そういえば日本の古典文学における「前世物」は、きっちり現世との因果関係とその影響範囲が明らかになって一応の決着が着くまで語り尽くすのがお約束だったそうです。そういえばこのフォーマット、横溝正史の「家シリーズ」でも採用していた様な…
そしてこの約束を破ってしまうと「こっくりさんを呼び出すだけ呼び出しておいて返さない」のと同じ結果を迎えてしまうとも?
80年代後半に前世ものが流行って、ムーの前世話とかプレアデス星団の話とかかなりありましたね。前世もの漫画「ぼくの地球を守って」がかなりの人気だったし。セーラームーンはたしかにその前世ものの流れをとりいれたような面もかいまみえたんだけど、前世ものの流行を終わらせた作品ともいえるかも。
— 小森健太朗@相撲ミステリの人 (@komorikentarou) June 25, 2018
精神科のお世話になりかねない前世妄想少女を激減させたのがセーラームーンだったとも聞いた。日常を大事にしてる作品ゆえに。僕の地球を守って、も最後は日常に着地するんだが、いかんせん連載期間が長すぎたhttps://t.co/Kx6DcZRJDz
— 文善 (@humiyoshi) June 25, 2018
私が「前世」という概念を知って、こじらせたきっかけがセーラームーンだったのだけど、全体を見たらそうなのですね。
— RJANKA (友池 早美) (@yarjanka) June 26, 2018
その後はレイアースなどの異世界物にシフトしていったのかな?
私も、どこかで知った話というだけで真偽のほどは判断できず、ただ日常を守る作品にみえたから納得したのです。大ヒットなので全体の母数が大きく、友池さんのケースも珍しくはないと思います。色々な作品に触れ散々迷った後の着地点としてのセーラームーンが機能した人が多かったのかも。
— 文善 (@humiyoshi) June 27, 2018
私はNHKBSのアニメ放送がハマったきっかけです、ちょうど最終巻が発売した頃、話を全部最後までアニメ化できなかったのは良くなかったのでは?、とも思ったり。超絶優良クオリティだったので、すごくもったいないですし(ぼくの地球を守って)
— 文善 (@humiyoshi) June 27, 2018
こういう場合、祟りの対象となるのは特定個人ではなく社会全体?