諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【幻想の70年代ウーマンリブ運動】「妖獣イヤモン」や「妖獣ララ」が日本のアニメに残した爪痕?

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以前から1970年代前半の日本アニメ「キューティーハニー1973年)」「魔女っ子メグちゃん1974年〜1975年)」が醸す独特の時代的雰囲気の起源が把握出来ずモヤモヤしてきました。例えば音楽面に目を向けても「グループ・サウンズの完成形」という側面、ゴーゴーや海外におけるローズ・ピアノ&ロータリー・スピーカー・システムの流行の大胆な導入…「これまで誰も見た事がない様な新しい作品を創る」という当時のスタッフの意気込みだけはひしひしと伝わってくるのですが…

キューティーハニー(1973年) - Wikipedia

魔女っ子メグちゃん(1974年〜1975年) - Wikipedia

当時を知る重要なキーマンの一人は「キューティーハニー」にも「魔女っ子メグちゃん」を含む東映魔女っ子シリーズにも脚本家として参加している辻真先大先生かも。

 辻真先(1932年〜) - Wikipedia

そしてエロティズムやコメディ・リリーフの活用で名を馳せた辻真先が「デビルマン1972年〜1973年)」の為に設定したコメディ・リリーフ役のオリジナルキャラが「妖獣ララ」となる訳です。そういえばこの作品もまた永井豪原作で、BGMでエレピが効いてたりして「当時の音」を鳴らしてます。

そういうえば(最近、高橋留美子うる星やつら」を再読して思い知らされているのだけど)1970年代なる時代って、本当に… 

新井詳「中性風呂へようこそ2007年)」より

どうして父親は娘から嫌われるのか?

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①昭和型マチズモ
*1978年当時の子供達の憧れはTVや漫画の不良で、みんな真似してた。子供にとって大人とは「何をしても痛がらない存在」で、虐め方も「言葉・力・人数の統合芸術的虐め」。「今の方が精神を傷付ける言葉を使うので昔より過酷」というが、当時は至る所で喧嘩が行われて鋳たので目立たなかっただけ。「子供は喧嘩するもの」と思われていた。

  • 男も女も「(不潔さ、ペチャパイといった性別的弱点」をモロ出しにするのが「人間味溢れる演出」として流行。

  • 中性的な人やオカマを酷く嫌う。オカマは大抵不細工に描かれ、迫られて「ギャー」というギャグが頻発。

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    *そういう時代だったからこそ、高橋留美子うる星やつら(1978年〜1987年)」の藤波竜之介(男装女子)と潮渡渚(女装男子)のカップル、江口寿史「ストップ!!ひばりくん( 1981年〜1983年/2010年、アニメ化1983年)」の大空ひばり(女装男子)はまさに国際的画期と認められるに至ったのだった。

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    *ところで 「ストップ!!ひばりくん」EDでギターを弾いているの、BOOWY結成直後の布袋寅泰だったんだ…こういう境界線侵犯系の作品にはゴーゴーやジャズが似合う?

    アメリカにおいては特にディズニーが「ポカホンタス(Pocahontas、1994年)」で王子様を乗り換えるヒロインを、「ヘラクレス(Hercules、1997年)」で悪堕ちするヒロインを、1997年「ムーラン(Mulan、1998年)」で男装女子ヒロインと男子の女装ネタを登場させる以前に日本の作品では全てそれが実践済みだった事が高く評価されている。まぁ、大抵は手塚治虫が先鞭をつけた訳だが。

  • 美形でお洒落な男は大抵気障で鼻持ちならない役。

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②バブル世代特有の(トレンディドラマ的)「男の幸せ」「女の幸せ」のくっきりしたキャラ分け。
*これに幻滅して「そんなに男が女より強くて偉くて選ぶ権利がある世界の女ってすっごくつまらない」「なら男になった方がマシ」とか言い出す。

  • 恋愛決め付け論「女の人生は男で決まる。御前も何時かいい男をみつけて可愛がってもらうんだぞ
  • 美男に否定的「ヒョロクテ弱そうな男だ。女みたい
  • 処女崇拝「(飯島愛を指してこんな風になったらオシマイだぞ! 傷モノになるなよ!
  • 母づてに聞かされる「新婚早々、浮気されて苦労したのよ。お父さんもなかなかやるでしょ?
  • ホモやオカマを極端に嫌う「これ男? 気持ち悪っ!!
  • 役割決定論ボタンつける練習するか? 将来彼氏につける練習に…

要するにどちらも1960年代までは確実に全国規模で根を張っていた(家父長権威主義を含む)戦前既存秩序の残滓。1990年代以降には通用しない。

こうして20世紀的価値観は過去の遺物に…

逆を言えば、かくして日本人は国際社会への適応能力を高めてきたとも。

妖獣ララはある意味、宮原るり僕らはみんな河合荘2014年〜2018年)」に登場する「すっぴん顔は気絶するほど恐ろしい」この人の先祖筋とも?

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そしてさらには…

第八話「イヤモンと バウウ」

Iyamon Untied

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考えてみれば当時は「女囚映画」の躍進期…すなわちTV普及によって映画業界が本格的に困窮し「(TV業界が手を出しにくい性と暴力の極端な形での追求」「カンフー映画や黒人映画の様な非白人ターゲット層発掘」「(大予算を必要とするのでやはりTV業界が手を出しにくい大規模災害映画」などに望みが託されていった時代…邦画の歴史において東映映画「仁義なき戦いシリーズ1973年〜1976年)」や東宝映画「日本沈没1973年)」「ノストラダムスの大予言1974年)」が得意な意味を有しているのは、まさにそうした苦難の時代に生み出された大ヒット作品だったからなのでした。

*ハリウッドでも「ゴッドファーザーPart1・Part2(The Godfather、1972年、1974年)」「タクシードライバー(Taxi Driver、1976年)」「ロッキー(Rocky、1976年)」の様な南イタリア系移民のアクション映画、あるいは「大空港(Airport、1970年)」「アンドロメダ病原体(1971年)」「ウエストワールド(Westworld、1973年)」「タワーリング・インフェルノ(The Towering Inferno、1974年)」といった大予算災害物の成功が双璧を為したのである。

女囚映画(WOMEN IN PRISON MOVIE)

ロジャー・コーマン率いるニュー・ワールド初の大ヒット作にして、カルト女優パム・グリアの実質的デビュー作となった「残酷女刑務所1971年)」と二匹目以降のドジョウを狙って失敗した「ビッグ・バード・ケイジ(1972年)」「女刑務所/白昼の暴動1974年)」。

これが日本に渡れば日活ニューアクション1969年〜1971年)の世界から移籍してきた梶井芽衣子主演の東映映画「女囚さそりシリーズ1972年〜1973年)」』となり、イタリアに渡れば、それは「ナチ収容所もの」と形を変える。

日活アクション映画略史

女囚さそりシリーズ(1972年〜1973年) - Wikipedia

あれ、これちっとも「70年代ウーマンリブ運動」と関係なくない?

ウーマンリブ運動 - Wikipedia

1970年代初頭、米国や日本などの先進国で起こった女性解放運動である。ちなみにWikipediaの参考記事は以下。

また別項目の説明によれば以下。

フェミニズム - Wikipedia

18世紀以前は一部の上流階級を除いて、女性は男性と等しく農作業・商・手工業などの労働に就いていたが(戦後の高度経済成長期の日本の地方では、都会で専業主婦が広まってからも女性が農業や漁業などの労働に従事していたように産業革命の影響で労働に就いていた中流階級の女性は専業主婦となる事が多かった。20世紀には「結婚して子供を持つ郊外住宅の主婦」が女性の憧れの的とされた。この背景には戦中に若い男性がいない為に工場で労働に従事していた女性を家庭に入れようとするアメリカ政府のプロパガンダがあった。

日本も例外ではなく、戦中は男性不足のため若い女性は工場で軍需産業などの労働に就いていたが、戦後はアメリカ型の専業主婦となることが幸福と思う者が、特に日本女性には多かった。しかし、家庭に戻った女性の中には結婚し子供を育てるだけの人生に不満を持つ者もいた。フェミニストの1人である ベティ・フリーダンは『女らしさの神話』の中で当時の女性の心境を語っている。

郊外住宅の主婦、これは若いアメリカの女性が夢に見る姿であり、また、世界中の女性がうらやんでいる姿だといわれている。 しかし、郊外住宅の主婦たちは、密かに悩みと戦っていた。ベッドを片付け、買い物に出かけ、子供の世話をして、 1日が終わって夫の傍らに身を横たえたとき、『これだけの生活?』と自分に問うのを怖がっていた。

1960年代からウーマン・リブ活動が世界中に広まり、ニューヨークなど各地で数十万規模のデモが発生した。この運動により後に多くの国で女性の労働の自由が認められるようになった。これを境にフェミニズムはほとんどの国で政治、文化、宗教、医療といったあらゆる分野で取り入れられるようになる。

このウーマン・リブは女性を拘束しているとする家族や男女の性別役割分担、つくられた「女らしさ」、更にはこの上に位置する政治・経済・社会・文化の総体を批判の対象にしていた。日本でも1970年代に各地でウーマン・リブの集会が開かれ運動の拠点も作られた。またこの頃、ピル解禁を要求する、榎美沙子が代表の「中ピ連」が結成された。

ウーマン・リブ運動の高揚を受けた国際連合は、1972年の第27回国連総会で1975年を国際婦人年と決議し、メキシコで国際婦人年世界会議(1975年)を開催して「世界行動計画」を発表した。続いてコペンハーゲン会議(1980年)、ナイロビ会議(1985年)、北京会議(1995年)などが開催された。

日本でも国際婦人年を契機として様々な組織が生まれ、婦人差別撤廃条約の批准や国内法の整備を求める運動が加速した。

18世紀から20世紀初頭にかけて近代国家における投票権参政権のほか就労の権利や財産権などの法的な権利の獲得にかかわる闘争が行われ(第一波)、20世紀初頭から1970年代ぐらいにかけてアメリカ中心に単なる働く権利ではなく職場における平等、男子有名大学などへの入学の権利、中絶合法化、ポジティブ・アクションなどが市民権運動の一環として行われた(第二波)と主張する一部識者の中にはそれまでの動きをもってフェミニズムの役割は終了したとし、以後の第三波には批判的な見解を示す者もいる。逆に第三波側はこれら批判をバックラッシュとして批判している。

いずれにせよ1970年以降のフェミニズムで様様な思想が存在するため一括りに述べがたい側面がある。一般的な傾向として法あるいは制度上の明確な差別が徐々に撤廃されるようになった結果、そうした観点からは見えづらい様々な問題が議論の俎上にあげられるようになったせいである。

アメリカにおけるウーマンリブ運動

第一次世界大戦第二次世界大戦の最中、若者の男性は戦場に駆り出され、主に女性が国内の生産現場を担っていた。第二次世界大戦が終了した1950年代になると、帰還兵の就職口を作るために現場で働いている女性たちが職を手放さなければならなかったが、多くの女性はその後も工場・農場・伝統的な女性職の領域で働き続けた。かくして戦争が引き起こした人手不足が女性の積極的労働参加を促し「女性も男性と同じ仕事ができる」という、仕事における自信をもたらしたのである。

そしてベトナム戦争反戦運動と共に、男社会に対する不満を抱えた女性達がアメリカ中で蜂起。伝統的な女性のイメージは根本から否定され、女性の労働が当たり前となり、それまで殆ど男子校同様だった大学で女子の入学が認められ、男性中心だった学問に女性学が導入された。反キリスト教運動も兼ねており、それまで禁止されていた女性の堕胎を認める法律もできた。

日本におけるウーマンリブ運動

盛り上がった契機は1960年代後半の全共闘運動だった。最もラジカルに既成秩序の打破を訴えた全共闘運動においてさえ、街頭デモに繰り出すのは男子学生、女子学生はキャンパスの中でおにぎり作りに従事させられたことから「女性は男の奴隷ではない」との主張が生まれたのである。


また学園祭の定番であるミス・コンテストを、男の視点による美醜で女性を評価するのは女性差別に当たるとして、これを中止に追い込んだ。

そもそも国際的にエンターテイメント業界が必死になって追随してきた「1960年代から1990年代にかけての家父長 / 家母長的権威体制の崩壊」とウーマンリブ運動の関係の再定義が必要になりそう?