諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【進化の多様性と多態性】猫の苦手な食べ物は、どれも歴史が浅い?

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そもそもイエネコは地中海沿岸で家畜化されたのであって、当時は馬鈴薯やトマトといった新世界から伝来した作物と無縁に暮らしていたのですね。

しかも生卵に至っては、日本の全国どこでも安心して食べられる様になったのは(牛乳屋納豆同様に)冷蔵流通インフラが整備され、家庭に電気冷蔵庫が普及した高度成長期以降。
*実際、だから産業革命以前の時代には(鮮度を保ったまま輸送するのが不可能な)牛乳や卵や生鮮野菜などが国際的に「(地産地消の)田舎料理の材料」と解釈されてきたのである。「ミルクティは庶民向け、レモンティは貴族向け」といった格付けもこれに由来する。

*だからそれ以前の時代の「御馳走」が後世の人間にはそう思えなくなってしまった側面も。

ある意味「イエネコなる存在」、もはや生きた化石の領域にある?

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とはいえ南米にもネコ科生物は存在する訳ですが…こちらはそもそもヒトの生活圏に一切近づかず「密林の肉食獣」として狩猟生活を送ってたみたいなんですね。

一方イエネコはネズミの代わりに「ヒトの心を狩るハンター」に進化? 苦手な食べ物を克服するまでもなく奴隷生物(ヒト)が勝手にそれを選り分けてくれるのである…

 なるほど…