諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】王とは何か?

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Bansahさんが育ったのは東ガーナとトーゴ共和国の国境にあるGbiという場所です。67歳になるBansahさんがドイツに移り住んだのは1970年代のこと。後に王となった祖父のHohoeさんが整備工として技術を身につけるのをBansahさんに勧めたのが理由です。整備工としての勉強を終え、ドイツで市民権を得たBansahさんはドイツのルートヴィヒスハーフェンに仕事場を設けて働きだしました。

ドイツで穏やかな日々を送っていたBansahさんは、1987年のある日、人生を変えるファックスを受け取ります。王であった祖父のHohoeさんが亡くなったのですが、Bansahさんの父や兄はGbiで暮らすエウェ人が「不浄である」と考える左利きだったため、王位を継ぐのにふさわしくないと判断され、Bansahさんが後継者として選ばれたのです。

Bansahさんは2000年に10歳年下のGabriele Bansahさんと結婚し、現在は整備工としてフルタイムで働きながらパートタイムで王の仕事もこなしつつ、妻と2人の子どもともにドイツで暮らしています。

王国の統治は主にSkypeで行い、実際にガーナへ向かうのは年8回とのこと。

どんなに国家の集-立(Ge-Stell、後期ハイデガーいうところの「特定目的達成の為に手持ちリソースを総動員しようとする体制」)システム化が進んだって、どうしても置換不可能な部分は残るもんだ?

ばかめ、それは残像だ!」というネットスラングを思い出しました。

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加齢による体力減退は「幼女の添い寝」でカバーだ?

シュナミティズム(shunamitism, shunammitism) - Wikipedia

老人が、性交をせず裸の処女と添い寝をする事で若さを回復するという、迷信的な回春術である。語源は『旧約聖書』列王記上の冒頭部に載せるダビデ王のエピソード。晩年、老齢のため服を重ね着しても体が温まらなくなったので周囲の進言を容れて、若い処女をふところに抱いて休むことにした。シュナミ(シュネム)生まれのアビシャグ(Abishag a Shunammite)という美しい童女が選ばれ、ダビデ王に仕えることになったが、性交することはなかったという。このような、少女の柔肌と接触することで若いエキスを吸収するという接触呪術的な回春術は、古来、世界各地に存在した。
*欧州における伝統的ポルノグラフィ解釈に拠れば「娘の母乳を啜る父親」同様「聖書から援用した題材だからエロじゃない」という解釈。

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「古代イスラエル王」ダビデ(ヘブライ語: דוד Dāwīḏ (ダーウィーズ), ギリシア語: Δαβίδ, ラテン語: David, アラビア語: داود Dāʾūd、在位BC1000年頃〜BC961年頃) - Wikipedia

古代中国の性書『素女経』には「よろしく交接の法を知るべきである。法の要点は、多くの少女を御して、しばしば精を漏らさぬようにすることだ。そうすれば体は軽くなり、百病は消えてなくなるだろう」とある。
*ちなみに本国では散逸し、日本に逸文が残るのみという。

古代ローマクラウディウス帝もシュナミティズムを実践したとされる。

18世紀末のパリでは、裕福な老人客を相手に、14歳~15歳の処女を二人、全裸で添い寝をさせるサービスをするサロンが繁盛した。
*今日では「添い寝サービス」はさらに新しい展開を迎える。

日本でも川端康成が小説『眠れる美女』でシュナミティズムの秘密クラブの世界を描いている。
眠れる美女 - Wikipedia

まさしく「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマの、最も皮肉めいた顕現例の一つとも?

かと思えばこんなカオス状態も現出。

さらに最近話題となったこんな話。

 

 

 

 

この辺りが国家と法人を峻別する最大の原則的相違? 前者は何らかのかたちで「言語ゲームとその臨界点Der sprachspiel und sein kritischer punkt)と事象の地平線Event horizonとしての絶対他者」の伝統から出発した建前を採用している事が多い訳で…