諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【2010年代のネット文化史】ディズニーがウルトラ・フェミニズムに毒され回復

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2010年代前半における「日本発ラブ・ストーリーの国際的躍進」の背景には、ウルトラ・フェミニズムに毒されてディズニーがそれを製作しなくなった反動という側面が確実に存在したのです。

 ウルトラ・フェミニズムに毒されたディズニー・アニメの権威失墜と「日本のラブ・ストーリー」躍進2010年代前半

2010年11月24日、ディズニー・アニメ映画「塔の上のラプンツェルTangled)」公開。ラプンツェルRapunzel)とフリン・ライダー(Flynn Rider)のドタバタ・ラブコメが大絶賛を受ける。しかし以降ディズニー映画は迷走状態に陥る。ヒロインの婚約相手として登場するのが(竹取物語の様に)クズばかりの「メリダとおそろしの森Brave、2012年)」、すべてのトラブルの原因たるアナに言い寄ってきたハンス王子がスケープゴートに祭り上げられ投獄されて大団円を迎える「アナと雪の女王Frozen、2013年)」、そして男はそれ自体が絶対悪の象徴であり、それを塔の上から突き落として殺す事でハッピーエンドが訪れる「マレフィセントMaleficent、2014年)」。ネット上では「ディズニーはまるで体に良いからと言い張って口にブロッコリーを押し込む母親みたいになり果ててしまった。しかもここでいうブロッコリーは、全ての女は全ての男を憎んで倒せという政治的プロパガンダなのだ」なんて悪評まで流れている。かかる闇の時代を抜けたのは「誰だって差別主義者の側面なら有してる」というメッセージが織り込まれた「ズートピアZootopia、2016年)」以降となる。

新海誠監督映画「秒速5センチメートル2007年)」「言の葉の庭2013年)」「君の名は2016年)」や京都アニメーション作品「氷菓2012年)」「聲の形2016年)」をトム・ムーア監督の長編アニメ映画「ブレンダンとケルズの秘密The Secret of Kells、2009年)」や「ソング・オブ・ザ・シー 海のうたSong of the Sea、2014年)」、ライカ・スタジオの3Dストップ・モーション・アニメ映画「コララインとボタンの魔女Coraline、2009年)」「パラノーマン ブライス・ホローの謎ParaNorman 、2012年)」「 KUBO/クボ 二本の弦の秘密Kubo and the Two Strings、2016年)」同様に国際的にヒットさせたのは、まさにこうした暗黒時代に失望したディズニー恋愛映画好き女子層だったとも。ちなみにこの間に当時の少女達は母親達に成長。ディズニーは彼女達を「パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊Pirates of the Caribbean: Dead Men Tell No Tales、2017年)」におけるエリザベス・スワンの再登場によってやっと「回収」。 

わかってない人はまず、こうした基本構造すら理解してない?