諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】彼らは時と場所を選ばず帰還する …

f:id:ochimusha01:20180609041945j:plain

内田善美の漫画「草迷宮・草空間(1981年〜1984年)」

“草”は幼少期に自分のことを猫だと思っていたが、後に自分が人間であることを知ってショックを受けた。一方のねこは自分で“ねこ”と名乗って猫の鳴き声なども出すが、魂をもった人形である。「草迷宮」では、ねこが人語を話し、考えたり動き回ったりできることを知っているのは草だけだ。ネタをばらさないために詳しくは書かないが、ねこは他の人物にその姿を明かさない。と言うよりは、明かせないのかもしれない。「草空間」では、その様相が大きく変わっていく。
*諸事情で絶版となり、今や壮絶な値段で取引されるマニア垂涎のコレクター・アイテムに変貌してると知って愕然。いやこの作品、1980年代の少女漫画事情を知る上で(当時の山岸凉子作品や吉田秋生作品に匹敵する)必須テキストの一つでしょう。どうしてそんな事に?

久しぶりにこの作品の一節「一人暮らしの部屋って、何でも自分の手にと届く場所に置かれてるから、こういう時大惨事になるよな」を思い出しました。

スマートフォン普及とそのFirstscreen化を背景に、当時の「一人暮らしの部屋」のメタファは「スマフォから呼出せて、色々可愛がれるポケットサイズのお友達」のメタファへと絶賛進化の途上。

当然与え得る「大惨事」の被害も相応に拡大中?