諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【事象や言語ゲームの地平線としての絶対他者】「異界の住人」としての「空の大怪獣ラドン」

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「空の大怪獣ラドン(1956年12月26日)」 - Wikipedia

東宝初のカラー怪獣映画。同時上映の「眠狂四郎無頼控主演:鶴田浩二)」と共に新宿コマ東宝現:TOHOシネマズ新宿)のこけら落とし上映作品でもある。

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*ユニバーサルホラーの代表作「フランケンシュタイン(Frankenstein、1931年)」のカラー版リメイクとして「フランケンシュタインの逆襲(The Curse of Frankenstein、1957年)」が製作されたのを契機として英国ハマー・プロの「ハリウッドからのカラー怪奇映画の請負先」としての躍進が始まった様に、日本映画が「ハリウッドからのカラー特撮怪獣映画の請負先」としての躍進し始める契機となった作品でもある。

  • 原作「ラドンの誕生1956年)」作者の黒沼健は日本におけるオカルト・ライターの草分けでもあり、本作でも自衛隊機が国籍不明機を追跡する場面ではアメリカの有名なUFO事件のマンテル大尉事件(Mantell Incident、1948年1月8日)がヒントにされている。

    マンテル大尉事件(Mantell Incident、1948年1月8日) - Wikipedia

    1月7日の朝より続発していたゴドマン市民とケンタッキー州警察からの未確認飛行物体の目撃通報により、アメリカ空軍のゴドマン基地は、同基地に所属する戦闘機、ノースアメリカンP-51で付近を飛行中のトーマス・F・マンテル大尉率いる4機に対して未確認飛行物体の追跡を指令した。また、これと前後して、直径100メートル近くの大きさで、上部が点滅している銀色の未確認飛行物体がゴドマン基地上空に飛来し、基地管制塔などからも観測された。

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    この後他の3機は、燃料不足のため追跡を断念したが、追跡を継続していたマンテル大尉は、上昇していく未確認飛行物体を確認し司令部に「未確認飛行物体は上空を飛行中で、さらに上昇を続けている」、「高度7,000フィートまでに追いつかなければ、追跡を断念する」と報告し、さらに「飛行物体の中に何人かの人が見える」との連絡を取ったのを最後に消息を絶つ。数時間後にマンテル大尉は、広範囲に散らばった機体の残骸と共に遺体で発見された。

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    その後、この事件は全米のマスコミに報じられた。アメリカ空軍当局は当初、「金星を未確認飛行物体と誤認して高高度に飛行し、酸欠状態に陥って意識を失い墜落したものと考えられるマンテル大尉が酸欠に陥って意識が朦朧となっていくさまは、機上との交信内容で判明している)」と発表し、さらにその1年後には「海軍がテスト飛行させていたスカイフック気球を誤認した」と説明を変えた。スカイフック計画は海軍の秘密計画だったため、空軍に情報が渡るまで1年かかったためであった。

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    最終的に空軍は、マンテル大尉が当時UFOとよく誤認されたスカイフック気球を追跡して死亡したのだろうと発表した。スカイフック事前の未確認飛行物体目撃情報も、総合すれば気球の形の特徴に一致していたし、それとは別に金星の見間違いと思われる通報もあった。なお、当日早朝に近隣のミネソタ州リプリー基地からスカイフック気球が打ち上げられ、事件後の当日午後4時にケンタッキー州でスカイフック気球が目撃されている(当日の風や気象の条件からみて、マンテル大尉が目撃した「物体」と同一)。

  • 1954年版『ゴジラ』でのゴジラが台風と共にやってきたように、本作品でのラドンは炭鉱の落盤事故と共にやってくる。心配する家族の様子は当時のニュース映像そのままであり、目撃者がショックで記憶を失っているのは、事故被害者の一酸化炭素中毒後遺症を思わせる。

    近年の鉱山災害の傾向は、鉱山保安法が施行された直後の1950年(昭和25)当初に比べればかなり減少している。その要因として、近年の石炭鉱業再建のための合理化政策、スクラップ・アンド・ビルド政策の進行のため、経営条件の悪い炭鉱、保安不良の炭鉱の閉山が相次いだことがあげられるが、そのほかに、鉱山関係者による保安管理組織の整備、保安技術の向上、保安意識の高揚などをあげることができる。

  • ラドンが衝撃波で破壊する西海橋は、本作品の劇場公開の前年に完成したばかりだった。劇場公開後、西海橋阿蘇山を訪れる観光客は明瞭に増えたとのことで、以後の怪獣映画のロケ地として完成まもない注目の新ランドマークが宣伝も兼ねて怪獣に破壊される伝統の先駆けとなった。そのうち、西海橋のミニチュアは赤く塗装されていたが、本番前になって実物が銀色であることが判明したため、スタッフは徹夜でこれを銀色に塗り直したそうである。

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    また、ラドンが福岡市天神地区を火の海にするシーンで破壊される有名デパート岩田屋のマークは噴水の水流3本を意匠化したものだが、あたかもラドンを意匠化したように見え「自社を破壊した怪獣をマークにしているデパート」と評判になった。

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本作品にはラドンの卵の大きさや体重などを推定するためにコンピューターを利用する場面が見られるが、日本の怪獣映画やSF映画にこうした電子機器を導入する場面が出てくるのは、これが初めてである。また、劇中でのコンピューターの呼称が電子計算機だったの対し、原作小説ではサイバネティックスという、当時としては先鋭的な名称が設定されていた。

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「発見された卵殻の一部から計算されたラドンの大きさは、実に翼の全長は270フィート、体重は100トン、電子計算機によって実証されたのです」
*1フィート=30cm。おそらく使われた電子計算機はアメリカ製?
「どうして今頃にそんな太古の生物が?」
原子爆弾の影響と思われます。強烈なエネルギーが2億年も眠り続けたラドンをこんにちになって揺り起こした…」
*とりあえず「原子爆弾」…実は「空の大怪獣ラドン」において原爆と怪獣の関係はそれほど明瞭に表現されている訳ではない。とはいえ我々はそもそも1952年から水爆実験が始まった1950年代が有機物中に含まれる炭素14(14C、放射性同位体)の存在比率を基準とする放射性炭素年代測定(radiocarbon dating)の世界においてはBP(Before PresentもしくはBefore Physics)基準の原点に設定された事が話題になった事に刺激されて「(古代の怪獣がマンハッタンに上陸する)原子怪獣現わる(The Beast from 20,000 Fathoms、1953年)」、「(アマゾンの奥地探検中にデボン紀の地層から水かきのついた手の化石が発見された事が事件の発端となる)大アマゾンの半魚人(Creature from the Black Lagoon、1954年)」、「(水爆実験で眠りを妨げられた古代の大ダコがサンフランシスコを襲撃する)水爆と深海の怪物(It Came from Beneath the Sea)」などが製作された事自体を決して忘れてはいけないのである。

*当時登場したサイバネティック情報工学(Information Engineering)とは、いかなる意味合いにおいても全体を超越的に統制する中心を持たない自由な情報網の無制限拡大状況において局所的に現れるフィードバック・メカニズム(Feedback Mechanism)に注目した情報理論。フィクションの世界においては当初これを「サイボーグ(Cyborg)」概念として受容したが、提唱者たるノーバート・ウィナーが志向したのはあくまでコミュニケーション(通信と制御)オリエンテッドな新たなる社会学であり、サイバーパンク運動はそれを受けたものとも。「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマゆえに(スターリンいうところの)マルクスレーニン主義教条主義との両立が不可能だったらしく、共産主義圏では言及すら禁じられコンピューター技術の停滞が始まる。

*ちなみにスターリン死去が1953年で、以降共産主義圏でもフルシチョフによるスターリン批判(第一回1956年、第二回1961年)を契機に政治の世界ではマルクスレーニン主義教条主義に対する自己批判が始まるが、その影響がアカデミズムの世界まで及ぶにはさらなる時間を要し、このギャップへの鬱屈がスタニスワフ・レムソラリスの陽のもとに(Solaris,1961年、映画化1972年、2002年)」やストルガツキー兄弟「丘の上のピクニック/願望機(1977年)」における「人間の思惑が一切届かない神秘的存在としての異星人」概念の提起を通じての「神人同形論(Anthropomorphism/アントロポモルフィズム)」批判へと結びついていく。この流れも後にTV系サイバーパンク運動へと合流しK.W.ジーター「ドクターアダー(Dr. Adder、執筆1974年、刊行1984年)」における「(如何なる手段を用いてもコミュニケーション不可能であるが故に救世主として崇拝される)狂った瀕死のエイリアン」、ウィリアム・ギブスンニューロマンサー(Neuromancer、1984年)」における「ニューロマンサー(Neuromancer)と冬寂(Wintermute)の一対の人工知能(人類の邪魔を乗り越えて最終的に合体を果たしアルファ=ケンタウリに同族を求めて旅立つ)」および士郎正宗攻殻機動隊GHOST IN THE SHELL)シリーズ(1989年〜)」における「人形使い(主人公草薙素子と融合し広大なネットの海そのものに変貌する)」などを登場させた。

スターリン批判 - 世界史の窓

*また共産主義圏における「神人同形論(Anthropomorphism/アントロポモルフィズム)」の横行には「スターリンに対する個人崇拝の否定」を一部無効化する側面すらあったという。それがよく現れているのが、スターリンその人を「引き時を心得た寛容で聡明な冬の女王」に擬えたソ連アニメ「雪の女王(1957年)」なのだという。

1945年5月9日、ソ連ロシア)は多大な犠牲(2千万人以上の戦死者)を払った結果、侵略国ナチ・ドイツに勝利した。この国を勝利に導いたスターリンは国民の大多数の敬愛を一身に受けた。だが彼は歴史の事実を改竄し1930年代に独裁体制を確立したことでも知られる。後にスターリン時代の様々な詳細を知らされた私たちは、一つの国がいかに矛盾に満ち複雑な様相を呈していたかと驚かされる。

そのスターリンが孤独な死を遂げたのが1953年、翌年の晩秋に作家のエレンブルグは『雪どけ』と題する小説を書き、これは1955年春に発表される。スターリン時代に自己規制も含め、抑制され避けられてきた個人の感情表現を、エレンブルグはこの小説の登場人物たちに反映させ表現した。これは芸術の自由につながる重要な問題でもあった。小説のタイトル『雪どけ』は、ポストスターリンの時代状況を表す比喩として使われるようになった。そして1956年のソ連共産党の党内会議でフルシチョフスターリン批判演説を行い、個人崇拝が否定される。翌1957年6月の中央委員会総会で今までのメンバーが入れ替わる。同年10月には世界初の人工衛星スプートニク”が打ち上げられた。戦後の復興が目に見え、人々の気持ちが変化を喜び、わき立っていた1957年、「雪の女王」も登場したのだ。

「最も明るく喜びに満ちた時期だった」とシュワルツマンは回想する。

「この映画にかかわった誰もが善良だった。戦争や辛い生活をくぐって来ても、いや、そうだからこそ、ユーモアを忘れず、楽観して仕事に励んだよ。そうだ、未来があった。希望があった。世界がよりよくなる、そうできるという……」リョーリャの目のふちに、喜びと悲哀がにじみ仄かに赤くなった。

雪の女王のラスト、呪縛からカイを無事奪い返したゲルダ。二人はトナカイに乗って、春の息吹あふれる大気をつききる。お世話になった人々や動物たちへ感謝の言葉をかけながら。皆は微笑み慈しみの眼差しで二人を見送る。ゲルダとカイの喜びは私たちに清らかなカタルシスを投げかけ、私たちも思わず、一緒に「ありがとう」を唱和する─このエンディングは当時のソ連の人々が思い描いた、また私たちが心から引き継いでいきたくなる、また向かっていかなければならない未来を示しているのではないだろうか。

*だが当時のソ連人は、ロシア的寛容精神から「恐るべき冬の嵐を起こした当事者」たるスターリンをただの悪役に仕立てず「自分の時代が終わった事を惜しみつつ自然にフェイドアウトしていく雪の女王」として描いたのだという。
同じキリスト教でも、カソリックには誇り高き精神が、ロシア正教には寛容の精神が見られる。

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私が親しくしている信心深いロシア人のおばあさんは、性格の悪い(私たちに共通の)知人の女性のことに触れるとき、涙ぐみながら「かわいそうに」と言ったことがある。その女からひどい目にあっているのに! 私は吃驚して「なぜ、かわいそうなの!?」と叫びに近い声を出した。「そういう性格だから」と彼女は呟いた。「あの性格を直さない限り、幸せにはなれないから…。性格は簡単には変えられないから…。何と不幸な女だろう…」。彼女の言葉を聞き、その行為に接するうちに、私の人を見る目、人の受け入れ方が変わってきた。

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私のことはともかくとして、今、「雪の女王」の中に私は、このおばあさんの面影、ロシア正教の寛容の精神を見出す。「ロシアの女こそ、心美人の典型だ」と微笑んだ音楽家がいたが、寛容の心をもつ心美人のひとりは「雪の女王」の中で「アイ、アイ…」とゲルダのために心痛めるフィンのおばあさんかもしれない。

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雪の女王のまなざしにも“寛容”の光がよぎるのを目にしたと思うのは、私だけだろうか?

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雪の女王」で響くロシア語ほどうるわしいロシア語を聞いたことがないけれど、雪の女王の物言いも、震えてくるような美しさだ。声の主は、人民芸術家の称号や国家賞を授与されている女優マリーヤ・ババーノワ(1900~1983)。『森は生きている』(原題『12月』、この中の吹雪はまさに『雪の女王』を思わせた)初来日公演を成し遂げたコミサルジェーフスカヤ劇場付属の学校を出てから、メイエルホリド劇場、革命劇場(1957年よりマヤコフスキー劇場)などで大活躍した人だ。その彼女が巷で何よりも知られ、高く評価されているのが雪の女王の、声の役なのだ。
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女王の声音には、春になれば姿を消す運命にあるひとの悲哀が込められていると感じる。春に象徴される“あたたかさ”に弱いひとが持つ、陰りのような響きがある。そしてまた、ゲルダのひたむきな愛情を前に、予想に反して、さりげなく引き下がる雪の女王のまなざしに光る“寛容”……。

*またこの映画は「ゴジラ(1954年)」「ゴジラの逆襲(1955年)」の伝統に従って人類が怪獣を自らの技術のみによって倒し切る。やがて怪獣が人間に倒せる存在ではなくなり、怪獣(もしくは巨大ヒーロー)によってしか倒せない展開となるのは1960年代に入ってから。

今回は都市部破壊は無く、山村や山中のロッジを壊すばかりなので、見せ所がほとんどありません。怪獣が、農村の民家を壊したってなにも興奮しませんし、弱いものいじめにしか見えません。

怪獣というのは本来、普段の社会生活で押し込められている被支配層や生存にかかわる恐怖心のメタファーであり、その代表である怪獣が、支配者層へ打撃を加えるような象徴的な建築物を破壊してこそ、魅力が生まれるのです。

国会議事堂を破壊したゴジラ、東京タワーを我が物にしたモスラ、都庁を破壊したキングギドラエンパイアステートビルに登り、空軍と交戦したキングコングなど現体制と戦って、敵わないまでも打撃を与えてこその存在なのです。

象徴的な建築物を破壊しないバランにはそもそも語り継がれるチャンスが与えられていないのです。

ゴジラに対してモスラは、「小美人」というものを通してであれ、コミュニケーションができる能力を秘めていました。のちに作られたモスラの登場映画でも怪獣同士を含め、コミュニケーション能力というものが重視されているように思えます。

このモスラ中村真一郎福永武彦堀田善衛という3人の文学者による小説『発光妖精とモスラ』を原作として生まれました。小野さんによると「モチーフとして中村が「変形譚」、福永が「ロマンス」、堀田が「ヒューマニズム」を分担」したそうです。また、『広場の孤独』や国共内戦期の中国を描いた『歴史』、南京事件をテーマとした『時間』などで知られる堀田善衛の参加がモスラの世界に〝社会性〟とでもいったものをもたらしたのかもしれません。

また、小説の中で福永武彦は詳細なモスラ神話を作り上げていました。その神話世界ではモスラは「母─子」関係といえる行動原理が持たされています。「映画『モスラ』と後続のモスラたちが母性的イメージをもっているのは、〝妖精である母を守る怪獣である子ども〟という関係が成立している」のです。さらにいえば「母性というより女性ともっと明確に結びつく」ものであり、「モスラは長年飼育されてきたカイコガと同じく人間から完全に自立して自由に活動する怪獣ではない」とも小野さんは指摘しています。つまり、はじめからコミュニケーションが不可欠である関係を背負って生まれてきたのがモスラだったのです。

それはまた、モスラが正しいものの味方であるということでもあります。小美人は無垢な妖精ということなのですから。すると、小河内ダムに出現して都心部へ向かうモスラの進撃路というものが意味を持ってきます。

小野さんはこう記しています。「やはり気になるのは、横田飛行場、通称横田基地を破壊しながら進む場面である」と。この基地はモスラ誕生の前年の「一九六〇年からはじまったベトナム戦争の激化で、横田基地の注目を浴びることになるし、すでに一九五五年には、立川基地の拡張工事に反対する砂川事件など記憶される出来事もあった」場所です。

それは〝正しくないもの〟を破壊するというようにも読みとれるのです。

小説では繭を作る場所は国会議事堂となっており、さらに加えて「それを排除するために、自衛隊が出動となるのだが、私たち三人は(中村真一郎福永武彦堀田善衛)はそこで、日米安保条約を持ち出し、この条約によって、日本政府はアメリカ軍に出動を要請し、議事堂の周りは安保反対の群衆がとりまく」(中村真一郎の『発光妖精とモスラ』あとがき)という案もあったそうです。前年の'60年安保反対運動の影が差しているのは明らかです。

モスラは、水爆実験がもたらす被害の人類への警鐘というより、日米安保条約と米ソの冷戦構造を浮かび上がらせる怪獣であった。しかも、一九三○年代の象徴ともいえる国会議事堂の上で成虫になる印象的な場面をもつことで、空爆したアメリカ軍にも、六○年安保の国民運動にもなしえなかった、国会の物理的破壊を実行しようとした」。さらには「モスラの成虫への「変態」が、そのまま日本に固着した関係を破壊あるいは打破する変形譚となり、ニュース映画を挿入して迫真性を与えることで、前年の現実の出来事と交叉させる思いがあったはずだ」という小野さんの指摘はこの作品を政治的に解釈しすぎたとはいえないようです。なにしろ'60年安保反対運動で命を落とした樺美智子さんの名前を連想させる人物まで登場しているというのですから。

アメリカ(=ハリウッド)は「モスラ1961年)」において「自国民の悪党の不正のせいで自国が怪物に襲われ、かつ自国民の自裁でその悪党が倒されると怪物も満足して帰っていく」展開を望んだ様に、ごく自然に「キングコング対ゴジラ1962年)」においては「自国の人気モンスターたるキングコングが外国の人気モンスターたるゴジラに勝利する」展開を望んだ訳である。とはいえゴジラは死んでも死んでも蘇ってくる怨霊の様な存在だから、敗北によって失われるものなど何もなかったのである…

しかしまあ、大映は何を考えていたのだろうか。人が入れる着ぐるみの製作が上手く行かないからと言って、本物のねずみを一匹50円で買い取ると称して、系列館の周りをトラックで走り回り、大群獣ただいま護送中という横断幕を張って探し回っていたそうです。

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そしていざ捕まえてきたは良いものの相手は大量のネズミですので、ダニは出るし、蚤も跳ぶし、ベンと違って達者な演技なんかするはずもありません。そのうち、撮影所はダニ、蚤、ネズミの死骸や糞、殺虫剤まみれになり、撮影陣もガスマスクを着けての作業という異様な現場となり、共食いまで始まり、最終的には保健所から駆除命令が出たことで撮影できなくなり、企画はお蔵入りしたそうです。

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当然ですが、大量に集められたねずみを処理するためにガソリンが撒かれ、一気に焼き殺したそうです。『猛獣大脱走』にもガソリンを浴びせられたネズミが駆け回る様が写っていますが、今ならばCGで制作されるのでしょう。

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あまりにも非常識な大映は何を焦って、これほどまで滅茶苦茶な撮影に踏み切ったのだろうか。まさに「焦る大映、生けるどぶねずみを走らす。」という感じです。

*こういうケースではむしろ成功例より「大群獣ネズラ(1964年)」の様な壮絶な失敗作にこそ「日常の裂け目から事象や言語ゲームの地平線としての絶対他者が一瞬だけ顔を覗かせる瞬間」が記録されているものなのである?

*実際にコンピュータを使いこなすエンジニアが創作の世界に参入してくるのは「テクノロジー小説の嚆矢」マイケル・クライトンアンドロメダ病原体(The Andromeda Strain、1969年)」以降とされる。それまでコンピューターや怪獣といった絶対他者性を備えた存在はこの様に「(まるで占星術の様に)欲しい数字を計算で割り出す不可視のアルゴリズムそのもの」あるいは「人類の叡智に挑戦してくる新たな神」というアンヴィバレントな役割を担わされ続けたのだった。

*要するに「その物語に登場する絶対他者に如何なる役割が課せられるか」自体が刻々と移り変わってきたのである。中でも「大アマゾンの半魚人」や「空の大怪獣ラドン」は「体制側への叛逆」とか「何かと合体する事によって新たな段階に進化したり原初的一体感を取り戻すプロセス」が欠落している分だけ「人間側の一方的で理不尽な都合で滅ぼされる絶滅危惧種の悲哀」が色濃く表面化してくる感がある。

 

超音速(supersonic speed) - Wikipedia

媒質中で移動する物体と媒質の相対速度が、その媒質における音速を超えること、およびその速度を指す。音速との比であるマッハ数を使えば、マッハ数が1より大きいとも定義できる。 ただし、速度単位としてのマッハは対気速度で気温や気圧によって変化する。便宜上、超音速機のカタログスペックにおいては、対地速度1225km/h(340.31m/s、15℃・1気圧)をマッハ1とすることが多いが、この場合は物理現象としての音速・超音速とは扱いが異なる。

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  • 1945年4月9日 ハンス・ギド・ミュッケがメッサーシュミットMe262による急降下加速での音速到達を主張しているが、公式には認められていない。

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  • 1947年10月14日 チャック・イェーガーが操縦するX-1がマッハ1.06(1,299 km/h)を記録し、最初の有人超音速飛行を達成。

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    *それ以外に1947年10月1日や1948年4月26日に、ジョージ・ウェルチが操縦するXP-86が、急降下によって音速を突破した記録もある事はある。

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  • 1961年8月21日 ダグラス DC-8アメリカのエドワーズ空軍基地上空で行われた飛行テストにおいてマッハ1.021(1,261 km/h)を記録し、旅客機による最初の超音速飛行を達成。

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  • 1967年10月3日 ウィリアム・J・ナイトが操縦するX-15A-2が、有人機の最高速度記録であるマッハ6.7(7,274 km/h)を記録。

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  • 1997年10月15日 アンディ・グリーンが操縦するThrust SuperSonicCarがマッハ1.016(1,228 km/h)を記録し、最初の車による音速突破を達成。

  • 2004年11月14日 無人実験機X-43Aが、マッハ9.8(11,199.6 km/h)を記録。

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  • 2010年4月22日 無人実験機HTV-2aがマッハ22(26,951km/h)を記録するも、その後行方不明となる。

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  • 2012年10月14日 フェリックス・バウムガルトナーが高度約39,000mからの超音速フリーフォールを達成。

航空機が音速に近づくと、機首先端の空気は圧縮され高温となる。さらに音速に達すると高エネルギーの衝撃波が発生するが、逆に言えばこれを生み出すために大きな運動エネルギーを要求される。これは造波抵抗と呼ばれ、航空機の開発では、これを克服する技術的困難さも相まって、音の壁と呼ばれた。

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  • 1942年、英国の航空大臣は、音速の壁を破ることのできる世界で最初の航空機を開発する計画を、マイルス・エアクラフト社とともに極秘で開始した。結果として、この計画はマイルス M.52試作機を開発した。これは高度11キロメートル(36000フィート)において、1分30秒で時速1600キロメートル(時速1000マイル)に達するように設計された。

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  • この航空機の設計には、現在の超音速航空機でもいまだ使われているような多くの革新的技術が導入された。最も重要な進化の一つが、超音速下でも操縦性を維持させる全浮動尾翼であった。これはマイルス・リサーチ社のデニス・バンクロフトと彼のプロジェクトチームによる独創案の産物であった。この計画は、有人による戦闘飛行が行われる前に科学研究所所長のベン・ロックスペーサー卿によって中止された。

  • 後に政府命令によって、すべての設計データとマイルス M.52に関する調査結果はアメリカ合衆国のベルエアクラフトに送られた。お互いの管理者間での情報交換の合意はあったが、記録によると、アメリカ政府は英国のデータを受け取った後に取り扱いを封印したという。後のマイルス M.52に関する設計検証実験では、人が乗っていない3/10スケールの模型が1948年10月にマッハ1.5を達成したとされている。

そしてフェリックス・バウムガルトナーによる超音速フリーフォールの成功は物理学の世界に新たな波紋を投げ掛ける事になったのだった。

*ちなみに特撮怪獣TVドラマの草分け「ウルトラマン(1966年〜1967年)」に登場するグビラガマクジラといった水中怪獣の水中移動速度はマッハ5(水中での音波の伝わる速度は1500m/sなので陸上換算でマッハ22)とされている。 

ゲスラはマッハ2で水中を泳ぎ、ガマクジラはマッハ5で泳ぐという。実は水中では音速は秒速1500m、空気中の4.4倍である。だからはゲスラは空気中でマッハ8.8、ガマクジラはマッハ22でウルトラマンより速いのだ。相手は水中なのに追いつかないという事態である。

水中をマッハ2で泳ぐには水の抵抗が最大の障害だ。水の抵抗は、水にぶつかる部分の面積と速度の2乗に比例するので、ゲスラの体が直径20mのラグビーボールだと仮定すると水の抵抗は3億トン。直径800mの岩塊の重さである。ゲスラは怪力なのである。怪力怪獣といえばブラックキングだが、30万トンのタンカーを持ち上げる程度、ゲスラはその千倍だ。

3億トンの力を出しながらマッハ2(時速1万km)で進むには1秒間に8千兆Jのエネルギーが必要だ。これは20万トンタンカーいっぱいの石油が爆発したときに発生する熱エネルギーに等しい。なのにゲスラの主食はチョコレートなのだ!8千兆Jのエネルギーを得るには72万トンのチョコレートが必要で、世界で生産されるカカオ豆は年間200トン、3秒で地球上のチョコは消滅する。72万トンのチョコを食べるゲスラも大変だ。食いだめできないので泳ぎながら食って消化するしかない。チョコレートの比重を水の2倍とすると要求される口の面積は120平方メートル、楕円なら縦8m、横20mでウルトラ兄弟を3にんまとめて丸のみできる。

さらに呼吸も必要だ、ゲスラを両生類の幼体、オタマジャクシみたいなものと仮定してエラ呼吸するとしよう。生物が食物から8千兆Jのエネルギーを取り出すには8億立方メートルの酸素が必要だ。海水には酸素は33分の1しかふくまれていないので、1秒間に8億立方メートルの酸素をとりいれるには1秒間に海水260億トンの海水を口から飲み込んで排出しなければならない。東京湾の海水が300億トンなので1秒で東京湾を飲み干す勢いである。これをいれるための口は880ヘクタール必要で、楕円なら縦2km、横6kmで体の大きさをゆうに上回っている。さらに排水の問題もある、えらが確認できないことからトゲに隠れているとみられるが、楯10m横2mの大きさと仮定すると毎秒8億トンの海水を排水するならその速度は毎秒2万km。地球の重力をふりきって宇宙に到達できる速度である。しかもこんなことをするなら、泳ぐためのエネルギーの6千億倍のエネルギーが必要になってしまう。これはダメだ。エラ呼吸は捨てよう。電気分解で酸素をつくっているではどうか?海水を電気分解すると、マイナス極から水素がプラス極からは塩素が発生する。さらに電気分解すると水酸化ナトリウムという生物の皮膚を溶かす液体になっていき、もっと分解するとやっとプラスから酸素が発生する。1秒当たり130万トンの海水から呼吸に必要な酸素が取り出せる。エラに比べれば少なくて済むが、水素やら塩素やらをまき散らす毒ガス怪獣になってしまった。

チョコレートがレール上に施設してあるうところを耳まで裂けた口をあけてマッハ2で泳ぐゲスラ。しかしこのとき衝撃波で、津波と熱が発生する。1秒に8千兆Jのエネルギーが発生するとして計算すると、まず衝撃波でゲスラから1000km離れた海岸線が陸地に1m削りこまれ、直径1km程度の小島は木端微塵である。改訂は4.4kmの深さまでえぐりとられる。次は津波である。波頭の高さは太平洋の真ん中で150m、水深が浅くなるほど高さはまして太平洋全沿岸が襲われる。そして熱。顔面と海水との衝突による熱1秒に2800兆Jプラスチョコを消化するエネルギーの半分が熱になるとして合計1千兆J、これは1秒間に3400万トンの水を沸騰させてしまう熱量である。ゲスラの進路にそって幅170mの水域が煮えたぎる。この熱は瞬間的に伝わるわけではないので、ゲスラに接している海水は次々と蒸発体積が2千倍に膨れ上がり、衝撃波と津波の威力を増す。アジアは全滅。行方不明数十億、生態系は根こそぎ破壊され、世界地図が大幅にかきかえられるだろう。

ガマクジラはさらに速いマッハ5で泳ぐ、このとき力と破壊はゲスラの6.8倍、エネルギーは16倍。決定的にヤバイのは衝撃波で28kmまで海底がえぐられること。これによって地殻が弾き飛ばされ、プレートの厚い部分でさえ半分は吹き飛ばす、薄いところは真っ二つだ。これは地球が危ない。もし、太平洋側のプレートが割れてしまったらいきなりつっかい棒を失った日本列島は沈没。大陸移動がはじまってしまう。

そして、ガマクジラの主食は真珠。これは炭酸カルシウムだが、これは化学反応で熱を吸収してしまう。ゴミ袋によく使われているのはこのためである。いったいガマクジラはどうなっているの?

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ところで1980年代に入ると「(英国産業革命を支えた石炭産業」 の担い手達が「(人類には究極的には制御不可能な原子力産業」へ物申す救い様のないスタイルの曲が登場します。Stingのソロ・アルバム「ルータートルの夢The Dream of the Blue Turtles、1985年)」収録の「黒い傷痕We Work the Black Seam)」がそれですね。これまで述べてきた内容と面白いくらいに構成要素が重なっていたりします。

 

「We Work The Black Seam(俺たちは黒い石炭層で働く)」

Lyrics:作詞  Sting:スティング
訳詞 有園正俊

This place has changed for good
Your economic theory said it would
It's hard for us to understand
We can't give up our jobs the way we should
Our blood has stained the coal
We tunneled deep inside the nation's soul
We matter more than pounds and pence
Your economic theory makes no sense

この場所は永久に変わってしまった
いわゆる経済理論がそうなると言ったことは
俺たちには理解しがたい
俺たちがそうなっても仕事をあきらめられない
俺たちの血は石炭が染みついているんだ
俺たちは国の原動力の中を深く掘り進んだ
俺たちにはポンドやペンスよりも重要だ
いわゆる経済理論は意味がない

One day in a nuclear age
They may understand our rage
They build machines that they can't control
And bury the waste in a great big hole
Power was to become cheap and clean
Grimy faces were never seen
Deadly for twelve thousand years is
carbon fourteen
We work the black seam together
We work the black seam together

核の時代のある日
彼らは俺たちの怒りを理解するかもしれない
彼らはコントロールできない機械を建設し、
巨大な穴を廃棄物で埋める
電力は安くクリーンになることを目指した
すすけた顔は見られなくなった
1万2千年間、命を脅かすのは炭素14
俺たちは黒い石炭層と一緒に働く
俺たちは黒い石炭層と一緒に働く
炭素14…炭素の原子量は12だが、それより中性子が2個多く原子量が14の炭素。ベータ線という放射線を出して崩壊をして窒素14になっていくが、半減期が5730年なので、なくなるまでの期間が約12,000年である。

The seam lies underground
Three million years of pressure packed it down
We walk through ancient forest lands
And light a thousand cities with our hands
Your dark satanic mills
Have made redundant all our mining skills
You can't exchange a six inch band
For all the poisoned streams in Cumberland
Your economic theory makes no sense

その石炭層は地下に横たわっている
3百万年の圧力が地下に包み込んできた
俺たちは古代に森があった地面を歩いて回り、
俺たちの手で千の都市に明りを灯す
いわゆる暗い悪魔のような粉砕機は
俺たちの炭鉱技術をすべて用なしにした
幅6インチの層でも取引できない
カンバーランドで毒物の流出があったせいだ
いわゆる経済理論は意味がない
*カンバーランド・・・イングランド北部で、かつては炭鉱で栄えた地方。

One day in a nuclear age
They may understand our rage
They build machines that they can't control
And bury the waste in a great big hole
Power was to become cheap and clean
Grimy faces were never seen
Deadly for twelve thousand years is carbon fourteen
We work the black seam together
We work the black seam together

核の時代のある日
彼らは俺たちの怒りを理解するかもしれない
彼らはコントロールできない機械を建設し、
巨大な穴を廃棄物で埋める
電力は安くクリーンになることを目指した
すすけた顔は見られなくなった
1万2千年間、命を脅かすのは炭素14
俺たちは黒い石炭層と一緒に働く
俺たちは黒い石炭層と一緒に働く

And should the children weep
The turning world will sing their souls to sleep
When you have sunk without a trace
The universe will suck me into place

そして子どもたちが泣くことになったら
世界は一転して、その鎮魂のために歌うだろう
人が跡形もなく見えなくなったら
宇宙は俺をしかるべき場所に吸い込むだろう

One day in a nuclear age
They may understand our rage
They build machines that they can't control
And bury the waste in a great big hole
Power was to become cheap and clean
Grimy faces were never seen
But deadly for twelve thousand years is carbon fourteen
We work the black seam together
We work the black seam together

核の時代のある日
彼らは俺たちの怒りを理解するかもしれない
彼らはコントロールできない機械を建設し、
巨大な穴を廃棄物で埋める
電力は安くクリーンになることを目指した
すすけた顔は見られなくなった
1万2千年間、命を脅かすのは炭素14
俺たちは黒い石炭層と一緒に働く
俺たちは黒い石炭層と一緒に働く

この曲が発表されたのが「チェルノブイリ原子力発電所事故1986年4月26日)」の前年…だからこそ単なる「政治的立場としての反原発主義」に収斂し切らない「日常の裂け目」を的確に捉えている感があります。当時のStingはある意味「筋金入りの本物のパンク精神の体現者」だったのですね。

*そういえば英国人は黒澤明の問題作「生きものの記録(1955年)」を「これは日本版リア王」と好意的に解釈して受容した国民でもあったのである。

要するに欧州でいう「ロマン主義的英雄(Romantic Hero)」タイプ。途方もない目標を達成する為にただひたすら自力で突き進む猪突猛進タイプの家長である。

黒澤監督映画「生きものの記録(1955年)」における(原水爆に対する神経症的にとりつかれる前の)鋳物工場経営者中島喜一(三船敏郎)、「天国と地獄(1953年)」におけるナショナル・シューズ社常務権藤金吾(三船敏郎)、「赤ひげ(1965年)」の赤ひげ先生(三船敏郎)。肉体的活力も突出してる事が多い。黒澤明監督をこよなく尊敬するフランシス・コッポラ監督「ゴッドファーザー(The Godfarther、原作1969年、映画化1972年、1974年、1990年)」におけるビトー・コルレオーネ(マーロン・ブランドロバート・デニーロ)も割とこのタイプ。

その多くが極度のエゴイストでもあって次第に孤立していき、概ね最後は非業の最期を遂げるが、その途中過程で「放っておけない」と寄り添う仲間や後継者を得る事がある。まぁそんなイメージ。

そう、後期ハイデガーいうところの集-立(Ge-Stell)システム、すなわち「特定目的達成の為に手持ちリソースの全てを総動員しようとする体制」全てから逃れ得た「真理アレーティアのみの世界」、「革命に勝利の訪れなどない。体制転覆は常に新たな反体制弾圧の始まりに過ぎないのだから」なる諦観に到達した「永遠の革命家オーギュスト・ブランキがその生涯全てを投機して目指し続けた到達不能の領域…それこそがまさに「人類が音速の壁を越えるのに四苦八苦していた時代にのみ「空の大怪獣ラドン」が留まれた場所」だったという次第…