諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ドレフェス事件】【Cheese-eating surrender monkeys】「誰も助けない」インテリ的良心の大源流はフランス?

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今や情報統制の頂点に立つマスコミは「インターネットの成功などネトウヨの妄想の中にしか存在しない」的プロパガンダで従来の出島的立場を保ち続け様と必死になっています。最大の武器は誰かが「カミングアウトさえしてないLGBTsや、ウヨホモやウヨレズやウヨ障害者の人権までわざわざ保護してやるほど国際的人道主義の世界は甘くない。そういう奴らこそ、みんな本当の弱者が受けるべき同情に付け込んでちゃっかり権利だけ甘受しようとしてる本物のゴキブリどもだって事くらい、誰だって常識で分かってる。みんなまとめて生きてる価値なんて皆無のクズで、そういう連中を庇ってるのも全員同類さ」などと言い出しても絶対に内部批判が起こらない徹底的なまでの部族的紐帯とも…

*「このままじゃ我々は滅ぼされる」なる「焦燥感=実存不安」を煽って政治的動員を達成しようとすれば、どうしても「自ら健常者を自認する若者達」の「我々こそが最も優遇されるべき」なる声を拾ってしまうのである。しかも彼らの不満は最終的に(階級的敵対者や、性的異常者や、身障者や、外国人だけでなく)背後で自分達を扇動しようとする「老害」に向かう。それまで「紅衛兵の狼藉」を全てを黙認してきた毛沢東が彼らの下放を決心したのも、シールズが解散に追い込まれたのもこの流れ。
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*カミングアウトもしてない様なホモは人権の保証対応外…この辺りのジレンマが生み出した奇妙な象徴が「魔法少女トニー・スターク」だったりする。そういえばレーニン(本名ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ)もスターリン(本名イオセブ・ベサリオニス・ゼ・ジュガシヴィリ)もそもそもペンネームだったよね?

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おそらくユダヤ人が欧州インテリの偽善を見限ってイスラエル建国に着手した「ドレフェス事件Affaire Dreyfus、1894年、冤罪が晴れたのは1906年)」を巡る党争に巻き込まれたジョルジュ・ソレルが「暴力論Réflexions sur la violence、1908年)」の中で「結局、インテリには党利以外、何にも守るべきものなんてありゃしない」と叫んだ背景もきっと同様の状況だったのです。 実際、それでもなおフランスを信じて残る道を選んだユダヤ人はヴィシー政権Régime de Vichy、1940年〜1944年)下で容赦無く絶滅収容所送りとなってしまいましたが、当時のフランスのインテリ階層はあえてそれを黙認しています。彼らは何でも党争の対象として消費するだけで、特定の対象を守る為に戦う事はない?

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*中国でインテリがしばしば三重人格(話す事、書く事、実際の行動が全部違う)と弾劾されるのも同じ文脈。ちなみに写真は「フランス留学組」に分類される若き頃の周恩来

困った事に、まさにこのドレフェス事件そのものが近代インテリ概念の起源とされていたりします。それもフランスにおいて「二百家」あるいは「権力に到達したブルジョワジーbougeoisie au pouvoir)」と呼ばれるインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層の寡占支配が完成していく過程で勝ち取られた最も重要な勝利の一つとして讃え続けられているという次第…

多くの人が英語の「インテリジェンス知能、知性)」がインテリの語源と思っていた様です。高学歴層や博識者を指す言葉としてのインテリの語源は、ロシア語の「インテリゲンチャинтеллигенция / Intelligentsia / Intelligentzia)」で、「知識階級」を意味します。

知識人(intellectual ; intellectuel)

□「既存の学知パラダイムを刷新する創造的な営みを通じて、人間精神の新たな解放をもたらすと同時に、政治的な理想と情熱をもって行動にあたり、公の場で討議力と指導性を発揮する人たち。体制に同調せず、境界的・周辺的な位置から既存の秩序を揺さぶり、人々を覚醒させる役割を引き受ける点に特徴がある。単に知の創造を試みるだけでは、一流の「研究者」であるにすぎない。また、知の創造とは区別された、体制批判・社会改革の実践的な担い手は「知識階級インテリゲンチャ)」であるにすぎない」(橋本努「知識人」大澤・吉見・鷲田編集委員・見田編集顧問[2012:877]

□「知識人という言葉は19世紀末のフランスで出現する。ドレフュスはスパイであり有罪とすべしという圧倒的な世論に抗し、大尉を擁護したゾラなどの人びとがこう名づけられた。それゆえ、この言葉には出現の当初からあえて国家理性に挑戦する政治的・文化的な前衛たる人々というニュアンスがともなっていた」(杉山光信「知識人」廣松・子安・三島・宮本・佐々木・野家・末木編[1998:1065]

□「知識人(intellectuals)は、19世紀末のフランスにおけるドレフュス事件とともに成立した概念である。スパイ容疑で不当に逮捕されたユダヤ系の参謀将校ドレフュスの冤罪をはらすべく、作家のゾラが1898年、新聞に出した「我は弾劾するJ'accuse ...!)」という題の当局批判をきっかけに、ドレフュスを擁護すべく立ち上がった人々が「知識人」という考え方のはじまりである。つまり、(1)自分たちの個別的な利害を通すために意見表明をするのではなく、(2)自分たちの属する政治的共同体全体のことを考えて、(3)頼まれもしないのに公共の場で意見を述べる人々、(4)その際、言論のみを武器として、(5)社会的不正義を告発し、また不当に迫害されたり、社会的に弱者にある者たちを擁護する人々のことを言う」(三島憲一「知識人」永井・中島(義)・小林・河本・大澤・山本・中島(隆)編集委員三島[2002:711]

□「この言葉にはまた、それより早く19世紀中頃のロシアで出現するインテリゲンチアの意味も合流している。ベリンスキイ、ゲルツェンなどの人びとは帝政ロシア専制政治に反対し農奴の解放のための革命理論と運動の担い手となった。彼らの場合も批判的かつラディカルな思考が特徴であるが、その観念性を指摘されることもある」(杉山光信「知識人」廣松・子安・三島・宮本・佐々木・野家・末木編杉山[1998:1065]

ドレフュス事件Affaire Dreyfus)…「フランスに起きたスパイ事件。ユダヤ系のドレフュス(Alfred Dreyfus, 1859~1935)大尉はドイツ人のスパイとして終身刑に処せられたが、96年に真犯人が明らかとなったので再審要求の運動が起こされた。この運動はドレフュス個人を超えて、人権と民主的共和政を守ろうとする左翼・進歩的共和派と、再審は軍と国家の権威を落とすとする軍部、共和政否定の右翼、カトリック教会、反ユダヤ主義者との大闘争に発展した。98年クレマンソーの新聞『オーロール』に載ったゾラの「わたくしは弾劾する」が契機となって共和派が勝利を収め、ドレフュスは99年に再審ののち特赦された」(世界史小辞典[2004:488]

ところがその界隈では英雄と讃えられているエミール・ゾラÉmile François Zola1840年〜1902年)が、視点を変えると「文才が尽きて以降は政争にのめり込んでつまらない死に方をした政敵に暗殺されたとする陰謀説もある一酸化炭素中毒死)」と冷笑されていたりするのもまた国際社会の伝統的立場の一側面。

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エミール・ゾラ(Émile François Zola1840年〜1902年)…考えてみれば「太陽の季節(1956年)」「処刑の教室(1956年)」「狂った果実(1956年)」を提げて華々しく文壇と映画界にデビューし「太陽に吠えろ」や「西部警察」で一世を風靡しながら才能が枯渇して以降は政治家に転じた石原慎太郎の人生と重なる部分が少なくなかったりする。
エミール・ゾラ(Émile François Zola、1840年〜1902年) - Wikipedia

*弟子筋に当たるモーパッサンも、エッフェルト塔建設に「こんなフランスの伝統に反する(鉄骨ばかりの)醜い建造物の建設など許されない!!」と反対する一方で、それが完成すると屋内のカフェに入り浸り「ここからだけエッフェルト塔が見えないから素晴らしい」と言い放ったエピソードを残す。まぁこれこそが「三重人格」の本領発揮という次第…

*そのエミール・ゾラをこよなく敬愛し「アンガージュマンこそインテリの義務」と熱狂的に主張するサルトルに対し、故郷で現実の泥水を啜らされてきたユダヤアルジェリア人のカミュが「偽善ばかりのインテリなんてもう黙ってろ!!」と噛み付いたのもこうした流れの一環とも。

この物語にはさらに絶望的な続きが存在します。戦後、自分達の怯懦を恥じたフランスのインテリ層はナチズムに屈した罪悪感からその「徹底的清算」を熱狂的なまでに連呼する様になるのですが、自ら手を汚す覚悟などある筈もなく、汚れ役を全て(実際にフランス代表として第二次世界大戦を戦ってきた英雄として国民の敬意を集めていた)植民地軍人に全てを委ね、政権まで奪われてしまうのです。しかも植民地軍人達は「ナチスの爪痕の徹底的清算」どころかその温存につとめ(本国フランス人が動員を嫌がる)植民地紛争に有効活用してきたのでした。

もちろん肝心の「二百家」あるいは「権力に到達したブルジョワジーbougeoisie au pouvoir)」はこういう展開についても完全に見て見ぬ振り。その一方で口だけは達者なので世界中の騙されやすい人々に「フランスはナチスの痕跡の完全清算に成功した」と信じさせる事に成功しています。その一方で21世紀に入るまでずっとヴィシー政権時代のユダヤ人迫害について「悪いのは全てナチスで我々もユダヤ人同様の一方的被害者」と主張してきたにも関わらず…
ヴィシー政権によるユダヤ人並びに外来者に対する法 - Wikipedia

*実は「人食いハンニバル(Hannibal the Cannibal、ハンニバル・ザ・カニバル)」ことハンニバル・レクター(Hannibal Lecter)博士が正義のヒーローとして戦う倒錯的展開で有名となった「ハンニバル・ライジングHannibal Rising、原作2006年、映画化2007年)」が作品として成立したのは、こうした「(レクター博士の食人行為よりおぞましい)フランスの偽善」を手段を選ばず倒すべき絶対悪として設定したからだったりする。もしかしたら最初期のバットマンが「悪党しかその歯牙に掛けない正義の吸血鬼」という設定だった影響とか受けている?


*XーMENやアベンジャーズといったマーベル・コミック作品の世界観も時として「(フランス的偽善の総決算と言うべき)ベトナム独立戦争の後始末を(フランス人が得意の口八丁で)アメリカ政府に押し付けた」なる歴史観を垣間見せる時がある。当然、国際SNS上の関心空間においてはもっとフランクにそういう歴史観が語られていたりする。

それでは最近の状況はどうかというと…

フランスからユダヤ人が脱出している 異文化をまとめる国家意識

フランスからユダヤ人が脱出していることを、欧米各紙が報じている。

理由は、ここ数年、フランス国内でユダヤ人に対する暴行の件数が増加していること。2012年にはアルカイダを信奉するアルジェリア系のフランス人男性がユダヤ人の子供3人とラビを殺害した。昨年の5月には、同じくアルジェリア系フランス人のメヒディ・ネンムーシュが、ブルッセルズのユダヤ人博物館で4人を殺害している。

また、今月7日フランス・パリでシャルリー・エブド紙がアルカイダ系のテロリスト2人組に銃撃され、その後、2人組の同胞とされるセネガル系フランス人が、ユダヤ人が経営する店に立てこもり、店主以下数人を人質に取った。この際、4人のユダヤ人が犠牲となっている。

ユダヤ人とイスラム教徒との間には、中東のイスラエルパレスチナ問題が対立の火種となっている。しかし、こういった宗教がらみの襲撃だけでなく、フランスに住むユダヤ人は、日頃の生活の中でも、嫌がらせなどを受けているという。そこにはユダヤ人に対する差別意識が存在する。

これらの事件を見たフランス国内のユダヤ人たちの間には、緊張が走っている。実際、2000年から12年までの間、フランスからイスラエルに移民するユダヤ人の数は年間1000~3000人だったのに対し、13年には3300人、14年には7000人以上と、増加傾向にある。

英ジューイッシュ・クロニクル紙のジェームズ・ポラード氏によると、1年半前には50万人を数えたフランスのユダヤ人口は、数年以内に40万人に減少しかねないという。
*これはドイツでも起こっている事だが、フランス人は(イスラエルの暴虐への復讐として)イスラム教徒がユダヤ人を襲い始めると「程の良い汚れ役(追い出し役)」としてこれを黙認する様になったのだった。

*「シャルリー紙」襲撃事件への抗議デモがあった際、国際SNS上の関心空間は「またフランスの偽善者どもが自己満足の為に何か始めたみたいだぜ」と冷笑的反応を貫いた。皮肉にも伝統的に「欧州から追放されたユダヤ人の掃き溜め」として機能してきたアメリカには(彼らのもたらした)筋金入りの(特に非英語圏に対して向けられる)反欧感情が根付いており、それを背景にこうした歴史を歩んできたフランス人の歴史を冷笑する放送禁止用語「Cheese-eating surrender monkeys」は誕生したとも。

日本のマスコミは、こうした情報の国内流入を伝統的に完全にシャットアウトしてきたのです。これはもはや「鎖国」と呼んでも差し支えのないレベルの展開では?