諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】最近のポストモダン思想の劣化について。

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 サピア=ウォーフの言語的相対論とか持ち出してくるどころじゃなくなった?

言語相対主義というのはアメリカの民族学者のウォーフとサピアが唱えた学説です。
かれらはアメリカインディアンの言語を研究する中で、虹の色もそれぞれの部族によって、2色に見えたり、5色に見えたり、いろいろだったので、言語によって知覚も変わってくることを発見し、言語相対主義というものを唱えました。

それに対して批判もあります。

どんなに民族が違っても、知覚には共通性がある、だから言語に相対的とは言えない、と。 

言語的相対論(Theory of linguistic relativity) - Wikipedia

この理論は何度も提案され、議論を重ねてきた。時にはサピア・ウォーフの仮説と呼ばれたり、単にウォーフの仮説と呼ばれたりする。ウォーフ自身は後者の名前には強く反対しており(彼自身が他にも多数の仮説を提唱しているため)「この理論の大部分が彼の業績によるものなら名づける権利もあるはずだ」と主張している。

ウォーフの理論が批判されるのは、ウォーフが「言語が思考を決定付ける」と主張していると見なされているからであろう。しかし、ウォーフ自身は「言語は認識に影響を与える思考の習性を提供する」としか述べていない。

その正当性の議論は別にして、言語的相対論は言語学以外で具体的な応用を生んでいる。ダグラス・エンゲルバートは、この理論の影響もあって、ハイパーテキスト、グラフィカルユーザインターフェース、マウスなど様々なものを発明した。

ドイツ語圏ではヨハン・ゴットフリート・ヘルダーが、その「近代ドイツ文学断想Fragmente über die neuere deutsche Literatur1766年)」で既に、諸言語をそれぞれの固有の文化生活を形成する力の一つとして見なしているが、言語的相対論の基本的な態度である。さらに、その後、フンボルトが「諸言語の民族的性格について1822年)」や「人間言語構造の多様性と人類の精神的発展へのその影響についてUeber die Verschiedenheit des menschlichen Sprachbaus und ihren Einfluss auf die geistige Entwicklung des Menschengeschlechts、1830年〜1835年)」を著し、ヴァイスゲルバーが「母語言語学1963年)」の中で、母語が人間の精神内部に形成する中間世界について述べているのも、言語相対論の姿勢である。

フランス語圏では近代言語学の祖であるソシュールの講義における受講学生たちがその後にまとめた「一般言語学講義1916年)」において述べられている[意義仏:signification)に対する価値仏:valeur)としての概念が、諸言語間 で相違するものとしている。例としては仏のmoutonと英のsheepの間の相違が挙げられている。相違する価値がそれぞれ精神へ別個に及ぼす影響について語られてはいないが、それを受けた弟子のバイイは「一般言語学とフランス言語学1932年)」において、ドイツ語とフランス語の間の構造上の志向の差異を述べていて、それぞれの言語を話す主体の精神の働きの違いを推測させる。

*個人的にはむしろ現象学的アプローチを思い出す。

要するに、より「党利至上主義という名の後期ハイデガーいうところの集-立(Gestell)システム)」に傾きつつあるという話? むしろここでは「下部構造その主体が生活している環境、すなわち後期ハイデガーいうところの集-立(Gestell)システムこそが上部構造その生活空間で採用された言語環境、すなわち後期ウィントゲンシュタインいうとことの言語ゲーム(Sprachspiel)やベンヤミンいうところのパサージュ(Passage)の認識範囲を決定する」という立場に立ちたいものですね…