諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【1980年代の音楽シーン】次々と再発見されるMissing Ring…

最近「(自分もリアルタイムに聴いてた筈の1980年代の音楽シーン」に何があったか調べてるのですが、本当に見落としが多くて恥ずかしくなります。

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 1978年

*とりあえず先行する流れとしてKraftwerk「Autobahn(1974年)」は欠かせない。 

*でも当時のキーボード・サウンドの記憶としては「コスモス(COSMOS、1980年)」や「ブレードランナーBlade Runner、1982年)」のヴァンゲリスの方が強かったりする。でも今から聞き返すと「Alpha」辺りは結構クラフトワーク


1979年

 


*これまで考えたこともなかったけどCheep Trick登場とロンドンにおけるパンク流行は同時代。

*実は日本にはアン・ルイス「マ・メゾン(1982年)」につながったUltravox「New Europian(1950)」みたいなパンクロック寄りのニューロマとブリテッシュ・パンクそのものをまとめて「ビリテッシュ・ビート」と総称していた時期があって、そこからThe Modsの名曲「激しい雨が(1982年)」THE STALIN「ロマンチスト(1982年)」が生まれたりしてる。


1980年

*私の記憶内ではマイケル・ジャクソン「今夜はビートイット(Beat It、1982年)」と一緒くたに「なんだか良くわからないけど新しいもの」に放り込まれていた。「Beat It」はフュージョン(Fusion, Jazz Fusion)の延長線上に現れたハードロック(エディ・ヴァン・ヘイレンが参加)とR&Bの融合曲で、共通点は「既存分野に分類不能」という辺り。
今夜はビート・イット - Wikipedia
フュージョン(Fusion, Jazz Fusion) - Wikipedia


1981年

YMOが賛否両論の「BGM(ビー・ジー・エム)」をリリースした年でもある。ある種のPOP音楽への絶望感(ルサンチマン)みたいなのが宿っていて、むしろ最近の第三者の手になるアレンジの方が格好良い。

*いや本当にTalking Heads「Once in a Lifetime(1980年)」とYMO「体操(1981年)」の同時代性に気付いたりするのは、ずっと後になってから…

*そしてクインシー・ジョーンズ版「愛のコリーダ(Ai No Corrida)」が国際的にヒットした年でもある。
愛のコリーダ (曲) - Wikipedia

1982年


*この曲の記憶は中森明菜「飾りじゃないのよ涙は(1984年)」やスティーヴィー・ワンダー「パートタイム・ラヴァー(Part-Time Lover、1985年)」につながっていったりする。

*そして…

*当時はこの曲あってEnya「Storms in Africa(1989年)」という印象。


*さらには…


*なんてABBA「Dancing Queen(1976年)」な感じ…

*当時中二病真っ盛りだった私はUltravoxとかVisageといったニューロマ系を聴いてた。明らかに時代のメインストリームとズレてた現実を今更思い知らされるという…

*でも世間的には割とSurvivor 「Eye Of The Tiger」の年…


*その一方でアニメではこんな曲が流れてたりした。

1983年

*この年の日本のヒット曲も意外とキーボード・オリエンテッド


*久しぶりに聞き返したら意外と違ってた「カーマは気まぐれ」。

1984


*まぁ世間一般的にはVan Halen「Jump」の年?

*この年にカジャグーグー(Kajagoogoo)のボーカルだったリマール(Limahl)の「ネバーエンディング・ストーリー」がヒット曲として挿入されてくる。デビッド・ボウイ「Let's Dance」の大ヒットと合わせ「光と闇の交錯の始まり」とも。

Frankie Goes To Hollywood「 Relax」の年でもある。

1985年



*そういえばVan Halenの「Can't Stop Lovin' You」「Don't Tell Me(What Love Can Do)」がこの年。キーボード・オリエンテッド・ロックの先駆者にして真っ先に離脱?

1986年

1987年

*ところが次第にこの頃から次第に記憶の中心が邦楽にシフト…要するに小室哲哉が1986年(昭和61年)に渡辺美里へ提供した「My Revolution」で第28回日本レコード大賞の金賞を受賞し、TM NETWORKが1987年に発表した「Get Wild」で一躍人気バンドとなって1988年には第39回NHK紅白歌合戦への進出を果たす時代の流れが始まったのだった。
小室哲哉 - Wikipedia

*またブルーハーツのメジャー台頭期でもある。

日本音楽界、やっと追いついてきた? 私の理解では、鍵はアン・ルイスの「ラ・セゾン(作詞三浦百恵/作曲沢田研二、1982年)」があくまで(Ultoravoxといった)ニューロマの影響を色濃く受けた「洋楽」だったのに対し「六本木心中(1984年)」はもう完全に「邦楽(J-Rock)」として聞いてた辺り。

*そしてScorpionsやKissの流れを汲む聖飢魔Ⅱ蝋人形の館(1986年)」が登場…

*同時期、日本はいわゆる「バブル」期に突入していく…

それにつけても「君はこの曲を忘れてるんじゃないかな!!」と次々と突きつけてくるYoutubeの恐ろしさ…多くになんとなくは聞き覚えはあるんだけど、もう完全に自力では歴史的位置付けが出来なくなっちゃってるんですね。それを平然と成し遂げられるのが第三世代人工知能の威力? それはそれとして本当に多様性があったのかなかったのか見定めるのが難しい時代だった事を改めて実感…