最近、宗教のとある一側面についてはかなり踏み込んだ話をしています。
しかし同時に「踏み込み切れてない場所」も明確に…
仏教も、元は口承や口伝で伝えられていた。お経も「耳で読め」「身体で読め」と言われてきた。しかし今では「お経など読んでも何にもならない」「ブッダはお経を読めとは言われなかった」ともっともらしく言われ、現代語訳でも、目で読み頭で読んで概念操作したものを知的だと尊ぶような風潮になった。
— 慈永祐士 (@jiei_yushi) April 15, 2018
そういえば律宗的思考様式もこの路線では吸い上げられないのですね。
いやむしろこれは「習俗の問題」と考えるべきなの?