諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【韓国参与連帯の今】「アジアのチャベス」に取り込まれる?

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参与連帯は、出世欲に気を取られた人たちがのぞき込むほどくだらないところではなかった。国民基礎生活保障法の制定(1999年)、腐敗防止法制定(2001年)、証券集団訴訟法制定(2003年)など、1994年に創立された参加連帯が築いた成果は一つ一つ取り上げることができないほど多い。

3回目の当選を狙う朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長は、2003年、参加連帯執行委員長時代にこのような話をした。「市民団体が政府と連携すると、政治的見解が異なる人たちには影響を及ぼすことができず、市民運動公信力も大幅に落ちる。盧武鉉政府が失敗すればどうするつもりなのか。政権は有限だが、市民運動は永遠である。政権と運命を共にすることなどできない

 気付くと「元・盧武鉉大統領の中の人」にして「アジアのチャベス」に取り込まれてしまってた?

結局、政治の世界なんて実践を必要とする信念を失った人々が留まるべき場所ではないのかもしれません。

 というか実際、中央政権に留まる事がこういう道を歩む事と知ってて(経済的自立も含む地方自治方面に転戦した人達が多かったのも参与連帯の特徴の一つ…