「言葉」に先駆けて「歌」があった?
コミュニケーションを目的としてクジラが発する一連の音である。特定の種に属するクジラ(代表的には、ザトウクジラ)が発する、反復的でパターンが予測可能な音で、その発声が、鯨学者に人間の歌唱を想起させるものを指すために「歌」とよばれる。
スタッフォード氏は、ホッキョククジラたちが11月から4月まで毎日24時間、止まることなく「大きな声で歌い続けていた」と明かし、「多くの違う歌を歌っていた」と述べた。
スタフォード氏と同僚3人は3年にわたる調査で、ホッキョククジラの歌から特徴的な184種類のメロディーを確認。論文によると、ホッキョククジラの歌の多様性や年ごとの変化に匹敵するのは数種類の鳴き鳥のみで、ホッキョククジラは動物界でも最も多作な作曲家とみることもできるという。
また他の動物が求愛活動で発生する声とは異なり、ホッキョククジラの歌は複雑な旋律から成っており、先天的に備わっているものではなく、学習して得られたものと考えられるという。
鳥のさえずりのように声を出せる哺乳類はコウモリの数種やテナガザルなどわずかで、それも同じ旋律を繰り返すだけだ。また、ザトウクジラも歌を歌うことで知られるが、ザトウクジラは1年を通して群れで同じ歌を共有し、歌のメロディーは毎春、新しいものに変わるという。
一方、ホッキョククジラはさらに才能に富んでいて、常に新しい歌を生み出しているようだという。
スタフォード氏は「ザトウクジラの歌がクラシックだとすれば、ホッキョククジラの歌はジャズだ」と表現し、「ホッキョククジラの音楽はもっと自由だ」と語った。
ネアンデルタール人と現生人類がどのような関係にあったのかは、現在DNAの解析から次々と新しいことがわかってきています。
マックス・プランク進化人類学研究所のスバンテ・ペーボ博士のグループは、3万8千年前のネアンデルタール人の骨の化石から採取したDNAの配列を読み取ることに成功し、2010年に現生人類(アフリカ系黒人、アジア人、白人)のDNA配列と比較した結果を報告しました。
それによると、ネアンデルタール人に由来するDNAをアジア人と白人は持っている一方、アフリカ系黒人は持っていないという結果でした。
つまり、現生人類はアフリカで誕生したのですが、その場にとどまったアフリカ系黒人はそのままのDNAを保ち、アフリカからユーラシア大陸に移動したアジア人と白人の祖先はネアンデルタール人と交配していたのではないかと推測されるわけです(ということは、敵対的な関係ではなかったということになります)。
ネアンデルタール人から受け継いだ遺伝子は、免疫、目の色(青)、髪の毛(金髪)や皮膚の色(白)にかかわる遺伝子。白人は相当にネアンデルタール人の身体的特徴を受け継いでいるようですね。ユーラシア大陸の気候に適応するのに有利だったのでしょう。復元図も、以前の猿人っぽい復元に比べて、ずっと現生人類(というか白人)に近くなっています。
そしてネアンデルタール人もまた歌っていたらしいのです。
触りだけ読んで積読になってた『歌うネアンデルタール 音楽と言語から見るヒトの進化』(スティーブン・ミズン著)、ちょっとだけ読み進めたんですが、めちゃくちゃ面白い。この人、天才だ。「構成的原型言語説」と「全体的原型言語説」の違いから「音楽」にたどり着く手際がすばらしすぎる!!
— たられば (@tarareba722) 2018年3月27日
簡単に解説すると、「言語の起源」って(当たり前の話ですが)記録がないんですね。それは「文字」という外部記憶装置が発明される遥か遥か以前のことであり、人類が最初に発した言葉は、危機を知らせる悲鳴だったか、異性を魅了する歌声だったか、収穫を喜ぶ歓声だったか、分かっていない。
— たられば (@tarareba722) 2018年3月27日
ただ原初の言語、「原型言語」がどんなものだったかについての仮説はいくつかあって、その中の有力なもののひとつが「構成的原型言語説」です。まず単語が生まれて、それをつなぐ助詞があって、それが徐々に発展して複雑な言語になっていったとする説。「男、熊、殺す」と並べると、まあ意味は通じる。
— たられば (@tarareba722) 2018年3月27日
ただこれだと「男が熊を殺した」のか「熊が男を殺した」のかがわからない。それらを見分けるフレーズなり合図なりがあったのかもしれないけど、それはもちろん見つかっていない。ともあれ「言語」はまず「各パーツ」が生まれて、それから「全体」が組み上がったとするのが「構成的原型言語説」。
— たられば (@tarareba722) 2018年3月27日
これに対して言語学者アリソン・レイたちが主張しているのが「全体的原型言語説」です。「まずフレーズ(全体)が生まれて、それが分化して言葉(各パーツ)になったのでは」という考えです。「男が熊に殺されて悲しい」という文脈を意味するフレーズがあり、そこから「男」「熊」などが分化した。
— たられば (@tarareba722) 2018年3月27日
これは例えば「慣用句」を考えるとわかりやすいですよね。「馬の耳に念仏」は「ありがたい教えを与えてもその価値がわからない者には無価値だ」という概念そのものを意味しますが、「馬」「耳」「念仏」個々を考察してもその概念は導き出されない。ただ全体を通して考えると概念が生まれる。
— たられば (@tarareba722) 2018年3月27日
この「まずフレーズが生まれた」とする「全体的原型言語説」は、「音楽って、たやすく言語の壁を乗り越えるよね」という話とめちゃくちゃ相性がいいんですよね。リズムとテンポ、ピッチの波があると「言葉」が覚えやすい、という話も、全体的原型言語説を元にしたほうがすっきり理解できる。
— たられば (@tarareba722) 2018年3月27日
もしかしたら、人類は(「言葉」よりも先に)「まず歌」を発明したのではないか。歌を通して「喜び」や「悲しみ」や「怒り」を表現し、そうしたひとかたまりの感情の波から細かい「言葉」が切り出されていったのではないか。そうして再帰的に「歌」と「言葉」は発展し進化していったのではないか。
— たられば (@tarareba722) 2018年3月27日
これ、なんで私がこんなに興奮しているかというと、この説をとると「日本語が五・七・五・七・七と異様に相性がいい理由」がすっきりと説明できるんですよね。まず日本語があって和歌が生まれたのではなくて、まず和歌が生まれてそれから日本語が切り出されていったのではないか。
— たられば (@tarareba722) 2018年3月27日
この「まず歌があった」という話、特に「日本語にとっては『万葉集』こそが感情と言葉の起源だったのではないか」という思いつきに漂うロマンチックな響きに感動して、ズラズラとつぶやいてしまいました。この本、すでに絶版でAmazonだと古本がめっちゃ高騰しているので図書館でぜひ。(了
— たられば (@tarareba722) 2018年3月27日
こんにちは。文はまず韻文が先で後から散文ができたという話に近い気もします。
— カトーマン (@katohman) 2018年3月27日
著名な民族音楽学者ブルーノ・ネトルは、音楽を“言語の埒外にある、音による人間のコミュニケーション”と定義した。おそらく、これより妥当な定義は無理だろう。(『歌うネアンデルタール 音楽と言語から見るヒトの進化』スティーヴン・ミズン) https://t.co/yp7Jw6xuRH
— 言動力bot (@gendoryoku) 2017年1月30日
というか古代ギリシャ人は紀元前8世紀頃に成立した叙事詩「イーリアス(希: Iλιάς, 羅: Ilias, 英: Iliad)」や「オデュッセイア(古代ギリシア語イオニア方言:ΟΔΥΣΣΕΙΑ, Ὀδύσσεια, Odysseia, ラテン語:Odyssea)」、周代(紀元前1046年頃〜紀元前256年)の中国人は「詩経」「楽経」を基礎教養に外交を展開してましたね。ミュージカルやオペラなどの大源流?
プラトンの形而上学におけるイデア(Idea)の概念も、イスラム教始祖の預言者ムハマンドが「神より授かった最強の言葉」を駆使して無道時代(ジャーヒリーヤ)の詩人達を次々と論駁していく情景も、その起源は全て世代を超えて継承されてきた「これ」かもしれないという話です。
ジャーヒリーヤ
ジャーヒリーヤ - Wikipedia