いついたのは、フロイトの『機知――無意識との関係』の文章に注目してからである。機知というものは、自分の意識の見取図をはみ出して他者に向かっている。ジョークや軽口をおもえばいいだろう。あれは、あきらかに他者のためにあるもので、しかも、自己と他者をつなぐためにある。

その機知のありかたをヒントに、ラカンは自己と他者のあいだにつながるシニフィアンの連鎖を辿ろうとした。そして、自己は「他者の欲望」を媒介にしてやっとこさっとこ自立するのだということに気がついた。

思考というものが魂に対して不調和だというのは、以上のような意味をもつ。

【欲望が姿をあらわすときに要求している反復性にこそ、無意識があるのです】

文章としてはわかりにくいかもしれないが、それほど説明することもないだろう。誰かの意識のなかで欲望が形をあらわすときに、その欲望が向かう要求が何度もくりかえされ、その反復の周辺こそ他者とつながっている無意識のゾーンだというのである。

ただしここでは、反復性というところがミソだ。人間の言動というもの、気がつかずに反復していることのほうが断然多い。その反復性が諸君の自我の輪郭をもった本体っぽいものなのである。

【無意識? 語る存在(エトール・パルラン)にしか無意識はありません】

ラカンは師のガエタン・クレランボーの「精神自動症」という概念から出発した。この概念なら狂気の大半を「外から押し付けられたもの」というふうに解釈できるからだ。

精神科医フロイト神経症を出発点にしたのに対して、ラカンが狂気を出発点にしたこと、とくにパラノイアの分析を出発点にしたことは、のちのちまでラカンの思想に濃厚な色彩を与えた。なぜならこれでデカルトであれ、ジャン・ジャック・ルソーであれ、これをパラノイアとして読むことができるようになったからだった。いうまでもないけれど、パラノイアとは理想主義の墜落の現象のことで、そこにつねに「自罰」がともなう症例のことをいう。

【魂は、身体に対する無意識の機能の総計による仮設なんです】

ここでラカンの「鏡像段階」仮説を紹介しておく。これは1936年に自己(自我=私)の機能を構成するものとして“発見”されたもので、生後1年前後の乳幼児が「鏡」ととりむすぶ関係から推察された。『去年マリエンバートで』というアラン・レネのモノクロ映画があったものだが、そのマリエンバートの学会での研究発表のときだった。

こういうものだ。

乳幼児はまだ神経系が十全に発達していない。身体感覚が全身に届いていず、したがって自己受容知覚も統合されていない。そのため乳幼児は、いわば「寸断された身体」の状態にある。

で、乳幼児の全身感覚が未発達なのにくらべて視覚はけっこう発達しているため、鏡に映った自分の映像と対面した乳幼児は、ラカンの言い方によれば「彼自身の映像と世界の映像の光学的な関係による諸知覚を処理して、彼自身の像を世界の中での特権的な地位を占めるものとして認知する」(難解な言い方だねえ)。こうして視覚が先取りした映像の上に、あとから自己の能動性の中心が仮託され、そこに「私」という自己中心が発生してしまう。

これが有名な「鏡像段階」仮説だ。これをどう解釈するかはさておいて、この仮説をラカン自身がどう意味づけているかということを書いておく。3つに絞っておこう。

第1には、われわれは幼児期のみならず、つねに身体的な未統合状態にいるのではないかということだ。これは誰しも心当たりがあるだろう。とくに幼児期の知覚のアンバランスから生じた自己映像性の漠然とした確立は、その後の自己形成のモデルとして大きく作用して、よくいえば、自分の欠陥やアンバランスを克服して理想的な自己像を求めるという意識を発達させるというふうになる。けれどもこれは実際の自己像とのあいだに亀裂があることを確認することにもなるので、そうとうな緊張を強いられる。この緊張を維持しながらも亀裂を突破していければよいけれど、それで何度も挫折しているうちに、かえって自己像そのものを喪失しかねない。これも心当たりがありますね。ただしここで、「鏡」とは実はひとつの例示であって、実際には母親の体との相対的比較や、両親兄弟親戚の言葉による自己映像の予想なども次々に加わって(つまりいろいろな鏡像が加わって)、自己鏡像はますます虚の次元に確立されていく。

第2にラカンは、このような鏡像段階があるということは、結局のところ、自己(自我)というものは最初から社会関係の中にくみこまれているものだとみなした。つまり、無垢の自己なんてものは最初からありはしないとみなしたのだ。もっとはっきりいえば、そのような社会的関係によって疎外されるということが自我をつくるのだと考えた。

第3に、以上のことは他者との関係が自己像の本質だということを説明していることになる。が、そうなってくると、その一方、人間というものは他者に見えているだろう自分自身の像を否定したくなって、「実は、私は‥‥」と言いたくなる自分がしばしば浮上してくる。いわば“真実の自己”の“復権要求”だ。

むろん、「実は、私は‥‥」というような本来的な自己なんていうものは、ありえない。だから、この復権にはムリがある。自己像はそもそもにして他者との関係の中以外にはないものだった。

それゆえ自己像の過度の復権要求は、その当人にパラノイア的な苦悩をつきつけることになっていく。しかもそれが幼児期このかたの鏡像段階をスタートにしているがゆえに、ついつい虚像として出てしまうのだ。まことに苦しいことである。ラカンはその「虚像としての自己」の出現に注目したわけだった。R・D・レインが「ニセ自己」と呼んだものにも近い。

【意味というものは、多義(エキヴォック)か、隠喩(メタフォール)か、あるいは換喩(メトニミー)なのです。その連合(アサシアシオン)なのです】

隠喩や換喩。ラカンはその中にこそ意味の本質を見いだした。

もっとも隠喩や換喩にもいろいろがある。編集工学の64編集技法ではないけれど、省略・冗語・転置・兼用・逆行・反復・同格などはシンタックスの移動によって、隠喩・濫喩・換喩・諷喩・換称・提喩などはセマンティックな圧縮によっておこる。

ラカンはこういうメタファーをつかって精神分析学にアプローチしていった最初の人だった。だからラカンを読むことは、精神分析学を活用してみたいというような思いだけでは、あまりおもしろくない。正直いって、ぼくはラカン精神分析学はそんなに凄いとは思っていないのだ。しかしながら、ラカンがそのような思想を表示するために駆使してきたメタファーに対する努力と工夫には、しばしば舌を巻く。実は学問などというものは、そっちのほうが重要なのだ。

これも有名なことだが、ラカン象徴界想像界を区別した。そのうえで、独特の「スタイル」を作り出した。引用と暗示を華麗なほどに駆使するというスタイルだ。『エクリ』にはこう書いている。「スタイルとは人間そのものである。もっぱらこの定式を拡張して、ここでいう人間とは言葉をさしむけられる人間であるという定式に賛同しようではないか」。

言葉を心底考えようとする人間にこそスタイルが生まれるというこのラディカルな定式は、ラカンの思想の全域で徹底して表示されていった。そしてそこからは、これも『エクリ』の中の言い分なのだが、次のようなメッセージも生まれてきた。「言語においては、メッセージは他者からやってくる。これを徹底的につきつめれば、言語は逆転した形でやってくるということになる」。

こういうことは、単なる学問の深化などでは言いえない。

【大事なことは、暗号化されるものがあるということではなくて、暗号を解かれるものがあるということです】

ラカン精神科医として出発をしていたころ、精神分析はとっくに危機的状況に陥っていた。ラカンはそこでフロイトに戻れと言うのだが、フロイト解釈のありかたにも大きな疑問をもっていた。

そこでとんでもないことを考えた。精神分析から「情動」をはずしてしまうという、モーセの脱出に似た計画だ。

ぼく自身はフロイトにも責任があると思っているけれど、ラカンフロイトではなくてフロイト解釈者たちが誤読しすぎているとみた。フロイト主義というもの、ついつい暗号になったもののほうばかりを気にしすぎる。ラカンはそうではなくて、暗号が解かれる方向に何かの本来の問題があると直観した。リリースされる方向に本質を嗅ぎとったのだ。

これは当たっている。まさに、その通りだ。たしかに意識も無意識も、エンコードよりデコードをするときのリリースの方向がずっと重要なのである。ただし、このことは何もラカンを持ち上げずとも、とっくにぼくにはわかっていたことだった。

【つまり、情動は置き換えられている(デプラセ)、ということです】

いってみれば、ラカンは編集工学がわかっていたのだ。「言い換え」こそが意識と無意識の橋掛りであることが、十分にわかっていた。ラカンはそのうえで、フロイト主義者がこだわった「情動」をそこで固定せず、自在に言い換えたのである。

このあたり、ラカンはうまい。実はラカンの文章や理論はまことにわかりにくいのだが、またそういう評判ばかりが目立つのであるけれど、ここはラカンの読み方を知れば、とくに難しいわけではない。その読み方というのは、ラカンの読み替えのスピードに自分を合わせることである。スポーツだって、そうでしょうが。サッカーやラグビーやテニスを見るのに、そのスピードでそのゲームを見ないかぎりはおもしろくもないし、だいいち、何もわからない。文章だってそういうものだ。

とくにラカンにおいては、ラカンのデプラセ(言い換え)のスピードに乗って読むことだ。

【わたしは、科学のディスクールとヒステリーのディスクールは、ほとんど同じ構造をもっていると結論します】

これはラカンに指摘されて初めて納得したことだった。だからといって、ここから、科学者はたいていヒステリー患者なんですねと短絡する必要もない。まあ、そうだけれど(笑)。

それよりもここで重要なのは、合理というもの、理屈というものを整合させるということには、それをそうさせている科学者や理屈屋が、放っておけば自身がそうなりかねないヒステリーをその合理の手前で消化させているせいだという、そのことである。

【抑制を生じさせているものが抑圧であるということから、問題を立ち返らせねばなりません】

この言い回しもまた、絶妙だ。それとともに、ここには抑圧も無意識も、主体を構成しようとする作用の痕跡が生んだものにすぎないという言明が隠れ見えている。

この主張はロジェ・カイヨワにおいても雄弁に語られたもので、人間というものは“イメージの虜”になるものだということを説明している。ここまではだいたい理解できることだろう。が、ここからちょっと飛躍する。言葉そのものも抑圧なのだという主張に飛んでいく。

言葉が抑圧だとは、ある言葉を選んだということは、他の言葉を抑圧したことになることを意味している。言葉はアタマの中ではつねに多数の並列状態になっている。そこから何かを選んで発話するということは、それ以外の言葉を抑圧していることになる。

言葉というもの、アタマの中でたえず意識化されているわけではない。大半はどこかに貯まってストックされている。そこでは言葉の多くが休んでいるか、死んでいる。そのうちのいくつかは夢で喚起されたり、精神病で暴発するものの、だいたいは無意識に近いところに貯められている。ということは、つまりは、ランガージュそのものが無意識としての構造をもっているということをあらわしている。すでに説明したことであるけれど、無意識は言語のように構造をもっているわけなのである。

この主張をもう少しおもいきって発展させると、精神医学者としてはフロイトラカンだけが喝破した“あること”につながっていく。それは「負の存在」に対する感覚の作用こそが存在の証明をなしとげるであろうという予測だ。

【解釈(アンテルプレタシオン)は、貸借(アントルプレ)を満たすために、快速でなければなりません】

おうおう、そうだよね。快速だ、快速だ。

解釈とは加速装置のことなのだ。それにしても、ラカンはよくぞこういう芸当を欠かさずに、精神分析という退屈な分野を突き抜けたものだった。

で、最近こんな言説に出会ってしまったのです。

《Ge-Stell=ドイツ語で台架・支持枠・骨組みなどの意》ドイツの哲学者ハイデッガーが、近代技術の本質を言い表すために用いた語。技術が人間を生産に駆り立て、その人間が自然を利用する強制的な徴発性を根源に持つ体制こそが、技術の本質であるとする。反近代主義者が拠り所とする事が多い主張。

 なるほど…こういう考え方もあるんですね…それにつけても「神の愛の導入だけがヒトラー安倍とナチス自民党の陰謀によって「集-立(Ge-Stell)」システムそのものに成り果てた日本を救う」ですか…どうして少なからぬ部分の議論が比較的まともなのに、そういうトンデモな結論に?