諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【2010年代のネット文化史】そもそもキズナアイは海外女子にどういう形で受容されてきたか?

それではそもそも、キズナアイは海外女子にどういう形で受容されているのでしょう?
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  • とりあえずは「掴み」こそ大事。まずは世に知られなければ是非の判断もないのだから。例えば国際SNS上の関心空間に滞在する女子アカウントの間で「この素晴らしい世界に祝福を」が認められていくプロセスは「傲慢な女神アクアを人間に堕として飲み過ぎでゲロを吐かせた事に、まず男子アカウントが反応」「その後のはっちゃけぶりが気に入った女子アカウントが庇護心を唆られ気に入ったキャラのパンチラ画像を駆逐する要領でゲロ画像を完全に駆逐する」「さらに女子アカウントが爆発マニアのめぐみんを気にいる女子アカウントも割と爆発画像が好きなのだが、それまで「ヒステリー(PMS)?」とか言われるのを恐れて回覧を敬遠する雰囲気があった。それが彼女の登場以降一掃される)」といった複雑怪奇なものだった。

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    GET SHREK'D | She’s the most idiotic dirtbag goddess I’ve ever...

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    *普通女子は「ルックスの可愛い娘がバーターで脳タリン」なる定式化に脊髄反射的に激しい拒絶感を示すものだが「傲慢さゆえに知性の煌めきを奪われ、逆に人間らしさ(幼児性?)を取り戻した」女神アクアは、そうした彼女達のある種の「免疫システム」を見事に摺り抜けてしまい、むしろその事で敬意を獲得したと目されている。同じくらい彼女達は九井諒子ダンジョン飯(2014年)」でエルフの魔法使いマルシルの「やだぁ〜!! やだぁ〜!!」も大好き。というか、そっちの方が好きという事実は事実で動かないのだけれど。

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    *爆発マニアのめぐみんを気に入った=女子アカウントも割と爆発画像が好きだが、それまで「ヒステリー(PMS)?」とか言われるのを恐れて回覧を敬遠する雰囲気があった…この方面の戦果においては、むしろ「僕のヒーローアカデミア」の蛙吹梅雨の挙げた功績の方が高評価とも。
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    それに比べると「女子がFuck You!!と叫ぶと、それだけで人気となる」傾向に付け入ったキズナアイの最初期の人気過程は、ある種「王道路線」といっていいくらい。商業至上主義の本願とはまさにこれだが、意外と容易な道ではない。

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  • そしてもう一つの重要なポイントが「自らのセックスアピールの自然な形での受容」だったりする。

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    *実はこれ1970年代から続く和製コンテンツの御家芸だったりする。いまだに「さらなる大源流」が突き止められてない難物。要するに本当に日本オリジナルのムーブメントだったのか? しかもその成果は直接でなく高橋留美子らんま1/2(1987年〜1996年)」や武内直子美少女戦士セーラームーン(1992年〜1997年)」や「少女革命ウテナ(1997年)」とか、一見無関係な作品を通じて海外に伝えられていく展開を迎えるのである。特にウルトラ・フェミニズム側にとって最初期の脅威となったのは「らんま1/2」の主人公早乙女乱馬が少女に変身すると、平然と「(当時ウルトラ・フェミニストが男女平等実現の為に自ら捨てよと命じまくっていた)女の武器」を活用しまくる点にあったのだという。


    *第三世代フェミニスト達が「日本の漫画こそ私達の革命指導書」と豪語するのには、そういう前史が存在したのである。実際彼女達はそうした戦果を「自らの女性性を完全統制化に置こうとする」母親やウルトラ・フェミニストの邪悪な野望との戦いの為に最大限活用してきた。この意味合いにおいてキズナアイはまさしく「(第三世代以前の旧型)フェミニズムの究極の敵」という事になる。

こうした経緯から、彼女達は(国際的SNS上の関心空間で保証されている匿名性にかこつける形で)「ホットパンツの上からばさぁっとBig T-shutsを羽織って男の人を「はいてない?」とかドギマギさせるのが好き」とか「体を売るのは嫌だけど、場末のバーでやさぐれて半裸状態でポールダンスを踊るのとかは一度くらい試みてみたい」とか断言する一方で(誰かが未想定のタイミングで女性の下着を盗み見る)パンチラを絶対に許さないのでした。
*ちなみに男性はどんなタイミングで下着を見られても、いやそれどころか何もはいてない場合すら動じないものと規定されているっぽい。それは「多様性の否定」では?

*ちなみに彼女ら「旅のロボ(Robot on the Road)」も鑑賞した上で、この作品のアニメーターが「君の名は」でパンチラ画像を描いたと気付いて「あの人だったら仕方がない」「押印(signature)みたいなもんだ」と勝手に納得し許していた。気付いたのが数人でも、その認識がたちまち数万人に共有されるのがSNSの世界なのである。


要するにあくまで全ては当事者としての女性の自由と主体性の在り方の問題。「見せる側と見る側には愛があるが、見られる側と見せられる側には憎悪がある」なる世界観。もちろん私は女性ではないので全て憶測に過ぎませんが、国際SNS上の関心空間においてこの種のルールがちゃんと頭に入ってない人間は次々と淘汰されていきました。それこそ彼女らが鯉口を切って警告しても気付かない様な鈍感人間は、次の瞬間の数千人単位の襲来で「スパアン」と…
*「スパアン」…意外と当事者は嬉しそうに消えていった(やらかすのが大抵「構ってちゃん」だったせいもある)。当然、それまで相応に彼女らに自然に受容されてるほど英語やスペイン語(あるいはポルトガル語)のネイティブでないと、突然裏切ってこれを食らう事すら出来ない。ちなみに「(人気ある動物キャラを次々と餌食にする)ホモケモナー」とかは絡んできた途端、無条件駆逐対象となる。とはいえ彼女らが本当に本気で結集するのは「ハリーポッターの芝居でハーマイオニーにキャスティンされた女優が黒人だった事に文句をつける輩が現れた」とか、そういう大事件が起こった時に限られるのである。そういう時は絵描きやアジテーターが先陣を切って投稿を開始し、残りはひたすら回覧数アップに努める体制が自然に素早く編成される。「自称リベラル」とか「親世代や教会の代弁者」の大襲来を幾度も受けて鍛えられているので、こういう時に迷いはない。

海外でも要するにこれ…ところでこの国際SNS上の関心空間においては「男性にも生得的権利が…」みたいな問題は生じません。「数が全て」と承知してるからこそ女子アカウントは(あえて衝突を押さえ込んで)相応の規模で群れてる訳だし、自分達に同様の努力が不可能と知ってるからこそ男子アカウントはそれにぶら下がって回覧数を稼ぐ道を敢えて選んだ訳ですし。
*まぁこれは「男尊女卑こそ黒人社会が守るべき伝統」と主張する公民権運動残党(黒人だけでなく、文化的多元主義的立場から彼らに同調する白人リベラル層も含む)から黒人女性を守る為の措置でもあったりする。それにつけても「猫やユダヤ教徒や同性愛者に同情する貴様らは悪魔に魅入られている」と説教に来たプロテスタント系宣教師アカウントの末路は悲惨だった。銃規制反対派の中道右派アカウントまで「こんな奴、別に生かしておく必要はないよなぁ!!」と豪語して参入。最終的には百万人単位のアカウント動員となった。とりあえず「猫の悪口を吹聴する」のが最大のタブーである事が改めて確認された次第…

各人の多様性を重視する第三世代フェミニズムって、そもそもLGBTQA層も受容してるだけあって男性性とか女性性の庇護そのものに関心をなくしてる側面も…