諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ファンタビ2】【反原発】坂本龍一め、余計なことを…

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坂本龍一め、本当に余計なことを…

クラフトワークが「放射能(RADIOACTIVITY)」で歌詞にフクシマを入れて日本語で歌う♪(SoundCloud) 馬鹿まるだし

クラフトワークが出演するにいたった経緯(坂本龍一氏のコメントより

「それから5月に、ニューヨークのMoMAで、クラフトワークの8日間連続のコンサートがあったんですけど、その時に、僕も、2日くらい観に行って、なんと31年ぶりに再会したんですね。で、そのときに "7月にこんなフェスをやるよ" という話をして、出てよとは言いませんでしたけど、やりますよと。まあ彼らは、91年から強い反原発のメッセージを出しているので、共感してくれるかなと言う感じで話したんですけど、翌日 "出る、出たい" というメールが来て、出る事になりました。で、ものすごい積極的で、彼らの曲の中の「Radioactivity」 - 放射能という曲、古い曲ですけど、これを日本語で歌うために自分たちで日本語の歌詞を作ってきて、これでいいか、と。メールでほぼ毎日のようにやりとりしてですね、僕も少し助けて、日本語の詞にしました。クラフトワークYMOが出会うのも31年ぶりでした。多分、クラフトワークは独自でツアーが今年の暮れにあるようなので、好きな方は、彼らの情報をチェックしてください。」

「「Radioactivity」は、1975年に発表された『Radio-Activity』というアルバムの曲ですけども、1991年に行なわれた、イギリスのセラフィールド、まあ日本の六ヶ所村にある再処理工場とおんなじものがある訳ですけども、それに対する反対の大きなフェスティバルがありまして、そこにクラフトワークも出ています。そのときに、この「Radioactivity」っていう曲を大々的に反原発のメッセージを入れ込んでですね、チェルノブイリヒロシマ、で、今回の "NO NUKES" では、なんとそこに、フクシマの文字も入ってきましたけども。」

放射能(Radio-Activity/Radio-Aktivität、1975年) - Wikipedia

ドイツのテクノユニット、クラフトワークのアルバム。1975年11月にEMIよりリリースされた。本作はクラフトワーク初のヒュッター、シュナイダーによるセルフプロデュース・アルバム。クリング・クラングスタジオで録音され、ヒュッター/シュナイダー/バルトス/フリューアのラインナップで演奏された初の作品。全曲ヒュッター/シュナイダー作で、エミール・シュルツが作詞とジャケットデザインに協力した。ジャケットにはナチス政権の宣伝省が1930年代後半に導入した「国民ラジオ」DKE38型の絵が描かれている。

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日本でのアルバムタイトルは「放射能」となっているが、ハイフンの入った英題「Radio-activity」(および独題)は「ラジオの活動」という意味も含んでいる(放射能を表す英単語は、ハイフンなしのRadioactivityである)。第2トラック、邦題「放射能」である曲のほうの英独題はハイフンを含まない。1、2、6、10トラックは放射能を、3、4、5、7、8、9、11、12トラックではラジオを主題に扱っている。6トラックの「ニュース」では原子力発電のことについて触れている。

RADIO GA GA - Wikipedia

タイトルの由来は、ロジャーの子がまだ赤ちゃん言葉の頃、ラジオを聴いていて「ラジオ、カカ」(Radio caca) と言ったことに発想を得たものだという(caca は幼児言葉や隠語で「うんち」を意味することもある)。彼は後にこの「caca」を「夢中になる」「熱狂的な」という意味の「ガガ」(ga ga) に改めて曲名とした。

また、楽曲のプロモーションビデオ(PV)も作られた。このビデオには、1927年のフリッツ・ラング監督の映画『メトロポリス』からの映像が使用されている。この映画の再上映の際、クイーンがBGM制作に携わったスタッフの一員であったからだ。このプロモーションビデオの内容は「空飛ぶ車でメトロポリスの世界に入っていく」というもの。撮影ではサビの部分ではファンクラブの500人をエキストラとして使用した。ビデオでの大勢でこぶしを突き上げ手を叩いてリズムに乗るシーンは、そのままコンサートにも生かされ、「ライブ・エイド」のハイライトにもなった。また日本テレビの「一周回って知らない話」のオープニングテーマ曲にも使われている。

この楽曲が発表された当時すでに「音楽はテレビやビデオで聴くもの」という価値観が浸透した頃であり、「ラジオは旧いメディアとして廃れる」という意見も散見されていた。

クイーン自体もボヘミアン・ラプソディをはじめとした前衛的なPVやメディア露出によってスターダムへと駆け上がった側であったが、そうした世相の中でラジオに対するノスタルジーや他のメディアとは異なる役割・魅力を謳う楽曲となっている。

こうした楽曲内容の一方、PVではメトロポリスの映像から1920~40年頃の世界大戦期を想起させる内容、クイーンの過去作PVが登場し一つのストーリーのような構成が組まれている。また、先述のような手を叩くパフォーマンスのきっかけとなったこともあり、人気を博した。

一部の音楽評論家からはこの内容が「非常にファシズム的である」と酷評されたが、その批判を押しのけるヒットチャートとなった。

アメリカの女性シンガーソングライターのレディー・ガガの名は、この曲が由来だと語っている。

第2トラックの曲「Radioactivity」の、1980年代末以降のライブでみられるアレンジ(リミックスアルバムのTHE MIXやライブアルバムミニマム・マキシマムに収録されている)では、冒頭にセラフィールド再処理場についての警告(THE MIX版にはない)が、曲中にはチェルノブイリヒロシマといったフレーズと、歌詞中のRadioactivityという単語の前にStopの語が追加されている。

更に2012年7月7日に幕張メッセで行われた反原発ライブイベント「NO NUKES 2012」(YMOが「Radioactivity」をカヴァーした)で このイベントに参加したクラフトワークは、同曲を福島の原発事故を明確に意識し反原発放射能汚染)を訴える坂本龍一の監修による日本語詞で歌唱し現在も世界中のライヴで歌い続けている。幕張での様子は公式サイトの冒頭にもリンクされている。

「(ラジオなどマスコミを使っての大衆向け宣伝工作」を免罪しつつ「(原爆に手を出しすマグルの愚かさ」を強調し「純血種による統制の必要性」を正当化する(その権力は例えば純血種なら広島や福島が被曝したら、ただちに容赦無く全食品の出荷を停止して全住民を処分し出来る事で維持される)このアプローチでは、日本における「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生Fantastic Beasts: The Crimes of Grindelwald、2018年)」における「グリンデルバルドの犯罪」なる概念の意味合いが完全に変わってしまいますね。というか、もはやあの界隈の人達が(青い試練の炎を平然と潜れる)グリンデルバルド信徒にしか見えなくなってしまいました(相応に理知的な中国人や韓国人なら引っ掛らない様な中韓活動家のプロパガンダに簡単に引っ掛かるし)。

 以下、若干のネタバレあり。

かと思えば、こういう反応も。

あとこんなのも。

私も父方が長崎出身で親族の多くが消し飛んでますが、別にそういう感じ方はしませんでした(「私がエビデンス」的意見には、「私がエビデンス」的意見で対応するに限る。まぁ、実際にはそうしても大抵は「それはお前が人間的感情が欠落したサイコパスだからだ」と、あっさり生得的人権を享受する権利を剥奪されてお終いなだけだけど)。こういうタイプの人はおそらく、こうの史代夕凪の街 桜の国2004年)」や「この世界の片隅に原作2007年〜2009年、劇場版アニメ化2016年)」についても「表現の自由にだって限度はある。こういう作品の登場を放置しておいてはいけない」と憤った筈。

ちなみに一時期国際的にPTAなどがヒステリックに熱狂してきた「子供が目にするあらゆる映像から暴力描写や猥褻描写を除去すれば、その子供は品行方正に育つ」なる教育論は、1970年代に入ると無節操に「子供は幼少時から繰り返し殺人や強姦といった悪行を見せつけ続け、それが悪行だと条件付けし続ける事によって品行方正に育つ」なる教育論に置き換えられますが、どちらもオリジナル(おそらく前者はHays Codeに思想的背景として採用されたタルド模倣犯罪学、後者はパブロフの条件付け研究から出発した共産主義圏の教育論)の意図が原型も留めないレベルまで破壊され尽くしており、集-立(Ge-Stell)システム(後期ハイデガーいうところの「特定の意図を達成する為、手持ちリソースを全て総動員しようとする権威主義的体制」)としては「暴走してる」領域に分類されます。その点「グリンデルバルドの犯罪The Crimes of Grindelwald)」は、恐るべき形で(すなわち現代でも通用する形で)グリンデルバルドの冷徹な信念の制御下にあるのが恐ろしいのです。

それは「世界から選ばれた英雄が、相応の犠牲を払いながら与えられた責務を全うする悲劇」を尊ぶ保守主義的思想のセキュリティホール、領民の暗黙の了解下に領主が疫病感染者や貧民や放浪者や(貧富格差を拡大する)商人をスケープゴート的に焼き払ってきた「暗い歴史」の再来…「フクシマは既に汚染され尽くしているのだから、誰かが全農産物の出荷を停止して現地を破壊し尽くし、住民を隔離して族滅すべき」なる主張の高まりはつまりそういう事なんです。

というか、国際的にはむしろこの作品でリストレンジ家の設定に「フランス最後の純血種の家系にして、徹底した男尊女卑を遂行しつつセネガルの黒人純血種の家系の併合を目論んだ」複雑な差別構造が盛り込まれた点に注目が集まってる訳ですが(突然、英国におけるジェントリー階層とネイボッブ(インド成金)の複雑怪奇な相互依存関係に照明が当たってシャーロック・ホームズビビアン・リージェーン・エアのファン層が準備体操を開始)そちらは完全に視野外なの?

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日本のリベラル階層は、本当にまともな仕事をしませんねぇ…首から上は飾りなの?