諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【2019年度インフルエンザ】伝染るんです?

f:id:ochimusha01:20190105062459j:plain

ふと福沢諭吉脱亜論1885年)」の冒頭を思い出してしまいました。

脱亜論 - Wikipedia

新聞『時事新報』紙上に1885年(明治18年)3月16日に掲載された無署名の社説である。1933年(昭和8年)に石河幹明編『続福澤全集』第2巻(岩波書店)に収録されたため、以来福澤諭吉が執筆したと考えられるようになった。

1950年(昭和25年)以前に「脱亜論」に言及した文献は発見されていない。発見されている最初の文献は翌1951年(昭和26年)11月に歴史家の遠山茂樹が発表した「日清戦争福沢諭吉」(福沢研究会編『福沢研究』第6号)である。「脱亜論」が一般に有名になったのはさらに遅れて1960年代後半である。

脱亜論 - Wikisource

世界交通の道便にして西洋文明の風東に漸し到る處草も木も此風に靡かざるはなし。蓋し西洋の人物古今に大に異るに非ずと雖ども其擧動の古に遲鈍にして今に活潑なるは唯交通の利器を利用して勢に乘ずるが故のみ故に方今東洋に國するものゝ爲に謀るに此文明東漸の勢に激して之を防ぎ了る可きの覺悟あれば則ち可なりと雖ども苟も世界中の現狀を視察して事實に不可なるを知らん者は世と推し移りて共に文明の海に浮沈し共に文明の波を揚げて共に文明の苦樂を與にするの外ある可らざるなり。
世界の交通の道は便利になり、西洋文明の風は東に進み、至るところ、草も木もこの風になびかないことはない。西洋の人物は古代と現在に大した違いはないのだが、その活動が古代は遅鈍、今は活発なのは、ただ交通の機関を利用し、勢いに乗じるがためである。ゆえに最近、東洋に国がある民のために考えると、この文明が東に進んでくる勢いに抵抗して、これを防ぎきる覚悟であれば、それもよい。しかし、いやしくも世界中の現状を観察し、事実上それが不可能なことを知る者は、世の移りにあわせ、共に文明の海に浮き沈み、文明の波に乗り、文明の苦楽をともにする以外にはないのである。

文明は猶麻疹の流行の如し。目下東京の麻疹は西國長崎の地方より東漸して春暖と共に次第に蔓延する者の如し。此時に當り此流行病の害を惡で此を防がんとするも果して其手段ある可きや我輩斷じて其術なきを證す有害一偏の流行病にても尙且其勢には激す可らず況や利害相伴ふて常に利益多き文明に於てをや啻に之を防がざるのみならず力めて其蔓延を助け國民をして早く其氣風に浴せしむるは智者の事なる可し。
文明とは全く、麻疹(はしか)の流行のようなものだ。 目下、東京の麻疹は西国の長崎地方より東に進み、春の暖気と共に次第に蔓延するもののようである。 この時、流行病の害をにくみ、これを防ごうとするにしても、果してその手段はあるだろうか? 筆者はその手段は断じてないことを保証する。有害一辺倒の流行病も、その勢いにはなお抵抗できない。 いわんや利益と害悪がともない、常に利益の多い文明はなおさらである。 これを防がないばかりではなく、つとめてその普及を助け、国民を早くその気風に染ませることが知識人の課題である。

まさしく「黒死病の流行14世紀)」が欧州において十字軍時代/大開拓時代(11世紀〜13世紀)を終わらせ、英仏百年戦争1337年/1339年〜1453年)と大航海時代15世紀中旬〜17世紀中旬)開始の契機になった事を連想させます。

検疫」問題は掘り下げるほど奥が深いのです。くれぐれも体はお大事に。