諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【今目の前にある危機】「緊急対応」が切り拓いてしまう「ある種の突破口」について。

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海外のインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層も、目先の政争と無関係なこの種の法制度の不備には案外無頓着で、やはり同種の事案が発生しても黙殺されてるとか。こうした時代的矛盾に対する義憤を反映する形でコナン・ドイルシャーロック・ホームズ物に「まだらの紐The Adventure of the Speckled Band、1892年)」「ぶな屋敷The Adventure of the Copper Beeches、1892年)」「恐喝王ミルバートンThe Adventure of Charles Augustus Milverton、1904年)」が収録される展開に。そしてアガサ・クリスティオリエント急行殺人事件Murder on the Orient Express、1934年)」を経てスティーグ・ラーソンミレニアム3部作2005年〜2007年)」や、トム・ロブ・スミスチャイルド44Child 44、2008年)」や、ピエール・ルメートルその女アレックスAlex、2011年)」の大流行に発展した次第…

 思い出すのが世界恐慌1929年)直後の1930年代…

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つまり、イタリアにおけるファシズム、ドイツにおけるナチズム、大日本帝国における軍国主義の台頭期 …

ジョルジョ・アガンベン『例外状態』: ものろぎや・そりてえる

例外状態は独裁ではなく、法の空白。イタリアのファシズム体制も、ドイツのナチズム体制も、いずれも現行憲法(アルベルト憲法ヴァイマル憲法)を存続させたまま、法的には定式化されなかったが、例外状態のおかげで合法的憲法と並立する第二の構造物をつくり上げた。

法学的観点からこのような体制を正当化するのには「独裁」の用語はまったくふさわしくないし、そのうえ、今日支配的となっている統治パラダイムの分析にとっても、民主主義‐対‐独裁という干からびた対立図式は道をまちがったものと言わざるを得ない。

これもまた「(1970年代以降、急速に国際的にその重要性が低下した貧困を巡る問題意識」同様にある種の時代精神の一種?