今更の様にここ数日、「東京ゲゲゲイ(2013年〜)」に怖いくらいハマってます。完全にYoutubeにしてやられた形…考えてみればこれぞ正しいマーケティングの形。何しろこのグループをここまで育て上げたのもYoutube…
それはそれとして、私が勝ち取ったのは、やっと韓国大手芸能事務所が黒歴史として葬り去った2Ne1「NORZA(2011年)」の国際的ヒットの正統な続きが聴けた/観れたという安堵感だったのです…
今から思い返せばM.I.A.の彗星の様な登場と退去自体が日本人には想像のつかない規模で重い傷跡を米国エレクトロ・ポップ界に残していったのですね。そりゃ「街のギャング同士の銃撃戦」程度では「解放戦線と政府軍の砲撃戦」にシリアスさで勝ち目がない訳でして…
*ちなみにM.I.A.の「彼らが演ってるのはイビサ島における一昔前の流行曲のパクリ」なる決めつけに吹っ飛ばされてしまった面々…そんなにイビサ島って世界の最先端なの?
*一方、こういう流れにしっかり追随してきた韓国Hipop界…
ところで韓国大手事務所を出し抜く形で台頭してきた防弾少年団(BTS)の「MIC Drop(2016年)」は、特に壮絶な「目黒のさんま」をやらかしてくれた事で有名に。
ある日、殿様の親族の集会で好きなものが食べられるというので、殿様は「余はさんまを所望する」と言う。
だが庶民の魚であるさんまなど置いていない。家来は急いでさんまを買ってくる。
さんまを焼くと脂が多く出る。それでは体に悪いということで脂をすっかり抜き、骨がのどに刺さるといけないと骨を一本一本抜くと、さんまはグズグズになってしまう。こんな形では出せないので、椀の中に入れて出す。
こうして日本橋魚河岸から取り寄せた新鮮なさんまは、家臣のいらぬ世話により醍醐味を台なしにした状態で出されとても不味くなってしまった。
- 韓国大手事務所の御偉方が、米国市場を理解し尽くした韓国系アメリカ人の音楽プロデューサーが仕掛けた2Ne1「NORZA(2011年)」の何が気にくわなかったかといって「女性はこうあるべき」なる保守的幻想を破り過ぎていたのである。さらに韓国においては(米国宗教右派の後援を得た)フェミニズム層まで攘夷思想が強く「(LGBTQA容認といった)欧米日の腐った悪魔思想伝来による精神汚染の拡大」を強く警戒し続けており「限度を超えた」と判定されるとすぐに反対運動や訴訟問題に発展してしまう(国際的成功を納めたKim HyunaやPsyも、それまでこれに苦しめられてきた)。防弾少年団(BTS)はこの問題を「あたかもこの地上には女性もLGBTQAも存在しない」なる立場を貫く事で回避した。元々Hiphop文化は(主にそれを育んできた黒人ギャング・ラッパー達からして)ミソジニー (Misogyny、女性蔑視)が強かったので、それ自体は特に難しい事ではなかった。
- 韓国音楽最大の問題点、それはその国際的競争力の大源流が「(占領時代の影響が解放後も色濃く残ったラジオ放送などの影響で)古き良き米国R&B音楽の精神を継承している(韓国系米国人の音楽プロデューサー談)」点にあるにも関わらず、本国には「黒人やアジア人を同じ人間と見做す人間を同じ人間と見做さない伝統的レイシズム」が色濃く残っているという事。しかもこうした偏見は韓国内だけでなく(韓国音楽最大の消費地の一つたる)中国でも見受けられる。それで防弾少年団(BTS)はこの問題を「あたかもこの地上には黒人もアジア人も存在しない」なる立場を貫く事で回避した。その音楽性の大源流がタミル系英国人のM.I.A.で、「MIC Drop(2016年)」がオバマ大統領に捧げられた楽曲であるにも関わらず。
- ただし、こうした制約が露呈すると今度は欧米日市場での活動に支障が出る。なので防弾少年団(BTS)はさらに「あたかもこの地上には韓国人も存在しない」なる立場を採用する事を余儀なくされた。こうなると最早残っているのは防弾少年団(BTS)のみ。「効率性を追求した結果生まれた万華鏡(韓国音楽もHiphopもミキサーに掛けて極上の上澄みだけ抽出した精油)」「今の所はおぞましい部分を全て隠し通す事に成功してるに過ぎないかの様な実存不安感(ただしこの評価自体は「きゃりぃぱみゅぱみゅ」や「ベイビーメタル」といった日本の特異なコンテンツへの評価とも重なる)」という米国音楽誌の評価は、まさにこうしたスタンスに由来するのである。
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実はこうした「精油マーケティング」は(「星を追う子ども(2011年)」が大ゴケして「観客の観点からのマーケティング」を徹底した結果、作中から五十嵐大介「魔女(2003年〜2005年)」「海獣の子供(2006年〜2011年)」といった作品から継承した地母神崇拝的要素がほとんど画面上から駆逐された)新海誠監督アニメ「君の名は。(2016年)」においても見受けられる。この作品は当時(防弾少年団(BTS)が「とどのつまり鑑賞者は彼らの歌と踊りが気持ち良く聴ける環境を準備して欲しいだけなのだ」という立場から残り全てを「背景=書割的な抽象的イメージ」に追いやってしまった様に)「とどのつまり鑑賞者は男性主人公と女性主人公の恋の鞘当合戦が見たいだけなのだ」という立場から残り全てを「背景」に追いやる英断で話題となったが、その過程で「(1980年代前半を彩った)古き良きハリウッド青春搾取映画(Youth-Exploitation film)への回帰」なる路線が強く押し出される事になった辺りが国際的ヒットの主要因となった。
ただし「君の名は。(2016年)」において背景に追いやられた要素がスピンオフ小説などによって容易に物語的に補完可能なのに対し、防弾少年団(BTS)のそれは完全にきゃりぃぱみゅぱみゅ「にんじゃりばんばん(2013年)」の背後で踊る何かの様に不気味な影に貶められてしまっている。一歩間違えばディズニーアニメ「眠れる森の美女(Sleeping Beauty、1959年)」におけるマレフィセント(Maleficent)化不可避の緊張感…だがそれがいい?
「グレイテスト・ショーマン(The Greatest Showman、2017年)」も「ブラックパンサー(Black Panther、2018年)」もそれぞれそれなりにはチャレンジしてる感がありましたが、ここまでではありませんでしたね。
何しろこちとらトレント・レズナー率いる「ナイン・インチ・ネイルズ(Nine Inch Nails、1988年〜)」や「マリリン・マンソン(Marilyn Manson、1989年〜)」といったゴス文化の洗礼まで受けてきてるのです。この程度じゃとてもとても…
逆に日本は「東京ゲゲゲイ」がチャレンジのうちにも入らないという層の厚さ…
ちなみにエレクトロ・ヒップホップ系の音楽は「尻には絶対に目をやらせない系」なので、この手の話題の最中には私の尻検知Callbackルーチンはずっと沈黙したままだったりします。
*日本においては江戸幕藩体制下、庶民が(乗馬者の象徴たる)袴の着用する事を禁じたせいで「裾からげ=尻むき出し」が(「上からの統制」たるファルスに抵抗する)「下からの抵抗」としてのヴィオランスとして成立。むしろ当時のエロティズム追求路線から切り離される展開に?
無数のロックスターの体の動きを研究してキャプテン・ジャック・スパロウなる国際的ヒットキャラを創造したジョニー・デップも、同様の「尻に目をいかせない堅物」として知られています。「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生(Fantastic Beasts: The Crimes of Grindelwald、2018年)」では巻き添えでジュード・ロウの尻まで封印。これぞまさに「グリンデルバルドの犯罪(The Crimes of Grindelwald)」…
個人的にファンタビ2はジュードダンブルドアのお尻も見所の一つだと思う pic.twitter.com/H5sOJqrefQ
— マナミーJr (@masososo_) December 1, 2018
ファンタビ 2、この予告編ではあったジュード・ロウの尻シーンが、前面からのシーンに切り替わっておりまして見ることが出来ずにとっても残念でしたpic.twitter.com/qtvd1qOYVF
— さまこ (@samako211) December 6, 2018
とりあえず近況報告的に…