日本より海外におけるコンテンツ展開が旺盛(というより国内市場が小さ過ぎて海外進出を前提としないと採算が成り立たない)ながら、国内の保守的モラリストの声も大きい韓国(この傾向、イタリアやスペインやインドにおいても見受けられるので「半島系ジレンマ」とも)では、最近こういう動きもありました。
ならば我が国日本はどうなの?
ややあって大正時代の女学生たちのエス(友情とも姉妹愛とも性愛ともつかない女学生同士の親密な関係)について調べていたら、亡くなったおばあちゃんの遺した古いスクラップブックから思い切りエスな絵の切り抜きが出てきたという報告を見つけてしまって、おおふとなってる。
— ジロウ (@jiro6663) November 30, 2018
女学生文化に興味のある方はこういうあたりからどうぞ。雑誌に寄せられた「なぜ女同士ではキスしてはいけないのですか」という胸が苦しくなるような相談への「衛生的によくないから」という返答に時代を感じます。「女同士だからよくない」ということにはならないんですよね。https://t.co/GKJRKp4drB
— ジロウ (@jiro6663) November 30, 2018
確かかどうかは分からないのですが、巷間には同性愛に対する禁忌がより強まるのは戦後からとかよく言われますね。このころ女学生同士のエスは”性愛の予行演習”であると教育界隈でもみなされていたようで、周囲も「まあ、男と遊ぶよりはよかろう」という感じでわりとあたたかく見守っていたようです。
— ジロウ (@jiro6663) November 30, 2018
以前に言及しましたが、このころの女学校というのは「寿退社」ならぬ「寿退学」をしていく場所で、結婚が決まった順に退学していく場所でした。「結婚が決まった」と言っては友達が順に退学していき、卒業が間近になるころには教室は空席だらけであったと。
— ジロウ (@jiro6663) November 30, 2018
”エス”という女子同士の性愛めいた関係が大人たちに受容されたのも、この限られた時間と空間においてだけのことであるから、という了解であったのではないかと思います。あまりに儚い彼女たちの青春には、そばでそれを見ている大人たちにも何か感じることがあったのでしょう。
— ジロウ (@jiro6663) November 30, 2018
いのち短し 恋せよ乙女
— ジロウ (@jiro6663) November 30, 2018
あかき唇 あせぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを
有名なこの歌は、まさにそんな時代、大正5年の流行歌です。
ああ、まさしく1950年代の米国女子大学生を扱った「モナリザ・スマイル(Mona Lisa Smile、2003年)」の世界?