諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【グレイテスト・ショーマン】【どすこい髭女】「明るい側を目指す人々」の歴史

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グレイテスト・ショーマン(The Greatest Showman、2017年)」を鑑賞すると強烈な自己肯定感に満たされる人が多くてその事が大ヒットの要因となっているのですが、この流れをドライブする諸ナンバーを支えているのは、あるいは「(しばしばドイツ語固有の概念とされる)Sehnsucht(憧れ)」の概念かもしれません。

九鬼周造 「いき」の構造

Sehnsucht という語はドイツ民族が産んだ言葉であって、ドイツ民族とは有機的関係をもっている。陰鬱な気候風土や戦乱の下に悩んだ民族が明るい幸ある世界に憬がれる意識である。レモンの花咲く国に憧がれるのは単にミニョンの思郷の情のみではない。ドイツ国民全体の明るい南に対する悩ましい憧憬である。「夢もなお及ばない遠い未来のかなた、彫刻家たちのかつて夢みたよりも更に熱い南のかなた、神々が踊りながら一切の衣裳を恥ずる彼地へ」の憧憬、ニイチェのいわゆる flügelbrausende Sehnsucht はドイツ国民の斉ひとしく懐くものである。そうしてこの悩みはやがてまた noumenonの世界の措定として形而上的情調をも取って来るのである。英語のlongingまたはフランス語の langueur, soupir, désir などは Sehnsucht の色合の全体を写し得るものではない。ブートルーは「神秘説の心理」と題する論文のうちで、神秘説に関して「その出発点は精神の定義しがたい一の状態で、ドイツ語の Sehnsucht がこの状態をかなり善よく言い表わしている」といっているが、すなわち彼はフランス語のうちに Sehnsucht の意味を表現する語のないことを認めている。
*裸…そう裸!!

「ヌーメノン(希: νοούμενoν、noumenon、複数形ヌーメナ(希: νοούμενα、noumena))」 - Wikipedia

ギリシャ語の「ヌース」(希: νους, nous、精神)に由来する「考えられたもの」「仮想物」を意味する語。「フェノメノン(phenomenon)」や「フェノメナ(phenomena)」、すなわち「現象」と対照を成す語であり、ちょうどプラトンが言うところの「イデア」に相当する。

イマヌエル・カントの哲学では「物自体」とほぼ同義で用いられる。

ところでドイツ文学者ギュンター・グラス(Günter Grass, 1927年〜2015年)の「ブリキの太鼓(Die Blechtrommel、原作1959年、映画化1979年)」に「ドイツ人は魂で探す。まるでそれが感覚器の一種であるかの様に」なる強烈な一説がありますが、おそらくこの感覚抜きには「精神(魂)の観照を通じて我性を放下し神との合一を達成するドミニコ会士マイスター・エックハルトMeister Eckhart,1260年頃〜1327/28年)を大源流とするカント哲学やヘーゲル哲学がシェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling、1775年〜1854年)やキェルケゴール(1813年〜1855年)の「時空間を超越した向こう側で待つ絶対的真理」の概念を経て(第一次世界大戦(1914年〜1918年)なる壮絶な総力戦が産んだ)ヴィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889年〜1951年)の「語りえないことについては、沈黙するほかない(Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.)」論理哲学(独Logisch-Philosophische Abhandlung、羅Logico-philosophicus)や「神話的世界観は主観的誤謬と区別し得ない領域においてしか顕現し得ない」現実を受容したエルンスト・ユンガー(Ernst Jünger, 1895年〜1998年)の魔術的リアリズム(英Magic Realism、独Magischer Realismus)文学における「ある種の諦観」やハイデガーの「真理(aletheia、アレーテイア)」概念へと到達する流れがきちんとした形では理解し得ないのです。

ドイツ(ゲルマン)神秘主義 - Wikipedia

14世紀からキリスト教内で顕著に見られるようになった観想と神秘体験に特徴をもつ宗教思想。またそれを著した説教や神学書をもいう。我性を捨てる放下とそれによる神との合一や、精神(魂)の観照を中心的概念とする。ドイツというよりはゲルマン言語圏の思想、宗教的潮流である。14世紀にはライン川流域で大きな影響をもったが、ゲルマン言語圏全体に広く影響を与えた。
*以前から私はこれがアフリカ北岸からイベリア半島南部にかけてを支配したムラービト朝(1056年〜1147年)やムワッヒド朝(1130年〜1269年)の異教徒迫害を逃れてプロヴァンス地方に逃げた「(6世紀前後にエルサレム・タルムードやバビロニア・タルムードを編纂し、アラビア哲学との対決を経て研鑽された)先進的な」セファルダム系(スペイン系)ユダヤ人と「(伝統的にトーラー(モーセ五書)くらいしか拠り所を持ってこなかった)後進的な」アシュケナージ系(ドイツ系)ユダヤ人の邂逅が産んだ「カバラー(קַבָּלָה qabbalah, Kabbala, Cabbala、ユダヤ神秘主義)」の影響下に生まれた可能性を指摘して来た。

*おそらくそれはイベリア半島キリスト教圏に逃げ込んだセファルダム系ユダヤ有識者の手によって体系化され「ゾーハル(זֹהר, הַזֹּהַר, סֵפֶר־הַזֹּהַר sēpher hazZōhar, Zohar、13世紀)」の様な形で定型化されていくプロセスと並行して起こった流れだったのである。カロリング・ルネサンスの時代から欧州諸都市に拠点を構築しネットワークで結んできたアシュケナージユダヤ人が当時のドイツ語圏に与えた影響自体は相応に認められているが、もしこの仮説が当たっているならさらに踏み込んだ形でゲルマン諸族の伝統的「超越主義(transcendentalism)」とギリシャ哲学のイデア論が結びつき、これに言語神秘学的色彩を添える上で重要な役割を果たした事になる。

アシュケナジム(Ashkenazim [ˌaʃkəˈnazim], אשכנזים) - Wikipedia

ディアスポラギリシャ語διασπορά、英Diaspora, diaspora、ヘブライ語: גלות)後も、ユダヤ人のほとんどは地中海世界(のちのイスラム世界)に住んでいた。それに対し、アルプス以北におけるユダヤ人の起源ははっきりしない。

7世紀に中央アジア西部のコーカサスからカスピ海北岸にいたハザール王国の住民とされ、ヨーロッパに西進し移住したわずかのコーカソイドの一派のユダヤ教徒の子孫だとする説、またはローマ時代イスラム世界から商人としてヨーロッパを訪れたとする説、イタリアからアルプスを越えてやって来たとする説などあるが、単一の起源ではないかもしれない(一部に、9世紀頃に民衆がユダヤ教に集団改宗した黒海北岸のハザール汗国の子孫だとする主張が見られる。しかしハザールの使用言語はテュルク諸語であった点など歴史的な状況を考えると色々無理があり学問的根拠に乏しく、まともな学説とは見做されていない)。

ハザール - Wikipedia

いずれにせよ、8世紀から9世紀には北フランスにアシュケナジムらしきユダヤ人の記録が見える。まもなく彼らは、ドイツ中部のライン川(ライン地方)、ブリテンなどにも広がった。彼らは当初は、ヨーロッパとイスラム世界とを結ぶ交易商人だったが、ヨーロッパ・イスラム間の直接交易が主流になったこと、ユダヤ人への迫害により長距離の旅が危険になったことから、定住商人へ、さらにはキリスト教徒が禁止されていた金融業へと移行していく。「ユダヤ人高利貸」というステレオタイプはこのようなキリスト教社会でのユダヤ人の職業に由来し、これに対しイスラム社会のユダヤ人にはこのような傾向はなかった。

*ちなみにインドにおいては不殺生と無所有を教義の第一に掲げるジャイナ教徒が実業を営むのを嫌って金融分野に進出した様な歴史も存在する。

彼らは西欧にも定住したが、1290年にはイングランドから、1394年にはフランスからユダヤ人が追放された。15世紀になるとドイツ諸邦でも迫害される様になる。追放された彼らの多くはオーストリアボヘミアモラヴィアポーランドなどの東方へと移民した。当時はドイツ人の東方植民時代であり、都市化促進政策の一環としてドイツ人と一緒に招聘されたのである。ユダヤ人はしばしばその文学的、商業的、技術的先進性から諸国の王より庇護を受けたが、それは予告なく撤回されるものでもあった。その一方でユダヤの人間と財産は君主の所有物(servi camerae)であるとされ、これを害するものは君主の財産を害するものと見なされた。

おもにドミニコ会士マイスター・エックハルトMeister Eckhart,1260年頃〜1327/28年)の影響が強いとされるが、エックハルトの直接の弟子であったヨハネス・タウラー(Johannes Tauler,1300年頃〜1361年)やハインリヒ・ゾイゼ (Heinrich Seuse,1295/1300年〜1366年)を除けば、はっきりとした思想的系譜ではなく、むしろ個別に発生したゲルマン精神の霊的流れを総称する文脈でつかわれることが多い。エックハルトの同時代にはベギン会、自由神霊運動などがあり、これへの影響も指摘されている。またヒルデガルト・フォン・ビンゲンのような女性瞑想家もドイツ神秘主義に含むことが多い。
*日本でいうとおそらく古代部族社会時代の人身供儀の慣習に由来する「修験道」の概念の大源流に相当。法華経における「久遠の仏」や「即身成仏」の概念と結びついた。
修験道 - Wikipedia

宗教改革以前に始まった潮流であるため、カトリック教会内に起原を持つにもかかわらず、ルター派の一部に強い影響を与えた。

観念論もしくはイデアリスム(英語: idealism、ドイツ語: Idealismus、フランス語: idéalisme) - Wikipedia

さまざまな意味があるが、認識の妥当性に関する説の一つで、事物の存在と存り方は当の事物についてのidea(イデア、観念)によって規定される、という考え方などを指す。

日本では訳語が一定せず、存在論においては唯心論、認識論においては観念論、倫理学説においては理想主義と訳し分けられていた。

*そしてドイツのヘッセン州ヴィースバーデン出身のユダヤ社会学者ヘルムート・プレスナー(Helmuth Plessner, 1892年~1985年)は「ドイツロマン主義とナチズム、遅れてきた国民(Die verspätete Nation. Über die politische Verführbarkeit bürgerlichen Geistes 1935年)」はカント哲学からこうした「彼岸への承継」が失われてイデオロギー懐疑(Ideologieverdacht)のみが広まり、ヘーゲル哲学が自分なりの形で原点回帰を試みるも失敗に終わるプロセスを冷徹に描く。
*国家間競争が最優先課題と考えられる様になった総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)の到来は、ハイデガーいうところの「集-立(Ge-Stell)」概念、すなわち「特定目標の達成の為に、持てるリソースを総動員する機械的システム」の遍在化に関する二つの立場を際立たせた。

世界の世界性

ハイデガーはまず「世界」の存在者が「いま、ここ」においてどのように現れているのかを分析し、その特質が「〓のための」という手段性、指示性だと考える。例えば、いま目の前に「コップ」があり、そこに水が入っているとしよう。もし私の喉が渇いていたとしたら、それは水を飲む「ための」ものであり、頭に来る人間がいたなら、水をかける「ための」道具となる。つまり、世界の存在者は現存在の「気遣い」(関心)に応じて「〓のための」という道具性を現すのであり、その意味で「道具的存在者」と呼ぶことができるのだ。

この場合、私が客観的な事物に「コップ」「水を飲むためのもの」という意味を与えたのだと考えてはならない。現象学的に考えれば、それは最初から「コップ」「水を飲むためのもの」として現れるのであり、そうした意味づけ以前に客観的事物があったと考えるのは、事後的な反省によってこそ可能になるのだ。むしろ道具的存在者のほうが、特定の見方(自然主義的態度)によって事物化されるのである。

こうした「〓のための」という道具的存在性は、普段、表だって意識されることはなく、壊れて使えない時や、必要なのに見あたらない場合だけ意識されるものだ。水を飲みたいのにコップが無い場合であれば、コップが水を飲むために必要な道具として意識されるし、家を修理したいのにハンマーが壊れていれば、ハンマーは釘を打つための道具として強く意識されることになるだろう。コップがあれば、あるいはハンマーが壊れてなければ、ほとんど何も考えずにコップで水を飲むだろうし、ハンマーを手にとって釘を打つはずだ。その時、道具的存在者の「〓ための」という道具性は、ほとんど自覚されないのである。

また、道具的存在者は他の物事を指示し、それはまた別の物事を指示しているのであり、それらはある連関をなして繋がっている。この指示の連関も普段は意識されることはなく、特に妨げられることによってのみ意識されることになる。では、そうした指示連関は一体どのように繋がっているのだろうか。

例えば、ハンマーは釘を打つという適切な用途のもとで使用されてこそ、適切な道具(適所を得た適具)と言えるのであり、ハンマーは釘を打つことで適所性が得られ、釘を打って家を固定することで適所性が得られ、(暴風雨等に対して)防備が整うことで適所性が得られる。そしてこのことは、結局は現存在がそこに住むという目的に繋がっている。「ハンマー → 打つこと → 固定すること → 防備すること → 現存在が住むこと」というように、適所性の全体に基づく指示連関の下図が描かれているわけだ。

この適所全体性は個々の道具に先立って存在しており、この適所全体の連関を辿っていくと、「〓のための」という最終的な目的に行き着くことになる。この場合、ハンマーは「現存在が住むため」という目的に繋がっているので、「〓のための」の最終的な目的とは現存在の可能性そのものであることがわかる。もっと言えば、あらゆる道具的存在者は、「現存在のために」という可能性を表しているのだ。そして、道具全体性を含む最も広い全体こそ「世界」であり、それは指示連関の最終目的として、現存在に存在の可能性を与えている。世界の世界性とは、現存在が「〓するための」有意義性なのである。
*アラビア哲学から援用する形で「全ての運動には原因がなければならず、その事自体が全ての運動の原因たる神の存在を証明する」としたスコラ学の別バージョンとも見て取れる。

*一つは「(逆説的に)それだけが人類を進化させて来た」と信じるに至った(あるいは科学実証主義的立場から「とりあえずそれを最有望仮説として採択した」)イタリアの未来派運動やドイツの魔術的リアリズム運動。
未来派(伊フトゥリズモ(Futurismo)、英フューチャリズム(Futurism) - Wikipedia
魔術的リアリズム | 現代美術用語辞典ver.2.0

ドイツ観念論自体はしばしば肉体蔑視と表裏一体の関係にあるが、実際のイデア論はしばしば「肉体からの理想的曲線の抽出」「肉体の訓練を通じての理想的状態への接近」といった要素を含む事もある。むしろドイツはこの分野では「後進国」なのであり、地中海世界はそれとは別途、新プラトン主義などを独自発展させ「神の叡智そのものは無謬だが、流出の過程で多様な解釈の余地が生じ、誤謬の累積が互いに両立不可能な正義の対立や悪まで生じさせてしまう」とする「(非ユークリッド幾何学の登場を預言した)アヴェロス主義」や「ガザーリーの流出論(スコラ学や啓蒙主義を通じてフランス絶対王政下の諸イデオロギーにまで影響を与える)」に到達しているのである。未来派魔術的リアリズムといった諸概念の台頭の背景にはそうした歴史的展開も取り入れていこうとする姿勢が見て取れる。

*これに対してハイデガーの「真理(aletheia、アレーテイア)」概念は、科学や技術体系の「ジャンルを立ててそれごとに設定した目標達成を追求する」分断主義そのものを全面否定。反近代主義/反資本主義/反社会進化論の急先鋒となる。
ハイデガー哲学における真理と秘匿性 - 東京大学文学部・大学院人文社会系研究科

*そしてこんな話が出てくる。 

「存在と時間(Sein und Zeit、1927年)」 - Wikipedia

ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーの主著。

巻頭言に於いて本書の目標は以下のように言明されている。《「存在」の意味に対する問いを具体的に仕上げることが、以下の論述の意図にほかならない。あらゆる存在了解内容一般を可能にする地平として時間を学的に解釈することが、以下の論述の差し当たっての目標なのである。》

「ものが存在するとはどういうことか」というアリストテレス形而上学』以来の問題に挑んだ著作であるが、実際に出版された部分は序論に記された執筆計画全体の約3分の1にすぎない。

実存主義構造主義ポスト構造主義などに影響を与えた。

Q:『存在と時間』でハイデガーは「人間」のことを「人間」とは呼ばずに「現存在」と呼びます。でも、なぜ「人間」ではいけないのですか?

A:「人間」というと、あの人もこの人も「人間」ということでは同じになってしまうでしょう? でもハイデガーに言わせると、人間にとって本質的なことは、「私」と「あなた」、「彼」、「彼女」がそれぞれに、絶対的に異なった存在であることなんです。つまり各自はそれぞれが「自分だけの」現実に直面しているのであって、現実問題として、その「現実」に対応することができるのは、私以外にはいないわけです。

Q:それは個々人にとっては、またずいぶんとシビアな「現実」認識ですよねえ。救いがないというか。

A:たしかにそうとも言えますが、自分がそのときそのときに置かれている状況をよく胸に手を当てて考えれば、われわれの日々の生き方というのは、そもそもそういうものでしかありえないのではないでしょうか。例えば何か困ったことがあるとき、ある人に相談して、その人から「こうしたら」とか「ああしたら」とアドバイスを受けることがありますよね。でも、結局のところ、やはりそれは「私自身」の問題であって、いかに親身に相談に乗ってくれたとしても、その人の問題ではないでしょう? 他人には、私が置かれているほんとう状況はわかりません。助言されたことをするかしないかも私次第、またその結果も私が引き受ける他はないですから。

Q:だったら単に「私」と言えばいいのではないでしょうか。

A:「私」を他の人ではない「私」たらしめているのは何でしょう。自分固有の状況に直面して、その中で自分のあり方を選び取っていくこと、そしてその繰り返しが「私らしさ」を形作っていくのではないでしょうか。単に「私」と言うだけでは、あたかも「私」という実体がすでに存在しているかのようで、今述べた「プロセス」が抜け落ちてしまわないでしょうか? ハイデガーは何よりも、われわれがそれぞれ自分固有の「現場」をもっている点を強調したかった。それで、「現」―存在と言うわけです。

Q:すでにかなり面倒な話になってきました(笑)。ただ、どうやらハイデガーの基本的なスタンスは非常に倫理的なんだということは、わかったような気がします。「存在」とは何か、その定義が当初の問題だったはずなのに、ハイデガーが人間の、じゃなかった、現存在の「本来的な生き方」「非本来的な生き方」にこだわるのも、正しい「認識」は正しい生き方につながるものでなければならない、そう考えていたからだったのですね。でもこの「本来性」「非本来性」という言い方も、一般的には非常に評判が悪いですよね。自分だけが真理を知っていて、無知な一般人に「本当のこと」を教えてやる、という、まさに知識人の典型的な「上から目線」。

A:いや、むしろ知識人の方が「本来性」とか「非本来性」と言うのを嫌がりますよ。リベラルな価値観からすると、「本来的な生き方」だとか「非本来的な生き方」といった「決めつけ」は他人の生き方への余計な介入になりますから。ハイデガーの専門家でも「本来性」をはずして解釈する人は多いんです。

Q:それは意外です。

A:私も研究を始めた頃は「本来性」を真正面から論じるのはちょっと恥ずかしいなと思っていました。でも自分がなぜハイデガーに惹かれたのかをよく考えてみると、やはり世俗的な生きかたを徹底的に拒絶しているところと、それに代わる生き方が提示されているところにあったことは否定できません。それである時期からは臆面もなく「本来性」を取り上げる路線に転向しました(笑)。

Q:たしかに「非本来性」、つまり「ダス・マン」(ひと、世人<せじん>)を論じているところは、「ひとがそうしてるから」、「みんながそうしてるから」という大衆の右にならえ的なあり方をよく捉えているような気がします。でも、「死への先駆」とか「良心の呼び声」とかの議論が延々と続くと、もう、いったい何を言ってるのか…

A:とにかく「本来性」というやつが理解しにくいんですよ。さっき研究者が「本来性」をあまり扱いたがらないと言いましたが、ハイデガーが語っている内容がよくわからないというのも、その理由のひとつなんです。わからないから無視しちゃおうと(笑)。

Q:やっぱりね(笑)。その「本来性」の議論にも絡んでくると思うのですが、本書ではハイデガーのスタンスを「宗教的」といいますか、キリスト教と結びつけた議論が目立ちます。

A:じつは『存在と時間』をよく注意して読んでみると、要所要所で、今論じていることはキリスト教の教えを背景としていますよ、という注記が挿入されていて、そこで参照せよと言われているものを調べてみると、もともと「本来性」には神に従った敬虔なあり方、「非本来性」には神に背いて「原罪」に囚われた生という原イメージがあったことがわかるんです。『存在と時間』はそうした「宗教」の概念を使わないで、一人の人間としての「正しい」あり方がどのように捉えられるかを示そうとしたのだ、そう読むと、「本来性」も「非本来性」もすっきりわかるようになりました。

Q:キリスト教を下敷きにはしているけれど、とくにその「信仰」は前提としない一般的な話になっていると。

A:さっき「各自はそれぞれが『自分だけの』現実に直面しているのであって、現実問題として、その『現実』に対応することができるのは私以外にはいない」という話をしたでしょう。それをあなたは「シビアな現実認識」とおっしゃいました。でもシビアというより重たいんですよ、こうした「現実」に直面させられていること自体が。だからこの重荷から「逃避する」のが、非本来性の根本的な意味なんです。なにごとでも、判断は他人に委ねた方が楽でしょう? 組織に所属していれば、「上」の命令に従っていればいいわけだし。もちろん、それですべてがOKだというのは幻想にすぎないのですが、あまりにも自分という存在が「重い」ので、そういった気休めに、ついしがみついてしまう。これが「非本来性」、つまり他者に埋没した「ダス・マン」というあり方です。

Q:非本来性はまあそれでいいとして、「本来性」に則った生き方は、結局どうなるのですか?

A:今言った非本来性の逆の生き方です。自分だけの現実に直面させられているというその重荷をきちんと真正面から引き受けること。「ひと」に判断を委ねるのではなく、自分のあり方を自分で責任をもって選択していくこと。「おのれ固有の存在を気遣う」とハイデガーが言うのはそのことです。キリスト教だと「神に忠実に」というところが、ハイデガーでは「自分の存在に忠実に」──となるわけです。

Q:じゃあ、結局は「俺様は正しい」。俺様バンザイみたいになっちゃう?

A:それは短絡してますよ。先ほどお話しした、「自分」、「私」の本質を思い出してください。自分だけの現実に直面させられて、自分の責任でおのれのあり方を選び取っていかなければならない、というのが「私」の本質でした。だから「自分の存在に忠実に」とは、今述べたような自分のあり方を直視して、そこから逃避しないことになるわけです。思い切って言うと、孤独であることを恐れないというか、孤独を引き受けるという感じでしょうか。「嫌われる勇気」、というと言い過ぎかな。でもまあ、ひとに嫌われることは確かでしょう(苦笑)。

古代ギリシャイデア論には存在し、ゲルマン神秘主義の延長線上に現れたハイデガーの「真理(aletheia、アレーテイア)」 論に欠けているもの、それはおそらく「訓練された肉体」だけが有するある種の走破性なのである。アメリカの開拓者精神やフランス行動主義が提言する「肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」式の思考様式。皮肉にも、むしろそれは前期ハイデガーが拘泥した「本来性」と高い親和性を示す。

*それでは日本人はこういった展開についてどう考えるべきなのか? 

*日本人も太平洋戦争において「総力戦」を戦ったが 、インテリ階層と庶民階層ではその受け取り方が異なっていてそれが学生運動の際に問題となったとされる。要するにそれは坂口安吾の「堕落論(1947年)」がどうして当時の日本のインテリ=ブルジョワ階層に衝撃を与え、かつ復興期が終わると速やかに忘れ去られていったかという話にもつながってくるのである。
坂口安吾 堕落論

こういった経緯を踏まえてギュンター・グラスブリキの太鼓(Die Blechtrommel、原作1959年、映画化1979年)」における「ドイツ人は魂で探す。まるでそれが感覚器官の一種であるかの様に」なる一節は、悲しくも「だから探し物は見つからない。魂は感覚器官ではないのだから」と続くのです。

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一方「グレイテスト・ショーマン」はこのジレンマについて、むしろ「Sehnsucht(憧れ)」の原義たる「暗くて狭い陰鬱な場所に幽閉された人々が本質的に抱く)明るくて広々とした場所に飛び出してその場所に止まりたいと衝動的に考えずにはいられない感情」のみに関心を集中し、その各個人内面における実現を最優先課題と設定する事で強烈な運動性を生み出す事に成功しています。
*まさしく主題歌で歌われる「一度火がついたら僕達の輝きはもはや失われない(We light it up, we won't come down)太陽だって、もう今更阻止するなんて出来やしないのさ(And the sun can't stop us now)」の世界…

 それでは一体、そうした「明るい側を目指す人々」の歴史は一体どういう道を歩んできたのでしょう?
*ここで興味深いのが欧州人自身には「ゲルマン民族大移動(Great Barbarian Invasion、300年代〜700年代)」は存在せず、かつ思い入れも少ない事。

*ローマ人や教会が相応には文献記録を残しているにも関わらず、何故かそういう事になっている。

  • ヴァイキングの南下(9世紀〜13世紀)カール大帝ザクセン戦争(独Sachsenkriege、英Saxon Wars、772年〜804年)を契機として文明化の始まった北欧諸族が主導したヴァイキング時代(Viking Age、800年〜1050年)。

    フランスにおける族長ロロのノルマンディ公受封(911年)、イングランドにおけるノルマン朝開闢(The Norman Conquest of England、1066年)、南イタリアにおけるノルマン諸侯の軍事行動(Norman conquest of southern Italy、11世紀前半〜12世紀前半)の産物としてのオートヴィル朝( 1130年〜1816年)開闢、十字軍国家の一つであるアンティオキア公国(Principatus Antiochenus、1098年〜1268年)建国などに関わる。まさしく「Sehnsucht(憧れ)=(暗くて狭い陰鬱な場所に幽閉された人々が本質的に抱く)明るくて広々とした場所に飛び出してその場所に止まりたいと衝動的に考えずにはいられない感情」に導かれた運動そのものだったとも。
    *当時はドニエプル川経由でバルト海から黒海に抜けて東ローマ帝国に到達するルートやヴォルガ川経由でカスピ海へ抜けるイスラム諸王朝との交易ルートも存在。これを走破した「冒険商人」ヴァリャーグ(Varyag)が傭兵としてノルマン人諸侯と戦ったりもしている。彼らは(ロシア文明の大源流に当たる)ルーシ(ルス)諸国をウクライナベラルーシに建設した事でも知られている。
    ルーシ族 - Wikipedia

    *ノルマン人やヴァリャーグの陸戦における優位は「(その発明自体はイスラム騎兵隊に攻め込まれ軍事改革に着手したフランク王国時代にまで遡る)鎧で踏ん張る衝撃槍騎兵の密集突撃」にあった。その全盛期は11世紀から13世紀にかけてで、これは十字軍運動全盛期や(主に東方に向けての)大開拓時代と重なる。

    *そして19世紀に入ると「(ノルマン貴族に起源を有する)王侯貴族や聖職者といった不労所得階層に対する(征服されたゴール人に起源を有する)産業階層の叛逆」なる体裁で始まった「フランス民族主義」がロシアの読書階層に受容されて「スラブ民族主義」となる。

  • レコンキスタ運動を完遂したポルトガル騎士修道会が着手した「アフリカ十字軍(15世紀〜16世紀)」…当初の目的は「(岩塩の対価を砂金で払う)サハラ交易の相手先と海路で直接接触する」という些細なものだった。ペストなどを原因とする大幅な人口減と欧州諸国との交易不振に悩んでいた当時のポルトガル王国にとっての起死回生策。
    *これが西アフリカ沿岸部における目標達成ばかりかアフリカ周回経路の発見につながってオスマン帝国ヴェネツィア共和国の香辛料独占が破れ、最終的には「極東」日本にまで到達したがその過程で次第に宗教的熱意が商業至上主義に置換されていった。さらにはその結果現出した広大な交易網を次第にオランダ人や英国人に蚕食され、大航海時代の主導権も次第にスペイン帝国に奪われていく。

    *そしてスペイン帝国が新大陸に送り込んだコンキスタドール(Conquistador)は殺し過ぎたし、略奪もし過ぎてむしろ本国にハイパーインフレを引き起こしてしまった。だがまさにこの展開こそが欧州人道主義や経済学の出発点となるのである。
    コンキスタドール(Conquistador) - Wikipedia

    *その一方で欧州人は疫病の蔓延するアフリカ大陸内陸部へは容易には進出出来ず、衛生学が急激な発展を遂げた19世紀後半に至るまでアフリカは「暗黒大陸」状態を続ける事になる。

  • ワーグナー楽劇「ニーベルングの指環(Ein Bühnenfestspiel für drei Tage und einen Vorabend "Der Ring des Nibelungen"、1848年〜1874年)」における「地下世界の住人」ニーベルング…ただし哀れにも冒頭において「ラインの乙女」から黄金を盗んだアルベリヒに奴隷化されて以降、一切言及がない。英雄ジークフリートを殺された妻が復讐を果たす為に戦馬グラーネに跨り「火系」のロキと「水系」のラインの乙女達を率いて「全ての元凶」ヴァルハラ城に特攻するクライマックス「ブリュンヒルデの自己犠牲」の場面も含めて。
    *「ニーベルング族」…何しろ荒川弘鋼の錬金術師(2001年〜2010年)」における「賢者の石」の様にアルベルヒの手によってのある種のエネルギー体に変換され、全て使い果たされてしまったとする演劇上の解釈も存在するくらい陰が薄い。とはいえ「ワルキューレ=風系」「ニーベルング族=土系」と考えれば「火系のロキ」「水系のラインの乙女」と併せ最初から「四大力の叛逆」の一環を為していたとも。

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    *こうした竜頭蛇尾な展開は、この作品がロシア人無政府主義者バクーニン(露Михаи́л Алекса́ндрович Баку́нин、英Mikhail Alexandrovich Bakunin、1814年〜1876年)の信奉するスラブ民族主義(フランス民族主義の引き写しで「スラブ民族は外国人統治者に奴隷化されてきた」と考える)の影響下で構想されながら「メルヘン王」として知られる第4代バイエルン国王ルートヴィヒ2世 (Ludwig II., 在位1864年1886年)のパトロネージュを受容する形で完成した経緯の産物だったとも。だからこの作品における革命的要素、すなわち「(それまで征服された先住民の一つながら表面上は忠臣として振舞ってきた)ロキの変節」や「(領民に対する元来の統治者だった)ラインの乙女の復讐」については音楽的に比喩的に触れる事しか出来なくなってしまった訳だが、そもそも「(ニーベルング族に象徴される)虐げられた市民の直接蜂起」についてはワーグナーはおろかバクーニンですら想定していなかったのかもしれない。

    *ここで興味深いのが「ブリュンヒルデの自己犠牲」において描かれる「全ての業を背負って最終対決に向かう戦乙女(ブリュンヒルデ)と、これを黙って傍観するしかない無力な男性主人公(英雄ジークフリート)」なる構図、高橋しんの漫画「最終兵器彼女(2000年〜2001年)」や秋山瑞人ライトノベルイリヤの空、UFOの夏(2001年〜2003年)」や新海誠の自主制作アニメ「ほしのこえ(2002年)」といった所謂「(2000年代前半を特徴付けるとされる)セカイ系作品」ばかりか宮崎駿監督作品「崖の上のポニョ(2008年)」における「(ポニョ=「真名」ブルンヒュルデ姫率いる)海の姉妹の進撃(津波)」や、ライカ・スタジオ製作作品「KUBO/クボ 二本の弦の秘密(2016年)」における「月の帝や闇の姉妹との対決」の原風景となってくる辺り。

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    *このうち「崖の上のポニョ」や「KUBO/クボ 二本の弦の秘密(2016年)」については(ジブリアニメの大源流でもある)ランキンバス・スタジオ製作映画「The Last Unicorn(原作1968年、アニメ映画化1982年)」を経ているという話もある。この作品においてはワーグナーの原典に立ち返って「記憶の忘却」に焦点が当てられた結果、クライマックスが「牡牛の炎とユニコーン津波の最終対決」となったし「KUBO」に至っては(デススター提督モフ・ターキン似の)月の帝がラスボスとして「記憶の忘却の象徴としての津波の力」をも司り「あんとくさま」への変貌を果たしている。そういえば宮崎駿風の谷のナウシカ(漫画1982年〜1994年、アニメ化1984年)」において異形の生態系が引き起こす「(人間の文明を押し流そうとする)大海嘯」もまた津波のイメージではなかったか?

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  • 産業革命の結果、王侯貴族や聖職者といった伝統的インテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層に代わって消費経済の主役に躍り出た「大衆」…かくしてクリエーター達は「身分制社会の崩壊や秩序糜爛を嘆く悲観的物語」に代わって「努力が報われてハッピーエンドに終わる物語」や「お気に入りキャラの冒険が無限に続く物語」の供給を強制される様になる。

    *この時点で改めて問われる事になったのが「(貧富格差の拡大などを放置して黙殺しつつ繁栄を謳歌する)インテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層に対する庶民のルサンチマン」が歴史的に果たしてきた役割。

  • D・W・グリフィス監督の手になる「國民の創生(The Birth of a Nation、1915年)」や「イントレランス(Intolerance、1916年)」に登場する「大群衆」…オーケストラの伴奏で大劇場に掛かる大作サイレント映画は、それに相応しい豪華な内面性を備える為に「大群衆の動員」という手法を用いた。そして洪水の如きその巨大な力のベクトルが何方に向かうべきかが初めて俎上に上る事になる。またこれらの作品を通じて「(時間の連続性を失わせないようにシーン単位の撮影でなく複数のカメラを使ったショット単位の撮影を行いそのモンタージュ編集で場面を構成する)マルチ・カヴァレッジ」や「(異なる場所で同時に起きている2つ以上のシーンを各ショットの並行モンタージュで繋ぐ)クロスカッティング」や「ラスト・ミニッツ・レスキュー(これらの技法を駆使して演出される「最後の瞬間の救出」シーン)」といったスペクタクル映画の基本技法が確立していく。そして1920年代にはソ連の映画人たちが「モンタージュ理論」として体系化した他、戦後に黒澤明が『七人の侍(1954年)』の合戦シーンを複数カメラで撮影したことをきっかけにハリウッドでも普及が始まる。

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    *「國民の創生(The Birth of a Nation、1915年)」…アメリカ映画最初の長編作品。1500ショット、上映時間165分・12巻からなり、広告費も含めて約11万ドル(製作費だけでも6万1千ドル)の製作費がかけられたブロックバスター映画の嚆矢でもあった。物語は、南北戦争とその後の連邦再建の時代の波に翻弄される、アメリカ北部・ペンシルベニア州のストーンマン家とアメリカ南部・サウスカロライナ州のキャメロン家の二つの名家に起こる息子の戦死、両家の子供達の恋愛、解放黒人奴隷による白人の娘のレイプ未遂と投身自殺などの出来事を、南北戦争奴隷解放エイブラハム・リンカーンの暗殺、KKKの黒人虐待などを壮大な叙事詩のように、白人の視点から描かれる。終始「英雄としてその生涯を全うしようとする白人(光と秩序の側)」と「暴力的で世界を混沌の渦に引き戻そうとする黒人(闇と混沌の側)」が対比的に描かれ、当時の人種差別問題を扇動によって助長させた事でも有名。またこの作品ではワーグナーワルキューレの騎行」が「白人の正義のテーマ」的に挿入されている。

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    *「イントレランス(Intolerance、1916年)」…いつの時代にも存在する不寛容(イントレランス)を描き、人間の心の狭さを糾弾した。「アメリカ篇(現代の(製作当時の)アメリカを舞台に青年が無実の罪で死刑宣告を受ける)」「ユダヤ篇(ファリサイ派の迫害によるキリストの受難を描く)」「バビロン篇(異なる神の信仰を嫌うベル教神官の裏切りでバビロンがペルシャに滅ぼされる)」「「4つの不寛容のエピソードが挿入されている。その4つのエピソードは、「フランス篇(フランスにおけるユグノー迫害政策がサン・バルテルミの虐殺に至る)」という4つの物語を並列的に描く。巨大なセットを作り、大量のエキストラを動員させるなど、前作『國民の創生』よりも高額の38万5000ドルの製作費を投じ、文字通りの超大作となったものの、第一次世界大戦で参戦ムードが高まっていた中で公開されたため不寛容の内容が合わなかったこと、アメリカ以外の話も取り上げていたため観客の関心をひかなかったことなどが理由で、興業的には大惨敗で終わっている。

    *そしてこうしたサイレント映画時代の「やり過ぎ」が「世界初の映像倫理規定」Hays Code制定という事態を招いてしまうのである。

  • ソ連セルゲイ・エイゼンシュテイン監督が手掛けた「戦艦ポチョムキン(露Броненосец «Потёмкин»、英Battleship Potemkin、1925年)」における「オデッサの階段」場面において一方的に虐殺される民衆…第1次ロシア革命20周年を記念して製作された共産主義プロパガンダ映画。主要な役以外は素人(艦隊の水兵やオデッサ市民など)が演じ、エイゼンシュテイン監督自身も神父役で出演。またオールロケで撮影され、記録映画のような手法がとられている。1905年に起きた戦艦ポチョムキンの反乱を題材とするが、黒海艦隊の多くの艦が反乱に同調する(実際は数隻のみ)、オデッサで市民に対する大虐殺が遂行される(そんな史実は存在しない)など現実との乖離が著しい。その一方で当時のソ連の映画人が提唱したモンタージュ理論を確立した作品として知られ、エイゼンシュテインが唱える「アトラクションのモンタージュ」などといった独創的なモンタージュ理論を実践しており、世界各地で大きな反響を受けるとともに、後の映画人にも多大な影響を与えた。特に「オデッサの階段」と称される約6分間の場面は「映画史上最も有名な6分間」と言われるほどの衝撃を与えたとされる。

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    *ある意味全ては「ボストン反英派」が「(英国植民地軍が民間人暴徒に銃を向け5人を射殺した)ボストン大虐殺事件(Boston Massacre / Incident on King Street、1770年)」の過剰宣伝によってを過剰宣伝によって米国独立戦争(American War of Independence、1775年〜1783年)に向けての機運を盛り上げていった時代から始まったのかもしれない。彼らはアメリカ独立後、新政府に不満を持つ大衆の蜂起を本物の虐殺で鎮圧して正当性を失い失脚を余儀なくされたが、このプロセスにはどことなく「尊王攘夷運動」を全国に広げた幕末の水戸学派が内ゲバによって自滅して明治政府への参画が不可能となった経緯を思い出させる。

    *その一方でセルゲイ・エイゼンシュテイン監督は「時の独裁者」スターリンから「(時として大虐殺を命じねばならない)独裁者の苦悩の正当化」を命じられ、しかもその試験に合格出来ず失脚を余儀なくされてしまう。

    *むしろこうしたイデオロギー観点から御眼鏡に叶ったのは「戦争と人間 第3部・完結編(1973年)」において「三八式歩兵銃程度しか装備しておらず、戦争に際しては民間人に対して略奪・輪姦・虐殺を働くくらいしか能のない日本兵が(米軍から)M1ガーランド自動小銃やブローニングM1918自動小銃(BAR)を装備した八路軍や(後世クルクス戦車戦(1943年)などで活躍した)T34/85戦車を装備したソ連戦車隊に一方的に虐殺されていく」場面を嬉々として撮影し、後に量産される反日映画の基本フォーマットを構築した山本薩夫監督だったというべきかもしれない。リベラル層は元来「政治的正しさ(political correctness)」の起源がこうした次元の「論争」だった事にもう少し自覚的になるべきであろう。

    *このあたりの経緯は「血の日曜日事件(1972年)」を題材とした「Sunday Bloody Sunday(1983年)」で鮮烈なデビューを飾りながらパナマ文書で脱税を暴かれたU2の凋落とも重なってくる。

  • フリッツ・ラング監督・ テア・フォン・ハルボウ脚本映画「メトロポリス(Metropolis、1927年)」における「労働者」…「資本家と労働者は本来一体たるべき存在である」なるテイラー主義的(すなわちレーニンがこっそり「カール・マルクスの人間解放論」と差し替えて科学的マルクス主義の柱とした)信念を有し、後にナチス讃美者へと変貌したハルボウの脚本において「労働者の蜂起」は、あくまで「資本家に奪われた領民の統治権を取り戻すべく画策する旧支配階層の陰謀」によって勃発し、彼らの自滅によって沈静化するものとして描かれるに過ぎない。一方、それまで自らもハイデガーいうところの「集-立(Ge-Stell)」概念、すなわち「特定目標の達成の為に、持てるリソースを総動員する機械的システム」の犠牲者に過ぎなかった資本家階層はこの体験を通じてその放棄を決意する。こうした展開についてフリッツ・ラング監督は「もっと機械文明が人間に与える影響について真摯に描くべきだった」と不満を述べている辺りが実に興味深い。
    フリッツ・ラング監督自身もヴィントゲンシュタインやエンルスト・ユンガー同様に第一次世界大戦において徴兵されており、色々思うところがあったとされている。

    *その一方でドイツ貴族の娘にして「ユダヤ人芸術家」フリッツ・ラング監督の妻でもあったハルボウは、この作品に登場する歓楽街「ヨシワラ」において「ドイツ人男子の女性に求める性的搾取」を鋭く暴き立てているのだが、後に離婚して欧州におけるユダヤ人迫害を逃れる様にしてアメリカに渡ったフリッツ・ラング監督は「運命の女」を中核概念に据えたフィルム・ノワール系ハードボイルド映画作家へと変貌してしまう。

    *こうした「大衆」のダークな側面への注目を継承したのがクリストファー・ノーラン監督映画「ダークナイト ライジング(The Dark Knight Rises、2012年)」とも。フランス革命当時のパリとロンドンを描いたチャールズ・ディケンズ二都物語(A Tale of Two Cities、1859年)」を下敷きにしたとされるこの作品においては「存続する大義名分を完全に失わせてから(融合爆弾で)ゴッサムシティを灰燼に帰す」意図を秘めた「ラーズ・アル・グールの遺志を継ぐ者達」の扇動によって「それまで一方的に虐げられてきた市民」が富裕層への襲撃を含む破壊の限りを尽くす(その背後で「運命の女」セリーナ・カイルが暗躍)。そういえばワーグナーは「霧の都ロンドン」に「ニーベルゲンの指輪四部作」における(ニーベルング族を奴隷化した)アルベルトの工房や(巨人を騙して建造した)ヴォーダンの居城ヴァルハラのイメージを重ね、フリッツ・ラング監督とテア・フォン・ハルボウはそのロンドンに代わって「国際資本主義の中核」となったニューヨークを「背徳都市」メトロポリスのイメージの源泉としたのだった。架空都市ゴッサムシティもこの系譜に連なるが「バットマンが守護者として守っている」辺りが異なる。

  • ディズニーアニメ「ファンタジア(Fantasia、1940年)」収録の「魔法使いの弟子(L'apprenti sorcier, scherzo symphonique / The Sorcerer`s Apprentice)」に登場する「暴走した箒」…ステレオ効果が利用された最初の映画で、なおかつサラウンドの原型ともいえるステレオ再生方式が世界で初めて一般的に導入され実用化された面においても、音響技術において非常に重要な歴史的映画である。音響システムを手掛けたのは後のヒューレット・パッカード社。しばしばハイデガーいうところの「集-立(Ge-Stell)」概念、すなわち「特定目標の達成の為に、持てるリソースを総動員する機械的システム」の抱える不気味さを的確に映像表現している例として引用される。
    *例えば「(フランスでナポレオン三世が推進した「上からの産業革命」を模倣した)プロイセン宰相ビスマルクドイツ帝国建設が後世に何を残したか」について検討する際などに比喩的に使われる。まぁこれ随分と酷い「フランス目線」な訳だが。

    レニ・リーフェンシュタール監督が手掛けたナチスプロパガンダ映画「意志の勝利(Triumph des Willens、1934年)」は、当時の国際社会に相応の衝撃を与えたが、そういう形での大衆動員が何処に行き着くかまで暗示している点が興味深いのである。なにしろ現実のそれは「バグってたら師匠が登場してリセット」という訳にはいかない事が多いのだから。

  • J・R・R・トールキンホビットの冒険(The Hobbit, or There and Back Again、1937年)」や「指輪物語The Lord of the Rings、執筆1937年〜1949年、刊行1954年〜1955年)」における「死人占い師(Necromancer)率いる影の勢力(Shadow Force)」南アフリカにおけるアパルトヘイト(Apartheid=人種隔離政策、1948年〜1994年)は元来「オランダ系旧移民アフリカーンス(Afrikaans)」と英国系新移民の対立を解消し両者による覇権を確定する目的で始まったものだったが、むしろそれまで互いに没交渉だった黒人部族連合を団結させ、彼らをも平等の輪に加えねばならない展開を迎えてしまう。すなわちトールキンが「指輪物語」において「(一刻も早く地上から駆逐されるべき)影の勢力」として描いたゴブリン・オーク・オーガといったモンスター達は最終的に「人間として平等に扱われる権利」を獲得したのだった。
    ノーベル文学賞を受賞したJ・M・クッツェーの「夷狄を待ちながら(Waiting for the Barbarians、1980年)」は、南アフリカ共和国におけるこの辺りの価値観の逆転を描いて世界中から喝采を浴びている。

    *この辺りは「外交革命(独Umkehrung der Allianzen, 仏Révolution diplomatique, 英Diplomatic Revolution、1756年)によるフランス王統ブルボン家神聖ローマ帝国皇統ハプスブルグ家の歴史的和解がもたらした平和がむしろ(庶民の不満が統治者に集中的に向けられる様になった結果としての)フランス革命(1789年〜1799年)の重要な遠因の一つとなったり、オーストリアハンガリー二重帝国(1867年〜1918年)の成立によって既得権益甘受者がオーストリア貴族やマジャール貴族に限定された事がかえって他のエスニック・グループの対抗意識を惹起して民族独立運動激化を招いた歴史を彷彿とさせる。もちろん、ここでも「一度火がついたら僕達の輝きはもはや失われない(We light it up, we won't come down)太陽だって、もう今更阻止するなんて出来やしないのさ(And the sun can't stop us now)」の詠唱が…

    *だがもちろん、この程度の歴史的展開で消し去れるほど「暗黒大陸」アフリカの闇は浅くない。 南アフリカからカナダに移住したニール・ブロムカンプ監督の映画「第九地区(District 9、2009年)」においては「人口爆発によって世界中に出稼ぎ労働者を送り出す様になったが、その中にとんでもなく未開な呪術信仰段階の連中が混ざっている」ナイジェリア人に「(ゴブリン・オーク・オーガといった)影の勢力」の役割を継承させている。


    *その反資本主義的提言にもかかわらず完全映画化の希望が1970年代から存在したが、最終的にそれに成功したのは「制作費が比較的安上がりに済む」ニュージーランド勢が市場参入してからだった。

  • 黒澤監督映画「七人の侍(1954年)」における「百姓」…落ち武者狩りを通じて蓄えられた武具の山を前にして菊千代(演三船敏郎)がまくしたてる「仏様とでも思ってたか。バカにするな。百姓くらい悪ずれした生き物はいないんだぜ。米も麦もねえと言いながら、何だってあるんだ。正直面してペコペコ謝って、何でも誤魔化す。百姓ってのはケチンボでずるくて泣き虫で意地悪でマヌケで人殺しだ。口惜しくて涙が出らあ。だがな、そんなケダモノを作ったのは誰だ。お前たち、侍なんだよ。百姓はどうすりゃいいんだよ」なる長広舌。最後の場面で勘兵衛(演志村喬)が七郎次(演加東大介)に告げる「今度もまた負け戦だったな」「」「勝ったのはあの百姓たちだ。わしたちではない」なる台詞…全てに渡って空前絶後の完璧なマスターピースだが、それ故にこうして全体像を俯瞰する際には強烈過ぎて模倣が難しい側面も。 

    黒澤監督映画「七人の侍(1954年)」

    *実際リメイク作品「荒野の七人(The Magnificent Seven、1960年)」において「百姓」は、「南北戦争(American Civil War、1861年〜1865年)」の敗残兵や「フロンティア消滅(1890年)」によって米国本土では存在意義をなくしたガンマンに精神的に依存する「良き領民」としての側面しか見せる事はなかった。その一方でむしろ「(南北戦争敗残兵や西部のガンマン同様に)米国本土で食い詰めてメキシコに流れてきた」山賊に同情が向かう展開に。

  • オリバー・ストーン脚本映画「コナン・ザ・グレート(Conan the Barbarian、1982年)」に登場する「大衆」…魔道士タルサドーム(「ダースベーダーの声」も手掛けたジェームズ・アール・ジョーンズ)の創始したカルト宗教の信者としてのみ登場し、英雄コナン(アーノルド・シュワルツェネッガー)が彼を倒すとそれぞれが我に帰って解散する。あえて「大作」を志向しなかった「アメリカン・ニューシネマ(New Hollywood)」は殆ど「大衆」についても語らなかったが、この作品においてはヒッピー世代の大衆観が珍しく適切に表現されている。
    *しかし続編にこういった要素は継承されず、たちまちどうでも良いシリーズに転落して歴史の掃き溜め送りになってしまう。

  • 「ハリウッドの失われた10年」と(制作費を安く上げる為の)大作映画外注…ハリウッド映画界がスペクタクル史劇や大作ミュージカル映画にリソースを集中する為にそれ以外のジャンルのカラー化を(制作費の安い外国に任せてきた結果生じた展開。これに付け込む形で英国の怪奇映画や日本の特撮怪獣映画やアニメがアメリカ進出を果たしてきた。そして1970年代アメリカにおいて(日本のアニメスタジオを下請けに使う形で)検討された「指輪物語The Lord of the Rings、執筆1937年〜1949年、刊行1954年〜1955年、完全実写映画化2001年〜2003年)」や「ホビットの冒険(The Hobbit, or There and Back Again、1937年、アニメ化1978年、完全実写映画化2012年〜2014年)」の完全実写映画化成功にはニュージーランド勢の参画が欠かせなかったし、またフランスにおいては既に「手垢まみれの骨董品」扱いだったヴィクトル・ユーゴーレ・ミゼラブル(Les Misérables、1862年)」のミュージカル版を1980年代以降国際的にヒットさせたのは英国で、その完全実写映画化を手掛けたのはオーストラリア勢だった。
    *そう「The Greatest Show」の歌詞にある「一度火がついたら僕達の輝きはもはや失われない(We light it up, we won't come down)太陽だって、もう今更阻止するなんて出来やしないのさ(And the sun can't stop us now)」なる章句は、まさにこの展開を歌っているとも見て取れるのである。

そう「グレイテスト・ショーマン」が力強いのはまさしく、あの「どすこい髭女」が歌う「見なさい、私が通る(Look out 'cause here I come)、ドラムを叩いて行進する( And I'm marching on to the beat I drum)、もう見られるのは怖くない(I'm not scared to be seen)、言い訳はもう沢山。これが私だ(I make no apologies, this is me)」という歌詞がまさしく国際的躍進を果たしたオーストラリア映画界の事をも歌っているからかもしれないという話…

 

なにせしばらく前までオーストラリア映画といったら「マッドマックス(1979年〜)」に「クロコダイル・ダンディ(Crocodile Dundee、1986年〜2001年)」だった訳ですからね。「フリークスとして搾取されてきた立場からハリウッド映画界を告発する」資格が十分にある訳です。


そういえばヒュー・ジャックスマンが演じたウルヴァリンは「カナダ人」という設定。意外と「進出」に手数を掛けているのですね。
ニュージーランド出身のラッセル・クローの「グラジエーター(Gladiator、2000年)」主演の様に英国人監督に抜擢されたケースも。ヒュー・ジャックスマンの国際的活躍も英国演劇界での1990年代における活躍を最初の足掛かりにしている。

*この辺り、アメリカ独立戦争(American War of Independence、1775年〜1783年)に際して(資金調達と外交関係樹立を目する)外交官として渡仏したベンジャミン・フランクリンが「ビーバーハットを被った粗野で剽軽な田舎紳士」として貴族の夜会を巡り「夫人達の人気者」となる事から始めたというエピソードを思い出す。日本のエンターテイメント界は忘れがちだが「国際社会への進出」とは、時としてそうやってあえて笑い者になる事から始めねばならない時もあるのである。

この辺のわだかまりの鬱積が彼女の「プロデューサー」P.T.ボーナムに向けられる視線には感じられたりもするのですが…それについてはまた別の投稿で。


そもそも「どすこい髭女」が歌うThis is Meには「洪水を起こして彼らを溺れさせてやる(I'm gonna send a flood, gonna drown them out)」なる文言しかないのが要注意。要するにサーカス団員は「ブリュンヒルデの自己犠牲」における「(奪われた権利を取り戻す機会を虎視眈眈と狙ってきた)ラインの乙女」の役割を与えられているに過ぎず、「火系」のロキすなわち「どんな壁にも壊れたレンガはある(There's something breaking at the brick of every wall it's holding)」と歌われる存在はまた別にいるという事…