そうか、最近ネットで話題の「フェミニズムは誰も守らなくなってしまった」問題もまた集-立(Ge-stell)システム(後期ハイデガーいうところの「特定の意図に従って手持ちリソースを強制的に総動員しようとする(逆に他の利用法も有用である事を否定したり、制限しようとする)体制」)問題なんだ…
ハイデガー「技術論」から考える新しいゲシュテル: 極東ブログ
本書ではゲシュテルは「徴発」と訳されている。戦時の意味を込めている。
ハイデガー自身、「兵士の召集」とか「軍事物資の調達」とかいう日常語と近い意味で、このゲシュテル(Gestell)という言葉を使っている。
そして加藤はその先に炭坑採掘機械がゲシュテルと呼ばれていたという経験談からこの語の語感を語る。
私の関心事は二つである。一つはゲシュテルと情報技術の関係である。もう一つはゲシュテルと国家の関係である。
ゲシュテルは、自然が内包するエネルギーを徴発するというイメージでまず描かれている。だが徴発されるのは自然のエネルギーや資源だけではない。ハイデガーの原文を受けた加藤の説明を借りる。
この文章は「シュテレン」(stellen)づくめで書かれているが、この「シュテレン」の元締めが「ゲシュテル」(徴発性)である。
ドイツ語のstellen(シュテレン)の元の意味は「地上に横たわっているものを、垂直にする」で、更に「追いたてる、取り立てる,責め立てる」という意味が含まれている。
たんに資材を調達するだけではなく、世論とか、意見とか、文化とかまで調達し、取り立てていくというあらゆるものを駆り立て、取り立てていく見えない力が働いている。誰かが私腹を肥やすために世論操作をしているということをハイデガーが言いたいのではない。近代技術の文化の根底には調達のための調達、取り立てのための取り立てという奇妙な性格がある。
徴発の対象は、情報であり大衆の関心でもある。ここで、いわゆる情報化=マスメディアとして新聞・テレビ、そして対価されるコマーシャルメッセージを考えれば、それらがすべて商業主義や特定のイデオロギーに情報と大衆の関心を徴発するゲシュテルであることがわかる。
現在(第三世代以前の)フェミニズムが抱えている問題とは、要するにいわゆる「総動員体制時代(第一次世界大戦が勃発した1910年代後半に始まり、冷戦期を経て欧州再建によって米ソ二極対立状態が緩和する1970年代まで続いた「国家間の競争が全てだった時代」)」に最適化し過ぎて、それ以降の「個人の時代」に全く対応できていない点とも。
フェミニズムって女性の生き方を拡張するための思想じゃなかったんでしたっけ。あれ? いつの間に女性を抑圧する思想になったんでしょう。
— 青識亜論 (@dokuninjin_blue) October 18, 2018
お勉強できる子えらいぞヒエラルキーに社会を一本化したら自分たちが有利になると気づいたあの日あの時あの夜から https://t.co/lfF9yZDXNR
— 白饅頭(光属性Vtuber・バーチャルツイッタラー) (@terrakei07) October 18, 2018
勉強できるフェミにとっては、自身の性にビルトインされた「ボラティリティの低さ」が足かせのように見えるだろうし、ボラティリティの低さゆえに男のように死んだりホームレスにならないどころか養われて幸福になっている主婦層を低賃金労働者として労働市場に放ってしまいたくなる気持ちはわかる。
— 白饅頭(光属性Vtuber・バーチャルツイッタラー) (@terrakei07) October 18, 2018
フェミは「自分が男のようにボラティリティが高ければ自分はもっと経済的・社会的地位を上げられるのに」と考えるわけで、それはおそらく当たっているのだけど、主語を「自分たち」にしてしまい、フェミのように勉強のできない大半の女の均衡(幸福)を粉砕してしまったわけで。
— 白饅頭(光属性Vtuber・バーチャルツイッタラー) (@terrakei07) October 18, 2018
フレイザーがいう「フェミニズムは資本主義のしもべになってしまった」というのは、こういう理路によって説明されるわけです。フェミニズムがネオリベラリズムと二人三脚なのは、まさに両者が「優秀な人間の価値基準に平準化した社会」を希求するからであって。
— 白饅頭(光属性Vtuber・バーチャルツイッタラー) (@terrakei07) October 18, 2018
別にフェミが必ずブスというわけではないだろうけれども、少なくともお勉強ができることのインセンティブを最大化したい以上、男にやさしくされたり、男に性的魅力を感じさせたりすることで便益を得ようとする人間は目標達成における障害になる。敵となる女を「名誉男性」とする動機もここにあるわけ。
— 白饅頭(光属性Vtuber・バーチャルツイッタラー) (@terrakei07) October 18, 2018
アカデミズムのフェミニズムには少なくともネオリベ的な達成が目標にあったが、現在のツイッターフェミはそうした目標とは別に「男を喜ばせる奴はたとえ女であろうが許さない」というシンプルな性嫌悪感を動機にしているというのはもちろん両立するからね。
— 白饅頭(光属性Vtuber・バーチャルツイッタラー) (@terrakei07) October 18, 2018
ところでこのサイトでは、ある時点から「ナショナリズム」とか「資本主義」みたいな様々な手垢のついた言葉に嫌気がさして全部まとめて「集-立(Ge-stell)システム」と呼ぶ様にしてきました。ちなみに、後期ハイデガーは同時に「あらゆる集-立(Ge-stell)システムは究極的には必ずや最終的には自己目的化して当初の意図を果たさなくなる。真理(アレーティア)の世界は常にその外側で輝き続け(いかなる集-立(Ge-stell)システムも経ずこれへとアクセスする)芸術家だけがそれに言及して新たな道を指し示す」としています。すなわちこの理論において鍵を握るのは「芸術家」すなわち、既存の集-立(Ge-stell)システムが行き詰まる都度「新たな道」を再発見する革新者…今待望されてるのはそれ?