ローマ軍視点、辺境部族視点
— 戦史の探求 (@noitarepootra) May 29, 2018
どちらの方が怖いでしょうか
密集歩兵の戦闘を臨場感あふれる描き方してくれているこの絵がとても好きです pic.twitter.com/GVQb1f2fFv
「戦場において何が現実か」は、経験者でないと分からない?
ハンバーガー・ヒル(Hamburger Hill、1987年) - Wikipedia
古老の取材で思いだした事③
— たると上校 (@Colonel_Taruto) May 31, 2018
映画「ハンバーガーヒル」を鑑賞した後の、陸士出身の将校二人の会話
「おい、米軍がなんで安南兵を相手にあんなに苦戦するのかなぁ?」
『俺達ならあの程度の陣地、歩兵一個大隊で落とせるよなぁ』
「いやいや、夜襲なら一個中隊で十分だよ」
『銃剣で夜襲だよな』
ニューギニア、ボイシ高地で米軍相手にやりあって、陣地を禿山にされた経験のある盛岡予備士官学校出の祖父は完全にベトナム側の立場で見てたな~。「砲撃止んだらすぐ外見なきゃ駄目だぞ」「構築された陣地は砲爆撃だけでそんなにやられるもんじゃない」「昼間取られた陣地は夜襲で取り返した」etc https://t.co/fffsbnmIr6
— Tomo (@Tom_Lumber) June 1, 2018
祖父は機関銃中隊長として南支~香港攻略後詰め~コロンバンガラ守備、ニューギニアで大隊の情報将校、負傷して後送され山越え経験せず生還できた人。
— Tomo (@Tom_Lumber) June 1, 2018
ボイシではY小隊の陣地が攻撃を受けY少尉戦死の報告、最初に救援に向かった部隊のO中尉が戦死、将校がいなくなったので隊を引き継ぎ逆襲を指揮した。
戦死したO中尉は陸士出身の優秀な将校で、もう一人祖父と同じく予備士官学校出のW中尉と3人特に仲が良かった。戦死の報で陣地奪還の指揮を引き継いだ時はO中尉の遺体を見つけて、たとえ小指の先でも持ち帰らねば遺族に申し訳ないと思ったそうだ。残念ながら叶わず我が家の仏壇には現地の小石がある。
— Tomo (@Tom_Lumber) June 1, 2018
最初に戦死報告あったY中尉、壕内に進入した米兵に短機関銃で撃たれまくって倒れたけど生きていた。胸部何発も撃たれて生還できたんだから奇跡。戦後キリスト教に入信。教会帰りによく家に来てた。大学出で頭はいいが度胸が・・・壕から頭を上げれず米兵に乗り込まれたんだと祖父の弁。壕外監視重要。
— Tomo (@Tom_Lumber) June 1, 2018
W中尉も凄い将校、部隊史見たら大隊の尖兵小隊、尖兵中隊はいつもW隊。負傷後送で生還できた祖父達と違い、サラワケットも超えて最後までニューギニアで戦い生き残る。戦後は警察予備隊創設と同時に呼ばれた幹部自衛官。老後も生存確立数%の心臓バイパス手術を難なく乗り越えて不死身の人感があった。
— Tomo (@Tom_Lumber) June 1, 2018
みんな今は亡くなってしまったが、生きてるうちに祖父たちから戦争の話を聞く機会のあった自分は幸運だろう。戦友会関連で資料もうちには残っているが、本人たちからもっと聞いておけば、聞いたことを正確に書き残しておけば良かったとは今でも思う。
— Tomo (@Tom_Lumber) June 1, 2018
まずは経験者の話にじっくり耳を傾ける事から始めるしかないのですね…
父の本棚にWiLLの南京事件特集号があり、危惧して笠原氏の「南京事件論争史」を渡して南京の犠牲者数を何人だと思っているのかを尋ねたら、父から「おおよそ十万人。WiLLは否定論者の意見を知るために買った。論理が滅茶苦茶だった。」と返答されたことがある。
— 赤狢☭ (@akamujina) June 1, 2018
子供の頃に近所の戦争帰りのおっさん達から「シナ人を何人も叩き切った」とかいう話を聞かされていたから、中国で虐殺を山ほどしていたんだろうなという実感を持っていたのも大きかったとか。
— 赤狢☭ (@akamujina) June 1, 2018
でも逆の話しも聞きました。ある方のお父様が夜中に突然起き出し、日本刀を庭石で叩き折り、泣きながら許しを請うていたそうです。
— 地球カポタスト (@yshimokawaji) June 2, 2018
高齢期医療関係者がそのようなシーンによく出くわすと半藤か保坂の本で読んだ覚えがあります。
— 赤狢☭ (@akamujina) June 2, 2018
寝てる時 熱を出した時とかに うなされたりしないのかなぁ。
— buchi (@AKI43054757) June 2, 2018
高齢者医療の関係者だと、夜中に患者が何も無い真っ暗な空間に向かって手を合わせながら「許してくれ許してくれ」というような場面によく出くわすらしいです。その患者は大概、中国に出兵していたようです。
— 赤狢☭ (@akamujina) June 2, 2018
騒乱でその人の本性が出たというだけかと、、。
— アルクトゥルス@FD3S (@arukuprobe) June 2, 2018
当時の日本がそんな人間が多数を占めていたというよりもいろんな感情があったとは聞く。
戦争だからというよりも、今の日常生活の中で自身に災難が降りかかった時に
「立ち向かう」か「逃げるか」か「他人に押し付けるか」が「抱え込むか」
で変わる
多くの人間は環境次第でいくらでも残忍になります。日本軍の新兵が中国で最初にやらされることは、「娑婆っ気」を抜くために、捕虜を使った刺突訓練でした。
— 赤狢☭ (@akamujina) June 2, 2018
そう言う話 聞いた事有る。
— buchi (@AKI43054757) June 2, 2018
入隊したばっかりまだゲートルが新しい新兵に「やれ」と命じる。
小銃を撃つのは割りと楽で引き金を引くだけだが捕虜を銃剣で刺すのが1番辛い由。
上官にヤレと言われてわざと外して腹と腕の間の脇を刺すと上官に殴られ古参兵と交代してやらした由。
そうそう、その話もよく聞きますね。
— アルクトゥルス@FD3S (@arukuprobe) June 2, 2018
それに耐えれない人間が上官を銃殺したり(のちに軍法裁判で処刑された)、あひゃって軍事衝突中に敵味方関係なく殺しまくるとか、、、
戦地で冷静に居れた人はそうそういないと思う
弾は後ろからも飛んでくると聞きました。プラトーン上映の頃。
— 地球カポタスト (@yshimokawaji) June 2, 2018
以前の職場の人が、満州での暴行、強姦した事を笑いながら話すのを聞きました。それが楽しくて戦争に行ったと。
— 地球カポタスト (@yshimokawaji) June 2, 2018
可愛そう……💧 その方 心が壊れたんですね! そんな心のまま 普通の日常生活を送るって どんな気持ちだったんだろう!私には想像出来ません…。
— ベルガモット (@suzutan0815) June 2, 2018
まあ、昔はいっぱいいたよね。大陸での蛮行を自慢気に話す元帰還兵のじいさん。どこまで本当なのかはともかく。
— 坂東真紅郎@隠居中 (@sinkurou) June 2, 2018
ちなみに昔、日韓掲示板で同様の話が出た時は韓国人側から「ベトナムに派兵された韓国軍兵士も似た様なもので、現実世界に戻り切れなかった感じの人が多かった(韓国は国民皆兵制なので、徴兵の際にそのまま軍隊に残った彼らから同種の自慢話を聞かされる機会が多いのだという)」なんて話を聞きました。彼らの方が元皇軍兵士よりアクティブで、韓国政府にベトナムへの謝罪を撤回させた上で「ベトナムに派兵された韓国軍兵士はベトナムにおいて良い事しかしなかった」「(もちろん強姦などせず)自由恋愛しかしなかった」なんて公式声明まで出していましたね。そういえばインドネシアの9月30日事件(1965年)を扱った「アクト・オブ・キリング(The Act of Killing、2012年)」なんて映画もありました。
どうやらこの辺りの話は一旦「戦場という過酷な環境に置かれた人間の普遍的な振る舞い」といった感じでまとめて受容するしかなさそうなのですね…