諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【グレイテスト・ショーマン】「サーカス」を「うどん」に置き換えると「オーストラリア勝利の凱歌」に。

グレイテスト・ショーマン(The Greatest Showman、2017年)」の、特に(既存投稿の中で私が「純度の高いファシズム」と評価した)冒頭場面から(そうした要素が最終的に排除され尽くす)最終場面に至る過程について、私はこれまでこんな指摘を重ねてきたのです。

f:id:ochimusha01:20180426083326g:plain

 ①まずは作品全体について。明らかにP.T.バーナムの生涯の忠実な再現を目指している訳ではなさそう。ならば何を目指した作品なのだろう?

②ヒュー・ジャックスマン演じる「この作品におけるP.T.バーナム」について、多くの鑑賞者が「まるでサーカスの概念そのものが地上に顕現する為に利用され尽くし、最後は捨てられる狂言回しの様にも見える」と評している。そういえば同じ事がクリストファー・ノーラン監督映画「プレステージ(The Prestige、2006年)」で同じくヒュー・ジャックスマンが演じた奇術師「偉大なるダントン(グレート・ダントン)」についてもいわれていた。彼らを突き動かした飴玉は「プレステージPrestige)=観客を前にしたステージ上で演者が輝く瞬間そのもの」。それに人生の全てを注ぎ込んでしまった「偉大なるダントン」は生還が叶わなかったが、P.T.バーナムは途中で自分が本当に貫きたいのは「家族愛」だったと気付き、自分なりの「サーカスの概念そのものの顕現」なる大役を果たした後でそれを後継者に引き継ぐ形で引退する。こうした物語文法には如何なる先例が存在するのだろう?
f:id:ochimusha01:20180322144616j:plain
f:id:ochimusha01:20180322144343p:plainf:id:ochimusha01:20180322144739g:plain
*まず真っ先に指摘すべきは、こうした展開が同じクリストファー・ノーラン監督の手になる「ダークナイト三部作(2005年〜1012年)」におけるブルース・ウェイン(演クリスチャン・ベール)と「バットマンの概念そのもの」の関係にも見て取れるという事。そういえばクリスチャン・ベールは「プレステージ(The Prestige、2006年)」において同様に「観客を前にしたステージ上で演者が輝く瞬間そのもの」へと殉じていくライバル奇術師「教授(プロフェッサー)」を演じており、しかも作中において既に「ダークナイト三部作」でアルフレッド執事を演じたマイケル・ケインと「技術的協力者」として組んでいた。

③こうしたアプローチは同時にに「ロック・オペラ」としての先例とでもいうべき「ファントム・オブ・パラダイス(Phantom of the Paradise、1974年)」や「ロッキー・ホラー・ショー(The Rocky Horror Picture Show、1975年)」や「トミー(Tommy、1975年)」の「空騒ぎ(Circus)を装った象徴主義的問題探求」における(鑑賞者を煙に巻こうとする)喧騒感より遥かにシリアスで鋭角的なスタンスで、問題の本質に鋭く迫ろうとする求道者的態度を感じさせる。


*同時に「グレイテスト・ショーマン」に盛り込まれた主題には英国の伝説的バンドQueenの名曲「We Will Rock You(1977年)」「Radio Ga Ga(1984年)」「The Show Must Go On(1991年)」に対するオマージュ性も感じられる。

「ウィ・ウィル・ロック・ユー(We Will Rock You、1977年)」 - Wikipedia

「レディオ・ガ・ガ(Radio Ga Ga、1984年)」 - Wikipedia

タイトルの由来は、ロジャーの子がまだ赤ちゃん言葉の頃、ラジオを聴いていて「ラジオ、カカ」(Radio caca) と言ったことに発想を得たものだという(caca は幼児言葉や隠語で「うんち」を意味することもある)。彼は後にこの「caca」を「夢中になる」「熱狂的な」という意味の「ガガ」(ga ga) に改めて曲名とした。

f:id:ochimusha01:20180426054548g:plain

楽曲のプロモーションビデオも作られたが、そこではフリッツ・ラング監督映画「メトロポリス(Metropolis、1927年)」からの映像が多用されている。それはこの映画の再上映の際、クイーンがBGM制作に携わったスタッフの一員であったからで、その撮影においてサビの部分でファンクラブの500人をエキストラとして使用。ビデオでの大勢でこぶしを突き上げ手を叩いてリズムに乗るシーンは、そのままコンサートにも生かされ「ワークスツアー(1984年)」における演奏されて以降、クイーンのライブでは、欠かせない存在となっていく。一部音楽評論家からは「非常にファシズム的である」と批判されたが、むしろそうした雰囲気が生み出す「危険なまでの」演奏者と観客の一体感こそが、熱狂的ファンにとっては心地良いとされたのだった。
*こうした「非常にファシズム的な雰囲気」は実は「メトロポリス(Metropolis、1927年)」を監督したフリッツ・ラングの妻でこの作品の脚本を手掛けたテア・フォン・ハルボウの「脳(知識指導者階級)と手(労働者階級)の階級的矛盾は、それを調停する「心」の登場によって解決される」なる信念に由来する。奇しくもそれはミュンヘン一揆(1923年)失敗とその責任を問われての投獄を通じて(共産主義者はおろか、当時与党だった「SPD(Sozialdemokratische Partei Deutschlands=ドイツ社会民主党)」や「NSDAP(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei=国家社会主義ドイツ労働者党)」左派にまで共有されていた)プロレタリアート階層によるインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層の殲滅構想の無謀さを悟り、イタリアで既に一党独裁政治を行っていたムッソリーニの「和階路線」を受容したアドルフ・ヒトラーが「我が闘争(Mein Kamp、1926年)」で開陳した思想から色濃く影響を受けていた。ただし歴史的この段階においてその立場は(イタリアン・ファシズムイデオロギーの本質であったにも関わらず)ナチズムと完全に紐付けて考えられていた訳でもない。実際例えば「保守主義的思考(Das konservative Denken、1927年)」の著者カール・マンハイムは当時躍進していたドイツ保守党が英国保守党の様にその偏狭な「貴族=地主階層の利権団体」なる立場を放棄して選挙に勝てる「和階路線」に舵を切る事を期待していた節が見受けられる。自らも貴族階層出身だったハルボウはあくまでそれが叶わぬ夢である現実により自覚的だったらしく「メトロポリス」作中においてこうした動きを「(偽マリア創造を通じて)労働者を恣意的に扇動し過去の栄華を取り戻そうとする旧支配階層の浅はかな夢」と切り捨てている。その発想はおそらく(亭主のフリッツ・ラングとともにその映像化に邁進してきた)リヒャルト・ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環(Ein Bühnenfestspiel für drei Tage und einen Vorabend "Der Ring des Nibelungen"、1848年〜1874年)」における「一度はヴァルハラ城の主ヴォーダンに屈しつつ、彼が英雄ジークフリートに破れ弱気になった隙を突いてイニチアシブを握った梟雄アルベリヒ」に由来する。実際彼女が書き上げたオリジナル脚本は「メトロポリスの支配者フレーダーが梟雄アルベリヒの陰謀を受容したせいでそれを失うも、自らがメトロポリスを創設したそもそもの理由が家族への愛だった事を思い出し「支配階層代表」息子と「労働階層代表」マリアの恋愛成就を祝福して引退する」というものだった。

*そういえばYMO解散ライブ「1983 YMO ジャパンツアー(1983 YMO JAPAN TOUR)」に取材した音楽映画「A Y.M.O. FILM PROPAGANDA(1984年)」においても同種のファシズム性は強調されているが(1977年から1979年にかけて架空キャラクター「シン・ホワイト・デューク(痩せた青白き公爵)」を名乗り、ナチズムを強く意識したライブを展開してメディアから激しいバッシングを受け、危険人物とみなされていたベルリン時代のデビッド・ボウイを連想させる形で)より退廃的に描かれ「夜の闇に包まれた冬の海岸に浮かび上がった第三帝国時代の議事堂を思わせる巨大なステージで展開するYMO散開コンサートの幻」はコンサート会場炎上によって幕を閉じるのである。


*ある意味、こうしたファシズム的陶酔を体では理解しつつ脳が拒絶するアンビバレントな態度こそが「ロック・オペラのまぜっ返し」や「プログレッシブ・ロックの難解さ」の大源流だったとも。そしてこの障壁を1970年代後半から1980年代前半にかけて世界を席巻した「青春搾取映画(Youth Exploitation film)」が突き破る。すでにそうなる予兆は(国際的にTV普及に伴う興行収入の落ち込みに悩まされていた)映画業界が「こうした作品のターゲットは単なる搾取対象だから一切の同情は不要」と割り切って黒人を称揚する「黒人搾取映画(Blaxploitation Movie)」や「カンフー映画(Asian Exploitation film)」や「性暴力搾取映画(Sex&Violence Exploitation film)」を量産する様になった段階から現れていた。「どんな堅牢な壁にも壊れた部分ならある(There's something breaking at the brick of every wall it's holding)」。後期ヴィントゲンシュタインいうところの言語ゲーム(Sprachspiel)の地平線の彼方に追いやられてきた絶対他者に中央進出の機会が与えられる。(最終的に「マルクス主義」から完全に排除されてしまった)カール・マルクスの人間解放論の出発点たる「我々が自由意思や個性と信じ込んでいるものは、実際には社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない(本物の自由意思や個性が獲得したければ認識範囲内の全てに抗え)」なる宣戦布告。その一方で「永遠の革命家」オーギュスト・ブランキ(Louis Auguste Blanqui、1805年〜1881年)は「革命とは青春であり、青春は永遠に勝利の栄光とは無縁な存在であり続ける。何故なら如何なる体制の転覆に成功しようとも、その瞬間から新たな反体制派への弾圧が始まるからだ」と断言。「グレイテスト・ショーマン」において語られる「P.T.バーナムの生涯を巡る(実際に彼が送った生涯と乖離した)神話」もまさにこの流れに沿う形で展開するのである。

クエンティン・タランティーノ - Wikipedia

曲の内容は、テレビやビデオで音楽を聴く時代だからこそラジオに頑張ってほしいという応援歌であったが、皮肉にもこの曲のPVが人気を博し、曲の内容に反するものとなってしまう。
ちなみにアメリカの女性シンガーソングライターのレディー・ガガの名は、この曲が由来だと語っている。 

この曲との出会いは中学のとき、初めて聞いたときですよ。この曲を嫌いになったのは…

だってね、意味はわからないけども、怖かったんですよ。最初に聴いたのは今でも覚えてる。車の中だったんですが、泣きそうになった。今思えば、曲にこめられた感情って伝わるんだなって…

この曲はアルバムInnuendo収録の曲。Innuendoはフレディの生前に発売された最後のアルバム。そしてこの曲はアルバムの最後に収録されています。

歌詞は見たらわかるかな。とにかく感じるのは自分の死期を悟っているということ。

曲中の「妖精」は自分のことでしょう。もうすぐ自分は死ぬ。でもフレディ・マーキュリーという存在は終わらない。確かに今でもいろんな人間に影響を与え続けていますね。

でも感じるのはフレディは自分の人生を生きたということ。PVを見ればわかります。好き勝手やったんじゃないかな。笑

後悔があったのかとかは本人しかわからないけど、でも楽しんだんじゃないだろうか…
*そもそも「The Show Must Go On」なる言葉は元来「(途中でどんなに酷いアクシデントが起こっても)観客はショーの中断を許さない」なるニュアンスで(英国演劇界出身の)怪奇作家クライブ・バーカーが「(物語を盛り上げる為の)虐殺を予告する宣言」として好んで多用したりと、本当にロクデモナイ状況においてこそ輝く言葉なのである。

*もっともこうした展開自体は、そもそもQueenこそがロック・ミュージカル概念の延長線上において世界で初めて初てプロモーションビデオの概念を打ち出した「ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody、1975年)」の提供者だった事を思えば何ら驚くに値しない。そもそもそれは製作された時点においてはTV出演のスケジュールが合わなかったため急遽制作された代替物に過ぎなかったが、はからずしも結果として当人が様々な番組に出演して演奏するより、こうした「謎解きの甲斐がある複雑な映像」を繰り返し流す方がプロモーションとして有効だという事を証明してしまったのである。

「ボヘミアン・ラプソディ(Bohemian Rhapsody、1975年)」 - Wikipedia

④それがどこまで意識化され、当人の口から公式に語られてきたかに関わらず(英国連邦(Commonwealth of Nations、旧名British Commonwealth)の主要構成国の一つたる)オーストラリアのCMディレクター出身のマイケル・グレーシー(Michael Gracey)監督が初めて大作ミュージカル映画を監督するに当たってこうした伝統の影響を色濃く受けているのは間違いない。特に英国とオーストラリアの合作で、やはりヒュー・ジャックスマンが主演したミュージカル映画レ・ミゼラブル(Les Misérables、2012年)」に対する観客の評価は確実にフィードバックされていると考えられる。


ミュージカル映画レ・ミゼラブル(Les Misérables、2012年)」への観客評価

そもそも「レ・ミゼラブル(Les Misérables)」なる作品が得てきた評価はそれぞれの時代によって異なっている。

f:id:ochimusha01:20180426120427j:plain

  • 実はヴィクトル・ユーゴー1862年に執筆した原作の主題は当時の実証科学的文学(自然主義文学)流行に合わせ「(当時のインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層がその存在自体を黙殺してきた)貧困階層の実態を世に示す」事、さらには「彼らを社会的偏見から解放し、資本主義社会の競争に対等な立場で参加する機会を与えれば相応の成功を納める人々も現れる」というものだった。
    *かくして本来の出自を隠して工場主や市長に昇進するジャン・バルジャンに対して、ほぼ同じ境遇出身ながら(むしろそれ故に)そうした成功を「道義に反する偽物」と断じて弾圧する「旧体制の象徴」ベジャール警部や「(同じ階層の人間を食い物にする事しか考えない)悪の貧乏人」テナルディエ一家が配される展開に。七月王政1830年〜1848年)時代に執筆されたバルザックの人間喜劇(La Comédie humaine、1834年1850年)の世界観では「(自助努力より金持ちに取り入った方がずっと成功の目がある)ラスティニヤックのジレンマ(The Dilemma of Rastignac)」に苦しむ野心的な没落貴族の苦悩や、ならばいっそ金持ちを騙す大悪人を目指す決意を固めた(泥棒紳士アルセーヌ・ルパンの原型ともいうべき)「自称義賊」ヴォートラン(Vautrin)の暗躍に注目が集まったものだが、第二帝政時代(1852年〜1870年)には、やっと資本主義的成功が人生に与える影響について語られる様になってきたのだった(とはいえ自然主義文学の多くはむしろ資本主義がもたらすモラルハザードや貧富格差拡大について語るのを好んだ)。

  • 1980年代に英国エンターテイメント界がプロデュースして国際的にヒットさせたミュージカルは(原作ではテナルディエ一家の長女エポニーヌ(Éponine)の陰謀で「女婿」マリウスが巻き込まれ、ジャン・バルジャンが救出に駆け付けるだけの)六月暴動(1832年)におけるABC友の会の玉砕がクライマックスに設定されている(1910年代にサイレント映画の世界で確立した物語文法とも)。そして(原作では臨終直前のジャン・バルジャンが「女婿」マリウスに金儲けの秘訣を伝授する)最終場面でも、2012年映画版では「六月暴動で玉砕していく市民抵抗者」が歌った「民衆の歌(仏A la volonté du peuple、英Do You Hear the People Sing?)」がリフレインされる。

    *原作者ヴィクトル・ユーゴー当人は政治的には王党派とボナパリズムの間を揺れ動いた保守的立場で、復古王政時代も七月王政時代も上流階層に留まったばかりか2月革命直後に行われた選挙でルイ・ナポレオンを応援。その後の政争に破れてベルギーへの亡命を余儀なくされたとはいえ生涯ナポレオンを尊敬し続けた様なバリバリのインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層の一員だった。6月暴動に関心を寄せたのも自らの引き起こした「エルナニ(Hernani)事件(1830年)」を契機に若い芸術家達が結成した「青年フランス(小ロマンス派)」の全滅黙殺を正当化する為だったと目されている。こうした状況を鑑みれば「原作レイプにも程がある」という意見も出て来ようが、かといって原作の精神を尊重して「(自らの非を認めた)ベジャールの自殺場面」で幕切れとなる1998年版映画(リーアム・ニーソン主演)や漫画で読破版(2009年)は地味になり過ぎて商業的成功から却って遠ざかってしまった。


    *そもそも「六月暴動(1832年)」の実態は「フランス七月王政1830年〜1848年)打倒を目指したパリ市民の蜂起」などではない。実質的にそれはオルレアン王室がパトロンとして飼い慣らし、7月革命(1830年)に実動部隊として投入した「イタリア独立運動組織」炭焼党(イタリアにおけるカルボナリ(Carbonari)、フランスにおけるシャルボンヌリー (Charbonnerie))に含まれる急進共和派に対する粛清でオルグられて巻き添えになったのも出稼ぎ外国人中心だった。実は「(より悲惨な境遇に置かれている)出稼ぎ労働者が中心となって「政府との対話」を拒絶し警察と好んで衝突する急進武闘派を形成し穏便派の足を引っ張る」構図自体は「英国チャーチスト(Chartist)運動(1930年代後半〜1940年代)」においても見られ、これが招いた弾圧強化と内部分裂の深刻化が当時の労働運動を挫折に追い込んでいく。ちなみに急進共和派は2月/3月革命(1848年〜1849年)以降、農民に手酷い裏切りを受けた経験から「(小作人まで選挙に組織票を投じて王党派やボナパリストを当選させる)農民も人民の敵として粛清し尽くす」と断言する様になり、さらにその支持者を激減させる。この変化はもしかしたらマルクスが「共産党宣言(1848年)」で掲げた「万国のプロレタリアートよ、団結せよ!(Proletarier aller Länder vereinigt Euch!)」が「万国の労働者よ、団結せよ!」に改変されていくプロセスに重大な影響を与えたかもしれない。蜂起した農民は概ね(伝統的一揆感覚の延長から)蜂起時に掲げた目標を達成すると帰途についてしまう。これを防ぐにはまず彼らから一切の思考と行動の自由を剥奪し、反抗者は容赦無く見せしめとして粛清し尽くす事によって彼らを「真の共産主義者」に成長させねばならない。こうした発想から「民主集中制」なる概念が生まれ「プロレタリアート独裁からプロレタリアートに対する独裁へ」と呼ばれるプロセスが進行。支配階層の称号をどう改めても、それが最終的には特定のインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層の独占物となるという教訓を後世に残す事になったのだった。

    *こうした歴史的現実全てに背を向け「(急進共和派の象徴たる赤旗を振る)市民の蜂起」を称揚した事から、この作品は世界中のリベラル間で高評価を獲得。ただしこの種の嘘は常に現実世界における悲劇を伴う。「ウォール街を占拠せよOccupy Wall Street、2011年)」運動でも、トルコのタクシム広場選挙事件(2013年)でも、香港反政府デモ(雨傘革命、2014年)でも、デモ隊が嬉々としてこれを合唱する場面がYoutubeに流さた後には凄惨な弾圧場面が続くのが常で、一般人の間にこの曲に対する嫌悪感を植えつけたばかりか、左翼陣営間ですら「(玉砕を予告する)死の歌」として忌避される様になっていく。数少ない成功例の一つに数えられる台湾の「ひまわり学生運動(2014年)」でもこの歌は歌われていたのだが…要するに成功の鍵は「体制側との対話を諦めない事」「急進派と穏便派の分裂による足並みの乱れを許さない事」にあるが「急進派」がこの歌を歌いながら一致団結と不退転の決意を要求し始めると大抵ロクな結末を迎えないという事らしい。

  • その一方で21世紀の解放された女性ファン達は「(何の自助努力もせずジャン・バルジャンの手によって悲惨な境遇から救われるだけの」ファンティーヌ (Fantine)とコゼット(Cosette)母娘には原則として惹きつけれれなかった。
    *そもそも「貧乏と社会矛盾が犯罪の主要な原因」なる社会学的仮説、「その状況から不断の努力を積み上がって這い上がって来る人間こそが尊い」といったスポ根的思考様式が国際的に1960年代以降急速に精彩を欠く様になったのが大きい。

    *従って2012年の映画版に「ファンティーヌの困窮状態」に当時なりのリアリティを与える「髪の毛を剃り歯を抜いて売り払う」場面が加わっても完全黙殺。
    *そもそも女子ディズニー・ファンは伝統的に自助努力を一切せず、周囲の忖度だけで勝手に幸せになる「(恵まれた環境に胡座をかいているだけの)眠り姫」への嫌悪感を表明してきた事も大きい。

    *とはいえミュージカル版には最終場面で臨終直前のジャン・バルジャンの枕元に「愚直なまでに愛を貫き通した」フォンテーヌとエポーヌが天国から迎えに来るバージョンも。これならこれで納得がいくという人も。
    *ちなみに国際SNS上の二次創作でSlash(西洋腐女子)が流した二次創作では(「最後に改心し天国に昇天した」設置らしい)ジャベール警部が臨終直前のジャン・バルジャンの枕元に現れて「真に君という存在を理解し得るのは私だけだ」と囁きかけてマリウスとコゼットのお株を奪う。いずれにせよ「民衆の歌」合唱に象徴される様な革命賛歌への同調は一切見られない。

  • こうした層が逆に喜んで回覧していたのがヒュー・ジャックスマンが歌う「Who am I」に蜂起と恋のどちらを選ぶべきかについてのABC友の会とマリウスの駆け引きを描く「Red and Black」にマリウスに密かに横恋慕するエポニーの「On my own」。要するに「岐路に立つ個人的感情の衝突」を扱った曲に集中した形。

    *そしてBBCの番組で”I am Wolverine”を歌わされてしまうヒュー・ジャックスマン…

そもそも、2012年におけるミュージカルの「オーストリア勢を集結しての完全映画化」には、トールキンの「ホビットの冒険」「指輪物語」の「ニュージーランド勢を集結しての完全映画化」同様に「文明の中心地では手垢が累積して再解釈の余地がなくなって楽しみ続けるのが難しくなってきた旧コンテンツにそれを比較的安価に実現可能な辺境の人々がピュアな気持ちで完全再建する事によって新たな生命を吹き込む」事が期待されていた側面も感じられなくはない。

⑤こうした「(オーストラリア人にとっては最も精神的依存度が高い英国への感情を軸とする世界の中心に向けられる憧憬心に対する態度」が 「グレイテスト・ショーマン(The Greatest Showman、2017年)」の世界を駆動させる原動力になっているとも。
*そして皮肉にもそれは「それまで中央文化側が辺縁文化側に一方的に押し付けてきた(帝国主義に基づく植民地的収奪に対するルサンチマンや民族的自尊心が主要な行動力の源泉といった)既存のイメージ」とは全く懸け離れた内容だったのである。

中島成久「国民国家と人種主義(Nation-StateandRacism)」

アンダーソンのナショナリズム論の根底に「死」をめぐる議論がある。アンダーソンはその著書このいたるところで、「人々はなぜ想像の産物である国民というもののために死ぬことができるのか」と間うている.20世紀は戦争の世紀であったが、戦争の犠牲者を国のために殉じた殉教者としてたたえ、その愛国心的な行為を賛美し、その行為の純粋性が強調されるほど、その悲劇性は軽減される。ここに愛国心ナショナリズムは結合する。


アンダーソンは、植民地支配者の人種主義的愛国心と、被支配者のゲマインシャフト的表象に満ち溢れたナショナリズムの違いに注目している。帝国主義的支配や戦争を賛美する数多くの文学、音楽、芸術作品のなかに人種主義的感`情が満ちているのは当然である。だが、植民地支配から立ち上がろうとする植民地ナショナリズムの側には、支配者への憎しみが鴬くほどないとアンダーソンは断言する。国民への愛は膚の色とか、血統などと同化される。つまりゲマインシャフトを想起する用語が多用される。

処刑前のホセ・リサールの詩にあるように、政治的な愛の表現は親族関係の用語(雌国、父の国、Patria)や故郷に関する用語(故郷、タナー・アイールIC)などで表現される。かくして国民であることは膚の色とか、ジェンダー(性別)、血統などと同化させられる。いずれも個人が選べない物である。つまり、ゲマインシャフトを想起させる用語と結びつく

植民地ナショナリズムは植民地解放、帝国主義打倒を叫びこそするけれども、決して人種主義批判をすることがなかったというのは「驚くべきことだ」、とアンダーゾンは言う。これは彼らの寛容`性の表れでは決してなく、植民地ナショナリズムの限界を露呈している。植民地ナショナリズム成立の際にも、共通の過去、同胞といった意識が「想像」され、心地よい永遠の時間のサイクルが回っていく。

植民地的イデオロギーの表明以外は、反植民地運動の中には「反人種主義」はほとんど表明されていないことは驚くべきことだ。


このことは言語の中にも見出される。例えばジャワ語のlondo(HollanderとかNederlanderから派生)はオランダ人のみならず、「白人」をも意味する。ジャワの農民にとってオランダ人以外の「白人」に出会う機会はめったにないわけで、その二つの意味は重なっている。同じようにフランスの植民地領で「白人(レ・プラン)」はフランス人と白人`性を分離できず、支配者を意味している。どの場合にも「ロンド」や「プラン」が育ちに関する侮蔑語的意味を失うことはなかった。


スペイン語を話す混血メキシコ人は征服者よりも半ば滅んでしまったアズテカやマヤなどにその祖先を求める。ウルグウアイの革命的な愛国者クレオールであるが、彼らは1781年凄仙惨な拷問を受けて死んだ原住民反乱指導者のチユパック・アマルの名前を採っている。


こうしたすべての愛着の対象となる「想像されたもの」であることは逆説的である。タガログ人、滅ぼされた部族、母なるロシア、タナー・アイール。「愛国心」はこうした感情と変わるものではない。愛国心のなかには常に好感への想像がある。例え平凡な男女であっても恋人の目は特別だ。どんな言語であろうと、愛国者にとって彼/彼女の母語は特別だ。その言葉を通して母の膝に出会い、一人で墓に入っていく。過去はよみがえり、仲間意識は想像され、将来が夢想される。

アンダーソンは愛国心がその言語的表現として人種主義に転化するといっているが、現実はそうではない。ナショナリズムが前提とする「想像された共同体」として「国民」は、「国民」の普遍性を追及していく際に人種主義を生み出していく。ナショナリズムはそうした矛盾を絶えず内包しながら、存在していく。

  • トールキンの目には、南アフリカにおいて1940年代から1950年代にかけて成立した「(オーストリアハンガリー二重帝国成立を連想させる)オランダ系移民と英国系移民の対立関係解消」が反体制勢力(部族段階で停滞する黒人諸族やアフリカ奥地からの流入者や彼らを扇動する白人の裏切者達)の暗躍を抑え込む様に映っていた。しかし実際には却って逆に「白人VS黒人」なる人種対立構造を現出させ、急速に団結して近代的組織に発展した黒人諸族がアパルトヘイトの放棄(1994年)を勝ち取る政治的成果まで達成する逆転劇を産んでしまう。

    ノーベル文学賞を受賞したJ・M・クッツェー「夷狄を待ちながら(Waiting for the Barbarians、1980年)」は、まさに「文明側」と「未開側」の力関係が逆転する情景を描いて世界中に衝撃を与えた。同じ事は第一次世界大戦前後に相次いで消滅したオーストリアハンガリー二重帝国、オスマン帝国帝政ロシアのどれでも起こらなかったからである。代わりにこれらの地域においてはスラブ民主主義やゲルマン民主主義に立脚する「民族自決の精神」が戦略的に称揚され、今日なお民族紛争の火種があちこちで燻っている。

  • 同時期、ハリウッド映画界はカラー映画登場を契機にそのリソースを「スペククタクル史劇や豪華なミュージカル映画」といった大予算映画に集中。次第に「(Universal Monstors路線を継承するカラー怪奇映画」は英国ハマープロ、「(円谷プロの技術援用を受けた)カラー特撮怪獣映画」は日本の映画会社が請け負う体制が固まったが、やがて「本丸」だった筈のスペククタクル史劇やミュージカル映画が不振となって「失われた10年」が始まってしまう。

    この時期のアメリカ映画業界は苦肉の策でズブズブと(TVでは放映不可能な)エロスやバイオレンス、さらには既存のアメリカ製コンテンツでは内包不可能な観客の動員を求めて「黒人搾取映画Blaxploitation film)」や「カンフー物Asian Exproitation film)」や(海外ロケと無名俳優の大量抜擢によって低予算で量産される)女囚物の様な「性暴力搾取映画Sex & Violence Exproitation film)」への依存度を強めていく。
    東映深作欣二監督映画「仁義なき戦い・シリーズ(1973年〜1976年)」や(黒澤明監督映画に深く私淑する)南イタリア勢が大躍進を果たしたのもこの時期となる。

    *「B級映画の帝王」ロジャー・コーマンの足跡を追うとこの辺りの展開が追いやすい。1970年代後半からは次第に日本の特撮やアニメの紹介が中心になっていった。

    *1970年代はハリウッド映画業界が「(「豪華キャストのスペクタクル史劇」不振の代替物としての)豪華キャストの大規模災害パニック映画」を量産した時期にも該当する。日本でもその影響を受けて「日本沈没(1973年)」「ノストラダムスの大予言(1974年)」などが製作された。また、それまで「豪華キャストのスペクタクル史劇」のセットを流用した低予算の「サンダル史劇」を提供してきたイタリアB級映画製作陣が「マカロニ・ウェスタン物」や「ジャーロ物(イタリアン。サイコホラー)」に進出した時代でもある。

    この時期世界進出を果たしたオーストラリア映画といえば、真っ先に念頭に浮かぶのはジョージ・ミラー監督のアクションSF映画「マッドマックス(Mad Max)シリーズ(1979年〜)」にピーター・フェイマン監督のコメディ映画「クロコダイル・ダンディー(Crocodile Dundee)シリーズ(1986年)」辺りだろう。

    *実はヒュー・ジャックスマンの嵌まり役となったウルヴァリンも「アウトサイダー性の強いカナダ人」なる設定が受けてファンを獲得してきた経緯が存在する。

    揃いも揃って色物揃い…ある意味こうした「(ハリウッドが制作費低減や新機軸発掘の為にあらゆる外国から掻き集めてきた異形の映画作品群」こそが「グレイテスト・ショーマン(The Greatest Showman、2017年)」においてP.T.バーナムが娘からの助言「生き生きした珍しいものを展示しないと人は呼べない」を受けてバーナム博物館に集めたフリークス集団、すなわち「(しばしばドイツ語固有の概念とされる、陰鬱な暗所から明るい場所への進出を志向するSehnsucht憧れを掲げ続けた人々」と重なってくるのかもしれない。

と、ここまで分析を重ねてきた段階で思わぬ障害が浮上してきます。

  • 「英国口語文学の祖」ジェーン・オスティンは「すぐ善玉と悪玉を峻別したがる」大陸流物語文法を批判し「灰色の領域の思わぬ変遷で魅せるのが英国流物語文法」と定義している(性淘汰理論に基づいて一族存続を図るジェントリー階層の生存を賭した嗜み?)。この観点からすればフリッツ・ラング監督映画「メトロポリス(Metropolis、1926年)」の展開を複雑で英国人の共感を得にくくしているのは「(メトロポリスの支配者フレーダーセンを更生可能な善人に留めておく為の旧支配者階層出身の不気味な発明家ロトワングの分離」や「(労働者代表のマリアを善人に留めておく為の暴力的扇動を専門に担い魔女として火炙りにされる偽マリアの分離」などであり、そういう要素をフィルタリングすると「グレイテスト・ショーマン」の展開と益々近似してくる。

    *「善玉と悪玉を峻別」…大元たる「ニーベルングの指輪」にも「(大いなる計画に基づいて行動する、基本的に善良な)ヴァルハラ城主ヴォーダン」と「(一旦ヴォーダンに全てを奪われるも「大いなる計画」が挫折して弱気になったヴォーダンの心に付け込んで次第にイニチアシブを握っていく、基本的に邪悪な)ニーベルング族支配者アルベリヒ」の峻別自体は存在する。とはいえ音楽的領域で主題の展開があるのみで、具体的描写は一切含まない。トールキンホビットの冒険(The Hobbit, or There and Back Again、1937年)」において「エレボールの財宝」を目にしたドワーフの王族トーリンの心に「全てを独り占めにしたい」なる疚しい感情が忍び込んで来る様な(封建領主の高潔さを貶める様な)人間的描写は当時のドイツではまだまだ不可能だったとも。

    f:id:ochimusha01:20180426154835j:plain

  • そして「グレイテスト・ショーマン」のP.T.ボーナムは当初「上流階層の一員に加わりたい」なるアルベリヒ的欲求を抱えており、最初の段階ではそれが彼の「夢を実現する為の努力」の原動力だったのだが、やがて自分のビジョンが「(それまで構築してきたもの全てを捨て欧州随一のオペラ歌手とほまれ高いジェニー・リンドと一緒にさらなる高みを目指し続ける」内容でも「(劇団員達とともにサーカスの可能性を何処までも広げ続ける」内容でもなく「家族との幸せが何よりも第一優先」という自分自身の心のプライオリティに気づいてしまう。それでジェニー・リンドからは見捨てられ「放火事件」を契機に(クライマックスで「居城」が焼け落ちるのはサイレント映画以来のお約束で「ニーベルングの指輪」の世界観における必然的結末でもある)野外テントへと舞台を移し猛獣と大規模アクションを導入した「自分が最初に思い浮かべたビジョン」に到達すると、あっけなく演出家として雇った劇作家フィリップ・カーライル(と劇団員アン)に座長の座をバトンタッチして引退してしまう。あまりにもあっけない様だが実は「メトロポリス」のハルボウ脚本通りの展開で、最後「巨像ジャンボ」に跨って凱旋する辺り「旧支配者」フレーダーセンが(ロトワングの陰謀のせいで)何もかもなくしてしまい、亡き妻の遺影の前に蹲る最終場面より随分かは救いがあるとも。
    *同時にフレディ・マーキュリーが自曲「We will rock you」で語り始め「The show must go on」で一応の決着をつけた物語に対する「返歌」ともなっているのが興味深い。要するに「彼が恐れている様な形では忘却は進行しない」という事…

    f:id:ochimusha01:20180426155422j:plain

そう、ここで語られているのはある種のイデア論であり、最近の形而上学においては「イデアとは実在するというより、多くの人間が現世への顕現を望むビジョン」として語られる事が多いのですが「グレイテスト・ショーマン」においてP.T.バーナムが始めた「サーカス的なるもの」、「ダークナイト三部作」においてブルース・ウェインが始めた「バットマン的なるもの」、さらにはQueenフレディ・マーキュリーが始めた「フレディ・マーキュリー的なるもの」全てがこの定義を満たしているのです。ところが、こんな指摘も…

そう、日本においては「古代ギリシャより継承されたイデア論形而上学は大陸合理主義に継承されたのであって、経験主義に立脚する英国は元来それと無縁」なんて考え方が主流なんですね。

ただ、こういう指摘も。

イギリスのヴィクトリア時代は、新保守主義にとってのいわば故郷とされますが、その中心人物の一人がJ.S.ミルで、ミルと関係する様々な人物が、本書で紹介されています。ジョン・ロックの『キリスト教の合理性』を継承したプリーストリーはその一人で、自然観と聖書教育の関係をどのように考えるか、ということがテーマになっています。また、プリーストリーに影響をうけた、ハリエット・マーティノゥ(1802年〜1876年の)と(プリーストリーの自然進学を人間教育に拡大したランド・カーペンターの長女)メアリー・カーペンターの紹介も、興味深かったです。
ハリエット・マーティノゥの経済思想―産業・労働・モラル

イギリスのユニテリアニズムが、19世紀末に、ジェームズ・マーティノゥによって形而上学的な倫理学として整理され、それがニューリベラリズム(新しい自由主義)の思想の背景となったことは興味深いです。アメリカではこの思想がプラグマティズムに継承されていくのですね。
ニュー・リベラリズムとネオリベラリズムの違い by うつ病以外から考える

あともう一つの問題点。それは上掲の形での「最近の形而上学」の伝播(流出)過程ににおいて重要な役割を果たす「バーナム効果(Barnum effect)」の働きが限度を越えると「究極の自由主義は専制の徹底によってのみ達成される自由主義のジレンマが表面化してくるという事です。

こうなると「アドラー心理学カール・シュミットの政治哲学の同時代性」は、さらに掘り下げて考えてみなければならなくなります。

  • どうして「経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」において「我々が自由意思や個性と信じ込んでいるものは、実際には社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない本物の自由意思や個性が獲得したければ認識範囲内の全てに抗え)」と宣言したカール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスの共著「ドイツ・イデオロギー(Die deutsche Ideologie、1845年〜1846年、マルクス・エンゲルスの生前は刊行されず、草稿・原稿の集積として終わり、死後に刊行された)は、その記述の多くを青年ヘーゲル派を代表する哲学者の一人マックス・シュティルナー(Max Stirner, 1806年〜1856年)の「いかなる人間的共通性にも還元不可能な「移ろいゆく自我(das vergängliche Ich)以外の一切のものを空虚な概念として退け、その自己が自らの有する力によって所有し、消費するものだけに価値の存在を認める徹底したエゴイズムを軸とする哲学」への反駁に割かねばならなかったのか。
    マックス・シュティルナー(Max Stirner, 1806年〜1856年)

  • どうしてマルティン・ハイデッガーMartin Heidegger、1889年〜1976年)は、実証主義科学や技術発展の様な「集-立Ge-Stell)」すなわち「特定目的の為に持てるリソース全てを総動員するだけの強制力を有するシステム」が内包する「危険英Danger、独Gefahrそれ自体」一切に背を向け、自らの主観世界にのみ関心を集中させて「観念的な心象の自然描写」を生み出し続けた詩人ヘルダーリン (Johann Christian Friedrich Hölderlin, 1770年〜1843年)に「真理(Aletheia)のみが備える開示作用」の顕現を見たのか。

  • こうした「あくまで純粋に主観性を追求せんとするインナーワールド探索姿勢」と、ジークムント・フロイト(Sigmund Freud、1856年〜1939年)が指摘した「自ら自分自身に対して隠した嘘の露見を恐るあまり、自己実現の成功に躊躇し続ける神経症的撞着状態」はどう関係してくるのか。

鍵を握るのは恐らくアドラー心理学でいう「承認共同体感覚Mitmenschlichkeit=ミットメンシュリッヒカイト)」と対を為す「共同体側からの個人の内面に対する影響力」の多様性と多態性カール・シュミットの政治哲学は、あくまで「そちら側には常に承認共同体感覚が欠如してる」事を前提としてそうなのですが、この考え方が限界を迎えつつある今日、ならば「次なる一手」はどういう形が相応しい事になるのでしょう?

 今から思えば、私が直感的に感じた「純度の高いファシズム」なる印象はこれに由来するものだったのかもしれません。

バーナム効果(Barnum effect) - Wikipedia

誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる性格だと捉えてしまう心理学の現象。

1956年にアメリカ合衆国の心理学者、ポール・ミール(P.E.Meehl)が、興行師 P・T・バーナムの "we've got something for everyone"(誰にでも当てはまる要点というものがある)という言葉に因んで名付けた。アメリカの心理学者バートラム・フォア(Bertram Forer)の名をとってフォアラー効果(Forer effect)ともいう。

被験者に何らかの心理検査を実施し、その検査結果を無視して事前に被験者とは無関係に用意した「あなたはロマンチストな面を持っています」「あなたは快活に振舞っていても心の中で不安を抱えている事があります」といった診断を被験者に与えた場合、被験者の多くが自分の診断は適切なものだと感じてしまうが、この現象を「バーナム効果」と呼んでいる。 

そもそもここでいう「限度を越える」とはどういう状態を指すのでしょうか? せっかくなので、それを試す為に一つの「実験」を行ってみたいと思います。

グレイテスト・ショーマン(The Greatest Showman、2017年)」主題歌"The Greatest Show"の「Circus」を「Udon」に置き換える…
*「Udon」…フランス人はこれを「ウドゥーン」と発音する。

"Ladies and gents, this is the moment you've waited for (woah)"の部分
日本のみなさん、ドモAustraliaです(woah)
"Been searching in the dark, your sweat soaking through the floor (woah)"の部分
暗闇模索の日々はおしまい(woah)
"And buried in your bones there's an ache that you can't ignore"の部分
アメリカ小麦粉、市場を独占
"Taking your breath, stealing your mind"の部分
溜息か〜ら、息を飲め
"And all that was real is left behind"の部分
現実は過去に

"Don't fight it, it's coming for you, running at ya"の部分
抗うな、解放の訪れ
"It's only this moment, don't care what comes after"の部分
違和感など、すぐ消えるだけ
"Your fever dream, can't you see it getting closer"の部分
君もすぐ夢中になる、だって求めてた答えだから
"Just surrender 'cause you feel the feeling taking over"の部分
諦めて身を委ね、そして受け入れる

"It's fire, it's freedom, it's flooding open"の部分
火加減、水加減、お好みで
"It's a preacher in the pulpit and you'll find devotion"の部分
寸胴の中身ぐらぐら
"There's something breaking at the brick of every wall it's holding"の部分
噴きこぼれててく、誰も防げない
"All that you know, so tell me do you wanna go?"の部分
さぁ出来た、どう食べたいんだ〜?

"Where it's covered in all the colored lights"の部分
食べたいものだけ食べる
"Where the runaways are running the night"の部分
それが経済原理
"Impossible comes true, it's taking over you"の部分
不可能が可能に、そして受け入れる
"Oh, this is the greatest show"の部分
ああ真っ白なUDON
"We light it up, we won't come down"の部分
そう広まると戻らない
"And the sun can't stop us now"の部分
これが経済原理
"Watching it come true, it's taking over you"の部分
夢が本当に、君も夢中に
"Oh, this is the greatest show"の部分
ああ真っ白なUDON
"It's everything you ever want"の部分
あ〜素敵な全て
"It's everything you ever need
素敵な全部
"And it's here right in front of you"の部分
それが今ここに
"This is where you wanna be (this is where you wanna be)"の部分
これを君、食べたかったんだ
"It's everything you ever want"の部分
あ〜素敵な全て
"It's everything you ever need"の部分
素敵な全部
"And it's here right in front of you"の部分
それが今ここに
"This is where you wanna be"の部分
これを君、食べたかったんだ

BBCの番組で”I am Wolverine”を歌ってくれたヒュー・ジャックスマンさんだから頼み方次第では(ギャラ次第では)歌ってくれないでもない? それよりヒュー・ジャックスマンさんのボーカロイドを開発した方が手っ取り早いとも?

そもそもこの替え歌、一体どういう状況を歌っているのでしょうか?

讃岐うどんの原料となる小麦粉には、現在そのほとんどが、ASW(オーストラリア・スタンダード・ホワイト)というオーストラリア産の小麦が使われているそうです。
ASWは、日本のうどんのために開発された、うどん作りに大変適した種類なのだそうです。

そして、このASWの主要生産地というのが、パースを含むオーストラリア南西部なんですって!

パースから30Kmほど南にあるKwinanaというところに、小麦輸出用の港があり(CBH Kwinana Grain Terminal)、そこから香川の坂出港へ、このASW小麦は運ばれているということです。現在このASWは、讃岐うどんに使われる小麦の約9割を占めるとも言われているそうです。

実はこのASWは、オーストラリアの小麦生産全体量からすると、ごくわずかであり、まさに「日本のうどん」のために生産されているのです。

もちろん偶然そうなった筈がありません。オーストラリア政府は「米国による日本への小麦輸出事業の独占」なる高い障壁を相応の苦心惨憺の末に打ち破り「日本における饂飩原料の主要供給国」という立場を勝ち取ったのです。

f:id:ochimusha01:20180425181837j:plain

  • 「ありきたりの独占状態から脱却しよう(So trade that typical for something colorful)」…敗戦後日本への食糧支援を独占した経緯から、米国は日本に輸入される小麦を独占する体制の構築に成功。同じ小麦輸出国としてオーストラリア政府は何としてもこれに食い込みたかった。

    f:id:ochimusha01:20180425181325j:plain

  • 「どんな堅牢な壁にも壊れた部分ならある(There's something breaking at the brick of every wall it's holding)」…オーストラリア政府が研究の末に発見したのは「日本人は真っ白な饂飩を好む」という事だった。だから品種改良を重ねて「漂白するまでもなく最初から真っ白な小麦」を生み出した。これがASW(オーストラリア・スタンダード・ホワイト)なのである。最初は「本当に真っ白な饂飩」に戸惑った日本人だったが、まさにそれが「求めていた全てIt's everything you ever want、It's everything you ever need)」だったからこそ日本人は「屈服Surrender / Take over)」した。まさしく「抗うな、解放の訪れ。違和感など、すぐ消えるだけDon't fight it, it's coming for you, running at ya. It's only this moment, don't care what comes after.)」の文言通りに。

  • 「暗闇模索の日々はおしまい(Been searching in the dark, your sweat soaking through the floor)」「諦め、身を委ね、そして受け入れろ(Just surrender 'cause you feel the feeling taking over)」「そう広まると戻らない、これが経済原理(We light it up, we won't come down / And the sun can't stop us now)」…実際、ASWは一時的ブームに終わらず「讃岐うどんの原材料」として定着し、そして原材料の大量安定供給を武器に日本全土へと進出していく。
    香川県産小麦とオーストラリア産小麦(ASW)について | さぬきの夢を知る | 吉原食糧株式会社

そう、これは「限度を超えてない」、すなわちあくまで私達日本人が既に常識として受容済みの範囲に関する言及という事になるのです。ここで当世流形而上学の対象に選ばれたのは「(それまで地上には存在しておらず、日本人が漂白などの技術を駆使して生み出そうとしていた真っ白な饂飩」、そしてそれを品種改良によって最初から真っ白な小麦を生み出す事で現実世界に顕現させたのがオーストラリア政府だったのです。P.T.バーナムが「サーカスなる概念」をこの世界に顕現させたのも、ブルース・ウェインが「バットマンなる概念」、フレディ・マーキュリーが「フレディ・マーキュリーなる概念」を地上に残したのもこの文脈の延長線上で語り得るという次第。

  • 人間はどうやってもその背後に本当に「究極形としての白い饂飩のイデア」や「究極形としての華麗なサーカスのイデア」や「究極形としての「ゴッサムシティの番人」としてのバットマンイデア」や「究極形としてのフレディ・マーキュリーイデア」が存在するかどうかに確かめる事は出来ないが、少しずつ欠陥を改め、斬新的にそれに近づいていく事なら出来る。後世、そうしたアプローチ全体が間違っていた事が証明されるだけかもしれないが、それでも試み続ける事だけなら可能なのである。

    *皮肉にも「人間は真理を顕現を目の当たりにしても、それが本物と証明する手段を持ち合わせていない」なる不可知論の提唱者はしばしば、先験論を片時も疑わない神秘家でもあったカントや魔術的リアリズム文学を展開したエンルスト・ユンガーの様に無神論者どころか、かえって強い信仰心の持ち主だったりする。また「近代歴史哲学の父」ナポリのジャンバッティスタ・ヴィーコ(Giambattista Vico, 1668年〜1744年)の様に「真理の発見過程は(後に間違いが発見された時に最初の誤謬が何処で起こったか遡って確認して適切な修正を加える為)その履歴と一緒に確実に保存されるべき」とした。

  • ハイデガーいうところの「真理Aletheia、最初は隠されているが、やがて自明の理として明らかとなる)」は、おそらく後期ウィントゲンシュタインいうとこのの言語ゲーム(Sprachspiel)の地平線としての絶対他者として君臨しているというより、人間にこうした感情を起こさせ、特定の目指すべき消失点を幻視させる「言語ゲームSprachspiel)」の一種と仮定される。

    *ただし、ここでいう「言語ゲーム(Sprachspiel)の一種」は、言語ゲーム(Sprachspiel)の原型ともいうべき「全体的原型言語」、すなわち歌の様な非言語的形態をまだ保っている可能性がある。オペラやミュージカルが本質的に備える「人間を動員する力」はこれに由来する。

  • ハイデガーは「集-立Ge-Stell)」すなわち「特定目的の為に持てるリソース全てを総動員するだけの強制力を有するシステム」を「元来、真理Aletheiaが備える開示作用に逆らうノイズ」として除去し様と試みたが、ここでいう当世風形而上学は、同じ「真理Aletheia)」について最初から「集-立Ge-Stell)」的側面と「バーナム効果を用いて個人的観想の範囲を超えてそれを流出させる」機能を本質的に内包していると考える。
    *そう、順調に進むならまさしく「抗うな、解放の訪れ。違和感など、すぐ消えるだけ(Don't fight it, it's coming for you, running at ya. It's only this moment, don't care what comes after)」「広まると戻らない、これが経済原理(We light it up, we won't come down. And the sun can't stop us now)」なるアジテーション通りに事が進む筈なのであり(背景に神経症的逡巡構造が存在する訳でもないのに)そうならないなら必ず何かが障害となっている筈なのである。
    *つまり現実はハイデガーが考えたのと真逆で、花が甘い蜜で昆虫を誘き寄せて花粉を運ばせる様に「特定の誰かにとっての有用性」だけが本来は無意味な振る舞いしか見せない筈の言語ゲームに意味を与え「真理の流出(その特定の誰かへのコンセンサスの伝播)」を引き起こすとも。しかしもちろん第三者が「特定の誰かにとっての有用性」を特定するのは極めて難しい。
    f:id:ochimusha01:20180426190242j:plain

ただしもちろん、何の関係もない赤の他人が突然この種のアジテーションを始めたとしても最初から各人の脳にフィルタリングされてしまいます。あえて原文に沿った訳に戻しますが「どんな壁にも壊れた部分ならあるThere's something breaking at the brick of every wall it's holding)」の部分が、今度は改めてクローズアップされてくるんですね。