最近のハリウッド映画を鑑賞していると日本語の限界を痛感する事があります。例えばクリストファー・ノーラン版バットマン三部作(2005年〜20012年)の主人公ブルース・ウェイン(演クリスチャン・ベール)は作中で「理想主義者(Idealist)」、「グレイテスト・ショーマン(The Greatest Showman、2017年)」の主人公P.T.バーナム(演ヒュー・ジャックスマン)は作中で「アイディア・マン(Idea Man)」と呼ばれますが、両者の本質的相似性が日本語で上手く表現出来ないんですね。
観念論もしくはイデアリスム(英語: idealism、ドイツ語: Idealismus、フランス語: idéalisme) - Wikipedia
さまざまな意味があるが、認識の妥当性に関する説の一つで、事物の存在と存り方は当の事物についてのidea(イデア、観念)によって規定される、という考え方などを指す。
日本では訳語が一定せず、存在論においては唯心論、認識論においては観念論、倫理学説においては理想主義と訳し分けられてきた。
はてさて「アイディアが具現化する(The idea is to embody)」 なる英語表現と「夢が叶う(Dream Come True)」なる英語表現のギャップの間には何が潜んでいるのか…そういえばembodyには「受肉する」なんてキリスト教学的定義もあったりして…
ある意味、本質を捉えているのは「DEATH NOTE(2003年〜2006年)」のこれとも。
ただ「理想先行」過ぎて、 デヴィッド・フィンチャー監督映画「セブン(Seven, 劇中の表記は"Se7en"、1995年)」の連続猟奇殺人の様に「自らも極悪人として処刑される」事まで計画に含んだりもするのがIdeaなのですね。
この問題はマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU=Marvel Cinematic Universe)を理解する上で重要な鍵となる「流出説(Emanationslehre)」に関しても存在しますね。「勉強が足りない」というより仏教の縁起論などが先行して頭に入っている為、そもそも自然に頭に入ってこないのです。
*という事は間違いなく「逆も真なり」なのである。
最近の私の投稿における「堂々巡り」は、こうした考え方と「肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」式の行動主義の衝突に由来する事が多い様です。
それで一応メモがてら…