諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【韓国音楽の冒険】【防弾少年団(BTS)】「世界を腐らせる」戦略について?

要諦は「引き寄せてから一網打尽にする」構図がどこまできちんと実践できるか?

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  • 例えばこの曲で「着エロ好き」のラテン系諸民族を引き寄せておいて…
  • あえて彼らの苦手とするLGBTQAサイドへと誘導…

 無論、最初の一手から落とし所が見えてる筈もなく、試行錯誤の死体はきっちり潔く積み上げていくスタイル…

 この一連の流れが理解できる人間だけが「防弾少年団BTS)」に石を投げなさい?

20年以上の歴史があるアメリカのK-POPコミュニティ・Soompiのマネージャーによると、K-POPの、特にMVは視覚的な要素が強く、込められたテーマによってアメリカのリスナーはアメリカの音楽からは感じにくい種類の自分の内面に向かって行くような経験を味わうという。「アメリカでのK-POPは自己発見のプロセスとなるため、その点でファンはかなり興奮してしまう。ユーザーが最初にお気に入りの曲を1曲見つけると、その後は勝手に深く掘り下げるようになる。アメリカ人アーティストたちからは得られないようなモチベーションとファン同士の交流が存在する」と語っている(参照:Rolling Stones)。この点においては日本でも同様の経験をする人は少なくないと思うが、韓国とは比較的近いカルチャーを持つ日本ですら新鮮な体験が、全く異なる欧米リスナーに与えるであろうインパクトは想像して余りある。この「内面に向かう経験」「勝手に深く掘り下げる」「モチベーションとファン同士の交友」という点において、BTSアメリカ人リスナーを特に強く揺さぶる「何か」があるのは確かだろう。

まず考えられることが、芸能人として「見せる面」と「見せない面」のバランスが絶妙であることだ。例えば、SNSなどでのメディア戦略については多く指摘されるところである。SNSでファンとの交流は「見せる」が、グループアカウントにすることでBTSの外にある個々のプライベートには極力「見せない」。YouTubeやV LIVEなどで練習室や寮、ツアー中の様子など「仕事中の姿は見せる」が、アメリカのセレブのようにパパラッチされるようなプライベートは「見せない」。歌詞でメンバーの心情は「見せる」が、CDのクレジットでは活動楽曲のメインクリエイターが誰かということは「見せない」(韓国の音源プラットフォームには記載されている)。

さらに、韓国のアイドルが寄付をすることは珍しくはないが、BTSの場合は寄付先がUNICEFであることで海外のファンにもアピールしやすい。国連スピーチや軽度の社会的スタンス表明によって、その辺りが気になる層も充足して消費できるようなキャラクターづけもされている。(韓国のアイドルが政治的スタンスを表明することに関してはまた別の複雑な問題はあるが)コンセプトが本人達の成長譚とシンクロしていることで、メンバー達が素直な心情や行動を見せたりその結果非難を受けることがあっても、その「傷」が逆にシンパシーを呼びファンがよりのめり込むというように、背後にいる事務所の「大人」が見えないようにする術に長けている印象だ。

歌詞の面では韓国語ネイティブである韓国内とそれ以外の国では正反対とも言える評価の部分もあり、ある種の言語的バイアスが働いていること、アメリカの若者の間でエモラップと呼ばれるネガティブなことを隠さない内面的なリリックのラップが人気というタイミングもプラスに働いていそうだ。パフォーマンスや楽曲の良さはもちろん、若者の間で人気のあるYouTuberのような親しみやすさもあり、共感できるメッセージや歌詞を語りかけてくれるように思える。ビルボードK-POPライターであるジェフ・ベンジャミン氏がアジアのアイドルによく見られる「神秘主義」はアメリカではウケにくいと言っていたが、神秘主義ではないが生々しすぎる姿は見せないというバランスが丁度良いのではないか。

日本音楽会は決っして歌や踊りでアメリカや韓国に劣ってる訳ではないという事。ならば、問題は一体どこに?