現代社会においてすら、一部の人間の間では「ポパーの反証可能性(Falsifiability)テーゼ」すなわち「科学理論の客観性を保証するためには、その仮説が実験や観察によって反証される可能性がなければならない」なる考え方が未だに理解出来てない様です。
「もとになる理由」が古いか新しいかでコロコロ変わるようなものを「根拠」と言わないでしょう。「Aが根拠です」「やっぱBが根拠です」「ごめんCが根拠でした」ってなったら、ふざけんなって怒るでしょう?
— 瀬戸❄️雪平 (@setoyukihira) February 9, 2019
いやー、研究ってそういうものですよ。根拠変わったからやりなおすの常識です。人文系だって、わ―!新史料出ちゃったよ(真っ青)って経験してる人多いかと。大昔の論文出して平気なのは、ニセ科学系の特徴ですね https://t.co/nDXvB7jWAo
— ナカイサヤカ@2/9えるかふぇ主催 (@sayakatake) February 9, 2019
そっかー、根拠変わったら定説がひっくり返るって一般人には常識じゃなかったのか。教科書だって変わるんだぞ。
— ナカイサヤカ@2/9えるかふぇ主催 (@sayakatake) February 9, 2019
①科学実証主義的思考様式は、その大源流をイタリア・ルネサンス期の新アリストテレス主義まで遡る訳ですが、それよりさらに後退しています。
イタリア・ルネサンス期にはパドヴァ大学やボローニャ大学の解剖学部で「新アリストテレス主義」すなわち「実践知識の累積は必ずといって良いほど認識領域のパラダイムシフトを引き起こすので、短期的には伝統的認識に立脚する信仰や道徳観と衝突を引き起こす。逆を言えば実践知識の累積が引き起こすパラダイムシフトも、長期的には伝統的な信仰や道徳の世界が有する適応能力に吸収されていく」という考え方が流行し、まさにこれが欧州科学実証主義の出発点となる。
*ここで注目すべきは、欧州史のこの時点においてはまだ「唯一神によって創造されたこの世界においては、神学も科学も芸術もその御技の証明を最終目的とする」なる伝統的共同幻想が健在であった事。従って「神は無謬のはずなのに、どうしてこの世には悪が存在するのか?」を問う「神義論(theodizee)」もまた、リスボン大地震(1755年11月1日)まではスンニ派古典主義を完成させたイスラム神秘主義者(Sufi)のガザーリー(Abū Ḥāmed Muḥammad ibn Muḥammad al-Ṭūsī al-Shāfi'ī al-Ghazālī 、1058年〜1111年)の「流出論」、すなわち「神の英知そのものは確かに無謬であるが、それは理念の世界から現実の世界へと全方向に向けて流出していく過程で数多くの誤謬を累積させ、やがては矛盾や対立、さらに究極的には悪をも誕生させる」なる知見を乗り越えるまでには至らなかったのである。
②カール・マンハイム(Karl Mannheim、1893年〜1947年)の「保守主義的思考(Das konservative Denken、1927年)」 によれば、当時のパラダイムシフトの落とし子ともいうべき「(コンドルセ侯爵(Marie Jean Antoine Nicolas de Caritat, marquis de Condorcet, 1743年〜1794年)やジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill、1806年〜1873年)の様な)数理モデルにのみ従って行動し、その視野外のパラメーターに関してはあくまで神秘主義者の様に沈黙を守り抜こうとする(否定するというより、科学的言及が不可能なので立場表明自体を拒む)進歩主義者」の登場により「(過去は現在より無条件に優れており、現代人が過去の価値観を変える事は一切許堕落と考える)伝統主義者」は地上に居場所を失い「(何よりもまず生き延びる事を最優先課題と設定し、「同性婚の公認」といった最新トレンドは貪欲に取り入れつつ「貞操の義務」といった伝統的価値観のうち現代にも通用する部分だけを選択的に集中的に守ろうとする)保守主義者」にその座を譲ったとされています。
*そもそも欧州中を革命に巻き込んだフランスにおける「(過去は現在より無条件に優れており、現代人が過去の価値観を変える事は一切許堕落と考える)伝統主義者」の敗北は絶対王政黄金期における「シャルル・ペローの新旧論争」にまで遡るとも。
ここで問題として浮上してくるのが、彼らが「(人間味に欠ける)数理モデル的解決法を超越する(ドイツのイマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724年〜1804年)やフランスのオーギュスト・コント(Isidore Auguste Marie François Xavier Comte、1798年〜1857年が提唱しながら全体像の輪郭すら示せず終わった)人倫最優先モデルの支持者」という観点からなら、確かにマンハイムいうところの「伝統主義者」の要件を満たしている辺り。20世紀末時点てありとあらゆる伝統主義が存続不可能となり、それに代わって現れた21世紀的な…あまりにも21世紀的なカテゴリーとも?