諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ネタバレあり】レディプレイヤーワン観てきました② 「絶対他者としてのメインヒロイン」アルテミスについて

スティーブン・スピルバーグが自叙伝的要素を盛り込んだ「レディ・プレイヤー1(Ready Player One、2018年)」においてある意味スティーブン・スピルバーグ監督のアバターAvator=化身)として振る舞う「巨大仮想世界OASIS創始者」ジェームズ・ハリデー / アノラックは、アーネスト・クラインが2011年に発表した原作小説においては、ある種の「カリフォルニアン・イデオロギーすなわち米国西海岸文化の権化」として振る舞います。そして「(欧州文化との高い連続性を誇る米国東海岸文化に傾倒する絶対他者としてのメインヒロイン」としてのアルテミスが、それと対比的に描かれるという展開。要するにそこには日本人の苦手な「米国における西海岸文化と東海岸文化の衝突」が盛り込まれていたのです。
*まぁ非日本人にとって「関西文化と関東文化の衝突」が分かりにくいみたいなもの?

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 「ロック・ミュージカル」とサブカル文化の連続性

出かける前にアバターを変装させた。パーシヴァルとアルテミスがそろって公の場に姿を現すようになったという噂が広まったら、ゴシップサイトの格好のネタにされる。しかし、一度だけ例外があった。惑星トランセクシュアルにあるスタジアムサイズの映画館で開催されている『ロッキー・ホラー・ショー』に誘われたときのことだ。

週ごとに開かれているそのイベントは、観客動員数がもっとも多く、開催回数がもっとも多い映画鑑賞会だ。何千という数のアバターが毎週一堂に会して、一般人が演じるショーを満喫する。ふだんなら、ステージに上がって巨大なスクリーンの前で演技を披露できるのは、厳しいオーディションを勝ち抜いた〈ロッキー・ホラー・ファンクラブ〉のメンバーに限られている。しかしアルテミスは名声を利用して主催者と交渉し、ぼくと一緒にその晩のショーのキャストに加えてもらっていた。惑星トランセクシュアルはPvP不可ゾーンだから、シクサーズ待ち伏せされる心配はしてなかったが、開演寸前にはあがりまくってかちんこちんになっていた。

アルテミスは完璧な歌唱力でコロンビアを演じ、ぼくは彼女のアンデッドの恋人エディを演じるという栄誉を賜った。映画でエディを演じたミート・ローフそっくりにアバターの外見を変えて参加したが、ぼくの演技や口パクはどうにも救いがたい出来栄えだった。ありがたいことに、観衆はかなり大目に見てくれたようだ。それもこれもぼくが有名なガンターのパーシヴァルだからだろう。とりあえずぼく自身はすごく楽しかった。
*「ジェームズ・ハリデー / アノラック自身が手掛けた肝入りステージ」ではない辺りが重要。なにしろロック・オペラ自体は「ロッキー・ホラー・ショー(The Rocky Horror Picture Show、1973年ロンドン初演、1975年映画化)」含め、英国あるいは米国東海岸中心のムーブメントだったのである。一応ブライアン・デパルマ監督映画「ファントム・オブ・パラダイス(Phantom of the Paradise、1974年)」は米国産だが、この作品はしばしばフランシス・フォード・コッポラ監督映画「ゴッドファーザー(The Godfather、Part11972年、Part21975年)」や、マーティン・スコセッシ監督映画「タクシードライバー(Taxi Driver、1976年)や、シルヴェスター・スタローン主演・脚本映画「ロッキー(Rocky、1976年)」といった作品と一緒に「南イタリア系」なるジャンルの一作として語られ、カリフォルニアン・イデオロギー文化とは微妙な距離感を保つ。

フィルム・ノワール」と「サイバーパンク文学運動」の連続性

サイバーパンクがテーマの世界はOASISじゅうのあちこちにあるが、規模や歴史ではネオノワールが最大最長だった。軌道上から観察すると、脈打つように点滅を繰り返すクモの巣状の光に包まれた、艶やかなオニキス色のビー玉のように見える。ネオノワール全体がいつでも夜だった。ありえないほど大きな高層ビルが密集して立つ都市が切れ目なく続いて地表を覆い尽くしている。垂直に発展する都市の空を飛び交う乗り物の流れが途切れることはなく、地上の街路にはレザーの服を着たNPCやミラー加工のサングラスをかけたアバターがあふれている。その誰もがハイテク武器や皮下移植の痕を誇らしげに見せつけ、『ニューロマンサー』そのままのシティトークをまくし立てている。
*(徴兵回避の為にカナダに移住した)ウイリアム・ギブスンのサイバーパンク文学が、1980年代に入るとドラッグを捨て「コンピューターによる脳の再プログラミング」構想に軸足を移した(東海岸マサチューセッツ州出身の)ティモシー・リアリーの示唆によって誕生した逸話は有名。

ところでパーシヴァルがアルテミスに告白して振られる場面、映画ではジョン・トラボルタ主演「サタデー・ナイト・フィーバーSaturday Night Fever、1977年)」に擬えられてましたが、原作には続編の「ステイン・アライブStaying Alive、1983年)」含め一切言及がありません。

原作のその場面で流れるのは(英国出身の)Billy Idol 「Rebel Yell(1983年)」のダンス・リミックスから(ニュー ヨーク州ブルックリン地区出身の)Cyndi Lauper 「Time After Time(1983年)」を経て(オランダ出身の一発屋バンド)L.A. STYLE「James Brown Is Dead(1993年)」に至る流れ。完全に「東海岸 - 欧州」路線で固められた形…

そういえば以前、1980年代前半を席巻した「ハリウッド製青春搾取ミュージカル」について言及した際は、どうしてこうしたムーブメントに「サタデー・ナイト・フィーバーSaturday Night Fever、1977年)」「Times Square1981年)」「ステイン・アライブStaying Alive、1983年)」といった青春グラフティ物がどうしてそれ自体はこれに含まれないのか上手く説明できませんでした。答えは案外簡単で、要するにハリウッド製青春搾取ミュージカルに分類される為にはニューヨークの様な大都会を舞台に選んではいけなかったのです。

ハリウッド製青春搾取ミュージカルは概ね「(まさしく新海誠監督映画「君の名は(2016年)」の物語が、在地有力者の娘三葉が「東京のイケメンに生まれ変わりたい!!」と絶叫する場面から始まる様に本当に文字通り何もない田舎町で良家出身の小娘が退屈のあまり精神的に死にかけてる場面」から始まります。そして「Ready Player One原作2011年、映画化2017年)」の原作小説にはジェームズ・ハリデー / アノラックが生まれ育った街が「Footloose1984の舞台に選ばれた田舎町みたいに何もないそして白馬の王子さまも迎えに来なかったので、仕方なく自ら仮想世界OASYSを想像した)」なんて描写があったりするのです。

*「白馬の王子さまも迎えに来なかったので、仕方なく自ら仮想世界OASYSを想像した」…「Times Square(1981年)」に登場する「永遠の反逆少女」ニッキー・マロッタの存在がマーク・ミラー原作、ジョン・ロミータ・Jr作画のアメリカン・コミック「Kick-Ass(原作2008年〜、映画化2010年〜)」のヒロイン「11歳の殺し屋」ヒット・ガール(Hit-Girl)の大源流へと変貌していく展開とも重なる?

この「ずっと東海岸の先進文化を後追いする立場だったのに、気付くと追い抜いていた西海岸住民の戸惑い」抜きに、ニューヨーク起源のFacebookが西海岸に移転してきたのを記念して「The Social Network2010年)」なんて映画が撮影され、しかも若者層はニューヨークに残ったTumblrに奪われ、ニューヨークこそが米国文化の起源である事を確認する映画「The Great Gatsby2013年)」が撮影された展開は説明出来ません。
*そうまさに上方文化と江戸文化の対時状況抜きに能や浄瑠璃や歌舞伎や落語といった伝統文化の歴史が語れない様に…

船戸与一「神話の果て(1985年)」

アメリカ合衆国の政治を左右するのは民主党でも共和党でもない。大統領がどっちの党から選ばれるかなどほとんど重要ではない。問題はどっちの地域から選ばれるなのだ。

第35代大統領J.F.ケネディ(任期1961年~1963年)が暗殺されてからワン・ポイント・リリーフのG.フォード(任期1974年~1977年)を除いてL.ジョンソン(任期11963年~1969年)、R.ニクソン(任期1969年~1974年)、J.カーター(任期1 1977年~1981年)、R.レーガン(任期1981年~1989年)と全て南部諸州から選出されている。

アメリカ合衆国を建国以来支配してきたのはシカゴからボストン、ニューヨークに到る東部エスタブリッシュメントだったが、今やそれは南部諸州にとって替わられた。政治、経済、文化を含めた壮大な権力移動(Power shift)が完了したのだ。南カリフォルニアからテキサスを経てノースカロライナに到る南部諸州を支えているのは農事産業、軍事産業、電子技術産業、石油・天然ガス産業、不動産・建設産業、観光・レジャー産業で、これらは六本の柱(Six pillars)と呼ばれている。 


そういえば「ニルヴァーナカート・コバーンからの強く影響を受けた」と称するラナ・デル・レイ(Lana Del Rey)もニューヨーク出身でしたね。

その一方でニューヨーク・パンク・ムーブメントを主導したメンバーの一人であるパティ・スミスニュージャージーの片田舎出身。ニューヨークに移り住むうちに「西海岸のカリスマジム・モリスンに傾倒して独自の路線を打ち立てています。

www.tapthepop.net

あれ? 西海岸文化、実際には東海岸と十分対抗してきたんじゃ…そう「壁」はむしろ伝統的にカリフォルニアン・イデオロギー側の自意識の内側に刻まれてきたのです。そして時期を合わせたかの様に新しい物語が登場。「カリフォルニアの享楽主義について語る者は、サクラメントでクリスマスを過ごしたことがない」…

それはもう一つの「1980年代」超克の物語…